「ビルの2階にある店に続く階段は……」の残念感をどう表現したら伝わるか

とある国の理科教科書のイラストとして筆者が作成したもの

誰が悪いんでもない

 2020年11月13日、つまり1ヶ月ほど前に、たまたま目にしたインターネット上での「南インドカレー好きなら必食 カレー激戦区に登場した「三燈舎」(東京・神保町)」という記事。
南インドカレー好きなら必食 カレー激戦区に登場した「三燈舎」(東京・神保町) | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム) (asahi.com)

 カレー激戦区といわれる神保町には、よくカレーを食べに出かけるが、出会った瞬間に、“マイランキング”のトップに躍り出たのが昨年5月にオープンしたばかりの「三燈舎」だ。カレーの素晴らしさに感動させられることは多々あるが、今回は筆者の好みにストライク過ぎて、明日にでもまた食べに出かけたいほどだ。
 土曜日の13時頃に店先に到着。ビルの2階にある店に続く階段は、
……

 記事を追っていた視線が、ここでバチンと止まる。ここまで、読んでいた内容も含めて「ビルの2階にある店に続く階段は」とあったことで、すべてが他人事のように思える。違う世界の話。もちろん、誰が悪いのでもない。単に仕方のないこと。腹がたったり、悲しく思ったりするわけでは、ない。まぁ、多少の残念感はあるけれど。

1階ならば、皆さまの配慮と調整で、たいていなんとかなる

 車イス世界にやってきて、「段差」への感度は、どうしたって高くなった。道行きながら、知らず知らずに目に入るお店の入口を値踏みしている。人の助けがあれば、かなり高い段差でも、1階ならなんとかなるものだ。ようは互いの気合というか。入りたいという客としてのぼくの思いと、どうぞどうぞというお店側の思いがあれば、数段の段差でも乗り切れる。
 一方、たとえわずかな段差でも、両者の思いがマッチしなければどうしようもない。
 以前、赤羽にある小さなバー、1階にあった、に立ち寄った。段差は少しあったけれど、友人も一緒だったので人手はなんとかなる。友人が店の扉をあけて「車イスだけれど、いいですか」と聞いてくれ、お店の人も笑顔で迎えてくれ、そこで楽しいひとときを持った。あぁ、いい店を知ったなぁと思った。
 1-2ヶ月後、違う友人とそのバーを再訪した。ぼくが彼に「いいバーがあるんだよ」と誘ったんだ。やはり友人が扉をあけて「車イスだけれど、いいですか」と一声かけてくれる。ところが、このときは「笑顔」なかった。「迷惑そうな顔」が登場した。
 「先日は、入れたんですけれど」と一応伝えてみる。「迷惑そうな顔」がおっしゃるいは、あの「笑顔」はバイトの子だったそうで、よく事情?(どんな事情よ?)を知らないで車イスの客を受け入れてしまったという。

 ちょっとかたっ苦しい話をする。障害者の権利条約というのがある。2006年に国際連合で採択され、翌年には日本政府も署名。そこからさらに6年後、2013年に日本政府はこの条約を(ようやく)批准(ひじゅんした。この障害者の権利条約第2条「合理的配慮」という考え方が出てくる。ざっくりぼくの理解を書けば、障害者ということで不利益を得ないための配慮、調整をしましょう、ということだ。
 公の場では、すぐにバリアフリー化とか、ユニバーサルデザインとか、設備整備が考慮されるけれど、ここもぼく個人の考え方を書けば、ようは社会でこの配慮・調整を心がけましょう、ってこと。
 いっつも思うけれど、一番のバリアフリーは、設備ではなく、人々のちょっとした思いやりや、親切だ。その観点からすれば、先のバーのオーナーだという「迷惑そうな顔」の考え方は国際条約違反。まったく時代遅れな御方だ。でも、ぼくはそのあたり割と面倒くさがりなので、役所にそれを報告するような手間はとらなかった。それに赤羽なら、いくらでもいい店はあるし。

 それに、そんな「迷惑そうな顔」がやっている店に無理やり入っても、きっと楽しい時間は持てない。こっちも限られた時間を「啓蒙活動」に費やしてばかりいるわけにはいかない(あ、けれど、そういう啓蒙に力を入れている方にはありがとうとお礼を伝えたい思いはあります)。

 とにかく、合理的配慮さえ行き渡れば、間口や店内の空間が車イスを受け入れてくれれば、段差突破は簡単だと書いておきたい。荒野で助けを求めるわけではないので、人の手はたくさんある。

仲野麻紀さんのサックスが生聴きしたいのです

 け・れ・ど・も。階段は、なかなかきびしい。そもそも食堂や酒場に通じる階段は幅が狭いことが多いし、さすがに階段を持ち上げて移動するのは、運ぶ側、運ばれる側、両者の負担は「合理的配慮」を超えてしまうことが多いような気がする。
 つまり、階段じゃ、そりゃもうしょうがないなぁ。あきらめましょう、ってことになる。
 雑居ビルなら小さなエレベーターが設置されていることもあるけれど、車イスには小さすぎってこともよくあって。とにかく、階段で上り下がりでの入店は、鬼門だ。

 先日も、憧れるサックス奏者の演奏会が小さなバーで開かれた。めったにない機会なので、彼女のホームページで告知されたその店に電話をかけた。でも、やはり!心配したとおり、地下一階にあるその店へのアプローチは階段のみ。深くため息をついて、縁がなかったとあきらめた。
 誰も悪くない。仕方がない。あぁ、でも残念だったなぁ。

 さて、と、こうやってぼくは、ぼく自身が健常者世界の人でしかなかったころには気がつかなかったことを、今、身体障害者世界から発信したりする。
 でも、まだぼくの知らない世界は無数にあるはずだ。たとえば、こうやって書いていて気になっているのは、発達障害学習障害がある人に、読みやすい文章とは?ってこと。とりあえず、ユニバーサルデザインフォントというのは、なんとかクリアしているかな。
 最近出ている本の中には、章ごとに内容を簡易にまとめた要約が書かれているものもある。あれもおそらく「読解」が苦手な人向けに向けた「合理的配慮」だろう。色はどうだろう?ときどき変な色をぼくも使ってやしないだろうか?

 確かに、こうやって「気にし始めると」際限はないのかもしれない。だから、一足飛びじゃなくて、まず一歩。そんな観点からお気づきのことがありましたら、そんなときはぜひ教えて下さいませ。

 あぁ、それにしても、仲野麻紀さん仲野麻紀のカイエ du 俳句 -cahier d’ Haiku- (unblog.fr)。あなたの優しいサックスを生で聴ける日がいつかやってくるのでしょうか。ぜひ次回、東京でのコンサートは1階のお店でお願いいたします。でも、仲野さん、地下の穴蔵のような舞台が、似合うひとなんだよなぁ。そんなもんなんだよなぁ。

 

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