「良い教育」と「悪い教育」と
途上国の応援、特に学校教育分野での応援をしてきて。たとえば、実際にカンボジアやルワンダという20世紀後半から終盤に大きな悲劇に襲われた社会で活動をしてきて。しかも、それがちゃんと自分の悪くない稼ぎ・食い扶持につながっていて。
いやー、人もうらやむだよなぁ、って思ってました。今も思っている。
だって、今や国際開発協力・支援って、日本の若者の憧れの仕事のひとつじゃないですか。最近の若者は他者への共感力が不足しているとか、海外に出て行こうとする人が減っているとか、具体的にはJICA協力隊(以前の青年海外協力隊)への応募数が減っているとか、そういうことはいろいろ言われています。けれども、その一方で、早くから海外に目を向けて、学生時代から途上国でのスタディツアーに参加したり、インターンで実際の支援活動に従事したりする若い人、私のまわり、たとえばカンボジアではことさら、何人もおられます。
その多くは、けっこう高学歴で、つまりはインテリで、中には国家の中枢にかかわっていくエリート候補生でもあったり、とにかく優秀な青年が多い。
そして、教育ってのは、そういう若者を惹きつける力がなんかある。それは、彼らの多くが教育の成功者だから、なのだろうか? だからなのか、「教育にかかわっている」「教育の支援をしている」ってのは、良いことをしているという気分に満ちている、ような気がする、よね? しない??
でも、ときどき書いていますが、教育には良い教育も悪い教育もある。ここで「良い」と「悪い」という言葉を教育の頭にくっつけてみたけれど、この「良い」と「悪い」も簡単にはその境界の線引きは難しい。
ぼく自身は、「悪い教育」の事例としては、全体主義を賛美する教育。ひとつの価値観に子どもを染め上げるような教育をイメージします。
たまたま昨日、『イノセンス 罪なき日々の終わり(原題:Innocence)』2022年製作、という映画をインターネットの配信で見たのです。 (詳細はこちらへ → イノセンス 罪なき日々の終わり | ドキュメンタリー映画|アジアンドキュメンタリーズ) イスラエルの徴兵制を描いたドキュメンタリー映画。イスラエル社会では18歳になると市民は誰でも、男女とも、3年から2年の兵役義務がある。そして、その兵役義務を肯定的に受け入れる価値観をイスラエルの子どもたちは幼児のころから植え付けれていくのです。そして少数派ではありますけれど、その価値観を受け入れられずにはみ出していく子どもたちもいる。はみ出した子どもたちも、その多くはさまざまな方法で現実と折り合いをつけ、あるいは兵役拒否で収監され、でもなんとか生き延びる。のだけれど、なかにはその折り合いに失敗し絶望の自死に至ってしまう。そういう事例が実際にあるのだ、ということを具体的に伝えてくれた映画でした(つまりイスラエル軍兵士たちもイスラエル国家の犠牲者であるのだ、ということなんだけれど、ここではそっちには話を広げないようにします)。
つまり、私にはそんなイスラエルの徴兵制に児童を導いていく教育は「悪い教育」だと思える。銃を撃てない子にどうやって銃を撃たせるか。「こわがらないで、一発だけ撃ってみよう」と兵役への予備訓練の場でコーチは優しく囁く。なんとか一発だけ引き金を引いた少女に、「良くできたね、じゃぁもう一発撃ってみる?」。あぁ、見事な教育ぶりなわけです。
あるいは弱視の青年にも訓練はしっかり行われる。あぁ、見事なインクルーシブ教育です。おそらく、そこに至るまでには教育専門家が軍事訓練専門家と長時間の議論を重ねたうえで出来上がったトレーニングマニュアルがあるに違いないのです。
では「良い教育」とは? やっぱり専門家が「生徒中心の学習」を取り入れ、「児童の主体的な学び」を取り入れ、それをいくつかの国の学校教育で実践し、その効果を数値化して示す工夫をこらし、そのうえで途上国の学校教育現場にも取り入れようとしている。とりあえずは、上記のイスラエルの「悪い教育」の事例より、よさそうだ? いやいや上記の「悪い」事例でも、「引き金を引け!」とは強制しない。
「もう一発撃ってみる?」
学習者の主体性への配慮は十二分になされているわけです。だからね、「良い教育」を追い求める道は険しく長い。手法だけじゃだめなのです。どうしたって内容(コンテンツ)に入っていくしかない。そして…、学校教育のおおくは公教育で国家の運営のもとに行われるのです。そして「質の高い労働力の供給」とか「国民の創生と統一」とか、そういう価値観から無色で「良い教育」を追い求めるなんてことはあり得ない(と私は感じている)。
つまり途上国の教育支援者は、そういう学校教育の支援をしているのです。「良い教育」の導入をしているつもりで、「悪い教育」の手助けをしている危険性は常にある。そのことに無自覚であってはあかんだろう?と、私は自分のことはまず棚上げしておいて、今教育支援にかかわりつつある、あるいは教育支援協力を志す全世界の若者に問いたい!
いよいよ遂にファンレター到来!!
さて、話し全然変わって。私、ここ4年近く全国脊髄損傷者連合会の月報「脊損ニュース」に連載を書き続けてきました。2021年4月からの連載2年分は当ブログの以下の投稿以下8回にわけてすでに掲載しています。2023年以降も連載は続いていて、その分は連載が終了する来年3月以降にまた当ブログでもご紹介します。しばしお待ちを。
連載『世界は開いているから仕方がない』 全国脊髄損傷者連合会発行 脊損ニュース 2021年4月号・5月号・6月号 – 越境、ひっきりなし
「世界は開いているから仕方がない」というフレーズは、ぼくのお気に入りで、2021年1月に出版した『超えてみようよ、境界線』(かもがわ出版)の仮タイトル候補のひとつだったんです。本のタイトルとはならなかったので、こっちの連載タイトルに使ってしまいました。
この月報「脊損ニュース」は2千部強、脊髄損傷者、医療関係者、福祉関係者に配布されているそうです。が、しかしですね、連載しているこの3年9ヶ月、読者からのコメント・リアクションは、私の知る限りまったくないんです。そういうものなのかしらねぇ。
一応、これまで数回、手紙やはがき、さらにはインターネットのメールでのコメント募集も呼びかけたことがあるのですが、無の礫、で。まるで霞にむかってボールを投げているような、そんな気分で、とにかく仮想読者に伝えたいコトを微々たるスペースで書き連ねてきたのです(連載は一回1ページ、で、字数1800字弱、このブログ『越境、ひっきりなし』は字数制限なし、前回の投稿が5千字強です、連載の短さがわかりますよね)。
そうしたら、なんと、ついに読者から一通のメールが届いたのデスヨ! ファンレターです。キャー嬉しい! すっごいクリスマスギフトじゃないですか。
ファンレターをくださったのは、伊藤順之介さん、都内の社会福祉協議会で働いているという伊藤さん、おそらくぼくが彼を「青年」「若者」と呼んでも、けっしてそれほど間違ってはいないだろうと思われる世代の方。「脊損ニュース」は彼の職場にも届いていて、彼は私の記事に目を通して、わざわざ“勤務中”にもかかわらずファンメールを送ってくれたのです。
村山さま
はじめまして。
わたしは都内の社会福祉協議会に勤務しています。社協には福祉関係を中心にさまざまな団体や企業から大量の広報誌や会報などの送付物がおくられてくるのですが、そのひとつが脊損ニュースでした。
数年前に勤務しはじめて以来、わたしは村山さんの「世界は開いているから仕方がない」を毎回いちばんの楽しみに読ませていただいていました!
一体どんな人が書いているのだろう、とお名前を調べ、ブログも拝見させていただいていました。
このたび、3月で連載が終わるとのことで(それにこの記事に対するお便りがなかったということで)、いてもたってもいられず、就業時間中にもかかわらずメールを送らせていただいています(笑)。
福祉の仕事に就いて間もないころから、村山さんの実感、そしてこれまで考えてこられたことを読む機会に恵まれ、本当に勝手ながらたくさんのことを学ばせていただきました。村山さんの文章をとおして、立岩真也さんの著作にも出会い直しました。
今後もブログを拝読させていただきます。3月までの連載も、毎月楽しみにしています。
伊藤 順之介
どうです、この端正で簡潔な文体、しかも乱れることない美しい筆跡。世にも希代で見事なファンメールと申せましょう(伊藤さんのメールを実名で当ブログでご紹介することの了解はいただきました)。
その後ね、伊藤さんは改めて一往復のメールの交換がありました。そうしましたらね、伊藤さんから以下のページを紹介してもらったのです。NHKのあまちゃんというドラマで知る人もおられる音楽実践家の大友良英さんへのインタビュー記事で、この記事のインタビュアーが伊藤さんご本人であられるのです。
インタビュー「3.11後の大友良英——そうじゃないところを示す音楽への試み」【1/7】 – 大友良英オフィシャルサイト
この記事の最初の部分を読むことで、伊藤さんが比較文明学の修士学生であったこと、そして2021年度に「3.11後の大友良英──無力な音楽の政治学」という修士論文を書かれたことがわかります。このインタビューは、修士論文の中の一部なのだそうです。
私は、あまちゃん、見ていません。大友さんのことも、その存在はちらりと知っている程度で、どんな方、どんな活動をしている方なのか、この記事を読むまで知りませんでした。そして、この記事を読んで大友さんへ興味津々なのでありました。でも、今回は伊藤さん。長い記事の中に、伊藤さん(つまりインタビューする側の)から以下のような一言があるのです。
わたしの話になっちゃうんですけど、大学入学直後、グリークラブに入ったんです。でも、(略)立派な指揮者の下に響きをみんなで統一していくこと、それがすごい嫌になってしまったんですよね。どうしてひとつの響きに合わせていくのか……っていうのが。その気持ちよさっていうのはあるし、それはそれで素晴らしい音楽だとも思うんです。でも、そういうやり方は、ファシズムとつながっているようなことに思えてしまって。まあポピュリズムでも、統一されてく気持ちよさには、いろいろあると思うんですけど。でもそれは怖いっていうか、自分の声が全体の中に溶けていく怖さがあって、すぐ辞めたんです。
ふむ、なるほど、こんな感性を持たれている方だから、数ある情報の中の微かなノイズであるぼくの連載が伊藤さんのアンテナにひっかかったのだろうなぁ。納得だし、光栄です。
でね、伊藤さん紹介の大友さんへのインタビュー記事、長いですけれど、でも興味ある方、ぜひ読んでみてください。私はとっても面白く読みました。つまりはさ、音楽もいろいろなわけです。大友さん自身の言葉をちらりと引用すれば、
音楽の力ってまるで良いことのようにみんな言うけども、軍歌だって音楽だからね。だから音楽の力はどっちにでも作用する
ってこと。「良い教育」もあれば「悪い教育」もある、そして軍歌をみんなで歌わせる教育もある。日本社会の中にも、それはあったし、今もそれを望む声があるし、将来そういう教育が導入されないとも限らない。それを「良い教育」と判断する価値観だってある。
インタビューの中では被災地での音楽の力が語られる。ぼくの大好きな歌、ソールフラワーユニオン(あるいはソウルフラワーモノノケサミット)の名曲「満月の夕」も、1995年の関西淡路大震災の際して作られ歌われた被災地ソングの好例です。そして大友は記事の中で語っている。
震災のときに音楽の力を使うとかみんなすごく安易に言ってるのに対して、もう本当にそういうのに絶対与すまいって思ってましたよ
みんなで声を合わせる、そのことの怖さを大友は常に意識して音楽活動に取り組んでいることが記事からはよくわかる。いや、それでも彼は被災地ソングを否定はしない。米国の著作家レベッカソルニットがその著作『災害ユートピア』(2009)で描いた、危機の中での人々の自発的な相互扶助の中での“音楽の力”は、どうしたってあるのだから。要は、その在り様。同じ歌でも、いくらでも違うベクトルで使うことは可能で、そのベクトルの方向には敏感でありたいということなのだと思う。教育も、同じ、です。
インド洋のサイクロン「チド」がモザンビーク北部へ、仲野麻紀さんのOpenradioで知る。
もうひとつ大事な情報が飛び込んできました。こんな文章が目に入ってきたのです。
12月15日、シークローンの中、電柱も樹々もなぎ倒され、水も何も断絶ただ中から、ようやく国連機関の事務所からのインターネット接続となります。
シークーロンとは、サイクロン、つまり台風のこと。アフリカ南部モザンビークの北部を15日に強力なサイクロンが襲ったのです。インド洋中央南部で発生した「チド」という名のこのサイクロンは、マダガスカル島北部をかすめて西に進み、アフリカ大陸到達の前に仏領マヨット島を直撃して、そこでは数百以上の死者が出ているという報道もあります。

この画像だけだとどこだかわかりにくい? ならば、以下、補足です。インド洋南西部、マダガスカル島とアフリカ大陸のあたり、赤線で囲んでみました、となります。サイクロンは、上図の点線を右から左へ(東から西に向かって)移動していったのです。

そして、このメッセージは、私が愛聴するOpenradioというインターネットラジオプログラムの発信者、仲野麻紀さん(ジャズサックス奏者)が、そのラジオ配信の短い前書きに書かれた一文でした。(Openradioの配信は以下からどうぞ、素敵な音楽てんこ盛りです)
openradio No.317 2024/12/15 Full Moon by maki nakano -openradio- | Mixcloud
しかし、この12月15日のプログラムの中では、仲野さんはモザンビーク滞在時に出会ってしまったサイクロン被害については一言も触れませんでした。ほんの微かにサイクロンと口にした瞬間はあったけれど、モザンビークからの配信であることも語らなかった。
語れなかったその訳を、私は知っています。
仲野さんとは秋の東京滞在中の10月31日にぼくの隠れ家のすぐ近く、西浅草の喫茶店でお昼にとても美味しいカレーをご一緒しているのです。一ファンとしては、なんとも至福の時間。しかも音楽家・芸術家への応援者としてそのカレーをご馳走すると見栄を切った私のお財布には、そこの支払いをすべて払うだけの現金がはいっていない!!「江戸時代の文化を支えたのは浅草商家のパトロン(支援者)たち」なんてことを口にした後のことです。はっはっはっはぁーー、この格好悪さを知れ!!
「あ、すいません、仲野さん、やっぱり少し出してもらえます?」という体たらくまで付属した、忘れられない秋の1日だったのです。
そして、それから11月、そして12月中旬の今日まで、仲野さんは意図せず怒涛の日々を送ることになってしまっているのでした。短期間に日→仏→日→仏、と移動を繰り返し、そして、なんとかモザンビークにたどりついた、はずです(仲野さんの本拠地はフランスなのです)。語り切れない思いを持っての、12月15日の放送だったはずなのです。サイクロン「チド」のことも語りたかったはず。でも、そこまで時間はなかったのです。だから、告知の前書きにちらりとだけ触れた。
さて、ぼくは妄想しています。仲野麻紀は被災地モザンビークでそのサックスを奏でただろうか。サックスだけでなく、歌っただろうか、彼女の声は出ただろうか。被災者の耳に麻紀さんの歌は届いたか? 彼女がいつも「自分が歌っていいのだろうか」と迷いつつ、けれども歌い続けている宮城県松島湾に伝わる『斎太郎節(さいたらぶし)』(あるいは『大漁唄い込み』)、あの歌も歌っただろうか。
歌ってくれていたらいいな、演奏する機会があるといいな。でも、まだ音楽どころじゃないかもしれない。ぼくには、わからない。自然災害でも、人災でも、被災経験のないぼくには、わからないよなぁ、やっぱり。
そんなことを静かに思うのです。北側だけに大きく開けた窓と戸があり、その外だって10メートルの先には住居がならぶ空の見えないこの部屋。それでも西側と南側の壁の向こう(それだって壁ひとつ向こうは隣の家の部屋)、遠い向こうにあるはずの南西の空を見上げて思うのです。
麻紀さん、ガンバレ、打たれ越せ。
そして、伊藤さん、ありがとう。あ、伊藤順之介さんは東北方向でしたね。南西から振り返って、東北にも頭を垂れるのです。

















ファンレターをお送りした伊藤です。
「脊損ニュース」での連載が終わると知り、「ええ〜?! 終わっちゃうの?!!!」という気持ちで(隣の席の同僚には心の声がじゃっかん漏れ伝わっていたことでしょう)、村山さまにメールをお送りさせていただきました。それがこんなにもご丁寧に、わたしがおこなったインタビューをご紹介いただけることになるとはつゆしらず……(しかも、大友さんのみならず、わたしの発言まで引用していただけるとは)。本当にありがたい僥倖に存じます。
じつは、わたしは比較文明学専攻に進む前、教育学を専攻していました。そういった経緯もあり、村山さんの文章が、見事に自分に刺さったのかもしれません。
それにしても、まさか仲野麻紀さんとカレーをご一緒されていたとは!!(笑) 仲野さんは、たしか去年か今年、大友さんのソロライブに来られていて、偶然お見かけする機会に恵まれました(もちろん、わたしが一方的に存じ上げていただけなのですが)。それもなにかの縁だったのかも、と思います。
モザンビークの災害のこと、ブログを拝読して初めて知りました。わたしも情報を追ってみようと思います。今後もブログを拝読させていただきます。東京からプノンペンに頭を垂れて、そしてモザンビークに、祈りをこめて。
伊藤
「良い教育、悪い教育」はあるかもしれません。良い教育の中に、探究型学習があると思います。今回のカンボジアの活動ではカンボジアの先生に話したことに、探究型授業や探究はしないけど興味関心を持たせるための実験観察、そしてしっかり知識を教えることも大事(教師主導で)があり、組み合わせることが必要です。例として私の名前は何でしょうと初対面の人に話し、時には4択問題を出す。このようなやりとりに似たことが理科の模擬授業に出くわしました。実験で確かめられなければキチンと教えるべきです。私の名前は〇〇 ですと言うのが自然です。日本でも戦後子ども中心主義の教育が導入され、対話型で今で言うアクティブラーニングが流行りました。ところが何をやっているのか分からないやがては学力低下を心配する保護者や企業からの批判が出てやめることになった歴史があります。当時子どもであった私の先輩教授は「結局何を学んでいるのか分からなかった」といい、その教育を「はい回る理科」と呼んでいた時代があったといってました。探究型授業は時間もかかるのも課題です。そこをどう折り合いをつけるのか、そんな話をカンボジアの先生としていました。