選択肢は広い方がいい?
権利って、行使できる選択肢なのか? って質問されたらどう答えます?
人権ってのは、選択肢としてあるのか? 表現の自由という権利は選択肢の問題なのか?
私は、それらの権利は選択肢の問題じゃないと理解してます。それは、生まれたとたんに備わっているモノ、だよね(ここれは卵が精子と出会い、つまり受精して、卵割が始まり、成長して胎児となっていく子宮内の存在の権利をめぐる議論がありそうですが、今回はそこはなしで許してね)。
で、生きる権利です。それはある。 じゃ、死ぬ権利は?
自殺は権利か? 死にたいから、安楽死を望むのは、ありか? それは「理由」しだいなのか? 理由によっては安楽死はありで、つまり自殺はありで、死ぬ権利はある、ってこと、なのか?
尊厳死は? 癌を患って、痛い。 治療方法がなくて、あるいは高齢で、動けなくて、治療方法が無い。 そんな「理由」があれば、死ぬ権利がある、のか?
胃ろうまでつけて生きていたくない。他人に排泄の世話まで受けて生きていたくない。家族に介護や経済的な苦労をかけてまで生きていないくない。
だから、安楽死・尊厳死を選びたい。自分の死に方は、自分で選びたい。つまり死ぬ権利はあるってこと?
自分の死に方は自分で選びたいという思いを言い出す人に、優性思想とか功利主義とか持ち出して反論しても、それとは別だと言う。そんなの関係ないと。まぁ、そうだよね(そして、日本社会には無意識の功利主義、優勢思想、あるように感じるけど、ま、それは今日はふれない)。
優性思想:「優れた人的資源を確保して社会を向上させる」ためには「優れた人間を作って社会をより良くする」のが良い、だから「優れた遺伝子を残し、優れていない遺伝子は排除するのが社会のため」という考え方、ですよね。
功利主義:「最大多数の最大幸福」つまり「より多くの人に利益や幸福を与える」のが良いという考え方です、だから痛いとか介護の大変さとかそれがもたらす過度な経済負担とかによる「不幸」はあっちゃダメってこと、ですよね。
生きる権利があれば、死ぬ権利もあるとする。両方の権利を認めてもらって、あとは個々人の判断に任せる。
尊厳死や安楽死を求める声は、わたしには「両方の権利をよこせ」と聞こえるのです。権利は多い方がいい、と聞こえる。 でも、そういうモノなのか、権利って。 生きるも死ぬも選択肢は増えた方がいいってことなの? 権利ってそういうモノ?
安楽死・尊厳死法制化は選択肢を広げるもので、生きたい人に死ねと言っているわけではないでしょう?
ALSという難病があること、かなり世間に知られてきたように感じます。ALS、筋萎縮性側索硬化症、って? 難民情報センターのHPの情報を以下に。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)(指定難病2) – 難病情報センター
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が主に障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。
ALSの患者、岡部宏生さんがいる。1958年生まれで今66歳。2006年春、48歳のときにALSを発症します。3年後に胃ろうを造設し、さらに気管切開をして人工呼吸器をつける。症状が進んだ現在は全身が動かせずに、介助者がもつ文字盤を眼球の動きで指し示すことで他者とコミュニケーションを取っています。
これを書いている12月23日の二日前の21日に、Yahooニュースで《ALS患者の岡部さんが「安楽死・尊厳死の法制化」への反対している》という記事が掲載されました。
私は、ALS患者のお母さんの介護をすることでALSと出会ってしまった川口有美子さん《『逝かない身体 ALS的日常を生きる』(医学書院2007)の著者》 がFacebookへあげた投稿で、岡部さんを知り、記事についても知りました。すぐに記事を読んだ。それを書いた記者さんが、岡部さんと知り合い、岡部さんからさまざまな影響を受けたことをコアとした記事で、その中で岡部さんが「安楽死・尊厳死の法制化」を恐れ、反対していることも書かれていました。
その記事、今、読めなくなっています。昨日までは読めたんだけれど。どうしてかな、理由はわかりません。いわゆる、炎上、ってやつなのかも。
昨日、その記事につけられたコメント欄をちょっと丁寧に読んだのです。すでに数百のコメントがつけられていて、とても全部は読めなかったのですけれど。そのコメントの一部を紹介したインターネットページがありましたので、そこからピックアップして以下に紹介します。
「安楽死で死んでいける社会は希望を持てる社会ではありません」ALS患者(66)、命懸けの訴え… 安楽死に猛然と反対 | Share News Japan
・治る見込みもない、耐えがたい苦痛もある。そういう人には安楽死という「選択肢」があっても良いと思います(;´・ω・)
・安楽死に反対なのは結構だけど、他人に押し付けんといてくれ
・人それぞれだよね。
・「安楽死」という選択肢が生まれると、長く生きたい人に対して本人の意志と関係なく周囲の人に選択肢がチラついてしまうって言うの見てそれもそうかって思ったことがある
・反対する人は安楽死しなければいい。賛成する人にまで考えを押し付けないで欲しい。大切なのは、本人の意思が尊重される事。
「安楽死・尊厳死はOKと法制化されても、別に死ぬのが義務になるんじゃないんだから、あくまで選べる権利なんだから、岡部さんは安楽死・尊厳死を選ばなければいいでしょう、そして安楽死・尊厳死を選びたい人はそうすればいいだけで」
そういう主旨のことが、書き方が超乱暴なものも含めて、圧倒的に多かった。少なくとも、インターネットのSNSにコメント書き込む人たちにとっては、安楽死・尊厳死の法整備、必要だと思っている、ってことはわかりました。これ、日本社会をかなり反映しているのでしょうね。
特に、周り、つまり家族に迷惑をかけたくない、という声は多い。介護という労働とそれに費やす時間、さらには経済的負担を家族にかけたくないという思い、誰にもあることでしょう。つまりは収入のための活動を制限される、だから家族介護は限界があるってこと。だから「自分が岡部さんのようにALSを発病したら、早い段階で死を選ぶ」って人がとっても多い。だから、「死ぬ権利」をよこせ、と。「死ぬ権利」を確保したい、と。「生きる権利」だけじゃ不十分だ、と。
生きる権利と死ぬ権利、その両方をもつってことは……
岡部さんの記事を紹介してくれた川口さんは、そこに文章を添えています。それも抜粋しますね。
私たち、呼吸器ユーザーのALSの患者家族は、お迎えがくるまで生きることは当然だし、植物のように静まった人の平穏を知っている。
でも、そんなALSの生は、一般の人には理解しにくいのかもしれない。
岡部さんの頑張りを否定する人は少なくても、自分は絶えられないから死なせて欲しいという人は私の周囲にも当然いて、その人達は優生思想でもないし功利主義者でもない、善意の真面目な人たちで大切な友人。
どんな困難もいったんそうなってみないとわからない。
当事者にしかわからないことを、メディアが伝え切れないのも仕方ない。
医者も迷うくらい、「治療の選択」は患者の権利ということでもあるのだから。
でも、「患者の権利」としての安楽死尊厳死法がいったんできてしまったら、もっと早い段階で、手の掛かる高齢者や重度障害者が大事にされなくなる。それも医学的判断ではなく政治的判断になっていく。
そのことを誰にでもわかるように伝えないといけない。日本が医療面でどんなに恵まれているか。発熱した子をすぐ診てもらえる国。90歳の高齢者もリハビリを受けられる国。生活保護でも専門医にかかれる国・・・まだまだあります。。
死ぬ権利と生きる権利の両方を持てるなどということはあり得ず、「死ぬ権利」を獲得したら、いずれは「生きる権利」(すなわちそれは治らない病気になっても丁寧で温かい介護を受けること)は諦めざるを得ないのは、火を見るより明らかなので。
黄色のアンダーラインをひいたのは私(村山)です。フォントを大きくして強調文字を使った部分があるのも、私(村山)です。
超重要と思うのは、フォントを大きくして強調文字を使った部分です。
「死ぬ権利と生きる権利の両方を持てるなどということはあり得ず……」ここです。安楽死・尊厳死を法的に認めることで「権利」」の選択肢が増えると理解するのはやっぱりまずい。安楽死・尊厳死とはやっぱり死ぬ権利で、自殺する権利です。そして、それは生きる権利と矛盾する。
そのことをALS患者とその支援者はよくわかっている。なぜなら、彼らは自らの生きる権利を少しずつ広げてきた人たちだから。
制度がないところに制度をつくってきた。でも制度だけでは死んじゃう。
制度があっても、その制度を使いこなして介助者を確保しなければだめ。
そのために、介助の公的支援枠を広げ、介助者を確保し育て、彼らに働き続けてもらわなければ生きられない。
それを切り開いてきた人たちは、その過程で感覚的に「死ぬ権利」と「生きる権利」が両立することがあり得ないことを学んできたってことなんだ。
なぜ求めない?
家族負担が増えるなら、その負担を減らせばいい。家族に過度な経済的負担がかかるなら、その負担を減らせばいい。それも政治判断。ならば、なぜそういう政治を求めないのか?
限られた資源なんてことで納得するのか? でも資源はあるという意見もある(資源はあると昨年亡くなった社会学者の立岩真也さんはくどいほど言っています)。
そして、川口さんの文章、黄色のアンダーラインの部分。日本の医療制度、社会保険制度はなかなか優れている。世界的にも、患者側、つまり市民側にとって優れている。
そして、それは危機にひんしている、と言う考えもある。財政危機の中で、現行の制度を維持するのは難しい。若者が減っている社会で、難しい、と。
でも、ここも「そんなことはない」という意見もある。いろんな政策が考えられる。
そして、川口さんが書くことの最も大事なことは、世界的に優れた医療生徒・社会保険制度を後退させてはいけない。世界に誇り続けなければいけないってことだと私は思っています。世界の見本としてあり続け、世界が日本に追いつかなくてはいけない。「世界的に例がない」とすれば、それは「だから維持することは無理」ではなく、「世界の見本としてあり続けましょう」なのだ。
人工呼吸器をつけたALS患者が生き続けることができる社会を誇るべきだと川口さんは考えているし、言っているのです。それでも7割近いALS患者が人工呼吸器をつけずにそこで死ぬ。生きる権利を放棄してしまう。それは家族、そしてこの社会の迷惑になりたくないから。
それも自死でしょう。日本にはすでに「尊厳死?」存在しているわけです。患者はいろいろ忖度して、死を選ぶ、選ばさられる。死は静かに強要されているのです。
家族に忖度して死を、という切ないどうしようもない選択に対して厳しすぎる? そうかもね。でも、黙ってたら、殺されるからね。障害者のひとりとして、遠慮してもいられないのよ。
医療技術は日進月歩です。癌だって、もちろん怖い病気だけれど、どんどん新しい治療法が開発されて、以前であれば死んでいる人が生き続けることが可能になっている。
介護も、以前は家族がやらなければいけない作業を、社会福祉を利用して家族以外の介護者が担うことが、以前よりもずっと広がりつつある。
だったら、それらを使えばいいじゃない。むしろ社会の価値観が新しい技術についていかない。保守的で、頑固で、新しい知識を知らない、理解していない。要は、勉強不足で、価値観の更新に対して臆病ということじゃないのか?
まだまだたくさんの問題があることは知っています。介護の大変さも、たくさん耳にはいる。現実問題としては、いろいろある。
それでもはっきりしていることがあります。
それは、死ぬ権利と生きる権利の両方の権利を確保して、あとは個々の判断、という理解・主張はおかしいだろうといういことです。権利っていうのは、たくさんあったほうがラッキーで、そのどれを使うかは個々の判断という種類のモノではない。
自殺してもいいよ、どうぞお好きに、という社会は冷たい。生きる権利を拡張するための努力を目指せばいいし、目指すしかない。それが次世代への貢献でもある。「死ぬ権利」を認めることは、次世代に「冷たい社会でもしょうがないのよ」というメッセージを送ることになるわけですから。
下の世話、小中学校のカリキュラムに導入するなんて、どうかしら?
私もね、排便の世話を誰にでも頼めるって域にはまだ達していません。下半身を晒すのは、やっぱりなぁ、と思ったりして、相手を選んでる。でも、他に選択肢がなければ、下の世話、誰にでも頼むよ。仕方ないじゃない、自分じゃできないことがあるのだから。恥ずかしい? 恥ずかしいと思うことそのことが恥ずかしい、ってことなんじゃないかしら。
大の大人が「下の世話を他人に委ねるぐらいなら死にたい」??? 舐めんなヨ、って言いたくなる。まぁ、言ってもいいのよ、そういう事態にぶつかる前は、気楽だもんね。
さらに、そういう事態にぶつかった人が「下の世話を頼むのはなぁ」と言ってもいいの、言うのは勝手。何を言ってもいいのよ。でもね、だから死にたい、死ぬ権利をよこせ、とか言い始めたら、ひっぱたきたい気持ちは私にはあるよ。絶対に手をあげてひっぱたくことはしないけどね。
なんなら、小学校や中学校で下の世話について、技術的な学習指導をすればいい。カリキュラムに入れる。誰の下の世話でもできる、そんな市民ばっかりな社会。スッテキー!!カッコいいじゃん。
そういう社会なら、「人に迷惑をかけたくない、だから死にたい」って言う人は必ず減る。そりゃゼロにはできないけれど、でも必ず減るよ。だったら、そういう社会を目指しましょうよ。ね?
そして、介護職は立派な職業という価値観を育てる。闇バイトに手をだしそうなあなた、闇バイトの首謀者のあなた、介護職に進みましょう、サラリーもいいよってなればいいなぁ。外国からの労働者もどんどん介護に入って欲しい。必要な言葉、それほど多いわけでもないような気がするし。言葉はまごころでカバーできるし。本当にそうなると良い。今よりもっといい医療環境、社会保障環境が生まれるといいなぁ。AIがその分野で大いに役立つといいなぁ。・・・・・といいなぁ。・・・・・といいなぁ。
そんな「いいなぁ」は、待ってるだけじゃダメなんよ。求めよ、されば得られん (「ん」は「む」の撥音便化。この「む」は推量で、つまり「得られるだろう」の意、この説明であってるよね?)。つまり、求めなければ、得られないよー! 生きる権利をもっているのだから、それを求めることはワガママなんかじゃないわけさ。
そして、「死にたい人」に「死ぬな」という。うん。おせっかいだろうと思う。でも、おせっかいな人って、大事だと思う。心から、そう思うなぁ。


















川口さんのご案内(リンク)で、最後まで読ませてもらいました。在宅医療や緩和医療にも携わる医師として、あらためて尊厳死が不要な社会を目指すお手伝いができたらと思いました。ありがとうございました。
入江真大様
ブログを読んでいただき、またコメントまで下さり、どうもありがとうございます。
私は脊損による下半身完全麻痺の車イス者です。10年前に障害の世界に来て、非障害者の時代とは違う新しい視野を手に入れることができたと感じています。
ALSの方々の大変さ、もちろん想像するしかない面もあるのですけれど。
川口様のようなお医者様がひとりでも増えてくれたらいいのになぁと思うことしきりです。
ブログは障害ネタばかりではありませんけれど、また読んでいただけたら嬉しいです。
ではでは、また。
村山哲也@プノンペン