『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』全30回の連載を終えて お礼と振り返り

 昨年10月11日に、《予告『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』なんてそんなことを書くことになったのか?》という投稿をしました(以下から飛べます)。その後、30回に渡って『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』を水曜日と土曜日の週2回、連載をしてきました。30回ってのは15週間かぁ。約4ヶ月弱ってことですね。読んで下さった方々、ありがとうございました。今回は、ちょっと振り返り、です。

『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』目次

 連載中は、特に章立てを明記しませんでしたけれど、ぼくの中では以下のような章構成になっておりました。

第一章 13世紀カンボジアの胡椒 真臘風土記を書いた周達観
1 真臘風土記 周達観登場
2 アンコール地方で胡椒は取れたか
3 マルコポーロ『東方見聞録』のなかの胡椒
4 胡椒伝播ルート 原産地南西インドからカンボジアへ
5 インドからカンボジアへの胡椒の越境を思う

第二章 現代のカンポット胡椒のルーツを探して
6 13世紀の胡椒が今の胡椒栽培に繋がっているのか
7 カンポット胡椒 アチェ王国起源説
8 カンポット胡椒 アチェ王国起源説への疑問 アチェ戦争の数十年前にすでに胡椒栽培は始まっていた
9 カンポットで胡椒を作っていたのは海南系華人だった
10 カンポット胡椒は18世紀中ごろから19世紀前半のどこかで、華人ネットワークを通じて導入されたのが起源だ!!

第三章 カンボジアの胡椒は世界一 フランスでのグルメの誕生 ウドンとうどん
11 カンボジアの胡椒世界一の出典と、ポルポト時代とは?のおさらい
12 新展開 香辛料としての胡椒を探る 「肉の保存に胡椒」というのは間違い?
13 グルメの誕生とインチキ胡椒、そしてパリでのカンボジアブーム
14 カンボジア料理のなかの胡椒、さらにカンボジアの王都ウドンが日本の麺類“うどん”の呼び名の起源であるという説を探る
15 うどん=ウドン説 さらに追跡 ピニャルーにあった日本人町のその後

第四章 今、胡椒を栽培する人たち
16 スラエオンバルにある胡椒農園の親方
17 祖先を祀る チェンメン
18 ポルポト兵から走って逃げた日
19 白い牛の聖の教えにしたがって
20 私の中国名は…
21 海南チキンライス その1
22 海南チキンライス  その2

第五章 おわりに
23 華人排斥の歴史
24 現在の国の枠組みから自由な立場での発想を

第六章 外伝シリーズ
25 その1 昭和16(1941)年 日本でのアンコールワットブーム
26 その2 戦後日本でのカンボジアへの移民計画
27 その3 カンボジアが産油国となる日
28 その4 プノンペンで“オリンピック”が開かれた??
29  その5 日本と関わったあるカンボジア政治家の話 
30  その6 途上国で商売するということ

 いやぁ、こうやって書き上げてみると、うん、がんばった。
 これ、1冊の本になるんじゃね???と思われた出版社、編集者の方がおられましたらお気楽にご一報ください。私としては、早いもの勝ち!です。

章ごとの要約

 第一章では、13世紀にアンコールで青い(熟れる前の)胡椒を見て、それを書き留めた周達観の記述に始まり、当時の東南アジアでの胡椒栽培の歴史などに触れました。周達観とマルコポールは同時代の人でした。そして、カンボジアの胡椒は、当時は無名の存在だったことを紹介しました。

 第二章では、現在のカンボジアの胡椒栽培ブランド、カンポット胡椒の先祖探しです。アンコール地方(カンボジアのトンレサップ湖に面した内陸部)と海岸沿いのカンポット地方。果たして、アンコールの胡椒がカンポットの胡椒につながっているのか? 私の心情は、違う!です。(13世紀からの伝統栽培などをうたっている現在の胡椒販売者の人たち、ごめんなさい) インドネシアのアチェ王国を起源とするという説もありますが、それも違う。カンポット胡椒の起源はマレー半島で華人が栽培していた胡椒ではないか、と私は思っております。

 第三章は、カンボジア胡椒の「周辺の物語」です。カンボジアの胡椒が世界一とあるブリタニカ辞典の記述の謎、胡椒が欧州で珍重された理由、欧州フランスでのグルメの誕生とその後に起きたアンコールワットブーム、カンボジアの旧都ウドンと日本の麺類うどんの名前からカンボジアにあった日本人町のこと、などを語っていきました。

 第四章は、現在のカンボジア胡椒を作っている人たちを訪ねた、ぼくの中ではこの物語の中のハイライトです。スラエオンバルで胡椒を作る海南華人三世のティさんを中心にして、カンボジアの今を伝える章です。カンボジア人として生きながら、華人伝承の先祖崇拝(清明祭)を続けるティさん家族、消えていく中国名。さらにはカンポット胡椒の起源を求めて訪ねたカンポット胡椒協会で、会長が言った「カンボジア胡椒は13世紀、中国から伝わった」という大問題発言!(これは彼の勘違いです!)そして、ポルポト時代直後に植えられたという胡椒の古木(?)との遭遇。海南華人が繋いでいる海南チキンライスのこと。

 第五章は、本であれば「あとがき」の部分です。東南アジアやカンボジアでの華人排斥の歴史を紹介し、そんなことが起こらないといいなぁということ。さらには、東南アジア大陸部(インドシナ半島およびタイやミャンマーも含めて)での、現代の国の枠組みに因われて歴史を振り返ることの危険性を指摘しました。

 第六章は、胡椒とは全く関係ないネタのご紹介です。おまけ、みたいな感じ。

感謝感激雨あられ!!

 2014年に大怪我をしなければ、カンボジアの胡椒について調べるなんてことはなかったでしょうし、この経験がなければ、最近出版された『超えてみようよ!境界線』も書くことはなかったでしょうし、このブログ『越境、ひっきりなし』も存在しなかった。胡椒を調べて書き綴ったことが、『越境』というテーマに収斂していったプロセスは、私には刺激的なものでした。胡椒、ありがとう、という気分です。

 最後にお礼。
 まず、お名前は出せませんが、そのきっかけを作ってくれた方へ深くお礼申し上げます。
 カンボジアの胡椒の調査では、車や通訳で友人たちのお世話になりました。チョムラン、ラタナック、ソポン、パット、そしてサンワー。さらに、2017年12月の調査では、大御所・阿古智子さんが調査に同行し、助けてくれました。なんという贅沢!
 話を聞かせてくれた、ティさんはじめ取材で会った方々。
 また日本での文献調査で、相談にも乗ってくれたさいたま市中央図書館のコンシェルジュの方々、大宅壮一文庫の入り口で車イスを持ち上げて運んで下さった方々。
 さらには連載が始まってから、読んでいるよとメッセージをくれた、あるいはサイレントでも読んでくれた、読者の皆様
 こうやって書き出すと、改めて、ひとりで書いたわけではないのだなぁと、しみじみと感じます。
 本当にありがとうございました!心よりお礼申し上げます

 ということで、ではでは、またまたー!

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