スラエオンバルの町の近くで胡椒農場を統括する頭領のティさん。彼が11才のときにポルポト時代が終わった。ティさんは、学校にはほとんど行かずに、父親の仕事を手伝うようになる。そんなティさんにも、冒険の青春時代があった。
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一晩に千ドルを懸けて、勝ったり負けたり
1987年から1991年、19歳から23歳の4年間、ティさんはヘンサムリン政権の政府軍で働いていた。
「プノンペンに友達と遊びに行った。中央市場の近くにあるキリロムという名前のレストランでビールを友達とふたりで飲んでいたときに、同じレストランでふたりのベトナムの人が同じようにビールを飲んでいた。なにかのはずみで意気投合して、彼らはビールを沢山おごってくれた。私たちは彼らとブラザーになった。
彼らは、軍の偉い将軍だった。それで、私も軍に入った。彼らが手配してくれたから、前線で戦う兵隊ではなく、給与を支払う事務仕事をした」
「プノンペンでの暮らしは楽しかった。タバコもお酒もたくさんやったし、賭博も派手にやった。カードゲームだ。一晩に千ドルやりとりしたこともある。
1991年になって内戦が終わったころ[i]に軍を辞めて帰ってきた。でも、それからもタバコとお酒はやっていた。ビールなら一晩に一箱、ブランデーなら一本は飲んでしまう。タバコも一日に六箱は吸う、すごいヘビースモーカーだった。父も一緒に飲んだけれど、ビールを一缶飲んだらすぐに寝てしまった」
一晩に千ドルとは、今の日本円で十万円強、当時のカンボジアなら百万円以上の価値はあるだろう。1990年初頭の公務員の給与が数十ドルという時代だ。千ドルはその100倍に近い額で、それだけあれば、田舎ならば小さな家ぐらい建っただろう。軍の給与だけでそれだけ貯めるのは無理だったはずだ。「そんなに賭けるなんて、ずいぶん金持ちだったみたいじゃない」と尋ねると、「千ドル勝つときもあれば、負けるときもあるからね」とティさんは笑う。
この先は、私の勝手な妄想だ。
ティさんの立場で、一晩に千ドルをやり取りする賭博がやれたのには、なにか理由があるはずだ。定額の給与以外の実入りがなければ、そんな額をつぎ込めるはずはない。
ティさんは事務方で、彼の話によれば軍人の給与の差配にかかわる部署だったらしい。当時はすべて現金の流れだったはずだ。そんな部署では「手数料」、つまりピンはね、を取っていたんじゃないだろうか。ひとりひとりの手数料は微々たるものでも、多数になればかなりの副収入になったはずだ。あるいは、幽霊軍人の給与の取り扱いについて各分隊からの「口止め料」が流れていたのか。
幽霊軍人というのは、名簿上には載っているけれど実際には存在しない人たちのことだ。たとえば、戦闘で亡くなったとしても、それを報告しない。身内の誰かの名前を名簿に載せる。給与は払われるけれど、その受取人は不在、幽霊なのだ。
軍人以外でも、幽霊公務員、幽霊教員もいたという。最近では少なくなっているはずだけれど、その実態を探るのは、なかなか大変なことなのだろうと想像する。
不正をここで訴えるということが目的ではない。当時のカンボジアがそういう時代で、ティさんもその中をくぐり抜けてきたのだろう、ということを書きたかった。
とにかく、ティさんは、そんな混沌の中を、割リと楽しく生き抜いたようだ。
聖なる白い牛に導かれ
ティさんは、今はほとんど酒は飲まないし、タバコもやらない。カードゲームなどのギャンブルもまったくやらない。そのわけを尋ねた。
「ある夜、夢に聖人が出てきて、私を責めて打ったんだ。忘れもしない1994年3月4日のことだ。それ以来、お酒もタバコも控えるようになった。タバコは全然吸わない。ビールもコップに一杯か二杯だけ。その夢を見てから、賭けトランプをやってもすぐに眠くなるか、気分が悪くなってしまうようになった」
「夢は聖人のありがたいお告げだったと思っている。その聖人はタイから逃げてきた白い牛の精だ。だから、それ以来牛肉は食べないし、牛乳も飲まない。
酒とタバコを止めてから、身体の調子もよくなった。そのころは、農場で働くとすぐに疲れてしまっていた。元気になったら、一生懸命働いても疲れなくなった」
『聖なる牛とケオ様の伝説と、カンボジア人のタイに対する認識への影響』というタイトルの論文[ii]がある、プノンペン大学からタイのチュラロンコン大学に留学したンゴンキムリーという人が書いたものだ。聖なる牛とケオ様の伝説というのは、かいつまんで書けば以下のような話だ。
カンボジアのある村の夫婦に男の子と白い牛の双子が生まれる。男の子の名前はケオだ。白い牛はさまざまな魔法を使って、常にケオを助ける。やがてケオは成長し、カンボジア王の娘と結ばれる。その縁でカンボジア王のことも、白い牛が支援することになる。白い牛の力によって、カンボジア王は闘鶏や闘牛で隣国のタイの王に連勝する。タイ王は白い牛が欲しくなる。最終的に、タイ王はカンボジアに攻め込み、ケオと白い牛の兄弟をタイに連れ去ってしまう。今でも、白い牛とケオの兄弟はタイに捕らえられたままである。[iii]
この伝説の背景には、アンコール時代以降のカンボジアとタイ(アユタヤ王朝)との争いの歴史がある。それはカンボジアがタイから圧力を受けていた時代だった。論文によれば、魔法を使える特別な力を持った白い牛がタイに捕らえられているかぎり、カンボジアはタイにかなわないという歴史的現実を表しているという解釈がされている。
さらにキムリーの論文によれば、現在のカンボジアの人たちにはこの伝説の歴史的背景はほとんど意識されないまま、聖なる牛はいつの日かカンボジアに帰ってくるというモチーフだけが広く信じられるようになっているという。そして、これまで何度も「聖なる白い牛が帰ってきた」というお告げがカンボジアで話題になった。例えば1997年に海沿いの町シハヌークビルの近くの村で、白い牛がさまざまな病気を治したことが評判になり、「聖なる牛がカンボジアに帰ってきた」と多くの人が参拝に訪れたことなど、いくつかの事例が論文には紹介されている。「帰ってきた聖なる牛」というニュースは、現在でもカンボジアでは話題になる。政治家の演説の中でもよくこの話題が取り上げられるらしい。ティさんが夢を見た日、1994年3月4日、その日の前になにか夢につながるような出来事があったのかもしれない。とにかく、ティさんがそういうお告げの夢を見て、それを信じるような気分がカンボジアには存在している。「聖なる牛とカンボジアの人たちにはとても強い絆があるのです」という論文の中の一文がティさんの夢と重なる。
生活を改めたティさんは、いっそう仕事にはげみ、2004年、36歳のときに農場の働き手だった今のパートナーと結婚した。今は5人の子どもの父親だ。
この話をしているときに、ティさんが懐かしそうに言った。
「そういえば、私がタバコを止めたと言っているのに、父は私のためにタバコを買い置きしてくれていたなぁ」
父親は、軍を辞めて、跡取りとしてプノンペンから戻ってきてくれたティさんが、かわいくてしかたなかったのだろう。
[i] 1991年10月に、ベトナムの支援を受けるプノンペン政府と、ポルポト派を含む反ペドナムの三派連合がパリ和平協定を結び、それを受けてUNTACが始まる。ティさんの言う「内戦が終わった」はこのパリ和平協定締結を差しているのだろう。カンボジアの内戦は、UNTAC後もまだ続き、完全に終わるのは1990年代後半だ。
[ii] Kimly NGOUN ‶THE LEGEND OF PREAH KO PREAH KEO AND ITS INFLUENCE ON THE CAMBODIAN PEOPLE’S PERCEPTION OF THE THAIS″Graduate School Chulalongkorn University Academic 2006 http://www.arcmthailand.com/documents/documentcenter/THE%20LEGEND%20OF%20PREAH%20KO%20PREAH%20KEO%20AND%20ITS%20INFLUENCE%20ON.pdf
[iii] 上で紹介した論文から筆者が要約している。

















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