『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第3回 マルコポーロ『東方見聞録』のなかの胡椒

『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第3回です。(第2回は、10月21日、以下の投稿になります。)

 アンコール地方で採れた胡椒は多くはなかった。さらに周達観と同じ時代を生きたマルコポーロが残した『東方見聞録』の中での胡椒の記述も見ておきましょう。

 周達観がアンコールに滞在していたのとほぼ同時期の中国とその周辺を知る重要な資料として、マルコポーロによる『東方見聞録』がある。マルコポーロと周達観は、ほぼ同じときを生きた。

 1271年にマルコポーロが中国に渡った時代、中国が遠くはインドから、あるいは現在のインドネシアのジャワ辺りから胡椒を大量に輸入して消費していたことは『東方見聞録』にもしっかりと記録されている。(周達観のアンコール地方滞在は1296年。) 

『東方見聞録』で触れられている、北から杭州(キンサイ)、福州(フジュ)、泉州(ザイトン)の位置

『東方見聞録』では、キンサイ市(杭州市)のことが、次のように書かれている。

全体の消費に供される食糧・肉・酒・香辛料の量が想像できるよう、この市で消費される胡椒を例にとって言うと、マルコ殿はグラン・カンの税関で仕事をしている者の一人から、キンサイ市ではその使用のため毎日四三ソマの胡椒が消費されると計算するのを聞いた。[i]

 訳注によれば、1ソマは地域によって70キロから100キロ程度の量だとされる。ということは、43ソマとは、3000キロから4000キロ程度の量だ。(「マルコ殿は…聞いた」という書き方については後述する。)

 さらに『東方見聞録』の記述を追ってみる。フジュ市(福州市)についての記述は次のようになる。

真珠その他の貴石の取引が盛んにおこなわれる。これはインディエの島々に往来する多数の商人を乗せて、インディエの船がいっぱいやって来るからだ。また、この市は大洋に面したカイトンの港に近いことを言っておこう。そこはインディエの船がたくさんの商品をもってやって来、次いでその港から今述べた大河を伝ってフジュ市にまでやって来る。このようにして、インディエからたくさんの高価なものがここにやって来る。[ii]

 「インディエの島々」とあるインディエは、インドという意味だけではなく、現在のインドネシアやマレーシアなど、東南アジアの島々も含まれる。当時、中国が東南アジアの島々と盛んに交易していたことがわかる。

 連載第2回で触れた『諸藩志』の著者である趙汝が勤務していた貿易都市の泉州(ザイトン)に関しても『東方見聞録』はこう書いている。

市には港があり、インディエの船がどれも多くの商品や高額品、高い価値の宝石、大きな優れた真珠をもってやってくる。ここはマンジつまり港の周辺のすべての商人たちがやって来る港で、ものすごい量の商品や貴石が往き来するので、見て驚くべきものである。この市つまりこの港から、全マンジ地方に行く。キリスト教徒の地に運ばれるためにアレクサンドゥルあるいは他の所に行く胡椒の船一隻につき、このアイロンの港には百隻来ることを言っておこう。かくここは、最も多くの商品が来る世界の二つの港の一つであることをご承知ありたい。[iii]

 文章中の「アレンクサンドゥル」は、地中海はエジプト北部に位置するアレクサンドリアで、インド洋から紅海、さらにナイル川を抜けて運ばれる香辛料などの産物を中継する13世紀当時の大商業都市だった。「アイロンの港」とは、ザイトン(泉州)のことで、当時の泉州には、アレクサンドリアの100倍胡椒が集積されていたということになる。

 『東方見聞録』の中で杭州、福州、泉州は、マルコポーロが歩いた順に北から南へ記述されている。そして、訳文からわかるように、南からの産物は、まず泉州に渡り、そこから福州、杭州へと中国海岸沿いをマルコポーロが通ったのとは逆方向に、南から北へ運ばれていった。

 『東方見聞録』では、この後、マルコポーロは海路マレー半島を回り込み、インド洋、紅海を抜けて、イタリアへ帰る。その道中の見聞として、『東方見聞録』には、胡椒を運搬する船や栽培地についてもさらに記述がある。

これらの船は二〇〇人の水夫を要するが、とても大きいので胡椒を五千籠、あるものは六千籠も運ぶ。またいいですか、櫓つまり櫂で進み、それぞれの櫂に四人の水夫がいる。これらの船は、胡椒を千籠も運ぶとても大きい艀を持っている。しかし、言っておくと、これは四十人の水夫を伴う。それらは櫂で進み、また多くの場合大きい船を曳くのを助ける。[iv]

 この箇所は、訳文が少々わかりにくい。しかし、ここは、ヨーロッパで使われていたよりもよほど大きな船が南シナ海を往来し胡椒を運んでいたと理解すればいい。

 さらに胡椒の産地に関して、コイラム王国(インド西南端西海岸のクラン地方)、エリ(インド西海岸南部に位置する少し北方カナノール、十五世紀に消滅)、メリバル王国(インド西南海岸一体を占めるマラバール地域)、ゴズラット(インド西部海岸中央部のグゼラート半島を中心とする地方)のインド各地で胡椒が豊富に採れると記している[v]

 中国に大量の胡椒を送り込んでいたジャワへの言及もある。『東方見聞録』では、マルコポーロが直接ジャワ島を訪ねたように書かれているけれど、しかし、研究者らによれば、彼は実際にはジャワ島には到達していないそうだ。中国や帰国時に立ち寄ったチャンパ(中部ベトナム)で得たジャワ島の情報を記していると考えられている。そして、ここでもジャワでは胡椒などの香料を産し、泉州とマンジ(中国南部海岸地方)の商人が大きな利益を得ていると述べている[vi]

 『東方見聞録』は、マルコポーロが直接書いたのではなく、ルスティケッロという名のイタリアの著作家が、マルコポーロの言ったことを聞き書きしたものだ。だから「マルコ殿は…聞いた」というような書き方が出てくる。ルスティケッロが介することで、描写が大げさになった可能性は高いとされている。

 20世紀最後にフランス国立図書館の館長を務めたヨーロッパ中世史研究家のジャン・ファヴィエはその著書の中で『東方見聞録』を評して次のように書く。

この作品はあくまでも商業案内というより不思議旅行記なのである。驚かせようという欲望が情報を伝えようという意図を上回っており、数字に対する商人本来の趣味もここでは、判で押したように、並外れた数字に訴える形でしか表出しない。[vii]

 マルコポーロの『東方見聞録』に関して、マルコポーロに観察されたイスラム側からとらえた言及も紹介しよう。

たしかにマルコ・ポーロ一行はこの時期に中国まで旅をしていたが、これはきわめて特異な例というに過ぎない。だからこそ、ヨーロッパ人は彼らがはるばる中国まで往復したことに驚嘆したのだ。だが、実をいえば、大多数の人々はマルコ・ポーロの話を信じていなかった。彼らはマルコ・ポーロが著した冒険譜[東方見聞録]を「ミリオーネ」[一〇〇万の意]と呼んでいたが、これは一〇〇万もの嘘が満載されたものとみなしていたからにほかならない。[viii]

 このように、『東方見聞録』が語る中国、東南アジアやインドの記録は、その信憑性、正確性に関しては、疑うべき点も多くある。それでも、当時中国に大量の胡椒が、インド、あるいは東南アジアから運ばれていたことは確かだと理解していいようだ。

 たとえば、杭州で一日3000キロ(3トン)から4000キロ(4トン)の胡椒が消費されているという『東方見聞録』の記述に関して、日本におけるスパイスの歴史研究の草分けである山田憲太郎は、『スパイスの歴史』という本の中で次のように言及している。

仮にそうであったとすれば、十三世紀末頃の中国の胡椒消費量は年約1500トンに達する巨大な量であったように想像される。(中略)とても信じられない量である。ポーロのいう胡椒の消費量を、素直にそのまま受け入れることはできない。だが、ポーロの指摘している大都市の繁栄によって、消費生活、特に食生活が大きく変化し、胡椒の大消費時代が出現したのは確かなようである。そしてヨーロッパ全体の消費量よりも多かったのも、また事実であったろう。[ix]

 中国では胡椒が交易品として重要で、もしアンコール地方で胡椒が主要な生産物となっていたならば、そのことは中国の資料に書かれたに違いない。しかし、カンボジアの胡椒にふれたのは、周達観の『真臘風土記』だけだ。中国沿岸を北から南に移動しながら当時の様子を書き残したマルコポーロの『東方見聞録』でも、真臘(アンコール)は姿を見せない。

 つまり、周達観が記したアンコール時代のカンボジアの胡椒の生産量はけして多くはなく、他国に輸出するだけの量はなかったと推測できる。さらにアンコール地方の貿易力も、このときにはそれほど大きくはなかったのだろう。
 ここまで確認すると、周達観がアンコールの胡椒について記述したのは、奇跡のようにも思える。カンボジア胡椒生産の起源を13世紀と記す21世紀のカンボジア胡椒業界は、周達観を祭る記念塔を作り、その業績を未来永劫讃えたほうがいいぐらいじゃないだろうか。


[i] 「東方見聞録」の名で知られるマルコポーロの書『世界の記』は、時代の根本史料でありながら様々な版によって内容が大きく異なっている。日本語版も数多く出版されている。ここでは、出版年が比較的新しく、研究書としての評価も高い高田英樹による訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』名古屋大学出版会を参照した。
 367ページ マルコ・ポーロ/著 ルスティケッロ・ダ・ピーザ/著 高田英樹/訳 『世界の記「東方見聞録」対校訳』名古屋大学出版会 2013

[ii] 385ページ マルコ・ポーロ/著 高田英樹/訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』

[iii] 386ページ マルコ・ポーロ/著 高田英樹/訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』

[iv] 398ページ マルコ・ポーロ/著 高田英樹/訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』

[v] 493ページ、497ページ、500ページ、503ページ マルコ・ポーロ/著 高田英樹/訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』

[vi] 419ページ マルコ・ポーロ/著 高田英樹/訳『世界の記「東方見聞録」対校訳』

[vii] 93ページ ジャン・ファヴィエ/著 内田日出海/訳『金と香辛料 中世における実業家の誕生』 春秋社 1997

[viii] 374~375ページ タミム・アンサリー/著 小沢千重子/訳『イスラームから見た世界史』紀伊国屋書店 2011

[ix] 10ページ 山田憲太郎/著『スパイスの歴史』 法政大学出版局、2011改訂版

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