ぼくが“強者”である理由をリストアップしてみましょう   息子よ「男らしく」なんかけっしてなるなよ!

10年ほど前 タイ湾に浮かぶ小さな島で

 昨年10月5日の投稿『障害者の“王様”』(以下から飛べます)で、「(ぼくは)障害という世界の中での強者である」と書きました。今回の投稿では“強者”ということについて書いてみます。

強い、弱い

 “強者”、“強い”という言葉はポジティブ、肯定的な意味を感じるでしょうか。スポーツやゲームでは強いほうが楽しいよね。「いやぁ、お強いですね」「いやいやー、たまたまですよぉ」なんて言いながら、「たまたまですよぉ」と言った側は、悪い気はしていないはず。
 「カープ、最近弱いなぁ」よりも、「カープ、強いねぇ、調子いいねぇ」のほうが、ぼくも嬉しい!(今年は、たのむよ!)

 で、ここで扱う社会的な意味での“強者”だって、けして一概に悪いことではない。たとえば、ぼくはこの後、自分が日本にたまたま生まれたことを“強者”である一要因として数え上げるけれど、それだって、ぼくが悪いわけではないし、日本に日本人として生まれるのが悪いはずもない。“恵まれている”のは、“ラッキー”なことだ。(えーと、この表現には問題があるよね。たとえば障害はアンラッキーなのか?それを認めちゃうと、またいろいろ問題もあるんだ。でも、ま、堅苦しくなく、ここはいきましょう)。

 要は、でもやっぱり強い立場にある人は、少なくともそのことに自覚的であったほうがいいように思うんです。“強者”がいるということは、必ず“弱者”がいます。そして“強者”が自らが強いことに自覚的であることで、“弱者”がその弱さによって苦しむという状況は多少改善する可能性がある。“強者”が自らの強さに無自覚であれば、“弱者”の存在にも気がつかないでしょう?ラッキーであるとして、やはりアンラッキーな存在への目線はあったほうが、社会全体にとってはいいんじゃないかなぁと。だれしも、競馬馬券や宝くじがあたるかはずれるか程度での、ラッキーもあれば、アンラッキーもあるわけだし。

強者 その1 生まれ

 じゃ、まず最初に、いつ誰の元に生まれたか。
 ぼくは、1964年に東京都下で産まれた。ぼくが半年を迎えるころ、アベベ(エチオピア)が甲州街道を走り抜け世界新記録で優勝した。東京オリンピックの年だ。父は新潟の山奥の寒村の出身で、地元の高校を卒業後、親の反対にもかかわらず東京に出てきて大学に入った。新聞配達員などをして学費を稼いだらしい。その大学で、助手?雑用係?として働いていた東京出身の母と知り合い、そして恋に落ちて結婚した、ということなのだろう。彼らの結婚後一年で長男として誕生したのが、ぼくだ。

 高度経済成長が始まろうとして日本の、首都東京で、長男として産まれた。地球単位で考えれば、その後、猛烈な経長を遂げる社会に、男性としてこの世界に出てきたというのは、その後の経済的余裕と、男性優位社会の恩恵をうけるラッキーさがあったってことだ。1964年生まれの子供が世界に何人いたのか、おそらく数千万人?そのなかで学校教育も整備されていて、ぼくは幼児教育(幼稚園3年保育)、小中高、大学とその恩恵をたっぷり受けることができたのは、多分多数派ではないだろう。20歳まで生き残っることができたのは、多分多数派だっただろうけれど、生き残れた者のなかでQOL(生活の質)比較すれば、ぼくは恵まれた側だと推測する。
 大きな病気や怪我もなく、生を楽しみ、ちょっと肥大しすぎたぐらいの自己肯定力を身につけた。これも自分で勝ち得たものというよりも、たまたまの賜物。外側からぼくにやってきた、たまたまのこと。

 やがてぼくは、海外開発援助の仕事についた。上記のラッキーさを持ったぼくの立場は、常に100%支援者。支援する者は、支援される者よりも、強者であるといって、まず間違いないだろう。そして、この仕事を続けたことで、どうしたってそのことに意図的になった。
 そうかぁ、ぼくは強者なんだ、って気づいたってことだ。

男性優位社会のお得感

 男尊女卑の社会って、多い。でも、男性が、自分が男性だから得をしていると感じることは、実はそれほど多くの機会があるわけじゃないだろう。多くの恩恵は、ごく当然の顔をして恩恵を受ける者の前に転がっているものだ。
 ぼくにはふたりの妹がいる。そして、彼女たちは夕餉の後の洗い物を強いられていたけれど、年上、つまりより上手に洗い物ができる能力があったにもかかわらず、ぼくは夕食後も座ってテレビを見て笑っていた。それを不思議に思わなかったし、男性優位社会のせいだとも気がつかなかった。
 好きな女の子の名前を、村山の下に書いてみてひとりニンマリすることはあっても、彼女の姓の下に哲也と書き込んでニンマリすることはなかった。ぼくの母は専業主婦だったせいもあっただろうけれど、「結婚したら妻は家庭で子育てするものだ」と思っていた。ご近所で、その家の主である父親が洗い物をするという話を耳にして、「変なのー」と声を上げたし、そんな価値観は、学校生活での同級生への態度にも間違いなく反映されていただろう。女は守ってやるもの、だったから、女の子には暴力をふるわないことを自分に誓っていたけれど、それは女性を馬鹿にしていることと表裏一体なだけだった。暴力男子じゃなかったと思うけれど、男の子にも暴力をふるわない、って思ってたわけでじゃない。

 あのまま大人になっていたらと思うと、想像するだけで恥ずかしい。なんで恥ずかしいのかな?
人を軽く見るのは、恥ずかしい態度だ、って、いつから考えるようになったのかな。よくわからない。

 フィリピンで働いていたとき、ぼくが36歳のとき、思わぬことでぼく自身の子どもが産まれた。ぼくの子どもが生まれる予定なことを知ったフィリピンの同僚たちがぼくに「男の子、女の子、どっちがいい?」と聞いてきたとき、ぼくは「選択肢はふたつだけ?」と尋ね返した。フィリピンでは、バクラ(女性の心を持った男性)とコンボイ(男性の心を持った女性)の存在が社会的に広く認められていて(でも蔑視の対象にもなり得たけれど)、ぼくはその点でフィリピン社会を尊敬していた。だから、選択肢は4つであって欲しかった。女か、コンボイか、バクラか、男か。でも、ぼくには特に希望はなかった。名前はどのオプションでもいい“中性”的なのがいいな、と思っていた。
 おちんちん付きで産まれた子どもは、今年、“成人式”(実際には、とくになんのイベントもなかったけれど)を迎えた。今のところ、男かバクラか、ぼくにはまだ判明していない。
(尊敬するフィリピン社会の一面に関しては、新刊『越えてみようよ!境界線』の中で書いております。そっちも読んでもらえたら、うれしいです!詳細は以下に。)

 彼がどれほど、自分が男性優位社会に産まれたことに自覚的かどうかは、わからない。ぼくがそうだったように、意識しなければおちんちんを持っていることのお得感に気がつけない。離れて暮らす彼には、ふたつだけお願いしている。ひとつは「嫌だ」と言われたら、引くこと。間違っても「イヤよイヤよも、好きのうち」なんて思ってはダメだと。もうひとつは、そのときには必ずコンドームを使うこと(もしかしたら他の選択肢もあるかもしれない。とにかく避妊すること、ってことだ)。“強者”である男性(バクラの可能性も、まだ捨てきれないけれど)として存在する以上、最低限のラインと認識してもらいたい。

お得感や、恩恵を、手放していけるか?

 最初に書いたように、50歳のときの事故で障害者となったぼくは、障害者社会の中でぼくは強者であると思っている。
 ひとつは、労働者災害補償保険(労災)認定のおかげで、医療費や生活保障を受けることができています。もちろん、働いていたものとして当然の権利を使う機会がぼくに廻ってきたということではあるのだけれど、でも、実際社会では本来労災認定されるべき人たちがその権利を奪われたり、失ったりしている。ぼくが労災を認定されたことを、ラッキ-とは言いたくないけれど、そのことでぼくが“強者”であるのは、事実だ。

 さらに車イス者となったことで、はたから見てすぐに「障害者」と認識される。外目からわからない障害を持っている人たちが多くいる中、見てすぐ判る障害者であることは、それだけ簡単に支援を受けやすい立場だと感じることが多い。その点で、やはり“強者”。

 どちらかといえば、物怖じしない(あっちこっちの社会で鍛えてもらった)、しかも声が大きい(怪我の結果、かなり声圧は減ったけれど)、態度も大きい(褒められたことじゃない)、さらに自己肯定力が強い、ということで、車イス者であることをアッピールして、ぼくは多くの場面で他者に助けてもらっている。それもぼくが障害者の中の“強者”だからだ。

 さて、問題は、強者である自覚を持った後のことだ。強者である自分もいれば、世の中を見渡すと弱者である他者もいる。そのときに、自分の強者としての立場を、どれだけ弱者にシェアできるか?
多くの場合、シェアすることによって、自分の強者としての特権が減ることにつながる。経済的な恩恵などわかりやすい。自分の収入を減らして、より弱い立場の人に回せるか?
 寄付なんか、することあるよね。でも、それをどこまでするか?いったい、自分のQOLを維持する最低ラインはどこなのか?それを自分でどう決める?これはとてもむずかしい問いだ。
 お金だけじゃない。役職につく男女を半分半分にしようとすれば、それまでなら“自動的に”、“低競争で”得られていた役職に就けない男性が出てくる。
 今の国会議員もそう。女性活用と叫びつつ、今、特権をつかんでいる人(つまり多くは男)は、その特権を容易には離そうとしない。理想の実現のためには、社会全体の中で“犠牲(?)”を強いることはやむを得ないとしつつ、自分が犠牲にする分は最小限に留めたい。世に規範を示すべき(?)ことが望まれる“偉い”人たちからして、そうなんだ。強者であるぼくも「人間そんなもんだよね」なんて言いたくなったりする。はぁ、ため息だよね。

 強者である自分が、より強者の前では弱者になる。あるいは強者である自分が、ふとしてことで突然弱者になる(事故や、病気や、落選や)。弱者も、より弱い立場の人たちの前で強者になる。
 弱者としてひどい体験をした者が、あるきっかけで強者となることもある。ひどい体験をしてことがあるんだから、そんな弱者の気持ちがわかるだろう、だから弱者に優しい強者になるだろう、ってのは多くの場合、裏切られる。あぁ、イスラエル

 ぼくはこれから、何を手放していけるだろう?そっと自問する。それなりに、痛みの少ない範囲で、自分を擁護できる範囲で、なんとか答えを見つける(ようにぼくはしている、ようだ)。

開き直るのは、やめよう

 そんなわけで、子どもよ、結局君の父親も、けっこうずるい。まだマシ、なあたりで手を打とうとしている。それを認めよう。そしてやがてバトンを君に渡そう。

 それでも、開き直るのは、やめよう、お互いに。
 強者という存在も、弱者という存在も、80億(以上になっていく)の中で消え去ることはない。だけれど、それに“強者”として寄りかかって、開き直るのはやめよう。なにか、マシな状況を想像して、そこに向かおう。そんな思いでバトンを渡そうと思います。

追伸*君の爺さんは、明日午前中に開腹手術です。開いてどうしようもないなら、そのまま処置せず閉じるということもあるらしい。君の爺さんは、高齢だ。だから順番としては、先に逝くことになる。あとはちょっとばかりのオマケがあるかどうかだ。バトンは、ほぼ、ぼくに渡っている。まぁ、もうしばらくは、バトンはぼくが持つよ。君は準備をすすめてください。じゃ、また。

 

 

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