もし私がウクライナで暮らしているとして、逃げ出すことはできるだろうか?

日本国外務省が、再考危険レベルとして全土に退避勧告を出した真っ赤に染まるウクライナ

遠いウクライナで避難勧告を受ける人たちがいるということ

外務省は11日、ウクライナ全土の危険情報を4段階のうち最も高い「レベル4(退避勧告)」に引き上げたと発表した。ウクライナの在留邦人は251人(昨年12月時点)。情勢の緊迫を受け、すでに外務省は邦人に帰国を促しており、現地大使館の体制も縮小に入っている。外務省、ウクライナの邦人に退避勧告 危険情報「レベル4」に:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 2月11日(2022年)の朝日新聞の記事です。退避勧告、強い言葉です。

 私自身にとって、ウクライナはほとんど縁のない場所です。昨今の「プーチン・ロシアがウクライナを攻撃するぞ」という状況の背景も、それほど詳細には追っかけてきませんでした。せいぜい、北大西洋条約機構(NATO)という冷戦時代から続く米国・カナダ・欧州諸国の軍事同盟に、ウクライナ政府が加盟を申請していて、それに対してロシアが強く警戒感を表明している、という程度の理解です。

 そういえば(と書いて、その他者顔ぶりに自分でも驚きますけれど)、2014年にウクライナ領だったクリミア半島がロシアに併合されるという事変がありました。そういえば、あのころ、ルワンダへの渡航途中に、どこかの空港でウクライナ上空でマレーシア航空の民間旅客機が撃墜されたニュースを聞いたのでした。なんとも嫌な思いがしたものです。でも、その後の展開についてはよく知らないままです。多くの地図では、クリミア半島はまだウクライナ領として表示されていますけれど、実態はどうなのだろう。すでに実質ロシア領としてものごとは動いているのだろうと想像しつつ、詳しいことはほとんど知らないで過ごしているのです。

 これまで、「戦争が起こるぞ、起こるぞ」とこれだけ長い期間、予告番組が流れるかのように事態が推移し膠着しているケースがあったでしょうか。ちらっとインターネットを調べてみただけでも、2021年12月はじめの段階で、「アメリカの『ワシントン・ポスト』(電子版)が12月3日、米情報機関が作成した報告書の内容などとして、ロシアが大規模なウクライナ侵攻を計画していると報じたのである。最大17万5000人を動員した多正面作戦になる見通しだと指摘しているという。ロシアとアメリカとEU、ウクライナで戦争が起こるのか。なぜこうなったのか。現状は。(わかりやすく)(今井佐緒里) – 個人 – Yahoo!ニュースと報道されていました。今から2ヶ月半前のことです。そして、今開かれている北京冬季オリンピックが終わるのを待って侵攻が始まる、いやオリンピック開催中の侵攻が計画されている、等々の情報が飛び交っています。そんな中で、日本国外務省による、ウクライナ在住日本国籍保持者への最高危険度での避難勧告の発令となったのです。

 私は、これらの報道の信憑性を語るだけのなんの情報も持っていません。だから、今後の状況を予想することもできない。ただ、余所者(よそもの)として海外に在住しているひとりとして、退避勧告を呼びかけられたウクライナ在住の日本人(あるいは米国人でも、英国人でも)の今の思いを(おもんばか)って落ち着かない気持ちになるだけなのです。

もし私が今暮らしている場所から逃げることを求められるとして

 たとえば、もし私が滞在している地域に対して、日本国外務省から避難勧告がだされたらどうするか。不足しがちな想像力を駆り立てて考えてみます。

 まず、日本国籍を持たない当地の家族のことを考えないわけにはいきません。自分一人だけでも避難するという選択肢があるのか、ないのか? やっぱりないよなぁ。一緒に逃げるとしたら、誰とにげるのか?妻はもちろん一緒に連れて行こう。でも妻の両親は、兄姉妹は?そして、それぞれの家族である、たとえば今私たち夫婦と同居している姪っ子たちは?
 ひとりひとり希望を募ればいいのだろうか?おそらく、全員がこの地を離れたいということはあり得ない。とすれば「避難勧告」の出た地に何人かの家族を置いて、せめて逃亡を希望する何人かの家族と共に避難するのが現実的なのか?ことは、家族だけではないようにも思います。友人たちはどうする?たとえば、この地の国籍者である友人のCさんは、その娘さんが今日本で暮らしています。もし自分が退避するのであれば、多少無理をしてでもC夫婦を日本に一緒に連れ出したいという気持ちが私にはあります。そうでなくて、どんな顔をして日本で娘さんに会えるのでしょう。あるいは、つい最近に娘が生まれたばかりのやはりこの地の国籍者であるR夫婦はどうする?もし彼らが出国を望むのであれば、なんとかしたいとも思うのです。

 一方で、もし妻を含めた家族皆が、あるいは友人のCもRも、「逃げ出す必要はないんじゃないか」と考えていたらどうだろう?退避勧告を受けて、自分だけは逃げ出すだろうか?

 ウクライナ在住の日本国籍保有者のもとには、現地の日本国大使館から連日電話連絡があり、「退避してください」という強い指示があるのだそうです。以下、ウクライナ在住者のブログ日記から。オデッサとは、ウクライナ南部、クリミア半島よりもさらに西に位置する、黒海に面した風光明媚な歴史ある町の名です。

非常に厳しい口調で退避を勧告された。まだ戦争は起きないと思っているんですか、そこオデッサですよね、もうロシア軍はすぐそこまで押し寄せてるんですよ、砲弾が撃ち込まれてはじめて信じるんですか、でもそのときは死ぬ時ですよ、ウクライナ人と一緒になって戦うんですか、調査によるとオデッサでも市民の半数が「いざ戦争になったら武器をとって戦う」と言っていますよ、戦うんですか、(いや逃げます)、じゃ逃げてください。もう飛行機もどんどんなくなってますよ、逃げたいと思っても逃げられなくなってしまいますよ、電話も通じなくなるかもしれませんよ、大使館とも連絡がつかなくなりますよ、なんで逃げないんですか。(ハードルとして現実感を異にする妻の説得ということがひとつあります)奥さんの命が大事なら説得してください、二つにひとつです、奥さんの命を守るために説得するか、それともここに残って骨をうずめる覚悟をするかです。
ロシアに侵攻されるらしい国の日常【虚構日記】 | 何丘ブログ (nanioka.com) の2月13日の内容から

 これだけ強い姿勢で退避を求められて、平常心を保てというのは無理なことなんじゃないだろうか。因みに、この日記を書いた方の「妻」がウクライナの方なのか、それとも他国籍の方なのか、日本国籍者なのか、それを私は知らないままでこの「越境、ひっきりなし」を書いています。

 このブログ日記の筆者は、今日(2月16日)の数日前に、さすがに不安にかられて、オデッサの町から退避し、それでもウクライナ国内の寒村に疎開したそうです。

 率直にいってこの村が戦場になるなど考えるのもバカバカしい。でもたって安全だという根拠を示せとなら、オデッサから十分離れている。攻撃目標になり得るさしたる産業も工場もない。幹線道路・線路から離れている。こんなところでどうだろうか。(上記と同じブログ日記の2月14日より、ちなみにこの日の朝、この村の気温はマイナス11度)

 このブログ氏の視点は、「ウクライナ市民を虐殺するという選択肢を、ロシアが(プーチンが)持っているとは信じられない」という点で一貫しています。それはロシアとウクライナの歴史に根ざした多くのウクライナ市民の思いでもあるように読み取れ、つまりは日本では報道されない現地の人たちの視点として、それなりの力強さを私は感じるのでした。

 大使館員から電話も来た。先月24日以来実に5度目。お互いすみませんすみませんと謝る。しつこく電話して済みませんご事情お立場は承知しておるのですが東京(本省)の方が言ってきてますものですから、とそこまでぶっちゃけてしまうのもどんなもんだろうか、対するこちらもすみませんすみません再三にわたりお電話をいただきお手数をおかけしまして。そちらお変わりないですか。「はいオデッサは平穏そのものです」「はいこちらキエフも」
(上記のブログ日記 2月11日より)

 ここに漂う、生活というリアリティ。

逃げ出せる場所のある「余所者」

 自分が“帰属”していない国・社会に、余所者(よそもの)として存在することの危うさというのは、どうしたってある。それが長期滞在であれ、短期滞在であれ、生活者であれ、単に一時的な仕事業務であれ、営利目的であれ、援助支援活動であれ、です。余所者には、退避するという選択肢が用意されています。そして、余所者でない現地者には逃げ出すことはけして簡単なことではありません。余所者がどんなに「現地に溶け込んで」存在しているつもりでも、この余所者と現地者との間に横たわる「逃げ出す場所があるか、ないか」という強烈な境界線がなくなることはない。だから、余所者はどうしたって、いつまで経ったって、余所者というレッテルから自由になれるはずもない。

 逃げるか逃げないか、たとえば印象的な映画としては『シューティング・ドッグ(邦題 ルワンダの涙)』がある。1994年のルワンダでの100万人を超えるという虐殺を描いたこの映画で、首都キガリの職業訓練校で支援を続ける二人の欧州人が描かれています。ひとりは長く支援を続ける初老の男性、もうひとりは最近赴任した若い支援者(こちらも男性)。詳細をすっ飛ばすと、自分の信頼する教え子すら虐殺に手を染めることに衝撃を受けつつ、初老の男はわずかな希望を若いルワンダの生徒らを逃がすことに託し、その過程で彼は自らの教え子の手にかかって殺される。「自分は生徒たちを置いて逃げることはない」と誓っていたはずの若い男は、しかし、避難民でいっぱいの職業校から退避する国連軍の最後の車に飛び乗ってしまう。国連軍に対して「私たちを残して逃げるのであれば、その前に、せめて子どもたちを撃ち殺していってもらえないか(国連軍が退避後に、職業校を取り巻く虐殺者たちにマチェーテ(手斧)によって叩き殺されるのが確実な状況がある)」と祈願する避難してきた人びとは、国連軍にその願いを拒絶され、そして(予定通り)国連軍退避後すぐに押し寄せた虐殺者たちに皆殺しされる。

 初老の男によって逃され、走り続けることで命を長らえた少女は、亡命先(映画では英国)の地で逃げ出した青年教師と再会する。「私たちを置いては逃げないと言っていたのに、なぜ逃げたの?」と問いかける少女に、若い男は黙り込むしかない。

 なんとも辛い映画だ。

 カンボジアで1975年から3年強続いたポルポト時代を描いた映画『キリング・フィールド』も思い出す。国外退去を求めて、プノンペンのフランス国大使館に保護を求める、在住欧米人、伝(つて)を持つカンボジアの市民、そして柵の外で絶望するしかない多くの市民という対比の酷さ。さらには、いったんは保護されても、無情にもポルポト政権によって出国が許可されずに、許可された人たちを安全に退避させるための交換条件かのように門の外へ押し出されていく人たち、そんなシーンが「事実を基に」描かれている。

 フィクションをあげるまでもない。事実でいえば、ポルポト時代にカンボジア国内に取り残されて亡くなった日本人もいる。1975年4月にクメール・ルージュ(ポルポト派)がプノンペンを占領した際に、7名の日本国籍を持つ女性がカンボジアにいたことがわかっている。その全員が、カンボジアの男性と結婚し、子どもがいる人たちだ。このうち、1979年にプノンペンのポルポト政権が倒れた後、2名だけの生存が確認され、日本に帰国している。残る5名は、みなポルポト時代に家族と共に亡くなった(殺された)(本多勝一集第16巻 『カンボジア大虐殺』朝日新聞社 1997 161~163ページ)。

 彼女たちも事前に危険は察知していたはずだ。なかには、家族の中に日本パスポートを持つものと持たぬものがいたりして、出国をためらったケースもあったそうだ。もちろん、事前に「大虐殺」を察知することは、当時のほとんどのカンボジアの人たちにも難しかった。判っていたとしても、たとえば家族を二分するような形で逃げ出すことは、どうしたって簡単に決断がつくことではあり得ない。わずかな希望にかけてしまうことがあったとして、それを無謀と言えるとすれば、それはすべて後知恵でしかない。

越境の仕方として

 視点を変えてみれば、現地者として、あなたが、もちろん私も、余所者をどう見ているかということだ。日本社会にももはや多くの「余所者」がいる。中には、数世代前から日本社会で過ごしているのに、それでも今もなお余所者とレッテルを貼られている人たちもいる。それでいえば、ずーっと日本社会で存在していたにもかかわらず、ある社会的集団として「余所者」化されて生活してきた人たちだっている。

 それでいえば、自分が余所者でないという自意識だって、実はかなり危うい勝手な思い込みでしかないんじゃなかろうか。なにかをきっかけに、人は誰でも何処ででも「余所者」になりうる。しかも、そんな「ある日突然の余所者化」した者には、おそらく逃げる場所すらない。逃げ場所のある特権化した余所者とは、また違う様相の余所者が世の中には存在するんだ。

 そんな世の中で。ウクライナで自分の帰属する(と想定されている)国の外務省から最高レベルの退避勧告を受けつつ、「退避しない」人たちが(おそらく何人も)いる。もしかしたら、彼らを「自分勝手である」と評する人たちもいるのかもしれない。
 でも、私は、そんな退避しない人たちに勇気づけられたりするのです。彼ら彼女らが、自分で築き上げてきたものに則って、自分で判断しようとする人たちだからです。それの何が「自分勝手」であろうか? ちなみに念のために書いておくと、先に紹介したブログ日記の書き手は、退避勧告をする大使館(員)の苦労に対して、敬意をこめた謝辞の言葉を記しています。それでも、言いなりにはなれない、そんなこといくらでもあるのです。

 その背景には、それぞれの個人史があり、学びがあり、愛情や友情があり、よんどころない思いがある。当たり前のことです。
 だから、今はとにかく、彼らの事情が、それぞれ悪い結果につながらないことを切に祈るばかりです。そして、これだけ長期間にわたり「起こるぞ、起こるぞ」という予告スーバーが流れた後に、もしその予告通りウクライナにロシア軍が侵攻し、そこで大きな戦闘が起こり、そのことで市井の人たちの虐殺があるとしたら。それは多くの国の指導者たちのダメダメぶりを世に広く示すことになるでしょう。もちろん、そんなダメダメのリーダーを選んでいる、それぞれの有権者も評価されることになります。ぜひ、世の多くのリーダーたちが、それほどダメダメでないことを強く期待したいです。ほんとうに、頼みます。

 というわけで、こうやって書いてしまえば、書く前以上にウクライナ情勢は私の他人事ではなくなっていきます。これも、私なりの越境の仕方、です。

 

 

  

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