『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第一回 真臘風土記 周達観 登場!

 10月11日の投稿で書きましたような事情で、これから週1-2回のペースで、『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』を連載いたします。予告編では以下のように書きました。

 で、今回は、記念すべき、連載第一回です。カンボジアの胡椒の記録は13世紀まで遡ります。

カンボジアのお土産

 『地球の歩き方 東南アジア(2016/2017年度版)』の中のコラム「カンボジアでおみやげを選ぶなら」の中で、まず勧められているのが胡椒だ。

 カンボジアでおみやげを選ぶなら、まずはコショウを挙げたい。特にカンボジア南部の町カンポットはコショウの産地であり、古くからヨーロッパへの輸出品として重宝された。山と海に囲まれ、適度な湿度に恵まれたカンポットで育つコショウは香り高く最高級と評判が高い。みやげ店でも買えるが、スーパーマーケットならもっと安く購入できる。[i]

 そこには「カンボジアの香り高い黒コショウは誰にでも喜ばれるおみやげ」というキャプションつきで黒胡椒の写真も載せてある。

 コショウ科コショウ属のツル性植物である胡椒は、インド南部原産で、古くは紀元前四世期の古代ギリシャの時代にヨーロッパに伝わった。一世紀のローマでは金と胡椒が同重量で交換されていたともいわれるほど貴重な香辛料だった。アメリカ大陸を広くヨーロッパに知らしめるきっかけとなったコロンブスは、東洋の胡椒を得るために、地球は丸いと信じて大西洋を西に進んだ。

 その後、アフリカ南端喜望峰周りの新航路が開かれ、、東南アジア産の胡椒を始めとする香辛料に脚光が当たる。たとえば、インドネシアの香料諸島(マルク諸島)のクローブやナツメグ。コショウならジャワ島やスマトラ島。しかし、学校で学んだ歴史では、カンボジアが胡椒の産地として挙がった記憶はまったくない。カンボジアの世界一美味しいともいわれる胡椒は、いつ、どこからやってきたのだろうか。

 The New York Times Style Magazine :Japanというサイトの2018年4月12日の記事「カンボジアから届いた絶品「塩漬け胡椒」に秘められた物語」では、カンボジアのコショウに触れて次のように書かれている。

 カンボジア南部のカンポット。日本ではなじみが薄いが、フランスをはじめとしたヨーロッパでは世界最高峰の胡椒の産地として知られ、その歴史は13世紀のアンコール王朝までさかのぼる。(中略)たった4年の間に、800万人の国民のうち2~300万人もの人々が虐殺されたと言われる壮絶な内戦。当時、世界一とも称された胡椒の生産技術や農場も、一瞬にして失われてしまった。再び胡椒の生産が軌道に乗り始めたのは、内戦が終結して10年近く経った2000年頃からだという。[ii]

 カンボジアが誇る世界遺産アンコールワットを建設したアンコール王朝は九世紀から十五世紀(日本では平安時代後半から室町時代前半)まで続いていた。そのアンコール王朝の時代からコショウが作られ、そしてそのコショウは世界最高峰と評されていたという。

 カンボジアで「内戦」といえば、1970年前後から90年代に至るまでの三十年間の長い紛争を指すことが多い。記事で触れられている「4年の間」というのは、この紛争の特に1975年から1979年にわたってポルポトが政権を摂った時代のことだ。ポルポト時代はカンボジア内戦の中でもことさら過酷な時代だった。そのポルポト時代に、カンボジアの胡椒栽培は途絶えたという。

『真臘風土記』に書かれた十三世紀のコショウ

 このニューヨーク・タイムズの記事に限らず、カンボジアで胡椒を栽培する多くの企業・組織が、カンボジアでの胡椒の歴史を十三世紀まで遡れるとしている。この情報は、すべて『真臘風土記』という中国の古書に由来している。
 この古書は周達観という人物によって記されたもので、真臘とは、「しんろう」[iii]と読み、当時のカンボジアのことだ。周達観は、中国を支配した元(げん)からカンボジアに1296年に派遣された外交官で、カンボジアの中心地であるアンコール地方の王都アンコールトムに約一年間滞在した。日本の鎌倉時代の元寇(1274年の文永の役と1281年の弘安の役)から15年ほど経ったころ、周達観はカンボジアに滞在したことになる。そのときの見聞を記したのが『真臘風土記』で、周達観は中国にもどって翌14世紀初頭までには完成させたようだ[iv]

 『真臘風土記』の原本は五千字に満たない漢文だ。胡椒の記述は、第二〇項目「出産(産物)」の中にある。それが以下の漢文だ。

胡椒間亦有之纏藤而生累累如緑草子其生而青者更

(コショウも時々またある。藤にまつわって生じ、累々とつながって緑草(あお草)の種子のようである。そのなまで青い者は一層からい。[vii]

真臘風土記の記述

 胡椒の記述は漢字数で二十三文字、これだけだ。もし周達観がこの短い文章を遺さなかったら、13世紀のカンボジアで胡椒が採れたことは、現代には一切伝わらなかった。現代のカンボジアの胡椒業界にとって、周達観は恩人と言っても言い過ぎではないだろう。

 同書の中で産物として紹介され、胡椒よりも多くの文字数が費やされているものには、翡翠(カワセミ)の羽、象牙、黄蠟(蜂蠟)、降真(香料)、画黄(木のヤニ)がある。コショウと同程度の記述があるのは、犀角(サイの角)、紫梗(ラックというカイガラムシの殻、赤い染料になる)、大風子油(ナンテンギリという落葉高木の果実から採る油、皮膚病の薬)がある。さらにコショウより字数が少ないのが荳蔲(カルダモン)である。『真臘風土記』に記されたアンコールの産物は全部で十一種類。その中で胡椒は最後に位置し、「時々またある」と書かれていることからも、けして主要な産物の扱いではない。

 文字数は多くないものの、胡椒についての周達観の記述はなかなか生々しい。この時期すでに胡椒は東南アジアから中国に多く輸入されており、周達観も粉にした胡椒については知っていただろう。その粉胡椒が青草の種子のような果実を砕いたもので、生の青いものは一層辛いことを、周達観はアンコールで初めて知ったに違いない。

 注目したいのは「一層からい」――原文では「青者更辣」――の部分だ。胡椒の緑の実は木から採ってすぐはそれほど辛くないという。つまり、周達観が食べた「一層からい」緑胡椒は、収穫されてから数日経ったものだった可能性がある。胡椒の栽培地はアンコールの地から当時の旅程で数日離れたところにあったのではないか、だとしたら現在のカンポットのあるタイ湾に面した地域かもしれない。

アンコール地方の位置と、現在の主な胡椒栽培地域 (google map から、筆者作成)

 しかしながら、『真臘風土記』によれば、周達観はメコン川、トンレサップ湖を遡ってアンコールワットに達していている。また『真臘風土記』の中に、周達観がタイ湾方面に旅をしたという記述はまったくない。カンボジア歴史研究の第一人者である石澤良昭も「周達観はアンコール近郊以外の伝統的な村落へ出かける機会などはなかったのではないかと思われる」と記している[viii]。『真臘風土記』を素直に読めば、当時の首都アンコールトムの周辺に胡椒を栽培しているところがあり、そこで周達観は胡椒の木を実際に見て、実を採って食べてみたと考えるのが自然な気がする。

 しかし、胡椒に詳しい人の話によれば、アンコール地方では雨が足りなくて胡椒は育たないという。

 カンボジアのあるインドシナ半島の大部分は、熱帯モンスーンに区分される乾季雨季がはっきりした気候だ。5月から11月頃にかけてインド洋から吹くモンスーンが、タイ湾を超えてカンボジアに雨季をもたらす。その際に、カンボジアのタイ湾沿岸に位置するエレファント山地、さらにその北西に位置するカルダモン山地にあたったモンスーンが、山地の南側のタイ湾沿岸に大量の雨をもたらす。今日、その雨がカンポットの胡椒の木を育てている。エレファント山地やカルダモン山地の北側(アンコールのあるシュムリアップもここに含まれる)でも雨季はやってくるが、タイ湾からかなり内陸に入ったその地域では、雨量は胡椒栽培には十分ではないというのだ。

(つづく)


[i] 281ページ 地球の歩き方編集室/編『地球の歩き方 2016~2017東南アジア タイ/マレーシア/シンガポール/ベトナム/ラオス/カンボジア』ダイアモンド・ビッグ社 2016

[ii]The New York Times Style Magazine :Japan 「カンボジアから届いた絶品「塩漬け胡椒」に秘められた物語

」BY RINGOMATSURI, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO APRIL 12, 2018 より  https://www.tjapan.jp/food/17198302/p2#content-paging-anchor-17198302

[iii] 真臘を「しんろう」と読むのは日本の読みで、中国では「チェンラ」。

[iv]137~138ページ 周達観/著 和田久徳/訳『真臘風土記』東洋文庫 平凡社 1989

[v] 160ページ 石澤良昭/著 『東南アジア 多文明世界の発見』講談社学術文庫 講談社 2018

[vi] 231ページ 周達観/著 和田久徳/訳『真臘風土記』

[vii] 58ページ 周達観/著 和田久徳/訳『真臘風土記』

[viii] 194ページ 石澤良昭/著『東南アジア 多文明世界の発見』