教育支援の究極目標は経済発展を担う人材の育成!
20代後半に青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)に参加したことをきっかけに、いわゆる“開発業界”の末端で30代40代を過ごしました。私の場合は、その多くがODAによる途上国の開発支援、その中でも教育セクター支援でした。長期で関わったのはフィリピン、カンボジア、ルワンダの3カ国。フィリピンでは理数科現職教員研修支援、カンボジアでは教員養成学校理科教育支援、ルワンダでは(科目は特に指定せず)現職教員研修支援……。
教育支援に限らず、途上国支援の目的はその国の社会経済開発です。つまりぶっちゃけで言えば、支援対象国のGDP(国内総生産力)を底上げすることが目的なのです。道路等のインフラストラクチャーの整備も、保健医療の充実も、最近よく言われる人間の安全保障も、その整備・充実・保障の先に求めるべき経済開発がある。教育の普及や質の向上も例外ではありません。
その国・社会の経済開発に資する人材を提供することが教育の目的なのです。
もちろん、ひとつふたつのプロジェクトで、その究極目的が達成されるなんてことはありません。経済開発の背景には、多数の要因が絡まり合っています。私自身の狭い経験でも、自分がかかわったプロジェクトがその社会の経済発展に直結したなんていう実感はまったくありません。
そして、そういう建前は建前として、実際に支援にかかわる人たちはそれぞれの遣り甲斐を見つめながら日々の仕事に取り組んでいるのが実状だと思います。少なくとも私はそうだった。
けれども、どんなプロジェクトの計画書にも、そのプロジェクトが巡り巡ってその国・社会の経済発展に寄与することが書かれている。私がかかわった教育支援ならば、プロジェクト目標、プロジェクトの上位目標、さらにはその先の究極目標は、常に経済開発に貢献する質の良い人材の供給だったのです。
パレスチアでの教育プロジェクトへの憧憬
数ヶ月前、JICA(国際協力機構)がパレスチナでの教育支援案件を実施するコンサルタント会社を募りました。案件名は「パレスチナ理科・技術・数学教育デジタルコンテンツ作成プロジェクト」です。数社のコンサルタント会社がこれに応募し、その中の一社がこのプロジェクト実施に取り組むことになります。
先日、知人からのメッセージでこのパレスチナでのODA教育案件を知り、私はとても懐かしい気持ちになりました。というのも、今から10年ちょっと前、私はルワンダというアフリカの小国でやはりODAによる教育支援プロジェクトに携わってたときに、同僚と「次はパレスチナの仕事だ」なんて話をしたことがあったからなのです。
パレスチナ支援に関しては、私自身がその背景としてパレスチナのヨルダン川西岸地区の隣国であるヨルダンで短期で仕事をした経緯があるのです。2007年ごろのことです。
ヨルダンで働いたのは、一ヵ月派遣が2回。ヨルダンの中学校?だったかしら、の理科の先生たちが作製した授業案にアドバイスするというような仕事でした。十数名の先生たちとあーでもない、こーでもないと議論をしたり、授業案の中の理科実験を繰り返したりの毎日を過ごしたのです。
ヨルダンの首都アンマンが勤務地でした。そのアンマン市内を車で走っていると、同乗者から「ここらは難民キャンプだよ」と教えてもらうことがありました。けれども、そこには仮設テントが建っているわけでもない、ごく普通の住宅が立ち並んでいるように私には思えました。そして、そこが1947年のイスラエル独立前後からパレスチナから逃げてきた人たちが暮らすエリアだったということを知ることになりました。つまり、もともとは“キャンプ”だった。けれども、やがてそこに家を建てる人が出てきて、そして今では一見普通の住宅街になっているのです。
やがて、私が議論をしている先生たちのほぼ全員が“パレスチナ難民”であることも判ってきました。彼らは皆、難民の2世か3世です。つまり、祖父母や両親がパレスチナから隣国ヨルダンに逃げてきたのです。そして、彼らの子どもたち、つまり3世・4世、も国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)から難民指定を受け、学校の授業料などの補助を受けていることを知りました。一方で、彼らはヨルダン市民の資格もすでに取っていて、ヨルダンの公立学校の教師をしているわけです。ある週末に一緒に仕事をした先生の家のお昼ご飯に招かれました。そして、彼の自宅はやはり“難民キャンプ”の中にありました。それなりに立派なコンクリート製の3~4階建てだったような記憶があります。あえて難民キャンプらしさを見出そうとすれば、表通りで車を降りて通った彼の家へ通じる小道の両側にはさまざまなサイズの家がぎっしりと軒を連ねてならび、その小道はまるで迷路のようだったことが思い出されます。
ヨルダンでの仕事は、私にとって生涯唯一のムスリム社会での経験でしたので、それまで知ることのなかったことがたくさんあり、とても刺激的なものでした。そして、たった都合2か月の短い期間でしたけれど、私にとってパレスチナ難民という言葉は、それ以来とても実体感を持つものになったのです。
そんなことがあったものですから、10数年前に「次はパレスチナの案件だ」なんて話で盛り上がった際には、本当にパレスチナの仕事にかかわりたいと願ったのでした。けれどもその後、ルワンダで事故に遭い車イス者になり、私は教育支援の第一線からは撤退することになりました。パレスチナの話も、私にはかなわぬこととなりました。
そして、2023年10月からのイスラエル軍によるガザ大攻撃が始まります。ガザの状況などはこれまで本で読んだりしていましたけれど、このガザでの虐殺作戦が長引く中で、私はついついイスラエルとパレスチナについてこれまで以上に学ぶことになりました。なるほど、こんな背景があったのかぁ、と知れば知るほど、イスラエルという国のその建国前後から続く無茶ぶりをより一層理解したのです。
日本政府のパレスチナへのODA支援「平和と繁栄の回廊」構想!
特に、1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間で結ばれたオスロ合意が打ち出した「パレスチナ人(アラブ人)による国家と、イスラエルと、二国がパレスチナの地に存在することを目指す」という二国家構想が、もはや完全に破綻している。というか、イスラエル側にはもともとパレスチナ(アラブ)人国家を認める意図はなかったということが理解できたのです。
しかし、日本国政府は、未だにオスロ合意による二国家構想の実現を支持しています。日本独自のパレスチナ支援として「平和と繁栄の回廊」構想があります。これは2006年から現在まで継続しているものです。この構想について外務省のホームページには、以下のように書かれています。
我が国は,イスラエルと,将来の独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する「二国家解決」を支持している。「二国家解決」の実現のためには,「平和の配当」を人々にもたらし,当事者間の信頼醸成を促進するとともに,持続的な経済開発を伴う,健全なパレスチナ国家をイスラエルやヨルダン等の協力を得て樹立することが不可欠である。「平和と繁栄の回廊」構想|外務省
1.基本的考え方
(1)持続的な和平実現のためには、「平和の配当」を人々にもたらし、当事者間の「信頼醸成」を促進することが重要。
(2)現在、イスラエル・パレスチナ間の和平に向けた取組は深刻な困難に直面しているが、二国家構想が唯一の解決策であり、現状への対応と同時に共存共栄に向けた中長期的な取組が重要。
(3)二国家構想の実現には、持続的な経済開発を伴う、健全なパレスチナ国家をイスラエル、ヨルダン等近隣諸国との協力を得て樹立することが不可欠。
(4)持続的な経済開発の鍵は民間セクターが握っている。西岸においては、農産業が経済開発の主導的役割を果たし得る。
(5)域内協力の結果のみならずプロセスが当事者間の信頼醸成の観点から重要。
外務省: イスラエルとパレスチナの共存共栄に向けた日本の中長期的な取組:「平和と繁栄の回廊」創設構想 (2006/平成18年7月) 青い下線は私(村山)が引いています。
この「平和と繁栄の回廊」支援に対しては、計画発表直後から批判も出ています。ここでは、1999年に発足したNGO“パレスチナの平和を考える会”の事務局長である役重善洋氏が書いた『「中東民衆革命」と対パレスチナ援助―「平和と繁栄の回廊」構想の挫折と新しい市民連帯』《PRIME(明治学院大学国際平和研究所)の紀要雑誌“PRIME”2011年10月に掲載》という論文を私が読んで理解した「平和と繁栄の回廊」への批判を書き出してみます。以下、番号は整理整頓のために私(村山)が勝手にふりました。役重氏の論文でこのような振り分けがされていたわけではありません。(パレスチナの平和を考える会 役重善洋『「中東民衆革命」と対パレスチナ援助―「平和と繁栄の回廊」構想の挫折と新しい市民連帯』参照bing.com/ck/a?!&&p=9671fbf3ad45f7732b3b8b9fcbcd21cf4b7ec83fa71bad546de2f5e114b5e154JmltdHM9MTc1MTg0NjQwMA&ptn=3&ver=2&hsh=4&fclid=3d313279-84fe-6502-181b-206f85146467&psq=「平和と繁栄の回廊&u=a1aHR0cHM6Ly9tZWlnYWt1LnJlcG8ubmlpLmFjLmpwL3JlY29yZC8yNDM1L2ZpbGVzL3ByaW1lMzRfMzUtNDIucGRm&ntb=1)
① 日本のODAに限らず、オスロ合意以降、国際的な対パレスチナ援助が構造的にイスラエルによるパレスチナ占領システムの一部になっている。つまり、本来は占領する側であるイスラエルの責任を、国際援助が肩代わりする構造になっている。それは国際援助とイスラエルによる占領の共犯関係が生まれているということである。パレスチナ自治政府への国際援助支援を行う国、あるいは国際組織は、援助支援を円滑に行うことを優先し、イスラエルによる占領政策への批判を控える傾向が顕著である。これは当然、日本政府/その援助実施機関であるJICAも、同様である。例えば、ガザ地区で日本政府が支援してきたインフラがイスラエルによる攻撃で破壊されても、イスラエルの責任を問う声を日本政府は発しない(役重氏論文中のこのガザ攻撃は、2008年12月から2009年1月の3週間に行われたものを指している/イスラエルのこの攻撃でガザ地区では1300人が死亡した/その3分の1が未成年者)。
② この回廊計画の中核プロジェクトは農産加工団地でヨルダン川西岸地区で生産された農産物を加工してヨルダンに輸出するという案である。けれども。回廊構想がヨルダン渓谷におけるイスラエル占領の既成事実化に加担するものである。イスラエルによる西岸地区への不当入植地によるビジネスが関与する危険が高い。
③パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区は、A地区…パレスチナ政府が行政権と警察権の実権を握る地区/2000年時点で面積の17.2%、B地区…パレスチナ政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区/2000年時点で面積の23.8%、C地区…イスラエル軍が行政権と軍事権との両方を実権を握る地区/2000年時点で面積の59% の3地区に分かれている。日本が支援を計画しているヨルダン渓谷地域は、その94%がC地区であり、実質イスラエルの全面的な軍事占領下にある。そのヨルダン地区でのパレスチナ支援計画は、どうしたってイスラエルへの経済支援の側面を免れない。
④ヨルダン川西岸地区では、イスラエル人の入植者専用道路と、パレスチナ人用道路と、2つの道路網がイスラエルにより構築されている。後者の道路網は、傾斜の急な悪路が多く、検問所が多く設置される。その人種主義的性格は一目瞭然。「平和と繁栄の回廊」計画に含まれる道路整備も、このイスラエルの占領政策を補強するものになっている(イスラエルの支援を受けているファタハによる臨時の自治政府が、この人種隔離政策を黙認していることが背景にはある)。
⑤アッパース大統領率いるファタハによるヨルダン川西岸地区自治政府の正当性にも問題がある。2006年1月のパレスチナ立法評議会選挙でガザ・西岸地区の両方でハマースがファタハを破り第1党となる。それに対して、イスラエルと米国はハマース政権をポイコットし、ファタハを支援した。その結果、パレスチナは内戦状況となり、ガザ地区はハマースが制圧。一方で、西岸地区はファタハによるハマース追放が成功する。これはイスラエル・米国の武器供与を含む支援を受けたファタハのクーデターといえる(論文ではクーデターという言葉はつかわれていません)。その後、現在まで選挙は実施されていない。
つまり、⑤で書いたように、政府間援助と言いつつ、支援を受ける側であるファタハによる臨時政府は、イスラエル政府の傀儡といえるような状況が生まれていたのです。そして、2025年現在まで、この回廊計画の具体的な成果は上がっていません。少なくとも、私はインターネットで成果らしきものを見つけることはできませんでした。もしこのブログの読者の中に、回廊計画の具体的成果を知っている方がおられましたら、ぜひ教えてください。
そして教育支援なのですが……
上記の「平和と繁栄の回廊」計画とは別に、ODAによるパレスチナ自治区への教育支援がいくつか実施されてきました。
「初等理数科カリキュラム・教科書改訂協力プロジェクト」(2016-2018年)
「理数科教育質の改善プロジェクト」(2019-2022年)
「教育の質と環境改善のための学校建設計画」(2020年~2024年)
なるほど。そして、先に紹介した新しいプロジェクト「理科・技術・数学教育デジタルコンテンツ作成プロジェクト」(2025-2028)の登場となるわけです。流れで言えば、まず理数科のカリキュラムと教科書を改訂した。そして、その教科内容を指導するために視学官や現職教員を研修した。今度は授業を実施するために(あるいは授業をできない状況でも子どもたちが学習できるように)テレビ放送での(あるいはインターネットやパソコンを活用しての)デジタルコンテンツの充実を図る、という流れがあるのです。その意気や良し。
ここでは過去のプロジェクトの成否や、新しいプロジェクトの詳細には入りません。私がどうしてもつまずいてしまうのは、これらの教育プロジェクトの先にあるべき「その社会の開発に寄与する人材の育成」、特に「その社会の開発」の部分です。冒頭に書いたように、この場合の開発とは経済開発に他なりません。
しかし、パレスチナ自治国ではこの経済開発の道が、イスラエルにより計画的に閉ざされているのです。経済開発があり得ない場所で、経済開発に寄与する人材を育てることの意味は何なのだろう。私の躓きはここにあります。
イスラエルによるパレスチナ自治区の反開発政策
ここでの反開発とは、開発に反対するという“アンチ開発”という意味ではなく、経済開発というベクトルがあるとして、そのベクトルを完全に否定する/消し去るという意味で使っています。イスラエルのガザ占領政策に関する著作を出している米国の政治経済学者サラロイ(Sara Roy)氏が使っている言葉(英語でDe-development)で、彼女の本の邦訳で“反開発”と訳されていますので、ここでもこの言葉を使います。1955年生まれの彼女は両親がホロコーストを生き延びたユダヤ人です。
ロイ氏は1967年以降のイスラエルによるガザ地区統治を分析し、この「反開発」という定義にたどり着きます。イスラエルによる占領統治が、ガザ地区の社会や経済の成長を妨げる狙いで行われていたところに注視したのです。占領が始まったころは、ガザから多くのパレスチナ人が毎日イスラエルに働きに出ていました(労働許可証の発行)。それは短期的にはガザ住民に収入をもたらしました。しかしイスラエル経済への依存は、ガザ地区経済の自立発展性を削いていくことになったのです。輸出入もすべてイスラエルにコントロールされました。その後、2007年のガザ完全封鎖以降パレスチナ人労働者はイスラエルに入国できなくなり、輸出入も止まります。このガザでの反開発占領政策は、その後ヨルダン川西岸地区にも拡大されていきます。実際、ヨルダン川西岸は細かく見れば、パレスチナ自治区は都市ごとに分断され、いくつもの島が点在するような様相を示しています。ひとつひとつの島々では生産も消費も蛸壺になってしまうのですけれど、島と島を結ぶ移動や交通輸送にはイスラエル側による多くの規制がかけられています。こうやって島々を孤立させることも、反開発政策の一環なのです。ガザの次は、西岸地区である(西岸地区を完全にイスラエル領土にするという意味)のは、現イスラエル政権の既定方針です。
以下のヨルダン川西岸の図は、インターネットの画像検索で見つけたものです。地図中薄い黄色で描かれている地域がパレスチナ自治政府による統治が行われている場所(いわゆるA地区とB地区、B地区は警察権はイスラエルが担当)。それに対して、濃い黄色で描かれている場所はイスラエル軍直接統治地区(C地区)。ヨルダン川西岸地区の東沿いを流れるのがヨルダン川です。貴重な水源であるヨルダン川は全域が実質イスラエル領なのがよくわかります。またA地区とB地区が群島化されていることもこの図からはっきりわかります。島と島とを結ぶ移動は、イスラエル軍の検問等でとても時間がかかり規制も多いのです。これが反開発戦略です。

イスラエル占領下にある限り、パレスチナ人の独自経済の成長はあり得ない状況なのです。国際支援による開発という名目で投じられた施策や資金が、反対の目的で機能する。むしろ、経済や社会を破壊するために使われているというべきなのです。
例えば、パレスチナ自治政府(ファタハによる西岸地区統治)による警察力強化は、イスラエルの占領統治に反抗するパレスチナ人勢力を検挙する役割を強化することになります(社会の破壊)。住宅や施設の建築の支援は、その原材料をすべてイスラエルからの“輸入”に頼るため結局イスラエル企業を潤すことになります。さらに、このように支援された建物であっても、イスラエル軍の恣意的な破壊活動によって、破壊されても文句の言いようがない。
教育支援はどうでしょうか? 教育支援ならば経済や社会の破壊にはつながることはないようにも思えます。けれども、何のために人材開発を行うのか?ということです。質の良い教育を受けた若者は、就職する先がない(西岸とガザの失業率は28.7%⇦2023年IMF、現在はもっと上がっている可能性大)。経済は悪化するばかり(西岸とガザの経済成長率は-6.1% マイナスがついてます⇦2023年IMF、現在もマイナス成長が続いている可能性大)。これらの低い経済指標は、イスラエルにより意図的に作られたもので、今後この傾向はますます拍車がかかるというのが、ロイ氏が指摘しているパレスチナ自治区でのイスラエルによる反開発政策なのです。(この段落でのデータは以下を参照しています パレスチナ基礎データ|外務省)
もちろん教育は基本的人権の一部です。学ぶ機会は、人々にとってかけがえのないものだ。だからできるだけ質の良い教育を提供したい。そこは解かります。けれども……。学んだ先に夢のない教育ってなんなのだろう? 若い間だけはなんとか教育でつないで、けれども成長すればその先にあるのは、占領による苦しい生活しかない。とすれば、当然教育の行きつく先は支配する側への抵抗しかないのではないか?
日本政府ODAによるパレスチナでの理数科教育支援計画では「パレスチナの生徒の創造性・批判的思考力が向上することを目指す」と明記されています。創造性と批判的思考力を向上させた子どもたちの未来とはなんだろう???
それでも私は行ったか? 行ったでしょう、機会があるのなら。
パレスチナ自治区(実質支援対象はヨルダン川西岸地区に限られるでしょう)での新しい教育支援が、厳しい現実に向き合うことになるのは間違いありません。ストレスの多い辛い仕事になるのでしょう、多分。
それでも、もし私が車イス者でなく、現在も教育開発協力支援の仕事の第一線に立っていて、私に機会が巡ってきたとしたら……、はい、私は喜んでプロジェクトに参加したでしょう。「何もしないより益しだ(Better than Nothing)」と言ってしまったらつらいけれど、でも、そうなのです。何もしないより、パレスチナと触れ合う機会、パレスチナを応援する機会、があれば行った方がいい。たとえそれが米国に追従しイスラエルを批判できない日本政府によるODAであろうとも、です。
そのプロジェクトの成否はさておき、私にできることがあれば、やる。
残念ながら、日本政府によるODA予算は縮小傾向にあり、教育協力支援の機会も減り続けているという現在、第一線からすでに退いた車イス者が出る幕はないのですけれど、ね。実際、今本当に私に声がかかっても、お断りするしかない。それぐらい現在の技術改革、特にこのプロジェクトが扱う「デジタル」の進歩はすさまじいものがあります。10年以上現場を離れた者よりも、役立つ人材はたくさんいる。もともと技術的なことの不得手を補うための尻軽男だった私でしたから、やはり車イス者となった今、以前のように自分の不得手を補う力は残っていません。しかし、気持ちだけでも、パレスチナ、かかわりたかったなぁ。
プロジェクトにかかわる皆さまの奮闘に心からエールを送ります。どうぞ心身大事にして、良い仕事をされてくださいませ!

















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