先住民問題を担当するブラジルの国立先住民保護財団(FUNAI)のベテラン職員が、保護対象の先住民の放った矢で撃たれ、死亡したというニュース。
以下、ナショナル ジオグラフィック日本版2020年09月25日の記事
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/natgeo/world/natgeo-0000A8gL?page=1
この記事を読んだとき、境界で働いてきた“仲間”が亡くなったような気がしたと書いたら、たいした危険もないODA(政府間援助)の片隅で食い扶持を得てきた者がなにを偉そうにと、怒られるだろうか。
亡くなったのは、ヒエリ・フランシスカトという名の56歳の男性、私と同い年だ。彼は、少数先住民と農村開拓者との間で高まっていた緊張を解くために、少人数のチームで森に入っていたのだという。そして、事故は2020年9月9日に起こった。先住民保護の仕事を長く続けていた彼は、きっとその仕事の危険性も熟知していただろう。それでも、アクシデントは起きるときは、起きる。
もちろん、私には仕事相手から撃たれる危険性なんかなかった。フィリピンのミンダナオ島で働いていたときに、フィリピンのスタッフたちとビールを楽しんでいた食堂で、警察官同士のケンカですぐ脇で銃が撃たれ、肝を潰したことがあるぐらいだ。
でも、こちらの世界とあちらの世界の境界線上で対峙する際の、ひりひりした緊張感は少しわかる。相手が何と言うか。それに対してなんと答えるか。表情や目線にも気を配って、なんとか両者の妥協点を見つける。そして少しでも理解し合えたと思えたときの安堵感や、判ってもらえなかったときの失望感や自責感。
さらには境界で向かい合う人たちの間での“翻訳者”としての役割が果たせるときもあった。けして“通訳者”ではない。翻訳というのは、それぞれの意図の文脈の背景を知らなければ務まらない。だから私は、短期派遣よりも長期でじっくり関われる仕事の仕方が好きだった。
フランシスカトさんは、きっと腕利きの翻訳者だったのだろうと思う。彼の片方の相手である孤立先住民の人たちが、どんな言葉を話し、自分たちをなんと呼んでいるか、もう片方の世界の人たちはまだ誰も知らないという。さぞや大変な翻訳業で、失望を感じることも多かったのではないだろうか。それでも、ごくたまにある安堵感や達成感の喜びに惹かれて、彼は仕事を続けてきたのだろうと想像する。きっとやりがいのある仕事だったに違いない。

















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