これからこのブログ「越境、ひっきりなし」で、ときどき『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』を連載!?していこうと思っております。胡椒?なぜ、そんなことを書くのか?それには、それほど深くない理由があります。きっかけは、怪我をしてしまったことです。でも、カンボジアの胡椒のことを書き始めたことで、ぼくは自分の中にある「越境」というテーマをはっきりと認識することになりました。胡椒がぼくにとって面白かったのは、胡椒が越境するからだ。胡椒がぼくの中にある何かを、ピリッと刺激してくれたのです。
ということで、今回は『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』の前哨として、それを書き始めた「きっかけ編」であります。
2014年8月末、アフリカのルワンダで事故に遭い下半身完全麻痺となったぼくは、日本に運ばれてからも長い病院生活が続いた。それでも、いつかは病院を出る日がやってくる。その後、どんな日々になっていくのか。病院のベッドの上で想像しても、あまり具体的なイメージはわかなかった。
でも、どう考えても、事故前と同じように途上国に仕事を得て、学校や研修を飛び回るような働き方はできないだろうと思った。元に戻るのは、無理だ。
さて、では何をしようか。できれば途上国の教育開発にかかわってきた過去と、完全に決別するのは避けたかった。車イスでできること。そんなふうに考えればこの時代、どう考えたってパソコンでなんかやる?なんてことになる。
「本を書くか」と思った。書くのは嫌いじゃない。というか、好きだ。ならどんな本を書く?「途上国の理科の先生や若者たちが読むような、サイエンス史だな」と思った。
科学史をきちんと学ぶ機会は、実は日本でもなかなかない。それでも、副読本があふれるようにある日本なら、理科好き、科学好きな人たちがサイエンスの歴史を知る機会にこまることはないだろう。コペルニクスの地動説や、ニュートンの万有引力の“発見”、ダーウィンの進化論、分子・原子論が確立して、そしてアインシュタインが登場しニュートン力学が覆り、遺伝子の二重螺旋構造、さらには量子論がやってきて………。
多くの途上国では、本は贅沢品だ。それに圧倒的に先進国からの輸入本が多い。自分たちの社会背景を元に書かれた理科本や科学本は特に少ないように感じていた。また、子どもたちの参加型授業の普及が広く目指される昨今の状況の中で、理科では探究型授業(実験・観察を取り入れた発見授業)が広まる傾向があると、実は科学史をしっかり学ぶ機会が少なくなっているんじゃないかという気がしていた。科学史は「覚えること」だから、忌避されるような雰囲気もある。でも、科学史、面白いのに。まさに、人類の共通財産じゃないか!!
やるなら、カンボジアだな、と思った。たまたま長く縁があったし、理科教育関連には知り合いも多い。それに、カンボジアにはクメール語という特殊な環境がある。世界的にはニッチな場だ。弱者小者にも、勝負のしようがあるかもしれない。
さて、目標は決まった。ただ、カンボジアでは紙の本はそれほど流通していない。本を作って、稼ぎになるのか?著作権の尊重という価値観も広がっていないカンボジアでは、コピー本がすぐ出回るし(この場のコピー本とは文字通り本を一冊丸々コピーして売っちゃうという意味だ)、本の内容がインターネット内に許可なく丸々掲示されるのもありありだ。それならむしろ、最初からインターネットの活用を考えたほうがいいんじゃないだろうか?
そんなことをあれこれとベッドの上で考えていたけれど、なかなか具体的なイメージにつながらない。そもそもぼくは、自分で本を作った経験がないんだ。仕事の報告書の類はずいぶん書いてきたし、理科関連の授業案の冊子づくりにも関わったことがある。でも、本格的な本をつくるということの過程・行程がどれだけ判っているかと自分に問うと、実は曖昧なことがたくさんある。それなら、とにかく、一冊作ってみるしかないだろう。
どうやら病院から退院しても、しばらくは日本で過ごすことになりそうだった。じゃ、まずは日本で本を作ってみるか。小説を書く才能がないのは明々白々なのだから、ここはノンフィクションだな、と思う。何を書こうか。自分のことを書くのではなく、なにか知らないことを、調べたり取材したりして書かないとダメだ、と思った。なぜダメなのかはよくわからないけど、第六感みたいなものだ。
胡椒というテーマが浮かんだのは、本当にたまたまのことだ。特別の理由があるわけではなくて、ふと思ったという程度のこと。とにかく、カンボジアの胡椒のことを書いてみよう。
退院後、3年かけて書いた。とりあえず、形になったと思った。さて、これをどう本にしようか、と考えていたときに、ある理由が浮上して、書いたものをそのまま世に出すのは止めたほうがいい、と判断した。悔しかったけれど、仕方のないことだった。納得して、一度あきらめた。
それからすでに2年が経った。書いたものの中で、公開して問題のない部分だけ再編集しようか、と思った。だって、調べたり取材したりした時間がやっぱり愛おしい。
ということで、『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』を連載しようと思う。わりと長くなるから、続き物で少しずつ出していきます。特別に、胡椒のことに関心を持っている人なんかそうそうはいないだろう。それでも、まぁ出会いだな、みたいな気持ちで、のんびりつきあっていただけたら嬉しいです。
『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』次週末から連載開始!!!
コショウ科コショウ属のツル性植物であるコショウは、インド南部原産で、古くは紀元前四世期の古代ギリシャの時代にヨーロッパに伝わった。一世紀のローマでは金とコショウが同重量で交換されていたともいわれるほど貴重な香辛料だった。アメリカ大陸を広くヨーロッパに知らしめるきっかけとなったコロンブスは、東洋のコショウを得るために地球は丸いと信じてインドを目指して大西洋を西に進んだ。
大航海時代以降、東南アジア産のコショウを始めとする香辛料に脚光が当たる。たとえば、インドネシアの香料諸島(マルク諸島)のクローブやナツメグ。コショウならジャワ島やスマトラ島。しかし、学校で学んだ歴史では、カンボジアがコショウの産地として挙がった記憶はまったくない。
そんなカンボジアにも、胡椒はあった。しかも、高品質だという。
一九七二年に全三〇巻で出版された『日本語版ブリタニカ国際大百科辞典』は、英語版エンサイクロペディアブリタニカの第十四版改訂版に加え、フランス語で出版されている仏語版ブリタニカであるエンサイクロペディアユニバーサルシリーズのふたつを原典としている。ブリタニカ大百科事典は、大項目を採用している。つまり「カンボジア」という大きな項が設定され、そこに細かな事象がいろいろと書いてある。その「カンボジア」の項の中に次の一文がある。農産物に触れた文章だ。
特にコショウ(約二五〇〇トン)はタイ湾沿岸で栽培される。土地がやせているのと病害によって、一般には下り坂とみられているが、華僑がカムポート州で栽培しているコショウの品質は世界一といわれる。[i]
カンボジアの世界一の品質を誇った胡椒は、いつ、どこからやってきたのだろう。
(続く)
[i] 768ページ ブリタニカ国際大百科事典4 1972

















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