貧しい国の豊かな消費欲! 笑ったり泣いたりで大忙し? いやいや、弱肉強食、笑い事じゃないわけです。

2009年プノンペン市内で。最近はこの手のバイクは「古い!ダサい!」と若者には人気なし。

貧しい国の、なにやら豊かな消費散財

 開発途上国のカンボジア。ASEAN(東南アジア諸国連合)の中でも、経済指数はけして高い方ではありません。それでも首都プノンペン市内にはトヨタの高級車プリウスがたくさん走り回っています。数千万円の土地付き住宅が販売され、売れている。いったいどういう仕組になっているのか。どうもなかなかよくわかりません。

 世界の経済ネタ帳というインターネット上の資料によれば、2020年の一人当たちの名目国内総生産(GDP)でカンボジアは世界192カ国中152位で1655ドル(約17万円)。ちなみに日本は41026ドル(約420万円)で23位。世界一はルクセンブルグで軽く1千万円を超えています(世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング – 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)

 日本と比較すれば、その金額でカンボジアは25分の1ほど。けれどもプノンペンで生活する限り、もう少しその差は小さいんじゃないのかなぁというのが実感です。市中の若者が集まるおしゃれなコーヒーショップのコーヒーは安くても2~3ドル(2~3百円)はします。ガソリンも人件費の分だけ日本よりは安いですけれど、それでもリッター100円はします。町中にはトヨタの高級車プリウスがたくさん走り回っています。そういえば数年前に日本に遊びにきた(当然費用は私持ち)姪っ子たちに日本の印象を聞いたら「小さい車が多い」だったなぁ。

 先日、身近にあったひとつのエピソード。二十歳ぐらいの若い子が持っている携帯電話、なにやら高そうなので値段を聞いてみたら千ドル(10万円)以上するのだと。ちなみに私が今持っている携帯電話は今年秋葉原で購入したスマートフォンで3万円以下のもの。聞けば、最近祖母が亡くなり、親戚の遺産分けで祖母の持っていた土地を売ったのだそう。そのお裾分けで父親がその高級携帯電話を買ってくれたのだそうです。そういえば、その子の父親、500万円はする新車に乗っていたなぁ。一括払いと聞いたけれど、あれも遺産が入ったせいなのか。
 けれどその子の家が、けして特別裕福というわけではけっしてありません。その子が小中学生だったころ、その学費をフランス系援助団体が支援してくれていました。父親の収入も微々たるもの。むしろ公務員の母親の収入が一家の生活を支えていたのです。それでも遺産が入ったら、そのお金を貯めるわけではなく、新車を購入し、子どもには高級携帯電話かぁ。

 ところがそれからしばらく経って。その子が母親から「お金がないから英語学校はもう行かなくていいよね」と言われたというのです。おいおい、そりゃないだろう。だったら何百万もする新車をなぜ買うのよ。優先順位はどうなっているのか???

財産は現金では持たない? 金、車、土地

 こういう事例、なんとなく多いように感じるのです。確かにこちらの人にとっては車も携帯電話も「お金が必要なら売ればいい財産」という感覚なのは知っています。つい最近までカンボジアで車を買うといえば、米国あたりから流れてきた中古車があたり前。市中に車メーカーの販売店が並び新車が多く売れるようになったのはつい最近で、10年前なら税金が高い新車を買うなんて珍しいことでした。それでしたから、中古車の値段がなかなか下がりませんでした。100万円で買った中古車は、同額の100万円あるいはそれ以上で売りたいのが人の人情。そういうわけで、車は消費財ではなく財産だったわけです。

 それは土地などの不動産物件も同じ。先程の祖母の土地を売って財産分けしたという話。詳細までは聞いていませんけれど、土地を売っておそらく数千万円になったわけですよね。それがキャッシュで動いたのですから、一体誰が買ったのか。おそらく月の収入が10万円もない世帯が、一千万円を超える現金を手にしちゃうわけですから、その機会に新車を買っちゃう気持ちってあるんだろうなぁ。私だって遺産で一億円転がり込んだら、アマゾンのウィッシュリスト(Wish List)に入っている本とCDを全部買っちゃう気持ちになっちゃうだろうからなぁ(それでも100万円は行かないと思いますけれど)。

 1990年代後半にも銀行の倒産があって、それを知る妻の両親はつい最近まで銀行にお金を預けるのは「良くないこと」と思っていました。私が銀行に預金しているのを知ってハラハラしてくれていたのです。数年前の国政選挙の際にも、「銀行にお金を置いておくのは危険だ」とアドバイスもしてくれました。つまり選挙で何かあったら困るぞと。そんなときは、現金もだめで、やっぱり金(ゴールド)があてになる、それが戦乱の時代を知る義父母の生きてきた知恵だったのです。
 そんな義父母も最近銀行で定期預金を始めたそうです。やはり義母が持っていた土地を売ったのだそう。いくらになったかは私は知りませんけれど。

 カンボジアで人口の4分の1とも3分の1ともいわれる死者がでた1970年代後半のポルポト時代からすでに40年以上が経ちました。ポルポト時代の後、ガラガラポンッと全部が新しく始まったカンボジアでは、例えばプノンペンでは空き家に住んだものがその所有権を主張できた。実際、一家全滅で誰も帰ってこない家や土地が珍しくなかったわけです。生き残りがいたとしても、その不動産の権利を証明することは簡単ではなかったと云います。そのころに手に入れた土地が、その後21世紀に入って高騰した(現在進行系?)というわけです。
 土地台帳が整備されていなかった20年ほど前には、同じ土地が2重にも3重にも売られて、あっちこっちで混乱が起こっていました。きっとお金のことでの内輪もめも多かったのだろうと想像します。兄弟それぞれが土地の所有権を持っていると主張して、そしてそれぞれが売っちゃうわけですから。今でもそういうことはまだあるのかなぁ。

 一方で、持っていない人は何も持っていない。そんな人たちも多いのです。

新型コロナ禍でマイクロファイナンスが返せない

 バングラディシュの貧困層の人たちを対象にマイクロファイナンスを展開したグラミンバンク(グラミン銀行)の創設者であるムハマドユヌスさんがノーベル平和賞を受けたのは2006年。無担保低金利で農村部の貧困層にも融資するマイクロクレジットによって貧困撲滅につなげるシステムは20世紀後半に世界中に広まりました。
 カンボジアでもマイクロファイナンスは盛んに行われています。カンボジアの数少ない世界一のひとつが、一人当たりのマイクロファイナンスの貸付額だったはずです(すいません、すぐに出典を思い出せません、数少ない世界一のもう一つは、一人当たりの淡水魚消費量です)。

 そのカンボジアのマイクロファイナンスが、この新型コロナ禍で壊滅的ともいえる危機に面しているようです(カンボジアを押しつぶしているマイクロファイナンス債務危機 – 日経アジア (nikkei.com)。経済的な指標を示せないまま書きますけれど、この新型コロナ禍で観光業には大きなダメージがあったことは間違いありません。世界的観光地アンコール遺跡群のお膝元であるシュムリアップでは、多くのホテルが売りにでているという話を聞きます。いったいどれだけの人たちが収入が減っているのか、そんな人たちの暮らしがどうなっているのか、想像力を発揮すればその厳しさがかなりのものだろうことが想像できます。そして、カンボジアの多くのマイクロファイナンスは、貧困削減というよりは収益重視の貸し手側の理論で動いているように思います。先にマイクロファイナンスの特徴として無担保低金利と書きましたけれど、カンボジアのマイクロファイナンスはけして無担保ではないようです。担保は土地。今後、融資を返金できずに土地を収奪されるケースが増えることが予想されているようです。今年の6月に、フンセン首相はわざわざ「貸付金を回収できない場合に、担保の土地を押収するのは合法」という声明も出しています(フンセンからカンボジアの銀行へ:借り手が支払わない場合は財産を押収 – 日経アジア (nikkei.com)

 一方では少額融資を返金できずに、財産を押収される人たちがいる。一方では、泡銭を浪費(浪費というのは、私の価値観ですけど)してしまう人がいる。そんな情報に、なんか頭がクラクラしてしまう、プノンペンの日々です。
 新型コロナのPCR検査陽性者は、6月7月の連日千人という状況から、今は少し落ち着いて連日500人程度。医療逼迫は続いているはずなんですけれど、街の日中の賑わいは徐々にもどっているようなプノンペン市内。新型コロナ禍の負の影響は、見えないところで弱肉強食がじわじわと広がっているようで私は恐ろしく感じているのですけれど。さて、どうなっていくのか???

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