素人調査団の珍道中 ベトナムでの郵貯ボランティア貯金の支援活動評価の旅
もう20年以上前、1996年だったと思う。郵貯ボランティア貯金から支援を受けるNGO/NPOの活動を評価するという仕事でベトナムに行ったことがある。ホーチミン市での「路上生活者へのHIV啓蒙活動支援」、「市民病院への医療機材支援」、ホーチミンの北東にある港町ファンティエットでの「市民文化センター活動支援」、さらにはハノイに飛んで、そこから北部の山岳地帯にはいって「麻薬常習者の更生センター支援」、「山岳少数民族対象の母子センター支援」、たしか5つの活動を実際に視察したはずだ。
ぼくたち調査者(ぼくと、もうひとり)は、ボランティア貯金側に事前に提出された支援計画書を事前に読み込み、それを基に調査事項をリスト化して、現地で情報収集して、予定通り支援が実施されているかどうかを調べる、そんな仕事だった。国際支援活動の現場で「評価」の重要性が強く意識されていることが、現地調査の背景にはあったはずだ。
(ところで、ボランティア貯金からの支援というのは、ボランティア貯金口座の利子から賄われる。今の超低金利のご時世に、ボランティア貯金の支援額も、大幅に減少しているはずだ。その減少の影響を受けた支援活動も多いと聞いたことがある)
調査を請け負ったのは、青年海外協力隊のOB/OGが多くかかわる団体で、そこが帰国隊員を活用して世界中の国々の調査を実行した。それぞれの活動地だった国に、そこの言葉ができて土地勘もある帰国隊員を派遣するという計画だった。けれども、ベトナムへの協力隊派遣が始まったのは1995年だ。つまり1996年の調査時には、まだベトナムからの帰国隊員はいなかった。それで、ケニアで活動したぼくに、たまたま声がかかったんだ。同行したもうひとりも、マレーシアの医療隊員OGだった。
そんなわけで、ベトナム語もできないし、土地勘も特にない、しかも調査の専門的な訓練も受けていない、そんな素人調査団の珍道中、というのが実際のところだった。
上も下も、ベトナムと日本の友好関係の話 ばっかり?
ベトナムといえば、東南アジアの社会主義国。1979年に当時ポルポト時代の恐怖政治が行われていたカンボジアに侵攻し、ポルポト政権を終わらせて“傀儡”政権をプノンペンに打ち立てたことで、西側諸国や反ソビエトの先頭にたつ中国などからの経済制裁を受け、その苦境から脱するために1986年にドイモイ(ベトナム語で“刷新”の意味)政策を導入、つまり市場経済を取り入れて10年、ようやく経済発展の波に乗って元気闊達、パワーモリモリ!というのが、当時のベトナムだった。
それでもさすが社会主義国。一党独裁が続くなか、調査はまずその地域の役所への挨拶から始まり、その役所のアレンジに従い、支援活動現場を視察する、というのが決まりだった。
社会主義国の取材を繰り返した本多勝一は、「社会主義国には、報道の自由がないのが、大問題」ということを常々書いている。自由に取材することが許可されず、その政権が見せたいものを見せようとする、そんな社会主義政権の姿勢が、長い目で見ると、その政権の独裁化につながり、けして市民のためにならないことを、本多はことあるごとに嘆いている。
そんな本多の文章を読んでいたから、ベトナムに行く前に、ぼくはある程度の覚悟はしていた。どこまで自由に「評価調査」ができるのか、ちょっと楽しみでもあった。ちょうど国際開発関連の大学院の修士を終えて、でもまだ開発支援の仕事を本格的に始める前、30代前半のころだ。今から思えば、本当にアマチュアだったなぁ。それだけに、ベトナムでの調査は、強く印象に残っているんだ。
まず、ホーチミンでのこと。強く印象に残っているのは、役所で聞く話と、現場の関係者に聞く話が、まったく“同じ”ということだ。上(役所)でも、下(現場)でも、長々と話されるのは「ベトナムと日本の友好の歴史と成果」について。そして、支援活動が「どれだけベトナムと日本の友好に役立っているか」ということ。友好、友好、同じことを、上でも下でも長々と聞かされる。こちらは用意してきた質問リストにしたがって質問したいのだけれど、相手のながーい“演説”を聞いていると、なかなかこちらの聞きたいことまで到達しない。おー、これが噂の「社会主義」かぁ、と感嘆したことを覚えている。さすが、手強い!
確か、海外支援の世界では、タフ(手強い)ネゴシエーター(交渉者)として上がるのが、インド、中国、そしてベトナム、というような話を耳にしたことがある(ぼくは、それにイスラム社会も入れてみたい誘惑にかられるけれど、それはさておき)。ぼくはインド、中国で仕事をしたことがないのでそのふたつについては人からの話を聞いたことしかない。けれど、ベトナムが手強い交渉者、と評されるのは自分の感覚としてわかる気がする。
なんというのかなぁ、本音ベースの話がなかなか聞けないというか、出てこないというか。出てくるのは、公式声明、みたいなものばかり。長期でかかわれば、また違った側面が見えてくるのかもしれないけれど、短期の調査では、なかなか食い込めない!という印象がとても強い。それは、後に短期調査に行った国、たとえば同じ社会主義国でのモンゴルなんかは全然印象が違う。あるいは、スリランカやフィリピンや、タイやネパールや。そんな社会と比べても、ベトナム独特の手強さがあった。
朝も、昼も、夜も、役人と呑む!
その手強さは、北部に向かうと、さらに牙を剥いた。
北部で回った2ヶ所、麻薬常習者の更生センター、少数民族対象の母子センター、今ではそれがどこにあったのか正確に思い出せないのだけれど、どちらも外国人がめったに入る地域ではなかったはず。ぼくたちは、まずハノイの関係役所に出向き、そこが調査の手配をし、ハノイが準備してくれた通訳者とともに(あと役所が発行したレターも一緒に、これ重要!)、ハノイが準備してくれた車で調査対象地に向かった。
それぞれの地では、やはりその地区の役所にまず立ち寄り、そこでハノイで聞いた“演説”を再度聞いた後に、その役所の役人が必ず同行して現場に入った。ふたつの現場は、それぞれ離れた地方にあって、移動も含め、ハノイから3泊ほどの日程だった。
南で感じた、上も下も言うことが同じ、という印象は北ではさらに強まり、それに加えて、この移動中、朝食、昼食、夕食、すべてにハノイからの同行者と、それぞれの地区の役所の担当者と一緒で、そして常に「モッ!ハイ!バー!ゾー 」。訳せば、「一、二、三、飲めー!」、つまり乾杯の嵐なんだ。飲むのは、ビールで始まり、白酒というタイプのちょっと強い焼酎のようなお酒。ぼくの調査同行者は、お酒はまったくダメという女性だったから、「モッ!ハイ!バー!ゾー 」の相手はすべてぼくが引き受けることになった。「モッ!ハイ!バー!ゾー 」は、ふたりで向かい合って盃を飲み干す。ぼくのお相手はつねに3人ぐらいはいるんだ。彼らと順番に、「モッ!ハイ!バー!ゾー 」。油断してひとりひとりと乾杯していると、ぼくは彼らの3倍ぐらい飲むことになってしまう。
しかも朝から何皿もならぶご馳走で、「アン ディー、アンディー!(どんどん食べて)」の掛け声が飛び交う。一日中、胃がもたれて仕方がなかった。
毎日の朝からの宴会に、こちらはだんだん疑心暗鬼になってくる。
「これは、なにかの戦略なんじゃないか?酔わせて調査を煙に巻こうとしているんじゃないか?」
今思えば、おそらくそんな深淵な作戦があったわけではなく、おそらく接待費を使ってお役人さんたちも、めったにない外国人訪問客を口実に自分たちも豪勢に楽しんじゃえー!って、ことだったんだろう。でも、とにかく、あの乾杯連続攻撃は苦しかった。さすが、米国軍を追い払ったベトナム、強し!なんて変な感心をしたもんだ。
丁寧な計画書が損をする?
そんな“攻撃”を交わしながら訪問した更生センターも、母子センターも、地味ながら意味のある支援活動が行われているようだった。更生センターは大きなダム湖の中の小島に設置されていて、そこにはボートで渡った。母子センターにいたる道は、川にかかる簡易橋をおそるおそる渡り、山道を小一時間歩く。どちらも、観光旅行ではけして味わえない面白さがあった。
母子センターでの聞き取り調査をしているとき、少数民族独特の衣装を着た夫婦が彼らの赤ん坊と一緒にその母子センターを訪ねてきた。具合のよくない赤ん坊をみてもらうために、彼らは1日かけてその母子センターまでやってきたと言っていた。日本語ーベトナム語ー少数民族語と、通訳をふたり入れての短い聞き取りだったけれど、赤ん坊をセンターの医師にみてもらってホッとしている若い夫婦の様子がとても印象に残った。
調査を通して気になったのは、丁寧な計画書ほど、つっこみどころがある、ということだった。ぼくたちが渡されたそれぞれの活動計画書は、詳細に計画が書き込まれたものもあれば、とても大雑把にしか書かれていないものもあった。
そして、実際に調査に行ってみると、詳細に計画が書き込まれていればこちらの質問も詳細になり、大雑把な計画書であればこちらの質問も大雑把になってしまうんだ。評価では、計画通りに支援が行われているかが調査対象になる。だから、詳細な計画を立てていると、それだけ実際の支援との齟齬が見えやすい。適当な計画ならば、実際の支援であれこれ問題が起こっても、計画との齟齬が見えにくい。
それならば、大雑把な計画のほうが、有利なんじゃない?下手に、きっちりと計画を立てても、そのとおりに支援が進むことはありえない。でも、詳細な計画が不利で、いい加減な計画が得をするじゃ、おかしいでしょう? そもそも、ボランティア貯金の支援を受けるのに、計画書の書きぶりがこんなに違うのはどうして? 深堀りすると、計画書が杜撰だったある支援活動は、ベトナムに進出した民間企業が設立したNGOによるもので、そのNGOの役員の中には有名政治家の家族の名前があった、なんてことは、まぁもう20年前だから、いまさら書いても守秘義務違反にはならないかな。へへへ、書いちゃった。
もちろん、誠実な計画を書いた支援が不利にならないように注意して、報告書を書いた。
ベトナムは観光旅行でいくにはいい国だ。物価は安いし、何をたべても美味しいし。でも仕事で入ると、手強い、そんな様子も、今では少し変わってきているのかな?

















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