村山哲也→ម៉ូរ៉ាយាម៉ា តេតសឹយ៉ា 名字(姓)と名前(名)の順番問題

昔の名刺やらIDカードやら MURAYAMA Tetsuya の順にしてました

My name is Tetsuya Murayama、への疑問発生!

 中学校で英語を習い出したとき、「私の名前は村山哲也です」を英語にすると「My name is Tetsuya Murayama」と教わった。なるほど、今google翻訳を使って「私の名前は村山哲也です」と入力すると、英語表記では教わったとおり「My name is Tetsuya Murayama」と訳される。

 では、カンボジア語にすると、どうだろう。同じくGoogle翻訳を使って同じ文を日本語で入力するとカンボジア語では「ខ្ញុំឈ្មោះ តេតសឹយ៉ា ម៉ូរ៉ាយាម៉ា」となる。発音は「クニョム チモッホ テツヤ ムラヤマ」だ。クニョム(私の)チモッホ(名前は)テツヤ ムラヤマ、ということになる。
 でも、これは間違いだ。なぜなら、カンボジアでは通常人の名前は、日本と同じ姓名の順だ。だから、本当ならばខ្ញុំឈ្មោះ ម៉ូរ៉ាយាម៉ា តេតសឹយ៉ាクニョム チモッホ ムラヤマ テツヤ、とならなければおかしいはずだ。どうした、Google翻訳!?

 はじめてこの名字が先か、名前が先か、という問題に触れたのは、やはり本多勝一を読み出してからだと思う。つまり高校生のころだ。
 本多が書いていたのは、何語であろうと、村山哲也はムラヤマテツヤでいいんじゃない?ということだった。たとえば、毛沢東は英語でもこの語順で英語表記される。ベトナム独立戦争のリーダーだったホーチミンもそう。タクトーモウ、になったり、チミンホーになったりはしない。
 さらに、日本語と英語で姓名の順番を使い分けるのであれば、ドナルドトランプ大統領は、日本語表記ならトランプ(姓)ドナルド(名)大統領と書かれなくちゃおかしい、けれど、どの新聞でも雑誌でも、ドナルドトランプと名が先で姓が後という英語での順番をそのままなぞる。それなのに、英字新聞になれば、安倍晋三元首相は、シンゾーアベになる。それはなんか変じゃない?
 それが本多が書いていたことだった(もちろん、本多が使っていた事例はトランプでも安倍でもない)。ぼくは、まったく納得してしまった。
 それ以来、英語でもMy name is MURAYAMA Tetsuyaで通しています。

ラヤマ”か、“テツヤ”か。それが問題だ。

 はじめて外国で暮らしたケニアでもそうだった。ケニアの同僚たちには、ムラヤマと呼んでね、とお願いしていた。理由のひとつは、覚えやすいから。スワヒリ語で、ムラは食べる、ニャマは肉。ムラニャマで、肉を食べる、という意味になる。
 でも一番の理由は、ぼくはボランティア仲間からも「ムラヤマ」と呼ばれていたからだ。日本では、通常名字で呼び合いますよね。だから、ムラヤマ。ところが、仲間の中には日本人の間では姓で呼び合い、でも外国人(英語で会話する相手)の場合には名(英語でのファーストネーム)を使う人もいた。実は、これはけっこう不便なんだ。
 たとえば、こんな風だ。「このまえ、テツヤっていう日本人と会ったよ。お前、テツヤを知っているか?」「うーん、テツヤかぁ、知らないなぁ」。でも後者はぼくの知人で、ぼくのことは知っているんだ。でも、彼/彼女にとってぼくは「ムラヤマ」であって「テツヤ」じゃない。「ムラヤマを知っているか?」ならば、「あぁ、ムラヤマ、よく知っているよ」ってことになるのが、テツヤじゃ通じないんだ。不便でしょう?

 姓(ファミリーネイム)ってのはあくまで家名であって、個人としてはもらった名(ぼくの場合はテツヤ)で呼び合うほうがいいじゃない、という理屈には、ぼくは実は賛成なんです。家名なんてどうでもいい、とも思う。けれども、もうずっと長い間、ムラヤマで通してきてしまったんだ。小学校で同級生がぼくを呼ぶニックネームもムラヤマが元になっていたし、中学も高校も大学も、ムラヤマのほうが通りがいい。テツヤという名でぼくを呼ぶのは、両親や祖母、親戚だけだった。というわけで、いまさらテツヤって呼んでください、ってのは、もう遅すぎたんだ。

 その後、フィリピンでは、ムラ、で通した。フィリピン語で“mura”は“安い”という意味だ。日本語でも安(やす)なんて呼び名があったりしますよね。「おーい、ヤス、元気か?」みたいな感じ。フィリピン語で「mura」と呼ばれるのは、安っぽくて気楽な感じでぼくは気に入っていた。ただ、フィリピンでは通常の表記は英語と同じで、名姓だ。だから、最初の自己紹介のときに、日本では姓名の順で、だからムラヤマが姓(ファミリーネイム)なんだってことは説明することが多かった。で、そっちのほうが流通しているから、ムラって呼んでね、と。

 カンボジアでもルワンダでも、どこでもムラヤマ。もうここまできたら、テツヤで再デビューするのは面倒くさいんだ。

通常、どんどん前のほうが省略されるカンボジア

 さて、カンボジア。カンボジア語での名前は姓名が普通だ。日本語と同じ。
 だから冒頭に書いたように、カンボジア語を使って自己紹介するときに、英語のように名がさき姓が後、にするのは、とっても変だ。それでも、どういうわけか、そういう自己紹介をする日本の人がときどきいる。カンボジア語を使って自己紹介をしようという心意気は買うのだけれど、うーん、惜しい!って感じ。

 さらに、興味深いのは、カンボジアでは普段の生活では、まず姓を使うことはない。かなり公式な場でも、平気で姓ではなくて名をつかう。だから、カンボジアのスタイルに従うのであれば、ぼくもムラヤマではなくて、テツヤと呼ばれることになる。そして、ぼくとカンボジアの誰かがとても親しい関係になっていくとする。すると、カンボジアの人はどんどんアクセントを後ろにまわして、前半が消えていくんだ。もしテツヤならば、それはヤーになって、ヤーになっていく。ムラヤマなら、マーが最終形になるはずだ。ただ、いまのところ、ぼくをマーと呼ぶ人はだれもいない。

 カンボジアでは、目上の人に対しては、名を呼ばないという習慣もある。ぼくの義理の甥っ子姪っ子たちには、ぼくは「ムラおじさん」って呼んでね、と言っている。おじさんに当たるカンボジア語は「オン」なので、「ムラおじさん」は「オンラー」だ。やはりアクセントは一番うしろにくる。
 でも、ぼくの義理の父母は、甥っ子姪っ子がぼくを「オンラー」と呼ぶと、「オン」、つまり「おじさん」とだけ呼びなさい、と叱る。わざわざ名前をつけるのは、目上の人に失礼だというんだ。

 公式の場で、名前をつけて呼ぶときは、姓と名をセットにする。日本であれば、姓だけで菅首相と呼んだり書いたりしてまったく問題なけれど、カンボジアでは姓だけで呼ぶのは変だ。フンセン首相(フンが姓で、センが名)であって、フン首相と姓だけを使うことはない。

先生の名前を覚えないカンボジア、ぼくは小学校から全部おぼえていますよ

 同様に、学校で、生徒たちは先生の名をよぶことはほとんどない。すべて「先生」で通してしまう。男の先生なら「ルックルー」、女の先生なら「ネアックルー」。もしあなたの身近にカンボジアの人がいたら、その人に小学校や中学校のときの担任の先生の名前を覚えているか聞いてみて欲しい。おそらく、高い確率で、覚えていないだろうと思う。だって、名をつけて「村山先生」「ルックルーラー」と呼ぶのは失礼だから。
 これはこれで、便利ではある。名前を忘れてしまっても男性ならルックルー、女性ならネアックルーと呼んでおけば間違いないわけだから。

 日本の人は、かなり高い確率で、小中高の担任の先生の名前を大人になっても覚えているんじゃないかしら。ぼくならば、小学校1年から奈良先生、2年で村上純子先生、3・4年は前田昭子先生、5・6年は本多ナルミ先生、中学に移って順に菊池先生、市川先生、荒牧先生野球部は高橋和彦先生。さらに高校に移ってドブチュウ、石平さん、猿渡さん、野球部顧問は田村先生菅野先生。大学の研究室は平田先生、有馬先生、大学院は廣里先生。ざっと一通りしっかり覚えている。高校は一部ニックネーム、あるいは“さん”づけなのは愛嬌ということで。
 覚えている理由のひとつは年賀状だと思う。ぼくは2000(平成12)年ごろまで、かなり丁寧に年賀状を出していた。けれども、その後は、年賀状を出すという習慣をぱったりと捨ててしまった。理由はなんだったのだろう?それも忘れてしまった。きっとインターネットの普及とかもひとつの理由になってたんじゃないかな。

 聞くところによると、今は生徒の住所つきの名簿とかないんだってね。先生個人の住所も公開しないから、生徒が先生に年賀状を出すことも少なくなっているらしい。もしかしたら、今の若い世代は、過去の先生の名前を覚えていないなんてことが増えているのかもしれない。どうなんでしょう

 

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