「曖昧な弱者」、さらには「曖昧な善人」
友人から『曖昧な弱者の時代』(伊藤昌亮著 岩波新書 2026)という本を紹介され、手に取ってみました。
《社会的に公認された「明白な弱者」だけが「特別扱い」されるのは不公平だとして、「曖昧な弱者」が憤懣を抱き、「明白な弱者」に敵意を向ける。その結果、「弱者叩き」が繰り広げられ、本来は支援の対象であるはずの「明白な弱者」が誹謗の対象とされてしまう。しかし「曖昧な弱者」には悪いことをしているという意識はない。なぜなら「自分だってつらい」のだし、さらには「自分のほうがつらい」のだがら。そのことを言い立てるための「弱者争い」が同時に繰り広げられ、それが「弱者叩き」を正当化する根拠となる》(上記本の「はじめに」viページから抜粋)
昨今の特にインターネット上に現れる「弱者叩き」をこのように分析した著者が、現在の社会状況/政治状況を読み解く内容です。私には、特に後半に書かれていた内容が、例えば先の衆議院選挙(半年前なんだけれど、もうずいぶん昔のことのようですね!)でれいわ新撰組が議席を減らし、対照的に参政党が議席を伸ばしたことの背景が解りやすく書かれていて、興味深かったです(れいわ新撰組か参政党かと問われれば、もちろん私は迷いなくれいわ推しです)。
本を紹介してくれた友人に、私は次のようなメッセージをインターネット経由で送ったのでした。
明白な弱者に対して曖昧な弱者が存在するのはそうとして、両者の弱者を敵対させずに「弱者」として共に応援できるのか?
そのためにはどうしたって明確な強者から資金を回収して再配分しなければいけないってことになる。それを日本社会が選択できるかどうか?
でも、昨今の流れは、曖昧な弱者の選択は、けしてそのようには向いていかない。 そもそも、曖昧な弱者間だって、互いに助け合う支援しあうというよりは、個々に孤立しがち? そんな風にも思えます。 そう考えると、おそらく日本社会に限らないけれど、みんなで幸せになるって本当に大変なことなのですね。 それでもそこに向けて動く人たちがいる。 それに対して、私はどこか観察者っぽいよなぁ。関心もって応援するけど、地域社会でなにかをするわけではない。見て、観察して、読んで、考えるだけ。障害者として明確な弱者のポジションを確保した、障害者の中の(労災認定者として)明確な強者という立ち位置から。
ここでの弱者な強者ってのは、結局は経済力になっています。 でも、他の軸はないのか?例えば「優しい」とか? 「明白な優しい人」「明白な優しくない人」「曖昧な優しい人」。おそらく大多数は「曖昧な優しい人」。明白な優しい人たちが、どうやってこの曖昧な優しい人たちを味方につけられるか。 そんな風なことも思います。
そんなことを書いた数日後、たまたま大学3~4年に同じ研究室で過ごした仲間数人と集まりました。その際には、80歳になった?ならない?という恩師有馬先生も来てくださったのです。彼は生粋の正義漢であって、おそらく集まった仲間たちは少なからずそれぞれ先生から影響を受けているのだろうと想像します。もちろん、私もその一人。
そのときに有馬先生が次のようなことをふと語ったのです。
世の中の多くの人たちは自分を善人だと思っているんだよ。なにが社会善で社会悪かはだいたい解っている。けれども、その自分を善人だと思っている人たちの多くには、具体的な行動が伴わないんだよ。行動しない。
あぁ、それはちょうど考えていた「曖昧な」という形容がずっぽり嵌るなぁなんて思いながら、先生の語りを聴いたのです。「曖昧な善人」とは「行動しない善人」で、「真の善人」とは「行動する善人」なのだろうなぁ、ってね。友人に書いた返信の中で考えていた「曖昧な優しい人」の意味を、有馬先生が「行動」というキーワードですっきりと語った。別に私がそのネタを振ったわけでもなかったのですけれど、巡りあわせは面白い!考えていると、ふいに何かが降りてくるのだなぁ。
自転車を停めて車イス者を押してくれたあなた!!
でね。
今回の東京滞在中に車イス者である私に起こった印象的なことを紹介しようと思ったのですよ。
東京都内、特に山手線の中は車イス者にはまったく油断ならない地域です。それは「坂」の存在です。今回(まだ2週間強残っていますけれど)印象的だった坂をいくつか挙げてみましょう。
地下鉄東西線の早稲田駅から高田馬場駅に至る早稲田大学周辺。(あっちこっち登ったり下ったり)
お茶の水駅北西部、順天堂大学裏手方面。(あっちこっち登ったり下ったり)
(厳密には山手線の外側になりますけれど)渋谷駅から西北方向に至る道のり。例えば、道玄坂、文化村通り、公園通り…(行きが登り、帰りが下り)。
(山手線外ですけれど)東中野北側、JR改札からポレポレ東中野に至る急坂(行きは下り、帰りは登り)。
(ついでに書き足すと、こちらも山手線外ですけれど)埼玉の大宮駅西口から映画館Ottoにいたるだらだら坂(行きは下り坂、帰りは上り坂)。
これらの場所で、私は大なり小なり難儀しました。非車イス者にとってはなんでもない緩い坂、あるいは歩道の緩い傾斜、さらには大きな道を渡る横断歩道での道中央が微妙に高いその傾斜、ですら、車イス者にはなかなか厳しい坂と化します。ましてや、徒歩者にとっても明確な坂、しかもそこそこ長い坂となれば、いやいや大変なモノなのです。
そして、振り返りますと、上記の坂々で私が困難に陥っている際には、常に誰かが声をかけてくれて、車イスを押して坂道を上がってくれたのです。つまり、急坂に苦労しているときに、その坂の頂上に至る過程で、100%の確率で支援者が現れた。こっちから支援を求めたのではなく、あちらから「押しましょうか?」という声掛けを、誰かが必ずしてくれたのですよ。
そのあるときは、雨でした。雨の中、長い坂をずっと押してくれた人がいた。文化村通りで出会った、女性のあなたです。
あるときは、わざわざ自転車を止めて降りて、私の車イスを押してくれた人がいた。公園通り近くで出会った、やはり女性のあなたです。あなたは私を押して、さらに先まで私を押すためにご自分の自転車を取りに走り、私の場に戻るとそこに自転車を置き、また私を押す、さらに携帯電話で映画館の位置を調べてくれるという、押され支援される私もスゲーェと思う迫力で支援してくれたのです。本当に助かった。
あるときは、自分の行き先とは違う方向にまで押してくれた。早稲田通りの馬場下町から早稲田奉仕園の建物内の受付まで押してくれた、あなた(男性)。
やはり行き先が違うのに東中野駅の入口まで押してくれた、ある日のあなた(女性)と、また違うある日のあなた(男性)。
順天堂裏手で声をかけてくれた男女。あるいは自分の順天堂大学センチュリータワーの持ち場を離れて押してくれた警備員の方(女性)と、その警備員からバトン(私ね)を渡された学生さん(女性)。
映画館Ottoから大宮駅までだらだらと登る坂を押してくれたのは、同じ映画を観たあなた(女性)でした。
彼らはもしかして「ホントの良い人」なのかしら。だって、行動してくれたもんね。
そして、彼らと私がすれ違うことは、おそらくもう二度とない。彼らにしてみれば助けっぱなし、私にしてみれば助けられっぱなし。
そして、私が四苦八苦していても、声をかけてくれずにすれ違った人、私を追い抜いて行った人の方が、もう圧倒的に多いのです。それは99%よ。1%の人だけが、声掛けしてくれた。実際は、もっと少ない%となのかも。
早稲田通りですれ違い追い抜いていった、無数のおそらく学生さんたち? あぁ、早大生はダメだぁ。全然、声かけてくれないもん。
JR新宿駅から歌舞伎町、ここも静かに坂なのです。歌舞伎町のほうが低い。映画を観た帰り道のMoa二番街通りでだらだら登りを苦労していた私を数百人が追い抜いて行きましたけれど、誰一人声掛けはありませんでした。
多くのエレベーターや、電車の乗降口で、車イス者に「お先にどうぞ」という仕草をしてくれるひとは、ごくごく少数派です。一方で、ホームと車両との段差が大きくて「すいません、押してください」と頼めば、断られ無視されることはまずありません(もちろん、断らなさそうな人を狙ってこちらは声掛けするのですけれど)。頼めば、まずやってくれる。きっと彼らは「曖昧な良い人」たち。車イス者である私のことを、視野に入ればちょっと気にはしてくれる。けれども、きっかけがなければ、その壁を乗り越えて自ら行動に移すことはない、「受け身の良い人」たち。
「自分がどうしたいのか」
何を偉そうに、「支援してくれなかった」ことを書き連ねるのか? 大変なら、自分から「ヘルプ!」と主張すればいいではないか? いや、だって坂を登る際にそれこそ偉そうに「助けてください!」って声を上げるのは、勇気いることですよ。ポレポレ東中野で映画を観るときは、映画終了後に「これから東中野駅まで行く方がおられましたら、押してください!」と館内で叫ぼうかと思うけれど、今回2回ポレポレ東中野に足を運んだけれど、やっぱりできなかった。人に声をかけて支援をお願いすることに関して、かなり自分から図々しく頼める方だと自認している私でも、やっぱり不特定多数に対して「誰か!」と声をかけるのは難しいのです。誰か若くて力が余っているような人を絞って、その人にスーッと近づいてそっと耳元で「お兄さん/お姉さん、押してくれや」と囁くほうが、まだ可能性があるなぁ。
とにかく、「本当に良い人」は、頼まなくても動いてくれる。彼らがまず主体なのよ。
「助けっぱなし、助けられっぱなし」という表現は、今読んでいる『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』(森川すいめい著 青土社 2026)の中で見つけた表現なんです。この本、タイトルに魅かれてついつい購入しちゃったのですけれど、この本、良いわ。
自殺希少地域とされる日本国内の何カ所かをぶらりと訪ねるといった風情のこの本の中で、自殺希少地域に共通する文化として挙げられていることのひとつが、要は「助けたいから助ける」、そして「解決するまで助ける」という感覚をその地域の人々が持っているということらしいのです。
先に紹介した坂で往生している私を押してくれた人たちは、もしかしてこんな自殺希少地域の人たちが持つ文化を内包している方々なんじゃないのか? 困っている人が視野に入る。そして、その人を支援したいと思う。頼まれなくともそう思う。そして、坂が終わるまで押す(あるいは、誰かにバトンタッチする)。何人もの人が、自分の向かう方向とは違う方向に進む私を押してくれた。つまり、自ら向かう方向を変更してくれた。それも主体的に。ついでに押してくれたに留まらないわけです。
では、何がそういう「真の良い人」を生むのか。つまり、「曖昧な良い人」と「マジで良い人」との差は、どこで生まれるのか? 『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』では、キーワードとして「対話」が挙げられています。
それは、対話主義そのものであると思う。相手のことば、行動、変化を見て、自分はどう感じ、どう反応するかが決まる。それによって相手をどうこうしようとはしない。自分がどう変わるかである。その変わった自分を、またその相手は見ることになる。その相手はまた、変化した自分を見て、それに反応するように変わっていく。
「自分がどうしたいのか」
それだけである。それだけでいい。
「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」
と、外の島からきた若者は言ったのが、それは、この島の本質と思われた。
対話していくこと、ただ対話していくこと、相手を変えようとしない行動。しかし、結果としては何かが変わるかもしれない。ただ対話する。変えられるのは自分だけである。(『この島の人は…』190ページ)
これを読んで、多くの人は「人の話をきかない」でどう対話が可能なのか、と思われるかもしれません。ここでは対話は、言葉のやり取りだけではないわけです。たとえば、私が上り坂をのろのろと登っている。それを見て、「やれやれ、押してやるか」と思う。それがすでに対話なわけです。そして、そういう場合「押しましょうか」ではなく、「押しますよ」というアプローチになっていく。それが対話力だと筆者は言っている。だから「人の話をきかな」くても対話は可能なのです。要は「自分がどうしたいのか」に正直であればよい。
(ちなみに、精神科医によって書かれたこの『この島のひとたちは…』という本は、オープンダイアローグという精神治療の話に収斂していきます。そして「対話主義」というのはこの治療法の肝なのですけれど、ここではその治療法には触れないままで過ごしますわ)
「こうしたいな」と良い行動をたくさん思いつく。けれども、その良い行動を起こさない。それが「曖昧な良い人」。
しかし、相変わらず「ホンマの良い人」と「曖昧の良い人」の境がわからない。どうすれば、「真の良い人」が増えるのか(そっちのほうが、きっと生きやすい社会なわけです、自殺も減るのです)。まず、そもそもそういうことを内包している共同体(コミュニティー)が現実にいくつかある。そこで生活していくと、だんだん行動をとれるように育っていく。
じゃ、そんなコミュニティでなければ? 無理なの? おそらく、そこに学校教育の可能性がある。学校教育で「行動する人」を育てる。他者を支援したいという思いをそのまま行動に移せる人を増やす教育ってのが、きっとデザインすることが可能だ。
じゃ、今の学校教育は? うん、おそらくダメ。今のままじゃダメ。学校教育のあり様をかなり根本的に変革しないと「曖昧な良い人」たちを、「真の良い人」に育て上げることはできない。
それに、やっぱり学校教育ってその社会の鏡なんだよね。だから、「曖昧な良い人」が圧倒的に多数な社会では、どうしてった「曖昧な良い子」しか育たない。じゃ、ダメなのか? 日本社会はダメなのか? 早稲田大学生は、きっといつまでたっても「曖昧な良い人」が圧倒的多数なのか?
教育はデザインはできる。でも、そのデザインを求める社会でなければ、そのデザインは学校教育に採用されない。「こうすればいい」とわかっていて、ある程度の共感は得られるのだけれど、でもそれが根本的改革まではつながらない。結局、旧態依然が続く。「曖昧な良い人」たちが再生産される。
やれやれ、どうしたらいいのだろう?
ウーム、みんなで幸せになるって本当に大変なことなのですね。
じゃ、今日はここまで。別に「続き」はない、はず。知らんけど。
追記:有馬先生は「絶対にあきらめない」「絶対に希望は捨てない」が信条です。…… なんというか、いつも元気づけられますよ、ホントに。

















私も曖昧な弱者になっていると気がつきました 前ほど体が自由でないとそれだけで自分優先で生きているなぁと さかいの部分がずっと痛いと言っている村山くんが穏やかでいるのはどうしてかなと思ってました 私はどうしたらいいかな すぐには変われないけど気がつきました ありがとうございます!