書いとかないと、忘れてしまいますので、映画編第2弾、さらっと備忘録として。今回は4本分です。
『ロストランド Lost Land』(ミャンマー ロヒンギャ姉弟のマレーシアへの逃避行を描いたフィクション @ヒューマンシネマ有楽町)

すごいものを観た! これ、よく撮ったなぁ。 執念? 撮影にはどれだけの困難があったか……。ものすごいエネルギーだとびしびしと感じたのです。
(ロヒンギャの人たちの詳細はここでは書きません。知らん!?という方は、どうぞ検索してみるとか、お気に入りのAIちゃんに訊いてみるとかしてくださいませ)
一見、ドキュメンタリータッチで、実際に起こったことのように撮られていますけれど、この映画は脚本に則ったフィクション(創作)です。おそらく、多くのロヒンギャの人たちにインタビューして、この脚本ができ上ったのだろうと想像します。つまり、Based on true stories(本当の話を基にした映画)。 Storyが複数形なのが味噌であります。
映画の終盤、あるシーンで私は思わず「アッ」と短い悲鳴を上げてしまいました。まるで目の前で実際にそれが起きたように思えたのです。これもまた体験する映画。
たとえば、彼らがたどり着いたのが日本社会だったら? そして、難民申請したら? あれこれを証明するのなんかは無理なわけです。この出来事を、記憶だけで語り、それを相手(審査官)に理解させるなんて、ぜったいに無理なわけです。そして「難民であることを証明できない」とか言われる。
あるいは街では、排外思想的な態度を取られる。たまんないですよ。
人としての共感とか、同情とか、やっぱり大事だよ。ときどき「税金を払っている良い外国人もいる」みたいな表現と出会いますけれど、税金の支払いが良し悪しの目盛りになる? 税金を払っていない存在には選挙権を与えないって時代がありましたよ。それを突破してきたのが、人権思想でしょう? そんな人権思想が、税金とか、貢献とか、つまり利益というニンジンを前にあっという間に暗き時代に追いやられてしまう。そりゃ、あかんよ。俺たち、もっとしっかり勉強しようぜ、って思う。あ、映画から話がそれてしまいました。
この映画を作った人たちに大きな拍手と、尊敬の念を表します。すごいもんみせてくれはって、ほんまありがとうございます。
『ホールディングリアット Holding Liat』(2023年10月7日のハマースらの攻撃でガザで捕虜となったユダヤ系イスラエル女性の解放を求めた家族を追ったドキュメント @シネマチュプキ田端)

イスラエルを批判すると、「テロ集団ハマースらパレスチナ側からの暴力をどう考えるのか?」みたいなコメントが返ってくることがあると言います。2023年10月7日のハマースらによるイスラエルへの攻撃が、今のガザの状況を生み出した原因だとするような言説。
短期的、微視的視点に立てば、あの10月7日が無ければ、8万人ちかくもの多くのガザの人たちが殺されることは無かったと語っても、まぁ100%間違いとは言えないでしょう。確かにイスラエルによるパレスチナの人たちの殺戮の速度は、あの事件で一気に加速しました。けれども、イスラエルによる大量殺戮は10月7日以前からずっと長いこと続いているのです。
私の印象だと、イスラエルの人(兵であろうと、市民であろうと)がひとり殺されると、パレスチナの人が100人以上殺される。2023年10月7日に起こったパレスチナの反攻によってイスラエル側の被害者が千人を超えると読んだとき、私は「10万人が殺される」とホント思った。予想は、当たった。
このイスラエル側の人たちは千人強という数字。パレスチナゲリラを殺戮する場合は、人質の生命は考慮しないというイスラエル軍の方針(ハンニバル指令と呼ばれるものです)があり、あの事件でもイスラエル軍の銃弾によって死んだ犠牲者も含まれると言われています。イスラエルが人質の命を重視していれば、被害者数はもっと少なかった可能性は高いのです。また一般市民と報道されるイスラエル住民の中には、正規軍人ではなくとも民兵と考えられる存在も含まれています。軍人・民兵は、殺し殺されることを強いられている人たち、でもある。今回は、サイコロが「殺される」に出ただけ、と書いたら不謹慎なのか。
事故直後、パレスチナ側がイスラエルの村で赤ん坊を無残に殺したという報道がありました。けれども、そのような事実は実際には確認されていない。
81年まえの日中太平洋戦争のとき、例えば沖縄で、その後の日本列島各地で、「米兵が来たら、男は殺され、女は犯される」という言説が広がっていたといいます。でも、あれは、中国大陸で日本兵たち自身がしたことの反映であった。日本兵は、多くの一般人を殺し犯してきたのです。だからこそ、米兵にそれを投影したのです。米兵による暴力事件、強姦事件はもちろん数多く起こっていたけれど、でも、大陸での日本兵の残虐さには遠く及ばなかったとここで書いても、けして間違いではないだろうと私は思っている。
イスラエル社会に広がった「赤ん坊も無残な方法で殺された」も、あのときの日本社会と同じです。イスラエル兵こそが、パレスチナの赤ん坊を惨殺してきた。たとえば、1948年4月9日にエルサレム近郊のデイルヤシーン村で100名以上のアラブ系村民が虐殺された事件。女性や少女へのレイプ、妊婦の腹を割く、遺体の切断などがあったとする多くの資料があります。そして、この虐殺した側のイスラエル側武装組織(イルグンとレヒという集団が関与しています。このときのイングル指導者のひとりで虐殺に直接関与したのが後のイスラエルの首相ベギンです)は、この虐殺を隠すどころか、ジャーナリストを集めて成果発表の記者会見を行っています。それにより広く報道されたデイルヤシーン村事件の直後、パレスチナ社会はパニックを起こし多くの住人が故郷を捨て避難したのです。ナクバ(大災厄)です。
2023年10月7日直後に「パレスチナゲリラがイスラエルの赤ん坊を惨殺した」という情報が生まれたのは、デイルヤシーン村事件に象徴されるイスラエル側の虐殺行為の投影に違いないと私は理解しています。
さて、前置きが長くなってしまったこの映画です。2023年10月7日にリアット(Liat)という名の女性がパートナーと共に人質になり、ガザに連れ去られました。そのリアットの解放のために奔走する父親に寄り添ったドキュメンタリー映画です。
リアットも、父親も、イスラエル政府・軍を批判的に見ていた人たちです。日ごろからイスラエル批判をしている私から見ても、尊敬すべき面を持った人たち。同じく家族を人質に取られたユダヤ系イスラエルの人たちと共同して娘の解放を訴える父親には、さまざまな葛藤が起こる。そんな葛藤を乗り越え、彼は米国にまで渡り、米国大統領(当時はバイデン大統領)に人質の解放を直訴するシーンなども映画には写り込んでいます。
やがてリアットは解放されます。抱き合う家族たち。しかし、一緒に連れ去られた彼女のパートナーは死亡したこともわかります。ホールディングリアットとは、訳せば「リアットを抱きしめる」となるでしょう。リアットは解放されたけれど、そしてリアットは自ら人質となった2023年10月7日の出来事をとても冷静に受け止め、イスラエル政府のガザ大虐殺に批判的な目を向けるのだけれど……。
あぁ、イスラエル側市民は、米国大領頭領に直訴できちゃうんだよなぁ(パレスチナ側市民にはそんな機会はあり得ない)。ガザやヨルダン川西岸で虐殺され続けている無名のパレスチナの人たちひとりひとりにも、リアットと同じように家族がいて苦しんでいるのだろうなぁ。どうしても、そういう思いでスクリーンを見つめてしまう私なのでした。
『プロジェクトヘイルメアリー Project Hail Mary』(未来サイエンスフィクション 宇宙モノ/地球外生物との遭遇モノ @109シネマズ新宿)

友人に薦められました。薦められたら、観る。
『E.T.』という映画がありました。日本公開は1982(昭和57)年末。私は18歳、高校3年生、現役大学受験の完全失敗直前。大好きだったあの娘と、渋谷の映画館で観たんじゃなかったかなぁ。地球外生命との幸福な(?)遭遇を描いた名作でありました。
あぁ、このプロジェクトヘイルメアリーは、今の時代のE.T.であるのだなぁという思いを私は強く持ちました。多くの出来事が含まれる未来物語ですから、「幸福な遭遇」と一言で書いてしまうのは少々躊躇われますけれど、でも、異星人との友情物語なのです。はい、恋人とのデートには持ってこいでありますよ。若者よ(いや、中年でも老齢でもいいのですけれど)、大好きな人と手をつないで行ってこい!!と背中を押したくなるような映画であります。(ちなみに、私は寂しく一人でみました)。
ちなみに、一応理科教師の端くれとして地球外生命、特に知的生命を考えた際、私は「幸福な遭遇」否定論者なのです。分子・原子・粒子としては似たような組成でできていて、さらには進化論としても同じ法則を経て存在する知的地球外生命が存在すると仮定して、でも彼らと人類が友情を築けるというのは、あまりに楽観的甘美的に過ぎる、というのが私の考え・予想なのです。そして、大宇宙の時間的空間的ひろがりを思うとき、未知との遭遇は……、まぁ無いだろうな、というのが味も素っ気もない私の推測でもあるのです。う~む、このブログで、私の無味乾燥的地球外生命理論が覆ったぁ!と書く日が来るのか? 乞うご期待であります。
映画はね、面白かったです。繰り返すけど、デートにおススメよ。
(映画とは話がずれますけれど。この映画を鑑賞した109シネマズプレミアム新宿という新宿歌舞伎町に位置する映画館。映画一本鑑賞代が一般4500円でございます。障害者割引を使っても4000(四千)円。映画館内は、まるで飛行場のビジネスクラス待合室のようなゆったり内装で、コーラなどの飲料とポップコーンは食べ放題。飲みたい人には有料ですけどカクテルもウイスキーもワインもあるでよ~。館内の音響施設等もきっと素晴らしい。でも、4500円です。知らないで行ってしまったので、車イスの上で腰抜けてしまいましたよ。でもさぁ、あそこまで行ったら、観ちゃったわけです。辛かったなぁ。109シネマズプレミアム新宿、どうぞお気をつけてお出かけください)
『ブルーボーイ事件』(1965/昭和40年の日本/東京 実際にあった性別適合手術の違法性を問う裁判を基にしたドラマ)

私が生まれたのは、2021年コロナ禍東京オリンピックの前、1964年の東京オリンピック開催の年です。誕生直後は東京都杉並区の南端に暮らしていたというのですから、甲州街道を突っ走ったアベベの応援に行ったのかも(そういう事実はなかったみたい)。
そんな時代の出来事にスポットライトを当てたこの映画、それほど期待せずに出かけた(他に目的の映画があって、そのついでに見たのです)のですけれど、秀作良作、拍手!、でした。
なによりも、憲法13条を再度強く意識する機会になったのが良かったなぁ。
日本国憲法第十三条:
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
幸福追求の権利、素敵じゃないですか。幸福って何?ってのはなかなか回答が簡単ではないのですけれど、でも、個々が自分の幸せを追い求める権利を持っているのだ!というこの第13条、素敵ですよ。近々表面化してきそうな新憲法でも、この表現が存在するのかどうか、しっかり見守らなくちゃねー!?
(映画編、続く、かも)

















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