海外暮らしが長かった私にとって、故郷東京に返ってくると楽しみなのが、映画鑑賞です。映画とは、知らない世界に旅して知らない世界を知ることができる、とても素敵なツールです。
けれども、映画を通して知らない世界を旅することは、往々にして世界の悲劇や惨事を追っかけるようなところがあります。各地の紛争や戦争、事件、理不尽な現実、差別され虐げられる人たち、そんな出来事を作り事(フィクション)であってもドキュメンタリー/ノンフィクションであっても、追体験し、目撃者となる。それは、楽しいのか? 楽しいわけないですよ。
ときどき、何を好んでしんどい映画を追っかけて観るのか、と自分でも思う。でも、東京の映画館で、長くたって3時間前後で終わる、そのつらさってなによ? 現実にそのことに直面している人たちが存在している/していたから、その映画がある。その映画でほんの断面が描かれているだけのそんな実在の人たちと比べれば、俺が忌避したいしんどさの底の浅さよ。
そんなふうにも思うのです。
今回の東京滞在中、観たいなと思って叶わなかった映画は何本もあります。ウガンダの元少年兵、香港の聾啞者たち、プラハの春でのラジオ放送局の勇気ある人たち、スコットランドの物流センターで働くポルトガルからの難民女性、タリバン政権下のアフガニスタンの女性たち……。きっとそのうちどこかで会えるだろうと思っている、多くのまだ知らない世界の知らない人たち。きっと会いましょうね。
そして今回出会えた、知っているようで知らなかった世界、人たち……、お会いできてよかったです。今回紹介する3本の映画の共通点は「私たち、何を悪いことしたというの?」、なんだよね。
『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー I was a stranger』(2014年のシリア→トルコ→ギリシャ @日比谷TOHOシャンティ)

登場するすべての人たちが、時代に翻弄され、懸命に生きようとし、自分の子どもたちを守ろうとし、迷い、傷つき、失い、消耗していく。もちろん、どんな場所であろうと、生きていればいろいろしんどいこと、つらいことはある。でも紛争/戦闘地と、そこに近接する場所では、しんどさは常に「死」と隣り合っているわけで。「殺し」「殺される」行為とすれ違ってしまうわけで。
2010年に始まったシリア内戦の激戦地となったトルコ国境に近いシリア第2の都市、アレッポ。戦闘が続く2014年、そこで敵も味方も関係なく治療を続ける有能な医師から始まる物語は、→アレッポで反政府派を処刑する側の政府軍兵士、→トルコ難民キャンプの避難民相手に密航業であくどく稼ぐアフリカ難民の男、→ギリシャに密航を企てるアレッポから逃げてきた詩人とその家族、→ギリシャ沿岸警備隊で難民救助船を指揮し難民を救う立場にある船長、とバトンが渡っていきます。
懸命さは、希望?
誠実さは、希望?
お金は、希望?
誇りは、希望?
愛する子どもの存在は、希望?
越境/逃亡は、希望?
では、懸命さがなければ?
誠実さを失えば?
貧しかったら?
誇りを汚されれば?
愛する子どもが死ねば?
越境できなかったら?
助かるためには、逃げる?
敵だとボスが指させば、誰でも殺す?
逃げるためには、騙してでも稼ぐ?
微かな期待にすがる賭け、あなたなら乗る?
悪夢が続く夜、どうやって自分を保つ?
「最近はもう楽しい映画が良いなぁ、複雑なのは面倒臭くって」と語る80代後半の母にはこの映画は薦めません。あなたがもし若い世代なら、あなたがもし知らない世界を知りたいなら、殺し殺される不安のない夜を頭を抱えて過ごす覚悟がもしもあるなら、ぜひ観たらいいと薦めます。よくできた映画です。
映画の冒頭と、最後の場面、どちらも米国シカゴの現代的な病院の今日なのですけれど、その繋がりを映画を観終わった後に噛みしめると……、味が出るのです。そうなのか、でも、彼女は何を生きるよりどころにしているのだろう……。でも、あれが彼女のまだ消え残る誇りなのだと、噛みしめる。越境者って大変なんだなって、なんどもなんども噛みしめる。
「越境者って大変なんだな」って、なんちゅー軽い言葉よのぉ。自らの言葉の軽さに慄く。
『済州島四・三事件 ハラン』(1948年韓国済州島 @ポレポレ東中野)

1948/昭和23年、韓国済州島で起きた一説には全島民の5人にひとりが殺されたという大虐殺事件。朝鮮戦争前夜の、韓国現代史でも長らく触れてはいけないタブーと化していた事件なのだ、このとき済州島を逃れて日本列島に密航した人たちも多数いる、そんなことは知っていました。でもまぁ、それ以上は、よく知らない。
この映画を観て、でも新たに知ったことはそれほどはなかったかもしれない。それでも、とにかく、あのとき、ここ(済州島)でも、悲惨な虐殺があったことは、映画を観る前よりもより鮮明に頭に焼き付く。銃も持たずただ佇んでいるだけの、老人や子どもを銃殺した人たちがいたことを確認する。それは今日も世界のどこかで起こっていること。
それに、この四・三事件ってさ、要は「私たち朝鮮の民はひとつの国家として独立すべきでしょ」、と考える人たちが、米ソの冷戦時代突入の現代史の中の韓国では、反共という名目で排除されていった、ということ。となれば、当然、それは大日本帝国下での植民地だったということが背景にはあるわけで、間接的には日本“人”にも関係があるわけで。日本の人たちなら、知らないより、知っていてもいいことなわけで。
知らなかったこと、まだまだあるはず。勉強は続くよ。
『大統領のケーキ』(1990年代のイラク @日比谷TOHOシャンティ)

知っている人は誰でも知っている辺境ルポライター高野秀行さんは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」を矜持としています。その高野さんが書いた『イラク水滸伝』という本があります。チグリスユーフラティス川の下流域に広がるアフワールと呼ばれるイラク南東部に広がる巨大湿地帯での彼のいつもの(?)どたばた探検記。面白いのよ。そして、それを思い出させるようなこの映画冒頭の湿地帯の様子に、私はまず心躍ったのでした。
フセイン大統領の誕生日を国中で祝うというのが当時(1990年代)のイラク社会の恒例行事だったそうで。「大統領はいいなぁ、ケーキをたくさん食べられて」と羨ましく思う、そんな9歳という時間/時代が舞台です。訳はわかりませんけれど、女の子は年老いた祖母とふたりで浮草の家で暮らしている。両親や兄弟姉妹は、さてどうしたのか? 映画で語られることは、ない。そんな彼女にとって大好きな雄鶏ヒンディは、彼女の大切な友人です。
そんな彼女と、幼馴染の少年との、ある1日を中心に、いろんなことが起きるわけです。そこでのキーワードが、フセイン大統領の誕生日を祝うケーキや果物や。
子どもを中心にすえた映画(やドラマの)名作って少なくないですよね。前回のこのブログでご紹介した『ロストランド』も、幼い姉弟が主人公の名作でした。あるいは、あくまで脇役ですけれど、上記の『サラン』に出演していた幼い女の子も、そう。『アイ・ワズ・ア・ストレンジャー』でも、辛い役を演じる若い演者が数人出演しています。
ちょっと心配になるのは、そんな映画の物語の中で演じる幼い演者たちは、映画の中での体験をどれぐらい客体化できるのだろうか、ってこと。もしかして、映画で演じたことが彼女/彼の実際の人生の中で、トラウマみたいな形で残ったりはしないのだろうか? おそらく、最近の映画では、そのあたりの心理的な面もあれこれ考慮しケアされているのだろうとは想像するのだけれど。
この映画も、主人公の少女にとって、もしそれが本当に彼女の人生の中で起きたことなら一生忘れられないだろう出来事がいくつか起こっているのです。
それは死だったり、ちょっとした盗みだったり、切ない逃亡だったり、もしかすれば絶望であったり、深い喪失・孤独感であったり。それがまだ幼い演者たちの心に変な影を残さないように、ケアがしっかりなされていると良いなぁと、ついつい心配になったりする。
そして、この映画の中で何回か繰り返されるのが、少女と少年が眼を大きく見開いて見つめ合う「瞬きしたら負ーけよ」という遊び。貧しさや、幼さの前に立ちはだかる様々な現実(それは大人の世界のできごとなのに、子どもたちを弄ぶ)を、彼女らは目を瞑るのではなく、カッと目を大きく見開いて耐える。二人で向き合っている限り、世界は二人だけのものになるから、とでも訴えるかのように。なにが起こっても、瞬きしたら負け。 そんな二人がとても悲しく辛く美しいのは、大人の感傷。
あとね、この映画、細かいところで「男が女性を性的対象として喰い荒らす」ことを暗示しています、つまり告発している。もちろん、それは子どもには関係ない大人の世界のこと。そして、特に9歳の女の子にとって、男の身勝手な欲望はいつでも牙を剥く危険性があることを映画は観る者に伝える。おそらくこの映画の製作者たちは、買春する兵士をわざわざ背景に写し込む、あるいは性的虐待者をシナリオの中に取り入れることで、性的搾取の不条理を訴えようとしているのように感じたのです。
監督/脚本が女性なのかしら?と、ちょっと気になって調べてみましたけれど、そうではありませんでした。男性だったからがっかりしたということではもちろんありません。とにかく、この映画には、ジェンダー社会の中での大人の男性の歪んだ性的欲望を告発する一面がある。男性として、そこは真摯に受け止めたいと私は思っています。
80代後半の母は、私が観る前にすでに観たそうです。そして「期待してたほど、面白くなかったわね」と云っておりましたよ。つまりまぁ人それぞれ。私には、イラクの人々の湿地帯の生活ぶりを垣間見れたことを含めて、素敵な時間を過ごすことができた◎映画でしたよ。

















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