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3カ月弱の浅草滞在を終えて、6月末にカンボジアの首都プノンペンに戻っています。東京滞在の報告は今回で最終回といたします。
人と会うこと、顔を見ること、声を聞くこと
東京は私の生まれ育った町です。小学校、中学校、高校、さらに大学と、ずーっと東京で過ごしました(その後、逃げるように東京を避けていた30代以降のことは、また別の話なのだ)。
ですから、友人知人の多くが東京にいます。中学野球部の仲間(2名および監督先生だけと今でも交流があります)、高校野球部の仲間(こっちは同期をはじめ、先輩後輩、さらに顧問の先生ら数多くと交流があります)、高校野球部以外の級友たち(こちらもさまざまな交流ありです)、さらに大学研究室の仲間たち&恩師先生、加えて東京ではありませんでしたけれど大学院時代のお知り合い……、そんな人たちとの再会がひっきりなしなのです。
そうそう、今回は大学院修了以来30年ぶりに顔を合わせた級友がいて。彼女に会うために、私は名古屋まで日帰りしたのです(私は名古屋にある大学の大学院に通いました)。スコットランド出身の彼女が大学院後に歩んできた道もなかなかの波乱万丈であったようで。互いに話尽くすには足りない短い時間ではあったのです。でも、東京への帰路前に、彼女の仕事?の一端を垣間見る機会があって。そこは若者たちが集う場だった。そして彼女の若者たちへの声掛けの様子は……、あぁ30年前も彼女はこんな風であったなぁと感じる、懐かしいものでした。まだまだ人生は続くよ、ガンバレ―!と思ったりしつつ、名古屋駅を出た新幹線のぞみ号はたった1時間半で東京駅に着くのでした。
そして。海外で途上国の教育支援の関連で一緒に仕事をした人たちは、日本のあっちこっち、あるいは世界のあっちこっちに散らばっていますけれど、そんな彼らの多くが通過していくのも東京です。ですから、東京にいれば、そんな元同僚、元仲間ともちらりちらりと会うことができます。
またまた上記のどのカテゴリーにもはまらない友人知人もおられる。頻繁ではないにしろ、「じゃ、久しぶりにお会いしますか」なんてことがぷかぷかと浮上します。
ということで、東京に滞在していれば、どうしたってこれまでの人生ですれ違ってきた人たちと連絡を取って、再会を喜ぶ、楽しむ、互いの生存を直に確認する、なんてことが多くなるのでした。
母と妹たち
友人知人とはまた別のカテゴリーとして、家族があります。
数年前に父は亡くなりました。母は80代後半を迎え、元気で都内在住です。そして私には二人の妹がいる。二人ともパートナーと共に(そして下の妹は5人の子どもを育てています、そんな甥っ子姪っ子もちらちらと独立しつつあり……)都内に住んでいます。上京すれば、もちろん彼女たちとも顔を合わせます。
おそらくラッキーなことに、母、そして妹たちとは、特に大きな諍いもなく、親しい関係を保つことができています。今はそうですけれど、人生のある時期には、私はほとんど彼女たちと音信不通という季節もありました。その多くは私の不徳のいたすところであった。そのころの鬱憤がちらりと母の口から飛び出すこともありますけれど、それを聞き流せるぐらい私もま~るくなっているような気がします。「それは、いいことだろ~」と、かの井上陽水も歌っていますよね。
そして、浅草の隠れ家の留守番担当を2019年からつとめていた甥っ子が独立し、この4月から息子へとバトンタッチされました。北のほうの学び舎を出た彼は、東京に本部をもつ会社で働き始めたのです。彼の食生活を観察していると、いろいろと心配なことも多いのですけれど、とにかく元気に働き始めたのは、「それは、いいことだろ~」、ね。ぜひ食生活のマネージメントをしっかりやって、人生の充実期に向かっていってほしいと願っています。くれぐれも健闘を祈る。
はじめまして~
そして、今回の東京滞在中にも「初めまして」という出会いがありました。
初めましては、いまでも緊張いたしますよね。そして、今でもどこかワクワクでもあるわけです。それは知らない世界への誘いであるわけですから、まさに「越境、ひっきりなし」継続中ということなのです。そういう機会があり続けていることに、どーもありがとうー、って気分が私にはあります。
今回の「初めまして」は、都内某所のキリスト教会が待ち合わせ場所だったのです。待ち合わせ指定を受けた段階から、ドキドキ。車イス者としては、そのお初の場所へのアプローチ、移動時間、当日のお天気、等々事前に調べるのです。そして、できるだけ余裕を持って出かけます。人を待つのは苦になりませんが、待たせるのは苦手なのです。ふふふ、そういうところは割りと生真面目な私であります。
念のために明記しておきますけれど、臨機応変・柔軟対応ってのが、非障害者と比較すれば障害者は得意ではないことが多いのです。非障害者時代であれば、階段は2段飛ばしで上り下りして、閉まりかけの電車のドアの隙間に飛び入る!なんてことも可能(?)だった。けれども、車イス者にはそれは無理であります。駅を跨いだ乗り換えなんかがあれば、エレベーターを探すだけですぐに時間が経ってしまう。階段ならすぐ先の改札が、遠回りして10分20分かかるなんてこともあるのですから。臨機応変、無理。
さらにどんなに調べても、行ってみたら急坂があって、なんてこともあるわけで(都内でいえば、山手線内は特に危険です。けだし「江戸は坂の町であった」とは、まさにその通りです)。ですから初めての場所というのは、いつだって油断禁物であります。
今回も30分ほど余裕を持って待ち合わせ場所にたどり着いたつもりでありました。けれども、その施設の中には教会的な場所が二カ所あって。私がたどり着いたそこは、実は指定の場所とは違っていた、なんてこともあったのです。やれやれ焦るぜ、まったく。
でも、お会いしたその方、あるいはその周辺の方々は皆さんお優しく、普段とはまた違う雰囲気の中で印象深い会話があれこれ流れたのでした。ちょっと不思議な半日でありました。袖振り合うも他生の縁、と申します。私は前世とか後世とか魂とか全く信じていない不信心者なのですけれど、でも良い言葉振りだと思います、この「袖振り合うのも他生の縁」という響き。ご縁、いろいろと大切にしたいものであります(と書くわりには、大事な連絡先をどんどん紛失してしまう恩知らず者なのが申し訳なし、です)。
か細い絹の糸でもできている我が心……
プノンペンに戻って来て後のある日のこと。
カンボジアでの教育支援の猛者、Cさんがプノンペンに仕事に来ていました。彼とはODAプロジェクトで一緒に働いた仲です。彼のFacebookの投稿でただいまプノンペン滞在中ということを知り、私から「飯でもご一緒しませんか?」とお誘い申し上げたのです。
お会いするのは1年ぶりぐらいだったかしら。馴染みの食堂でお会いした彼は、再会を喜んでくれて以下のようなことをおっしゃったのです。
「たまに短期にプノンペンに来た際に、こちらから声をかけるのはむしろ申し訳ないみたいで躊躇われて。そっちから声かけてもらえると、すっごく嬉しい」
あぁ、わかるわぁ。同じようなことは、私も上京すれば思います。
例えば友人の多くが「ムラヤマが上京しているから……」という枕詞で集まってくれます。それはありがたいこと。でも、毎度毎度こちらの都合に合わせて集まってもらうのは、ちょっとどこか申し訳ない気がするのです。心苦しい、というか。
我が心、ナイロンザイルだけでできているに非ず、絹の糸もありってことで。その絹の糸が前面に出て、「あぁ、どうされているかなぁ」と思いつつ、ついつい連絡しそびれてしまっている方もおられます。あの方、この方と指おり数えれば、すぐに片手では足りなくなってしまう(あら、思えば皆さん女性だわ!)。
「ふん、私には声かからず仕舞いなのね」って思われていたらごめんなさい。ついつい気弱になってしまいまして。例えば、R子お姉さま、申し訳なし。その他、複数、ごめんなさい。電話かけようと思いつつ、結局電話しないままだった方々も、ごめんなさい。
もしも次、お、ムラヤマ上京中とか見つけてしまったら、一声かけていただけたら、私、狂喜乱舞なのであります。気弱な私の背中を押して下されば、本当にありがたい。もしよしければ、ぜひご一報を!どうぞよろしくお願いいたします。
あなたが元気でよかった
今回、お会いした方々。それぞれの日々に喜怒哀楽あったりするわけです。喜びも、悲しみも、そして時間でいえば多くを占める「平々凡々」「良くもなく悪くもなく」が積み重なっていく。ちらっと会って、そのわずかをお裾分けしてもらう。月並みですけれど、良いニュースはより一層嬉しく、悲しみは半分…は、無理でも、少しだけでも別けてもらえれば、本当に会ってよかった。そして何よりも、あなたが元気でよかった。
会えなかったあなたも、どうぞどうぞお元気で。
そうですそうです、みんなみんな、お元気で。
また会いましょう。それまで、どうぞ本当にお元気で、ね。また会いにまいります。
ではこれにて、東京滞在報告、千秋楽~~~。

















村山さんにはいつも智恵と元気をもらうばかりで恐縮です。
お互いに心身元気でいましょう。
元気であればなんとかなるような気がします。
この夏もありがとうございました。
膝の件はも少し膝を観察してから決めようと思います。
ではまたね。
教会の礼拝で皆さまにお目にかかれるというお誘いは誠に魅力的ではあったのですが、いかんせん、朝が早すぎた(わたしにとっては)!
次の機会にはどこかで会いましょう! それまで元気にしておきます。村山さんもね。
れい子姉さんより