以下、死んだほうがマシについて、考える その1 その2です。で、今回はその3。
2016年 相模原事件
最近、相模原事件のことを書いた本を続けざまに数冊読んだ。すでに一審が終わり死刑判決が出て、加害者が控訴をしなかったため、判決が確定している。加害者の事件当時26歳男性は、事件を起こした福祉施設での勤務経験があり、重複障害者を生きる価値のない存在とみなしていたと報道された。
事件が起こった2016年7月下旬、ぼくはルワンダにいた。2014年8月にルワンダで交通事故に遭って搬送されて以来、2年ぶりの再訪中だった。職場の同僚らと再会したり、上司に挨拶したり、ODA事務所の人たちにお礼を伝えたり、そんな中にインターネットを通して事故のニュースは知った。けれども、事故後初の車イスでの海外渡航の毎日に、ぼくは相模原事件の凄まじさを実感できないままだった。
10日ほどのルワンダ滞在を終えて、日本に帰ってみると、まだ相模原事件の余韻は強く社会に残っていた。そこでは〝生きる価値〟が議論されていた。「役に立たない人が生きているのは無駄だ」という犯人のメッセージに同調するような意見が、インターネットという情報革命のツールを通して拡散していた。
今回、加害者と面会を繰り返し話し合ったジャーナリストの記録や、裁判傍聴記、加害者の主張等を読んでみると、ぼくには、加害者が働いていた(そして事件を起こした)障害者施設の環境が気になった。ここから先は、ぼくの想像だけれど、その障害者施設の環境の中に、加害者の「障害者は生きていても無駄だ、彼らに税金を使うのは無駄だ」という価値観を醸造する“隙間”があったのではないだろうか。もちろん、その職場で働いていれば加害者のような行為に及ぶようになるという意味ではない。事件の詳細を知れば、身体を張って障害者を救おうとした職員はひとりではなかった。
だけれども、日々、なにか“隙間”はあったのではないだろうか。
さらには、もちろん、社会にも“隙間”はあった。2012(平成24)年から2020(令和2)年まで続いたA長期政権は、個々の自己責任(つまり公的支援の縮小)を醸し出す政権だったし、つまり弱者に優しいことが社会的価値感として評価されにくい雰囲気を作り出していて、それが加害者の思想のアクセルを踏んだのは間違いない(実際、加害者は当時のA総理に事件予告の手紙を書いている、実際は衆議院議長に差し出すことにはなったけれど)。
ほとんどの人は、加害者のようには暴走しない。加害者の暴走には、加害者個人のかかえる問題があったことは間違いない。それでも、加害者の障害者への価値観に少なからずシンクロする思いを持っている人が少なくないことが、この事件で社会の表面にあぶり出された。
新米の中途障害者として読んだ障害者自身による多くの著作に触れて、「生きていても仕方がない」という思いに、自分ならどう対応するか?どんな風に、それに対して語るのか。そんなことを考えていたときだったから、相模原事件はさらなる思考をぼくに促すことになった。
『超えてみようよ!境界線』で書いたこと
先月、ぼくは1冊の本、『超えてみようよ!境界線』(かもがわ出版)を上梓した。そのなかで、この「生きていても仕方がない」(それは、「生かしていても仕方がない」にもちろん直行する)についても書いた。
以下は、その本の中に書いた最も言いたい部分だ。
この文章に至る過程もぼくには大事で、そのことも本のなかには書いているから、もしご縁があったら、ぜひ『超えてみようよ!境界線』を手にとってもらえたらとても嬉しい。
ということで、以下、本からの抜粋です。強調文字などのアレンジは、このブログでのもので、実際の本にはありません。
「生きていても仕方がない」については、まだ書き足りないことがある気がしているので、このブログ『越境、ひっきりなし』で、また書くつもりです。
「役に立つ」ことは社会の中で確かに善とされる。けれど、〝何かの役に立つ〟ことがあれば、当然〝何の役にも立たない〟無駄なものも存在する。価値の存在を前提にした考え方の限界だ。つまり価値の呪縛に捕らわれている限りは、無価値からも逃れられない。つまり自分や他者の人生に対する「生きる価値はあるでしょうか?」という問いそのものが、「生きていても仕方がない」、つまり〝無価値〟という答えを引き出す装置となっているんだ。
そんなわけで、障害者の生を無価値と否定する価値観は社会にはびこり続けている。その証拠に、多くの障害を持った人自身もが障害を持つ前と比べて〝価値が減った〟自分を「死んだほうがましだ」と思う。
でも、生産性の有無で人の生の価値を決めることはどう考えても危険極まりない。それはすぐに生産性の高い人が低い人より優れているという価値観に読み替えられる。そうなればすべての者が生産性の序列の中のどこかに組み込まれる。そしてある状況下でその序列は恥じらいもなく表面化し、生産性の低い順に、その〝生〟が簡単に否定されていくことになるだろう。社会を営む上ではそれも仕方ないことだと断言できる人は、自らの愛する人や子どもたちがその生産性が劣ることによって排除されるのをその眼で見ること、あるいはその手で排除を執行することへの想像力が足りないのだと思う。
「生産性の低い、あるいはない障害者が生きる価値はあるでしょうか?」という問いには、「価値はどうでもよくて、生きていていいんじゃないかな」と真剣に答えることしか対抗できないと思う。
それでも人が活動するには資源が必要で「限られた資源をどう分配するか」という議論は避けようがなく、そうなれば価値ある人、役に立つ人にまず優先権がある、という考え方が有効になるという人は必ずいる。人が有限なエネルギーを消費して生きる存在である以上、この理屈を否定するのは無理なように思える。
しかし「限られた資源をどう分配するか」という問いは、あまりに〝緊急事態〟的な考え方じゃないだろうか。「もはや十分に分配するだけの資源はない」という非常事態が起こっているのかどうかの検証がないままに、仮定の話で世界が限界に瀕しているかのような話をされているのだとしたら、それは議論のための議論でぼくには乗れない。だいたい「限られた資源をどう分配するか」という問いは、とてもあからさまな誘導の匂いがするじゃないか。
障害者自身も生産性の呪縛から自由になれないのが、ぼくは悲しい。障害を持ったとき「社会や家族に迷惑をかけてしまう」と思う人は多い。これだって、生産性の呪縛だろう。何もできない自分の存在が、家族の生産性の妨げになることが問題になる。「人に迷惑をかけるな」ってぼくたちは教育されて育つのだから、それも仕方ないのだろうか。実は、教育のほうが間違っているんじゃないかな。
1970年代、もう半世紀も前に脳性麻痺児の介護に疲れた母親が、自らその子を殺した。世間は母親に同情して、減刑をうったえる嘆願書が裁判所には多く寄せられた。そのときに脳性麻痺者の集まり「青い芝の会」のメンバーは「脳性麻痺者は殺されても仕方がない存在なのか」と減刑に強く反対する声明を出した(『母よ!殺すな』横塚晃一著 生活書院2007、38ページからに経緯が書かれている)。脳性麻痺者からあがった反論に、善意や同情から母親の減刑を求めた声はおそらく足元をすくわれたはずだ。彼らには殺された側が意識せざるを得ない健常者と障害者との間に横たわる境界が見えていなかった。
でも、それから半世紀がたっても虐殺は止まらない。日本の学校教育はそのことをよく考えたほうがいい。
ヒトから生まれた存在は、その経緯がどうであろうと、障害があろうとなかろうと、ヒトとして同じ仲間でいいじゃないかと、ぼくは思う。
(『超えてみようよ!境界線』111~113ページ)

















私は特別支援教育を大学生等へ教えるとき、生物学的な観点から、障害のある人へのケアを伝えます。
「障害のある人は必ずある割合で生まれてくる。となると、社会は障害のある人とともに生きなければならないし、けあしなければならない」と言います。そして、ナチスドイツが最初に虐殺したのは障害者だった事実を話し、「でも、第2次世界大戦後にドイツで障害のある人が生まれなくなったのは聞いたことがない」とつなげます。
間々田和彦様
コメント、いつもありがとうございます。
思考実験としてですね、「現在の障害者が子どもを作らなければ、次の障害者は減る」となれば、断種や、ドイツでの虐殺は、多少は仕方がないということが可能になるのか?
実際には、心身障害で遺伝の問題もあります。
それでも、障害のケアを肯定できるか?
そんなことを考えます。
村山哲也
非常に難しい話です。
私の教え子の中には網膜芽細胞腫や網膜色素変性症の人がいます。彼らが子どもを持つと、子どもたちはかなりの確率で同様の障害を持ちます。そのため、結婚しても子どもを持たない選択をする人もいれば、そうでない人もいます。また、発達障害は先天性の脳機能障害ですので、遺伝するケースが多く同様に考えられます。
可能性として障害のある子どもたちが生まれるのを承知の上で、それもで子どもを持つという選択をした彼らに伝える言葉はなかなか見つかりません。