事故等で脊髄を損傷する人は、日本では年間5千人程度と聞いたことがあります。けして少ない数ではありません。そんな脊損者たちへの情報提供、福利厚生向上、バリアフリー推進、各省庁交渉及び民間企業等への要請活動などを行う組織に、全国脊髄損傷者連合会(公益社団法人)があります。
(公社)全国脊髄損傷者連合会のホームページへようこそ! (zensekiren.jp)
ご縁があって、私はこの全脊連の埼玉県支部の会員です。そして、2021年3月からこの全脊連が毎月発行している【脊損ニュース】という会報誌に『世界は開いているから仕方がない』というタイトルで連載を書いています。今月で連載開始からちょうど2年(全24回)が経ちました。備忘録として、当ブログにその連載記事を順次掲載いたします(全脊連からは、快く了解をいただきました)。今回で2年分の連載の転載も最終回です。では、第22回から第24回まで、どうぞ。
連載第22回 (2023年1月号)
連載タイトルに込めたのは(1) 「もう歩けません」、ふーんそうなんだぁ
あけましておめでとうございます。読者の皆さまひとりひとりにとって、2023年が良い年になりますようにお祈り申し上げます。ぼちぼちと、ね。
さて、この連載も22回目となりました。22か月ですから、もうすぐ2年になります。これまで『世界は開いているから仕方がない』というタイトルについて、一度も触れてきませんでした。今回は、このタイトルについて書くことにしました。
私は2014(平成26) 年にアフリカ中央部の小国ルワンダで交通事故に遭って脊椎損傷(胸椎6番)を負い、下半身完全麻痺という障害を得ました。50歳のときでした。
20代後半からずっと途上国での教育開発支援の仕事をしてきました。ルワンダでも、現職教員研修の応援をしていたのです。
どうして海外で仕事をするのか。説明すればいろいろと語れますけれど、ようするに性に合っていたのだと思います。
阪神淡路の震災(1995/平成7年)、さらには東日本大震災(2011/平成23年)では、日本でもボランティア活動が注目されました。日本のODA(政府間援助)実施機関である国際協力が管轄する事業のひとつに青年海外協力隊があります。それぞれの震災直後には、この協力隊への応募者がかなり減少しました。日本国内に災害にあって困っている人がたくさんいるのに、なぜわざわざ海外支援のボランティアに参加するのか? という雰囲気が日本社会に生まれたのも一因だったようです。
国内と国外と、支援が必要だとしてどちらに優先順位があるのでしょうか? たとえば自分の家族が困っているのに、家族よりも他者を優先するのはよろしくないだろうか? 実はそうそう簡単には答えが出ることではないだろうと私は思っています。家族の範囲は? 家族といったって、いろいろです。血縁関係がもっとも大切にしなければいけないものだとも思わない。それぞれの人に、それぞれの出会いがあり、価値観も違う。そう考えれば、国外は後回しで、常に国内が大事ということでもないだろうと私は思っているのです。
私は、たまたま、海外の支援に出会ってしまった。そしてその仕事が好きでした。「なぜ海外で働くのか?」と問われれば、「世界は開いているから」としか答えようがないのです。開いたドアを閉めることはできない。
他者との関係性は、自分でコントロールしきれるものではありません。たまたま縁あって、ある時代のある社会の母父のもとに生まれる。その後、学校や社会で出会う友人、同級生、同僚や先生、上司、それだって自分で選べるわけではありません。たまたま出会ってしまう。
そんなことの延長として、私はたまたま縁のあった場所(それがたまたま海外)へ出向き、そこで出会った人たちの話を聞き、教育の質向上を共に目指す。そして一定の時間が過ぎれば、余所者である私はその地を離れ、また他の場所に向かう。
ルワンダでの事故直後、医師から「もう歩くのは無理でしょう」と告げられたときに「困ったなぁ、でも仕方ないわね」と素直に受け取れたのは、“世界は開いているから仕方がない”と日ごろから考えていたからだろうと、今振り返って思います。
身動きができないベッドの上で、もちろん困惑99%でしたけれど、でも気持ちの1%だけは「歩けない」未来になにか新しい世界が待っている気がして、「面白いことになったぞ」と確かに思ったのです。(続く)

私はヨルダンの首都アンマンで、仕事を一緒にしたパレスチナ難民である先生のご家庭でご馳走になりました。そのときの一枚。男の子は客人の席に顔を出すことができますけれど、女の子はできません。料理をするのは女性たちですけれど、このお皿を部屋に運んでくるのは男性でした。普段であれば、料理の場に足を運んで作っているところを見させてもらうところですけれど、イスラム社会ではそれもままなりません。
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連載第23回 (2023年2月号)
連載タイトルに込めたのは(2)国境だけではない、どこにでもある、それが境界
国内と国外と、という発想そのものがもしかしたらヘンテコなのかもしれない。そんな風に思うのです。
たとえば男と女という性別による境界。この境界はとても絶対的なもので、男尊女卑的な価値観もあってかなりやっかいな存在でした。でも、この境界に異議を唱える声が(多くは女性たちから)上がり始めています。さらには素敵なことに、近年はこの性別ボーダそのものに立ち向かう人たちも出てきた。
あるいは小学生のころ、3年1組と2組の間には確かに境界がありました。クラス対抗となれば、それこそムキになったものです。ところが、他校との競争になったとたん、1組と2組の境界はあやふやになりました。昨日の敵が、今日の味方。世の中、そういうことは山ほどありそうです。
関東と関西とのあいだにも、味やらイントネーションやら歴史やら、いろいろと境界はありそうです。贔屓のスポーツチームが違えば、そこにも境界が発生します。私は、元高校球児の野球愛好家で、プロ野球ではカープのファンです。「私もカープのファンです」となれば、一気に仲間意識が生まれますし、ジャイアンツやタイガースのファンと言われると少々気持ちが引いたりする。
あるいは、家族の間にだって、世代や、価値観や、立場や、実際の部屋の仕切りも含めて、境界はある。
ね? 境界いたるところにあり、でしょう? そんな境界ひっきりなしの世界で、なぜ国境だけが特別な意味を持つのか? むしろ、国境も様々な境界の一形態に過ぎないと考えた方が気楽じゃないのか?
となれば、国外とか国内とか、それほど意味はないのです。たとえば九州福岡にいれば、首都東京よりも韓国の釜山のほうが地理的にはずっとなじみがあっても何の不思議もないわけで。
一方で。「境界」はけして取り払うべきものでもないでしょう。
2021年1月に出版した『超えてみようよ、境界線』というタイトルの本で、私は以下のように書きました。
『どの境界も、存在理由はそれぞれだ。人は、そのときそのときで、自分の都合に合わせてその境界を使い分けているに過ぎない。ひとつひとつの境界の強弱濃淡を決めているのは、その境界を必要とする人たちの価値観や利便性だ。そしてその価値観や利便性によって、境界は都合よく現れたり消えたりしている。それはけして不道徳でも、責められることでもない。境界はあくまで生き易く使えばいいのだとぼくは思うようになった。もちろん、その境界が他者に対しての侮蔑や否定や、特権の維持のためでない限り。そして、国境も多くの揺れ動く境界のなかのひとつに過ぎないと考えるようになった。』
自分を守るために、生きやすいように、境界は使いこなせばいい。
「自分のいいように使えばいい」と書きましたけれど、でもひとつ、それでは済まない点があります。こちらの意図にかかわらず、この境界はどうしたってノックされてしまうのです。こちらが超えたくなくても、外から誰かが越境してくることは避けられない。だって、世の中ひとりで生きているわけじゃないですから。 だから『世界は開いているから仕方がない』、なのです。こちらの意図にかかわらず、あちらから越境してくる人たちがいる。それも認めてこその越境肯定でなくちゃいけない。
(ちょい自己宣伝を。自著『超えてみようよ、境界線』かもがわ出版、わりと多くの公共図書館にあるようです。縁があったら手に取っていただけたらとっても嬉しいです。)

連載第24回 (2023年3月号)
連載タイトルに込めたのは(3) 皆様からのコメント募集します!!
先日、世界の人口は80億を超えたと報道されました。 80億って、8000000000(8×109)です! なかなか実感がわきません。80億を秒だとして考えて……、計算してみると、250年ちょいですね。あらま、そりゃすごいわ。
さて、80億人の中に、脊損の人はどれぐらいおられるでしょうか? 車イス者は、どれぐらいだろう? 身体障害者は、何人ぐらい?
厚生省の資料によれば、日本ではなんらかの障害がある人は全人口の7%強おられるそうです。
80億だと、1%でも8千万人です。これだけでも、4万人収容の甲子園球場の2千個分?? 日本のデータをそのまま使って7%とすると、世界の障害者は5.6億人。日本の全人口の5倍を前後する数の障害者が、この世界には存在しているのですね。
そう考えると、障害の世界というのは、かなり広大なのだと気がつきます。そして、高齢による不自由を加え、さらには赤ちゃん・幼児も加えると、つまり直接的な「他者の介助」が必要な人たちって、きっと20億?30億?という規模で、今日この日に存在しているのです。
健常者なんて、結局、実はそれほど「普通」のことでもないのだよねぇ。 そして、障害というのは、実はそれほど特異なことでもないのかもしれません (もちろん、個々の障害はすべてが特異で、なかなか他者には解ってもらえないものなんですけれど、ね)。
50歳で脊髄損傷となり、下半身完全麻痺で車イス者になったことは、私には新しい世界との出会いでした。自分の生きてきた世界は、常に他の世界ともつながっていて、こちらの意図にかかわらずにそれぞれの世界はつながってしまうのです。 だから、「世界は開いているから仕方がない」。 自分の世界に閉じこもろうとしても、それでもドアはノックされ、開いてしまう。 そういうことなんだろうなぁ、と私はいつも感じているのです。
2021年4月にこの連載が始まったのは、ちょうど新型コロナ禍で日本社会も、そして世界中も、あちこちで境界が強制的に閉じられたときでした。 連載では、そういった社会的な日々の展開とは直接は関係なく書いてきました。さて、どうだったでしょうか? 少しは皆様の思いに寄り添えたものだったでしょうか?
そして、この連載は、来月からも“続く”ことになりました。ということで、またどうぞよろしくお願いします。
でね、2年経ちましたこの機会にと思いまして、この連載への皆さまからのコメント・感想等を募集します。 お葉書、お便り、インターネットのメール、方法はなんでもけっこうです。 ぜひぜひ、皆様の声をお聞かせくださいませ。一言でもうれしいです。けっこう真剣に待っています!! どうぞよろしく!
郵便物の場合は以下にどうぞ。
152-0034 目黒区緑が丘2-15-14-102 全国脊髄損傷者連合会 「世界は開いているから仕方がない」の係
インターネットのメールの場合は以下にどうぞ。
あとね、先月にも書きましたけれど、再度宣伝、『超えてみようよ!境界線』 (かもがわ出版)という本を2年前に出しました。 もし図書館で見つけたら、手に取ってみて下さいませ。
さらに『越境、ひっきりなし』というブログも書いています。タイトルで検索していただければ、見つかるはず。どうぞそちらも遊びに来てください。じゃ、また来月号で。

彼らは地球科学の支援をやっていたころの仲間たちです。当時、仲間の一人が急逝して。その命日のころに声をかけて集まるのです。今年(2023年)は、3月末の明日に集まるのでした。
ブログでの追記:脊損ニュースでの連載は、2023年4月号からタイトルを『続・世界は開いているから仕方がない』として継続しています。また機会を作って当ブログでも転載しますね。
ということで、ではでは、また。

















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