障害者となって12年回目の記念日となりました。——— もしあなた(あるいは身近な方)が急に障害を得てしまったとして、治療・リハビリ、ベストな方法を選べているかどうかは再検討が常に必要だと思います、という話。

12回目の、障害記念日。8月末、プノンペンにて。昨年と比較すると、2名ほど同居人が増えました。
ルワンダ→日本(羽田→金沢→東京)→カンボジア と旅してきたルワンダの友人からの贈り物です。私が事故にあう数週間前に彼女の結婚式に参列したのでした。彼女は今は3人の娘さんたちのお母さんです。イマキュレイト、すてきな写真ボードをありがとう。
脊椎の胸椎6番で脱臼し折れた私の背骨。事故直後のCT画像写真より。
2014年10月ごろか?急性期の治療病院から北綾瀬駅近くのリハビリテーション専門病院に移った後。事故後、初めて自分で車イスをこぐことを始めて許された日の写真です。このあと2015年1月に所沢の国立リハビリテーション病院に移りました。リハビリの内容はずいぶんと変わりました。社会復帰には後者でのリハビリが圧倒的に効果的でした。「専門性」の重要さを痛感します。
上の写真と同じ病院での、歩行訓練。今この写真を見直すと、下半身と頭部の間にある上半身がわずかですけれどS字に歪んでいるのがわかります。おそらく今でも歪んだままなのでしょう。このとき足に装着している補足装具は、病院にすすめられて作ったオーダーメイド。高価でした。でもこの病院で2カ月ほど使って、以降は一度も使っていない。現在は素敵な飾り物となって浅草の隠れ家で介護ベッドの奥で置物化しています。
2015年4月ごろ。週末に所沢の病院を外出し、近くの中華料理屋で事故後はじめてのビールを飲んだときの写真です。本当に美味しかったなぁ。このときはまだ膀胱に管を設置したまま、尿袋を持って移動していました。この後、自分で管を膀胱に差し入れて尿をする方法(自己導尿)を学びました。

 

2件のコメント

冷静に書いておられますが・・・超大変なことでしたね。私にはこれ以上言葉もありません。12年間よく頑張りました。乱暴に接しられようが、費用が掛かろうが主体の村山さんの心の持ちようが最も重いことです。こんな言い方は村山さんにはすごく心外でしょう、それでも私は書きます。12年間のご努力と笑顔は本当に尊いことです。この先こそ豊かに頑張って下さい。

12歳、おめでとう! 国リハで数十年ぶりに会えたときのこと、よく覚えています。高校のころより今のほうが仲良しになったね。妙な縁ですが、ありがたいことです。

今度また東京に数か月滞在する機会があったら、経肛門的洗腸療法の導入も検討してみていいと思います。日本での保険適用に向けて尽力されたコロプラストの方、いつでも紹介できます。導入施設の紹介などもしてもらえると思います。ランニングコストは多少上がるし、消耗品を海外に持ち出すのはどうするのかという問題もあるけど、いろいろメリットは多いので、現場での運用をよく知っている人に尋ねてみる価値はあると思います。このサイトがわかりやすいかもです→ https://www.sukkirihaiben.jp/

byれーこ姉さん

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