2014年8月末にルワンダで交通事故に遭い背骨を折った日から、ちょうど12年目の記念日を迎えました。干支でいえば、ぐるっとひとまわり。ずいぶんと長い時間がたったようにも思えます。

私の正式な誕生月は4月です。けれども、最近はこの8月末の事故発生の日を「障害獲得記念日」としてお祝いするのが恒例となっています(ケーキは、プノンペン市内のレストラン「Le Pont ルポアン」で作ってもらってます。今年は素敵なマンゴーケーキでありました)。その段でいえば、私は今年で障害者としては12歳となるわけです。小学校6年生相当です。生まれてから小6までと考えれば、やっぱりかなり時間が経ったんだなぁと感じます。62年間の人生全体でも、5分の1近く、つまり20%近くを障害者として過ごしていることになります。歩行できなくなり細くなったひざ下……。はい、これはもう、仕方なしです。

先日、サンワーが12年前、まだ初期のリハビリテーション中の私の写真を見つけ出してくれました。以下の2枚がそれです。写真を見ると、いろいろと思い出すことも多くある。
ルワンダで事故に遭った私は、事故から数日後にケニアの首都ナイロビに救急飛行機で転送され、そこで背骨の整形手術を受けました。その2週間後に今度は普通旅客機で日本まで転送されます。ナイロビから、まず中東のカタールへ。この飛行機はビジネスクラスでも座席がフラットになるタイプではなかったため、4~5時間継続して座位を取らねばならず、かなり辛かった。カタールから東京・羽田空港へのフライトでは、完全にフラットになる座席で帰ることができたので助かりました。機中、寝たままの姿勢で、ゴジラの映画を観た記憶があります。タイトルは覚えていませんけど。このナイロビからの東京までの道のりでは、所属先だった神戸の会社が派遣してくれた医師と看護師2名が付き添ってくれるという豪華版でした(この医師看護師派遣は保険が効かなかったので、所属先は借金して大変だったそうです…、いやはやなんともありがたいことでございます)。
日本では、羽田空港からまず東京東部の急性期病院に運ばれました。その病院に脊椎治療専門の先生がおられたという理由で、所属先の会社がアレンジしてくれたのでした。それが9月中旬。でも、私はすでにナイロビで手術済み。急性期病院ではそれほどすることもなく。結局、1ヵ月の入院中、化膿してしまった背中の傷の一部を一度開いて洗って、再度縫うというだけぐらいの治療をしてもらっただけでした。
1ヵ月して、その病院系列のリハビリテーション専門病院に転院しました。その病院の理学療法士の方々は若く、熱意を持って対処してくれました。けれども、彼らには脊髄損傷の患者の社会復帰のプロセスに関しての経験はあまりなかった。あっても、高齢者が転んで背骨を折って、その社会復帰のお手伝いというもので、どこか「現状維持」を目的としたようなリハビリテーションの経験しかなかったのです。
それに対して、私は「自立し、自分で生活」できるリハビリテーションを求めていました。

例えば、その病院では「歩行訓練」を実施した。そのために高価な装具も作りました(下の写真)。2本の金属レールを両腕でつかみ、上半身を支えながら後ろから理学療法士が私を支え、私の両足を押して前に進んでいく、というリハビリを毎日繰り返したのです。
けれども、下半身完全麻痺の私が実際の社会生活で歩行する可能性はゼロでした。身体全体への刺激、バランス強化、という観点からは歩行訓練も無駄ではなかったでしょうけれど、社会復帰のためにはほとんど意味がないリハビリだったのです。

また車イスの選定では、そのときの私の身体の状況に合わせる機種が選ばれました。具体的には、車イスとベッドとの間での移乗に慣れていなかった私は、手すりを跳ね上げることができる車イスの方が楽チンでした。また上半身の体幹が効かず不安定だった私は、リクライニングという機能のある車イスが楽ちんに思えました。そして、その希望に沿った車イスを支給されたのです。
リハビリ専門の病院に転院して2カ月くらいたった2014年の12月、高校野球部の先輩が見舞いに来てくれた。医師である彼は、私のリハビリを見学した後に「村山くん、このままこの病院にいてはダメだよ。専門的なリハビリを受けられる病院に転院しなさい」と強く言ってくれたのです。
その先輩は転院先にも紹介状を書いてくれた。転院の希望を出したのは、埼玉県所沢市にある国立リハビリテーション病院でした。そして、年の明けた2015年1月に東京東部から介護タクシーで2時間かけて所沢まで移動しました(数年前に亡くなった父と、プノンペンの仕事を止めて東京に来てくれたサンワーが、手配し同行してくれたのでした)。
所沢に転院した途端に変化がどーんと起こりました。
まずそれまで装着していた紙オムツをやめて、普通の下着の使用を命じられました。「だって、ウンコが勝手に出てしまうんですよ」と躊躇う私に、看護師は「それをコントロールするために、リハビリテーションするのでしょう?」と冷たく私に告げたのです。さっそくアマゾンで花柄の可愛いボクサータイプのパンツをいくつか購入したのを覚えています(結局、現在は紙オムツを常用しています。通常は排便も自分でコントロールしていますけれど、ときどきアクシデントが起こるので……)。
また病院から新たに支給された車イスは、手すりが固定されて跳ね上がらないものでした。そのため、最初はベッドと車イスとの間の移乗がやりにくくなりました。でも「それができるようになるためのリハビリテーションでしょう?」。また、リクライニング機能? そんなの必要ありません、と一蹴されました。
この車イスの一件は、今思い返しても、その重要さを痛感します。医師や理学療法士らには、退院する際の私のイメージがあったのです。だからそのレベルにふさわしい車イスを提供された。その前の病院では、リハビリ途上の私の希望に合わせていただけでした。でも、それでは実際に退院して生活する際に最適な車イスにはならないわけです。
手すりが跳ね上がるタイプは、固定式と比較して耐久性はぐ~っと低くなる。固定式のほうが機種もサイズも豊富です。リクライニング機能つきの車イスは機種が限られるし、重量も重くなる。さらに高価なうえに耐久性に問題ありです。だから彼らは、手すりは固定式でリクライニング機能のないよりシンプルな車イスを私に強要したのです。こいつはどのレベルまで回復するかを見通していたわけです。こちらは最初は自信がない。手すりが跳ね上がった方が、移乗は圧倒的に楽なのです。でも、訓練を続けているうちに、手すり固定が苦でなくなっていった。
また毎日続けていた「歩行訓練」は、転院後一切やらなくなりました。歩行の可能性がまったくない私には必要ないという判断です。とにかく地道な筋トレや、段差乗り越えといった単純だけれど社会復帰への道のりには有効なリハビリが延々と続くようになりました。
あぁ、これが「専門性」ということなのだなぁと、リハビリを通じて痛感しました。先の病院では見えていなかった「出口像」「仕上がり像」を、国立リハビリテーション病院の医師や技師たちは見えていたのです。結局、所沢で半年過ごし、2015年7月に私は11カ月の入院を終えたのでした。

日本では年間で約5千名が背骨を折り、脊髄損傷を得るそうです。おそらく半数以上は高齢者が転倒して、そうなる。その場合は、悪化防止がまず優先され、治療後は「これ以上の機能低下を防ぐ」という方向性、つまり現状維持を目指すリハビリテーションが実施される傾向が強い。退院後も、あくまで介助を得ることが当然視されます。家庭で介助可能なケースでなければ、介助施設などでの生活が当然視されるような「仕上がり像」になる。
たままた運び込まれた病院に十分な情報がなければ、そのまま系列、あるいは近所のリハビリテーション病院に送られ、現状維持的なリハビリが実施されるのです。でも、リハビリはとても専門性の高い分野です。あなたの状況に詳しい医師・技師ばかりではない。本当にそのリハビリで良いのか? 患者自身の(そして患者の身の回りの)知識・情報収集力が問われているのです。
一方、「ふたたび歩ける」というイメージを強調した高額リハビリ施設も存在します。もちろん、受傷前の非障害者時代の運動能力を再びという思いは理解できます。私の両親も「お金をかけて歩行できるようになるなら、そのための支援はする」というようなことを言ってくれました。けれども、そこは費用対効果の視点から冷徹な判断も必要になるだろうと感じます。無理なリハビリにエネルギーも時間も(そしてお金も)をつぎ込んで、結果はそれほどの改善は見られない。あるいは多少ゆっくり歩けるとしても、通常は車イスの方がよっぽど早く円滑に移動できる。そんな事例も少なくないだろうと感じるのです。一瞬でも自分で立てるというのは生活の質の面からとても有益です。でも数歩歩けるようになったからといって、果たしてどれだけ生活の質が上がるのかしら? それよりも腕の筋トレのほうが大事じゃないかなぁ? 数歩でも歩けるというのは、生活の質を上げるというよりは、心のほうのリハビリに関した事項じゃないかしら。もちろん、それ(心のリハビリ)は大事なことではあるのですよ。でも、ね。
リハビリテーションは心にも必要です。「障害と共に生きる」という覚悟も大事。どこまで元通りに復帰を求めて、どこで諦めるか・妥協するか。そのためにも、専門性の高い病院でのリハビリテーションを心からお奨めします。専門性の高い病院には、専門性の高い情報も集まります。たとえば国立リハビリテーション病院には週に一度、車イスの業者が集まる日があり、その場で多くの知識・情報を得ることが可能でした。自宅の改修なども専門業者のほうがあれこれ詳しい。特に地方自治体の支援の受け方などは、下手な障害経験者よりも数多い事例を扱っている業者のほうが詳しいだろうと想像します。
たしかに、業者任せにしてしまうことで、傍からみていると、業者さんが必要以上に支援をきちきちまで使い込んで、無駄に儲けているように思えたりすることがあるかもしれない。実際、福祉器具等はえ~って思うほど高価だったりします。でもさ、私は「どうぞしっかり儲けてください」みたいな気分だったなぁ。その代わり、私の質の高い生活のためにどうぞ汗かいてくださいませって思ってた。それはけして「焼け太り」だとは思わないなぁ。どうでしょう?
もちろん任せっぱなしはダメです。よく話し合う。こちらの希望はきちんと伝える。そのうえで、あちらの助言もしっかり聞く。納得いったら、はい契約。その後は、あんまりグダグダ言わない。任せるところは、任せる。そんな心持もきちんと伝える。任せられることで、業者さんが意気に感じて頑張ってくれるって、やっぱりあると思いますよ、人間だもの、ねぇ。
とにかく、もしあなたに(あるいはあなたの身近な方に)「やばちっ」ってな状況が発生しましたら、どうぞ気楽に連絡してくださいませな。ぜひ障害12歳の私にご一報くだされば、多少は情報提供できると思います。

















冷静に書いておられますが・・・超大変なことでしたね。私にはこれ以上言葉もありません。12年間よく頑張りました。乱暴に接しられようが、費用が掛かろうが主体の村山さんの心の持ちようが最も重いことです。こんな言い方は村山さんにはすごく心外でしょう、それでも私は書きます。12年間のご努力と笑顔は本当に尊いことです。この先こそ豊かに頑張って下さい。
12歳、おめでとう! 国リハで数十年ぶりに会えたときのこと、よく覚えています。高校のころより今のほうが仲良しになったね。妙な縁ですが、ありがたいことです。
今度また東京に数か月滞在する機会があったら、経肛門的洗腸療法の導入も検討してみていいと思います。日本での保険適用に向けて尽力されたコロプラストの方、いつでも紹介できます。導入施設の紹介などもしてもらえると思います。ランニングコストは多少上がるし、消耗品を海外に持ち出すのはどうするのかという問題もあるけど、いろいろメリットは多いので、現場での運用をよく知っている人に尋ねてみる価値はあると思います。このサイトがわかりやすいかもです→ https://www.sukkirihaiben.jp/
byれーこ姉さん