午前10時ごろ、噴火判明
11月11日土曜日午前10時ちょい前のこと、ベッドでまだ浅い惰眠の中でトックタライ(クメール語で魚醤)の匂いを嗅いだのです。あぁ、姪っ子が魚醤をたっぷり使った炒め物でもしているのかなぁ…と思いながら、なんとなくもしやと思って背中下方、紙おむつのほうに手を伸ばしてみると何かいやーなものが、指先に。
あ、噴火してる。
ベッドで寝ていたり、車イスに座った状態で噴火すると、マグマは背中に抜けることが多いのです(噴火=脱糞、マグマ=お通じ)。
雲鼓の渇きぐわいなどから、実際の噴火時間は、これよりも数時間前と想定できます。私はおウンチが肌に纏う感覚が脳まで届かないのです。ですから、噴火してもその自覚がありません。いつもその臭気でようやく気がつくのでした。
この日、パートナーで私のヘルバーでもある妻サンワーは、職場の親睦バーベキュー会でプノンペンから西方2時間ほどにあるキリロム(標高千メートルの観光地)に早朝から出かけていて留守でした。仕方がない、一人で処理するしかない。
まずはベッド上での対応から
2014年ルワンダでの交通事故で胸椎6番で脊椎を損傷したことで、私は下半身麻痺となりました。下半身麻痺にもいろいろあって、麻痺はあってもなんとか立位を取れるなんてケースもあります。私の場合は“完全麻痺”という種類で、横隔膜あたりから下の感覚がまったくありません。
足はまったく動かせません。胴体下部の腹筋背筋もぜんぜん役に立ちません。つまり体幹は常に不安定です。
触感は、もちろんない。だから足を切ったり打ったりしても痛みをまったく感じません。
温感も、ありません。これけっこう危険で、火傷系は気をつけなくてはいけません。冬に新宿の焼き鳥屋で外に出したテーブル席で会食していて、店が気をつかって出してくれた電気ストーブが足に近すぎて靴が燃えるということもあり、脛にも軽いやけどを負った事件なんてのがありました。靴が燃えても気がつかなかったりするのです。なかなかシュールです。
そして特筆すべきは、尿意便意も喪失していることです。おしっこがしたい、おウンチが出たがっていますよという信号がまったく脳に届きません。飲み食いすれば、当然出るモノもあるわけで、信号が届かなくても膀胱は尿で満ち、便は直腸目指して堆積する。
私の場合は、尿は自己導尿(カテーテルという管をオチンから膀胱に差し込み、膨圧で出す)で3~4時間おきに排出します。おウンチは2日に一度摘便(指を直腸に差し入れておウンチを掻き出す)という、わりと単純明快で直截的の力づくといった、さも“男らしい”攻める行為であります。
今回のベッド上での噴火は、その夜に摘便予定の日でした。少々下痢目の軟便が堆積して何かの拍子に大腸の蠕動運動によって一気に押し出されたわけです。やれやれ。こりゃ、対策立てようがなくて、どうしようもなし。時々、あるんだよなぁ。
さて。まず最初にしたのは、着ていたTシャツにもウンコは付着していますから、そのTシャツを慎重に脱ぎ上半身は裸になることでした。そして、ダイパー(紙オムツ)から背中にはみ出してしまったおウンチを取り除く。背中を見ることはできないので、なんとか手探りで腰のあたりをティッシュで拭います。
そのうえで、雲鼓を尻部に抱えたまま、そっと車イスに移乗しました。後で判明するのですけれど、この際に背中の💩はすべてぬぐい取れず、背中に付着していたウンコが車イスの背もたれ部にもシェアされてしまっていました。
ベッドにはこんなときのために、私が横たわったときの腰部から背中にかけて防水マットを敷いています。このとき、この防水マットにはウンチが付着してしまっていましたが、ベットカバーなどは無事でした。ただ背中に当てるためにつかっている長枕には少し茶色いものが。長枕はカバーを外し、芯も部分的に水洗いすることになりました。
いよいよシャワールームの便器に移って
さて、車イスに移乗した私は、そのまま洋式便器のあるシャワー室に移動して、すぐに便器に移乗しました。そこでようやくズボンを脱ぎ紙オムツをはずします。紙オムツは左右を腰部で切り破って、そのまま便器に落とし込んでしまいます(これをしないでオムツを身から外そうとすると、身体のどこかにウンチが付着してしまうことが多いのです)。便器内に落とし込んだ紙オムツは、一度便器の中で洗ってしまうのです。もちろん綺麗になるわけではありません。けれど、落とせるおウンチはそこで落としてしまう。一度水洗を流して(オムツは流しません、手で保持します)しまうのも良いのですけれど、オムツが破けて中の吸水ポリマーが流出してしまうのは避けなくちゃいけません。ありゃ、環境にいいわけない。
洗ったオシメは丸めて股の間から取り出してゴミとなります。
ちなみに、このシャワー室は、日本でいえば浴槽のないユニットバスをぐっと大きくしたようなものです。車イス者としては、こちらのほうが日本のトイレ・浴室よりもずっと便利です。私の日本の滞在場所、浅草の小さな隠れ家で噴火事件が起これば、カンボジアの自宅でのあれこれよりももっと大変な措置・対応が必要となるはずです。

さて、その後、身体を一通り洗い、さらに一応摘便も。このときも念のために摘便すると最後の出残り便が少しありました。この便を出し切ってしまうのは大事です。
さらに汚れたズボンやTシャツの雲鼓もこのときにさらっと洗ってしまいます。そのうえで、それらは後程洗濯機行きとなります。
これらの過程で、シャワールームには便のかけらがどうしても床に散乱します。もちろん、ほんのりと茶色っぽい黄昏れた臭いも充満しています。黄昏れ香のほうは、もうしょうがない。時間が解決してくれるのを待つしかありません。破片は水を流して排水溝から強制排除で流してしまいます。車イスの背部についた茶色いモノも、どんどん水で流して取り除いてしまいます。
こちらプノンペンのトイレには、原始的なウォシュレットとも呼べる小さな尻洗いシャワーがついています。排便や(女性の)排尿後、その尻洗いシャワーを自分で手に持って背中越しに(あるいは両股ごしに)恥部を洗い流すためのものです。このような尻洗いシャワーは、カンボジアだけでなく多くの国/地域で目にしますね。当然、この小さな尻洗いシャワーは、尻洗い以外にも使える。このシャワーで車イスをバシャバシャ洗ってしまう。この日、水道の水圧は十分にあり、上手に使うとかなり強烈な圧でカバーにくっついた“茶色の臭いヤツ”を粉砕してくれるので、大変助かりました(水圧が低い時期もあるのです)。

さて、ついでに髪も洗い、髭も剃り。後は便器から車イスに移乗し、ベッドに戻って着衣するだけです。しかし、この日は、ここで大失態をするのです。シャワー室内の床は当然濡れていて、すべる。便器から車イスに移るときも、車イスがちょい滑って動くのです。さらに何かの拍子で左側のブレーキのロックが外れた(私は右側から移乗しています)。
この段階で、誰か(同居の姪っ子)に助けを求めるべきでした。けれども、私はあくまでひとりでやっちゃおうとした。結果、ストン、落ちたのです。
落ちた後、なんとか自力で車イスに戻れないか、何回も工夫してプッシュアップ(車イスのフレームを左右それぞれ両手でつかんで身体を引き上げるという行為です、けれど、その金属フレームも濡れている、私の手のひらもどうしても濡れている、だから滑る!)を繰り返しました。あぁ、もうちょいで尻が座面に乗る!という場面が数回あったのですけれど、結局ダメ。上腕二頭筋は、すでにへばったマラソン走者の40キロ状態。ラストスパートしたくても、もう足が動かないという、筋肉乳酸菌飽和状態。
こりゃもうだめだ。
私はここでようやく同居の姪っ子二人を呼んだのです。
姪っ子に声をかけるのを躊躇った理由は、彼女たち、スライニとライチェルは二人とも20代前半の独身女性(二人とも長くつきっているボーイフレンドはいるようです)。そんな二人に、“裸体”、“ウンチ”……。ねぇ。
そして、二人は来てくれたのですけれど、それでも私は車イスに乗り上がれず。こりゃダメだとなって、「じゃ、お隣のおじさんに頼もう」と私が依頼して、姪っ子がお隣に声をかけて。結局、そのおじさんが私を抱き上げて、私はベッドに戻れたのです
爆発発覚からベッド復帰まで2時間強ほどでした。やれやれ、大騒ぎだったなぁ。
支援者はたくさん確保すべし!!
支援者は多ければ多いほど“強い”! 脳性麻痺者で大学進学を機に一人で自立生活を始め、そんなあれこれをつづった『リハビリの夜』という名著の著者でもある熊谷晋一郎さんの主張です。支援者をたくさん持つことで、リスクを分散できる。
一人だけの支援者に頼ってしまう障害者は“弱い”。なぜなら、そのたった一人の支援者がいなければ、すぐにお手上げ状態になってしまうからです。この人がだめならこちらの人、こちらの人がだめならあちらの人、すぐに「頼める」「依存できる」人がたくさんいるほうが、危機に対応することが容易になるのです。とてもよくよくわかる主張です。まったく、同意。
しかし! 多くの障害者が、かなり限定された支援者だけで生活しているんじゃないかな。私もそうです。ほとんど、サンワーに頼り切り。
だから、11月11日噴火事件のときのように、サンワー不在だと自分一人で対処しようとして、リスクを高めてしまう。
あの日、這う這うの体でベッドに戻って姪っ子に持ってきてもらった紙オムツとズボン、Tシャツを着た後、私は改めて熊谷晋一郎さんの言っていることを思い返したのです。ためらわずに、早い段階で姪っ子を巻き込むべきでした。そうすれば、落ちることはなかった。あの日、せめて良かったと振り返るのは、結果的には姪っ子二人に加え、お隣の気の優しいおっちゃんも巻き込んだことなのです。どんどん巻き込まなくちゃだめ。巻き込めば巻き込むほど、私の生活の質(QL)は上がる。そのことを痛感しました。
おウンチ爆発の後は、どうしても食欲がありません。食べた結果があの大惨事と思うと、どうしても「もう食べないで済ませたい」という気分に落ち込むわけです。さらに、この夕方から発熱しました。いつもの尿路感染? でも、なんとなく熱の上がり方が違う。尿路感染なら服用する抗生剤を使うかどうか、迷う発熱の仕方でした。
これはもしかして「落ち込み熱」ではないだろうか? 私は、移乗で落ちたり、お年頃の姪っ子たちに自分のけして美しくはない裸体を見せたり、お隣の気のいいおっちゃんの腕に優しく抱かれたりということを、ま、しょうがないと気安く受け取れる方だと思います。しかし、実は無意識の世界では、けっこう落ち込んだのではないだろうか。心の奥底に生じたダメージはやっぱりけっこう強烈だった。その落ち込みが、副作用となって発熱という形態で身体に表現されているのではないか。
この発熱は、上がったり下がったりを繰り返し、翌日曜も表現され、結局に月曜日の夜まで続きました。この間、一度だけ解熱剤を使いましたけれど、抗生剤は使わずに済ませました。月曜日の夕食時には、二人の姪っ子に「支援者分散の鉄則」について少し話しました。だからこれからはもっと積極的に支援を頼むから、受けて欲しいと。裸体をフリーサービス(無料)で開示してしまうこともあるかもしれないけれど、それも勘弁してほしいと(その場合、下半身を覆うタオルを忘れないで持ってきてね、と)。二人は神妙な顔して聞いていましたが、さて、どう思ったのかなぁ。その日には上腕がかなりきつい筋肉痛であることにも気がつきました。そして、月曜日の深夜、うとうとしながらものすごく汗をかいて、それで「落ち込み熱」は治まり、火曜日(今日)はすっかり平常となりました。
そして……やっぱりやっぱりガザ
そして、やっぱりガザを思うのです。機能不全に陥ってしまった病院のことを思います。
病院から退避といっても、瓦礫の散乱した通りを車イスで通過するのはおそらく簡単ではないはずです。水が足りない中で、噴火処置などできるはずがありません。せいぜい紙で拭うのがやっとでしょう。それではけして完全におウンチ様を拭きとることはできません。匂いもかなり残ります。
落ち込み熱? そんなの熱のうちにも入らない。つまり、自尊心とゆっくり向き合う余裕などないはずです。ウンチのついてしまったTシャツやズボンの十分な替えもないかもしれない。ウンチはやがて乾いて、こびりついたまま放置、ということかもしれない。
とにかく、弱者から殺されるのです。それはもう、とっても強く感じる。ガザからの辛いニュースを読むとき、本当にそう思うのです。「退避せよ」っていう言葉の背景に、退避できない者、退避が簡単でない者は死ね、がある。まずは健常者から、障害のあるものは後回しという、いつものやつです。逃げられないならしょうがないって。
そして、赤ちゃんたちが殺されている。集中治療室の患者さんも殺された。
弱者がまず殺される。緊急事態だからしょうがないって思う人たちが多数だ。そして、それはすぐに明日、違う場所で弱者を殺すことに目をつぶるってこと。戦争だから仕方がない。予算が十分にないのだから仕方がない。健常者だって殺されるかもしれないんだからしょうがない。
ガザのことだから、仕方がない。弱者のことだから、仕方がない。
せめて、逃げられる人(つまり健常者)だけでも助かって欲しい。わかるよ、そう思うのが悪いとは思わない。でも障害者として、やっぱりじわじわと辛いのです。“後回し”、仕方ないのか? 本当にそうなのか?

















失態?とは思わないけど面白可笑しく捉えて素敵です!周りからよく介護出来るね、と言われますが完全四肢麻痺なので出来るんだと思います!主人が定年しました。吸痰教えたいと思っていますが怖いから嫌だそうです。これからも説得チャレンジしていきます!そうです。私がチャレンジドです!
匿名さま、読んで下さり、コメントも、ありがとうございます。とても嬉しく拝読しました。
脱糞はもうしょうがない。恥ずかしがって姪っ子に助けを求めなかったのはやっぱり失態。まだまだ気合が足りません。今後、ますます障害道を究めて?いきたいと思いますが、さて。
御主人が吸痰の技を身に着けてくだされば、それだけリスクが分散されて良いのですけれどねぇ。はい、けして特殊な技能ではなく、練習すればOKな技。ぜひ、ご主人も介護の達人を目指してくださるとよいですねぇ。チャレンジ、応援します。ぼちぼちと!