ブログ管理者による注; えーと、まず念のために書いておきますが、ジャッキーチェンが亡くなったというような事実はありません。誤解なきようにお願いします。では、なぜ「バイバイ、ジャッキー、さようなら」なのか。それは、どうぞ本文をお読みくださいませ。
ぼくのヒーロー/ヒロインの方々
東京浅草の日本での滞在地、穴蔵のようなマンションの一室なのですけれど、そのダイニングの天井には私の“お気に入り”の人物たちの肖像が貼ってある。
もともとは、アロハを着てサングラスをかけたちょっとありえない姿のちょいワルガンジーのスケッチを購入して貼ったのが最初だった。うん、ガンジー、偉い人だと尊敬の念を抱くのだけれど、でもぼくにとっては彼は他者にも厳しすぎる人なのだ。ちょっと遊びがないというか。それで、アロハとサングラスという、あったらいいなのガンジーの肖像画だったのです。その後、やはりアロハを羽織って笑っているネルソンマンデラが加わった(これもスケッチ)。マンデラとアロハは違和感ないよね。マンデラだっていろいろ批判はあるけれど、人として彼の“丸さ”は、やっぱり魅力だ。というわけで、最初は、ガンジーとマンデラの二人だったのですよ。やがてその二人に、インゲン豆を使って根気強く遺伝形質について調べたメンデルと、さらに大陸移動説を唱えてこつこつと証拠を集めたヴェゲナーとが加わった。もちろん、ぼくの趣味だ。メンデルもヴェゲナーも、とても重要な発見をしたにもかかわらず、生前にはその功績が認められなかった人たちだ。なんか、そういう人ってかっこいいんだよねぇ。続いてジャズ界からチャーリーパーカー、野球界からカープの名ショート高橋慶彦、さらに映画界からチャップリンとクリントイーストウッドが参加した。さらに、ここまでで、女性がひとりもいないことがとっても気になった。さて、どうする? 厳選の上、米国での黒人解放運動史上よく知られているアラバマ州での路線バスの白人用座席に座り黒人用席に移動することを拒否(1955年)したローザパークスと、大正時代の関東大震災直後に検挙され大逆罪で終身刑となり、その後獄中死した金子文子とに加わってもらうことにした。
さらにぼくと同居していた若者たち(息子と甥っ子)からの推薦を募ったところ、近代化学史において分子論での貢献が高いラボアジェ(本業が税取り立て人だったことから、フランス革命時に若くして死刑となる)とマルコ(かっこいいとはこういうことさ、のジブリ映画『紅の豚』の主人公)が推挙された。ラボアジェは満場一致で採択されたのだけれど、空想上の存在であるマルコについては評価が別れた。結果、実在の人物の手塚治虫が再度推薦され、こちらは文句無しで採択となった。
今後も新たな人物が登場するのが今から楽しみという次第。
今のところ、次回、浅草に行ったら、映画界からケンローチ(英国の映画監督、やっぱりデビュー作の『ケス』は最高です)、私がとても強く影響を受けた著作を数多く出してくれた本多勝一、女性参政権を得るために社会に働きかけたサフラジェット(Suffragette)のリーダーだったエミリンパンクハースト、革命的登山家のラインホルトメスナーらに加わってもらえるかなぁなんて考えたりしています。
二人の映画界の人 クリントイーストウッドと、ジャッキーチェンと。
さて、ここからが今日の本題。まずは、我がヒーローとして名前をあげたひとりのクリントイーストウッドだ。
政治的な発言も多く、主に共和党支援者としても知られるイーストウッドだけれど、例えばヒラリーローダムクリントンよりはましと一度は支持を表明したトランプ前大統領に対して、その後、支持を撤回している(ぼく自身も、あくまでトランプとの対比としてヒラリーもオバマも「まだマシだったかも」というレベルでしか評価していないので、トランプ、思っていた以上にひどかったというイーストウッドの気持ちには少々共感もあったりします)。マッチョなイメージのイーストウッドだけれど、中絶などの女性の決定権や、同性愛者の権利、さらには環境保護にも理解を示している。ただの保守オヤジではけしてない。
今年91歳となったイーストウッドだけれど、まだまだ健在で、監督主演を務めた最新作『クライマッチョ』(2021年)が2022年1月に日本でも公開される。
ここ数年の彼の映画では『運び屋』(2018年)は最近見る機会があった。淡々として、なかなk.監督業のみの次の2作『15時17分 パリ行き』(2017年)と『リチャードジュエル』(2019年)はまだ未見ですけれど、きっとそのうち見るでしょう。
で、『クライマッチョ』。実際のところ、91歳のイーストウッドがどれぐらい監督として指揮を取っているのだろうか? さすがに、コマーシャルな戦略から名義貸ししているんじゃないかな。実際の映画作りに関しては、その多くは実働部隊の人たちがサポートしているというのが実際のところではないのか? そうだとしても、90歳を超えて現役バリバリというのは、驚異的であって、まぁたいしたものだと思う。
若い頃のイーストウッドの映画は、たしかにカッコいいのだけれど、でも『ダーティー・ハリーシリーズ』に顕著なように、銃をバンバン撃って悪者を容赦なく倒してしまうシーンが多く、ぼくにとってはそっと楽しむというタイプの役者だった。そんなイーストウッドに注目するきっかけとあったのが『バード』(1988年)というタイトルの、先に挙げたサックス奏者のチャーリーパーカーの人生を描いた映画だった。イーストウッドは監督業に徹していて役者としてはまったく登場しない。全編、パーカーの演奏がたくさん流れる気持ちのいい音楽映画だ。笑福亭鶴瓶にちょっと似ているアフリカ系米人俳優のフォレストウィテカーがパーカーを演じてとてもいい。さらに、それぞれの内容には細かく言い出すといろいろあるけれど、最後の西部劇と宣伝された『許されざる者』(1992年)や、メリルストリープと共演した『マジソン郡の橋』(1995年、原作の本より映画のほうがずっと出来がいい!!)、女性ボクサーと老トレーナーとを主役にした『ミリオンダラーベイビー』(2004年、自立することを目指す女性と、女性がボクシングすることに批判的だった老トレーナーの交流が素晴らしい。ただ、事故で障害者となった女性の映画の中での扱いについて、ぼくは言いたいことが色々ありますが、それはまた別の話)を見ることで、イーストウッドがかかわっている映画ならば、まず間違いなく大丈夫という信頼がぼくには定着した。野球好きのぼくとしては、昔気質のスカウトマンが主人公の『人生の特等席(Trouble with the Curve)』(2012年、イーストウッドもいいけれど、彼の娘役がとても良い。また『 Trouble with the Curve (カーブにはからっきし)』という原題も秀逸!)もお気に入りだ。
そして、実はぼく自身は好きなタイプの映画ではないのだけれど、でも絶対に無視することができないのが『グラントリノ』(2008年)だ。米国でのアジア系移民(映画では米国に移民したモン族、おそらくベトナム戦争絡みの移民者だと思われます)の暮らし難さを真正面から取り上げている。イーストウッド演じる主人公は、朝鮮戦争への従軍経験がある頑固で保守的な白人孤独オヤジなのだけれど、たまたま縁あって隣人となったモンの人たちとの交流をとおして、彼らを支援することになる。結果、彼らを守るために、彼らに危害を及ぼすギャングの若者たち(このバカ者たちもモンの移民の子孫です。モンの移民者の子孫が、チンケなギャング団になって同胞を虐げる背景には、実は彼らが米国社会で弱者からだというメッセージも読み取れます)にイーストウッド演じる老人はわざと撃ち殺されるのです。衆人の目撃者が何人もいる中で、あえてバカ者たちに撃ち殺されることで、バカ者たちを排除して、誠実に生きようとする隣人の若者たちを守ろうとするのです。もはや、イーストウッドは、自ら暴力を使うことで問題解決を図ろうとはしないのです。そこには、ダーティーハリーから距離を重ねたイーストウッドがいる。そして、それが相変わらずとても格好いいわけです。
この『グラントリノ』で、イーストウッドは、誠実に生きながらそれでも虐げられてしまう人たちへの共感を全面に打ち出しましたね。誠実に生きている人たちが困難に陥っているのを前にして、俺たちは黙っていてはダメなのだと、米国社会に対して強烈なアジテーションを行ったのです。辛辣に評価すれば、そこにはマッチョな思いも確かにあるわけですけれど、そこはまぁ愛嬌ってことにしておきましょう。
最新作『クライマッチョ』では、若い頃はぶいぶい云わせたロデオ選手だった老人役を演じているとのことだけれど、早く見たいなぁ。タイトルからして過去のマッチョな自分からの距離を感じさせますもん。クリントイーストウッドは、老いて知る人、なわけです。いつ見ることができるかなぁ。今から楽しみ。
さて、次は唐突ですけれど、ジャッキーチェンです。カンボジアでは、成龍のほうが通りがいい香港映画界の大成功者ジャッキー。その彼は、以前はぼくのお気に入りの役者だったのです。徹底的に観客を楽しませるエンターテイメントが心地よかった。弱者の側に立つ役、たとえば『ベストキッド』などもあり、その優しい眼差しを好ましく思っていたのです。
でも、最近は、ダメだ。ぼくの心は、どんどんジャッキーから離れていく。ジャッキーを思い出す度に、オフコースの名曲「さよなら」の脳内リフレインが止まらない。理由は、もちろん、北京政府による香港民主派弾圧を彼が悪びれもせずおおっぴらに支持していることにあります。香港映画界に育てられたはずのジャッキーなのだけれど、最近の言動は、あまりにもあからさまな北京のご機嫌取りに終始している。「共産党員になりたい」と発言して、正統な(?)共産党員からさすがに不評を買ったりもしているらしい ジャッキー・チェンの「共産党員になりたい」発言に香港・中国で批判の声(NEWSポストセブン) – Yahoo!ニュース。
だってさ、ジャッキー、君が大成功した背景には、香港という北京からは独立した自由都市の存在があったんじゃないの? それなのに、あなたは民主派からははっきりと距離を取っている。最近の北京による香港民主派弾圧を積極的に肯定している。ぼくにとっては、ジャッキーの北京賛美の言動は、なんともがっかりなのですよ。まるで、去勢された犬みたいだ。いや、それじゃ去勢された犬に失礼だな。黄金の玉々なんて、あろうとなかろうと別にそれほど大事なものではないわけだし。ごめん、例えがわるかったです。
気を取り直して。
役者、芸術家、物書き……、そんな人たちを評価する際には、その作品だけを評価の対象とするべきであって、作品の外に位置する政治的な言動やさまざまな個人の価値観などは評価の対象にはなりえないという考え方があるのは知っている。でも、実際のところどうなんだろうか? 作品の外では強権政治を支持しつつ、その作品からは自由の尊重が見て取れる、そんなことがあるのかな。
たとえばチャップリンだ。ヒトラーを痛烈に批判した傑作『独裁者』が米国で公開されたのは1940年のことだ。10月だったそうだから、まだ大日本帝国軍による真珠湾奇襲以前のことだ。しかも、『独裁者』の主なシナリオが練られたのは1937~38年だという。つまりナチスドイツ軍によるポーランド侵攻すらまだ起こっていない、ユダヤ人らへのホロコーストもまだ表面化する前に、すでにヒトラーへの痛烈な批判として『独裁者』の作成は計画されていたのです。1940年に『独裁者』が公開されたとき、米国はまだナチスドイツとの戦争には踏み切っていません(ちなみに、ナチスドイツと同盟関係にあった日本では、この映画は日中太平洋戦争時には上映されず、ようやく一般公開されたのは1960/昭和35年です)。『独裁者』公開の時点で、チャップリンを共産主義者として非難する声が米国ではすでにかなりあったという。ま、『独裁者』の前の映画が、1936年に米国で公開された『ライムライト』、機械化による労働者の非人間的な扱いを描く内容、でしたから、チャップリンを煙たく思う資産家は『独裁者』以前からすでに少なくなかったのでしょう(チャップリン自身は、『ライムライト』を政治的な映画と大衆から評価されることを気に病んでいたという説もあるようです)。
それでも私財をなげうって『独裁者』を完成させ、大ヒットさせたチャップリンの先見性が、具体的な作品の“外“にある彼の民主政治の尊重や個人の自由の尊厳へという価値観と無関係であるはずはないのです。その後、第二次大戦終了のもう戦争はこりごりだという平和ムードに沸き返る世界に真っ向から冷水を投げかけることになる『殺人狂時代』を作り、「ひとり殺せば殺人者で、100万人殺せば英雄だ」と喝破したチャップリンの作品と彼の“作品外”の価値観を切り離して考えるなんて、ナンセンスでしかないとぼくは思っています。
だから、ジャッキーチェンの本質は、やはり香港民主派弾圧の北京を支持するところにあると判断するしかないことになるのです。一部の作品の中で、ときには「弱者の側に立つ」表現があったとしても、むしろその作品のほうがジャッキーにとっては例外的で、免罪符的な位置づけなのだろうと、ぼくは思ってます。香港に育ててもらったジャッキーにとって、でも香港の英領時代から続いた自由な雰囲気は、特別に重要でも大切なものでもなかったらしい。
そう思うと、これまで見てきたジャッキーの映画は、あれもこれも色失せていくわけです。思い起こせば、ジャッキー映画の中で、多くの場合、彼は権力側につくヒーローでした。映画の内でも外でも、彼はいつも権力側の人間なのです。映画の中でジャッキー演じるヒーローの敵は麻薬組織などの犯罪組織や、わかりやすい勧善懲悪の悪側テロ組織であることが多い。もちろん、例外はある。そして、例外的に彼が助ける弱者とは、虐めにあう子どもであったり、米国正史を批判する対象としての先住民だったりするわけで、彼が共感を示す弱者とは北京にも受け入れやすい弱者だけなんだ。だから、ジャッキー演じる主人公が、中国正史を敵にまわすような役どころを演じるなんて事例は、ぼくの知る限りひとつもない。ジャッキーが、北京政府に侵略されたチベットやウイグル、さらには香港民主派の側に立つヒーローを演じることは、これまでもなかったし、これからもけっしてないでしょう。つまり、ジャッキーは、北京のペットとしての振る舞いをこれからも続けるだけだ。どうやら、それが彼の処世術。『殺人狂時代』公開後、赤狩り吹き荒れる米国で、まさに“赤”のレッテルを貼られて“自由の国”から追放されたチャップリンとは、やっぱりモノがちがうんだ。なるほど、なんか、がっかりだよ、成龍さん。それとも、残り時間は限られているけれど、大逆転の一発がこれからあるのかな? ぼくの予言は、そんなことは、もうぜったいにあり得ない、です。
そういうわけで、ぼくがワクワクしながら彼の新作を見るのを楽しみにするということは、これからはもうないでしょう。バイバイ、ジャッキー、さようなら。

















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