神戸外語大学 岡本ゼミの皆さま
先日は、拙い話に耳をかたむけて下さり、ありがとうございました。
あと、私、「先生」と呼ばれるのが好きではありません。皆さまからのコメントに「村山先生」なんてあって、キンチョーしてしまいます。ぜひ「さん」づけ、で、今後とももし機会があれば、どうぞよろしくお願いします。
さて、まずは宿題になっていた残る二つの質問への回答です。
皆さんからの質問「支援活動を通して、私達や支援に関わりのない人たちに伝えたいことはなんですか?」
こちらね、私の手元のメモには、「特にない」と書いてあるのです。なんともそっけない回答ですけれど。
なぜ、「特にない」なのか。それを書いてみようと思います。
単純にいえば、みんなそれぞれ忙しい、じゃないですか。昨年の報道では世界の人口が80億を超えたそうです。80億って・・・、秒にすると250年でも足りないぐらいの数なんです。そんな多くの人たちが、日々生きています。それぞれの人生。
だから、それぞれの関心があって、優先順位があって、それで当たり前だろうと思うんですよ。だから、海外支援とか、他者支援とか、みんながみんな、関心を持たなくてもいい、やらなくてもいい、と私は思ったりするのです。
私自身、世の中をぜんぜん追いかけ切れていない。知らないこと、たくさんあるのです。
まだ若いころ、といってももう高校生ぐらいのころ。自分の親が、たとえばビートルズ(知ってますよね?英国のスーパーロックミュージックバンドだった)のことにほとんど関心がない、ジョンレノンもポールマッカートニーも知らない、のが残念で仕方がありませんでした。あるいは、大晦日の紅白歌合戦を一緒に見ても、私が好きな普段はテレビに出ないフォーク歌手が出演していたりして私が興奮しているのに、両親はあまり興味を示さず。なんかつまらない人たち、と思ったこともあったのです。
おそらく、今私が紅白歌合戦を見ても、登場する多くは知らない歌手だろうし、そこで話される話題にも、私はついていけないし、それほど興味もない。つまりは、私も両親と同じということですわね。
でも、それでいいとも思うのです。まずは、それぞれの優先順位で世界に関心をもてばいい。すべての事項を守備範囲にするなんて、そもそも無理じゃないか、と。
これまで海外での支援を仕事にしてきて、よく思ったのは「手の届く範囲は限られている」ということでした。世界中のあっちこっちで起こっているさまざまな問題の、そのほとんどに自分自身では手を伸ばすことができない。届かない。そのことに、強い無力感を持ったことも少なくありません。
でも、それでも手の届く範囲のことをやるしかない。個々の小さなプロジェクトでは世界は変わらないと考えて、より広い範囲を網羅できる大きな組織、さらにはその上層部を目指す、という思いを持って努力していた知人もいます。例えば、外交官を目指すとか、国連系組織の中で出世するとか、政治家を目指すとか、ね。うん、それもわかるな。でも、私自身は、現場が好きだったのでそういう選択肢は取りませんでしたけれど。
というわけで、国際支援に出会った人が、それに関わればいいと思うのです。日本国内で身近なところであれこれ他者を支援している人たちも、海外でそういうことをしている人たちも、それぞれがそれぞれの縁と出会いでそういうことになっているわけで、それでいいと思うのです。支援にかかわらない人も、それで良い。
だからね、それほど「伝えたい」ことはない。それぞれ、元気で頑張りましょう、元気でないときは元気のないなりに、なんとか死ぬまで生きましょう、できるだけ「殺す」ことにかかわらずに。「殺される」ことにも抗って。
最後の質問。「今後挑戦したいことはなんですか?」
やりたいことはたくさんあります。50歳で障害を得て車イス者になってしまって、できないこともかなり増えてしまいましたけれど、でも、やりたいことは山ほどある。
読みたい本は、際限なくありますし、聞きたい音楽も際限ない。行きたいところも、まだまだありますし、うん、本当に忙しいのです。
それでも残り時間が限られているのは、もう確実です。うまくいけば、あと20年ほどか?特に焦りもありませんけれど、ただ、いちおう多少の計画はないとね。
たまたま縁のあったカンボジアで、先生や若者に読んでもらえるような理科本を作りたいなぁと考えています。最初から、カンボジアの人を意識して書かれたもの。
最近は、だんだん訳本は増えています。でも、カンボジアの人向けに書かれたものはけして多くないのです。同じ内容のことでも、日本の人に語るのと、カンボジアの人に語るのでは、わりと語り方が変わるんですよ。たとえばダーウィンの進化論のことを書くとして、その中で「ガラパゴス諸島」に触れる。カンボジアの人たちには、やはりまだ「ガラパゴス諸島」はそれほど馴染みはないのです。だから、ガラパゴス諸島を話題にするなら、その説明からていねいに書く必要があるわけです。
だからね。そういうよりカンボジアの人たちに特化した文章が満ち満ちている理科本を作りたいのです。最初は、自分で書く。私はクメール語で読み書きする能力はないので、どうしても翻訳するしかありません。その点では訳本。でも、とにかく原文(日本語あるいは英語)から、カンボジアの人が読むことを前提に書くわけで、それが普通の訳本とはちがうわけです。
紙の本は、もう時代遅れかもしれない。だから、インターネットで読んでもらうことも考えなくちゃいけないかもしれません。そんなことを考えると、この計画だけでもやらなくていけないことが多々あって、残り時間20年だとしても、ちょっと焦ってきます。夢としては、ぜひカンボジアの人たちの中から、そういう本を書ける人が生まれて欲しい。その手助けはなにかできれば、もっといい。そのためにも、とにかくまずは自分で、ちょっと偉そうだけれど「手本」「見本」になるような本を数冊作りたいなぁと思って、少しずつ始めているところです。ついつい他の要件が舞い込んできて、なかなか進まないで困っているのですけれど、ね。
以下、皆様からいただいたコメントへの、再コメント
橋本優さん
「ヨーロッパ圏などでは皆さんスペイン語やドイツ語など母国語を話し、基本的に英語を話したがらない傾向にあるように私自身は感じました」
「世界共通語が出来てしまうのなら母国語という存在は必要であるのか?という疑問が私には浮かんできました。なかなか難しい問題であると思いました」
はい、私も同様のことをフランスで感じたことがあります。たとえば、フランスの人たちはフランス語にプライドを持っているような感じがありますね。
英語が世界中にひろがったことで、実は英語・米語に、アイデンティティークライシスが起こっているという話もあります。もはや、正統英語というこだわりが通用しない。クイーンズイングリッシュとか言ったって、よほど言語ヒエラルキーを売り物にしない限り、以前ほどのありがたみはなかったりするわけです。
ピジン言語、クレオール言語、と呼ばれる混合言語も世界にはたくさん生まれていて、そしてそれぞれが新たな文学表現世界を広げている。そんな話を聞いたり読んだりすると、「人間ってタフだよねぇ」と私はついつい笑みが浮かんでしまうのです。
出口愛乃さん
「(教育は)悪いことを教えるためにも利用される」
「悪い」と思うのは私で、カリキュラムを作ったり教えている人たちは、けして「悪い」とは思っていない、なんてこともままあるわけですけれど、ね。学校教育という装置・システムは、国家の兵士を作ること(あるいは、産業革命後の労働者養成とか)にその根源がある、そのことには教育にかかわるものとして敏感でありたいと私は思っています。実は最近私は、学校否定派、というか、学校解体派でもあったりもするのでした。教育って魅力的で、そして怖い、です。ぜひ、視野を広く持って進まれてください。
澤田景さん
「実際去年フィリピンのスラム街にボランティアに行きましたが、そこで生活する人々は自分たちの生活をとても楽しんでおり、支援をする、ということ自体に疑問を抱くことになりました」
わざわざ余所者が「これが善かれ」と思って支援しても、それが跳ね返されてしまうってことはあり得ます。「支援をする人は必ずエゴがある」というのは、別に「支援をする人」に限らず、誰にも必ずエゴ、というか自分の都合、自分の価値観がある、ってことですよね。そして、それは支援される側もそう。彼らにも彼らの都合や価値観がある。
それらがぶつかるのも、当たり前。「世界は開いているから仕方がない」と私は思うのです。そして、それでも余所者が支援することが求められる状況はある。束の間の子どもたちの目の輝きだけで、社会問題に蓋をするのはよろしくない、とも私は思ったりしています。
梅嵜望さん
「支援すること自体が目的になり・・・・」
いまやね、海外支援って、もはや大きな産業なのだと私は理解しています。世界中で、海外支援にかかわる労働者(私もそのひとりでした)はかなり大きな数になるのです。つまりは、支援で飯を食っている人たちがたくさんいる。その人たちの生活も、じつは支援という産業があるから成立している。だからね、「支援」はなくならない。「支援」が目的になるというのは、そういう面もあるように私は感じているのです。それでも、軍需産業よりは、少しはマシだろうとは思っていたりするのですけれど。
さて、そのうえで、その産業の中で、何をどうするか? とにかく、自分のやっていることを巨視的な目で見つめ直す、そして、自分の無力さを少しクスっとする?って、大事なんじゃないかなぁ。そんなふうに思っています。
成島雄大さん
「大事になるのは対等な関係でのコミュニケーションによって、価値観をすり合わせることなのではないかと思いました」
はい、まったくその通りなのです。でね、これがこれで難しいわけです。
価値観の変容は、支援する側も求められている、ということがよくあります。価値観のすり合わせとは、けして被支援者の変化だけではなく、支援者の変化も必要なのです。それは、自分自身も無傷ではいられない、ということでもあります。だって、自らの価値観の変容は往々にして痛いことでもありますから。その勇気を持てるか?
でも、それは支援に限らず、社会の中で人とかかわる以上、どうしてって避けられないこと。家族や恋人との間でも、起こっていること。そんなふうに私は感じるのです。だから、面白い。
「私は海外支援に携わろうと思っているので、またどこかで出会えた際にはお話伺えたら嬉しいです」
そうですか、こちらこそ、ぜひお話を聞かせてくださいませ。楽しみにしております。
打田美穂さん
「ワークショップをする際に、価値観の押し付けになっていないかとても気にしていましたが、相手の価値観を尊重した上で、自分の価値観も発信することは大切なのだと感じました」
うん、価値観を押し付けているとすれば、それは偉そうだし、怖いこと。一方で、自分の価値観から無関係なことを伝えようとすれば、それには魂はこもらない。魂のこもらないことを伝達するのは、なんかつまらない、多分。
南米アマゾンの少数民族の村に入った宣教師が、その民族との交流を通じて、けっきょく棄教した(宣教師を辞め、宗教も捨て無神論者に転向した)というような話もあります(『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』という本を参照くださいな)。そんな事例を知ると、なんとも潔い姿勢だと、私は受け取ります。
そして、最終的にはその社会で生活者として居続ける人たちが判断をする。支援者(余所者)は、その最終判断には関われない。そして、最終的には去る人。それも覚悟の問題のようにも思うことがあります。寄り添って、でも、同じにはなれない。それで良いし、それしかできない。
山田凜太郎さん
「私はこれまでに海外に一度も渡ったことがありませんが、外国の方との交流には興味がありこれからも積極的にカンボジアプロジェクトに関わって行くつもりです」
世界は開いているので、こっちが行かなくても、あっちが来たりします。海外に行くことは海外支援には実はそれほど本質的な問題ではないようにも感じます。 海外に行っても、自分の見たいものだけ、見えるモノだけ、しか見ることはできないから。
そして、異界はすぐ目の前にもあるはずなのです。 日本の中にも、私の知らない世界はたくさんある。そして、その世界と触れ合ってしまったら、もしかしたら、それももう越境だと思います。神戸は、そういう点でも、いろんな可能性を持った町なのだろうと想像します。
山田朋樹さん
「春から留学に行く自分は最近少し不安な気持ちでいたのですが、シンプルに人がいればなんとかなるという答えを聞いて気持ちが楽になりました」
そうですか、春から留学、楽しみですね! 困ったことがあったら、まわりの人に助けを求めればいい、分からないことがあったら、聞けばいい。 恥ずかしい、うまく話せない、聞き取れない、 そういうことは起こるけれど、 でも失敗は成功の始まり。 ぜひたくさん恥をかいてきてください。恥をかくだけ、山田さんの未来は明るくなっていくのだと思う。
樽本七海さん
「英語の国際共通語としての立場・地位はそう揺るがないものなのだと感じています」
橋本優さんへのコメントでも書きましたけれど、英語(米語)が国際共通語になることによって、実は英語を母語とする人たちの社会がその独自性を失いつつあるのかもしれない、という議論もあります。英語が世界で使われることによって、「正しい英語」がどんどん揺らいでいく。インド的英語、フィリピン的英語、アフリカ的英語、どれもみんな英語であって、英国英語、米国英語が正しいわけでもない???発音、文法、それがどうした!ということです。 実は、米国の中でも、その階層・社会によって使われる英語(米語)もかなり多様だということもあるわけですよね。
私が大学院のころでしたか、だから今から30年近く前、国際機関の日本のトップの人が求められる人材として「一に英語、二に英語、三四がなくて、五に英語」というようなこと話しているインタビュー記事を読んだことがあります。英語嫌いな私は「だったら英語母語者の中高生をリクルートしろよ」と苦々しい思いで、その記事を読んだのです。こういう情けないことをいうオヤジがいるからなぁ、なんて偉そうに思いながら。
つまり、何語にせよ、要は何を話すか、何を話せるか、が勝負なわけです。どんなに英語が上手でも、使いこなせても、中身のない話しかできないようなら、役に立たない。母語で話せない内容は、米語だろうと何語だろうと話せるわけがないし、聞いて理解できるわけもない。
そんなふうに私は思っています。で、何度も書きますが、語学はできればできるにこしたことはありません。私も英語もクメール語も日本語も、もっともっとうまくなりたいです。
「民族語をはじめ言語や文化は保護されるべき」
これはねぇ、かなり難しく際どい問題です。保護された言語、文化とは? 博物館に飾られることで保護されるというなら、それは文化なのか? 話者のいない言語を、保護するとは?
文化も言語も、常に変化してきた。そして、これからも変容していく。そのことと、弱肉強食のように、文化や言語で強者と弱者が生まれること。そして、強者によって弱者の文化や言語が遺産のように保護されるということ。
私には、これらの問題をどう扱えばいいのか、未だに考えがなかなかまとまりません。ただ、滅びゆく言語の話者の哀しみ、孤独を思うと・・・、寂しいだろうなぁとしみじみ思う。孫と言葉が通じない爺婆の悲しみ、それは幸せからは遠い感情だろうなぁとただただ想像するのです。さて・・・
朝井理花さん
「複雑な社会の仕組み(言語、政治経済システムなど)や人の思い(支援をする側、受ける側など)によって、解決しがたい問題はたくさんある」
本当にそうなんです。問題山積みで、そんな問題だらけの社会を次世代の皆さんに残してきたことに、どこか申し訳なさもあったりする。でもまぁ、それは私や岡本先生の世代がその前の世代からこの社会を受け取った時も、そうでしたから。きっと皆さんが、次世代に引き継ぐ世界も、問題山積みで複雑な社会でしょうし。ということで、若い世代の皆さんどうぞ勘弁してください、という思いも私にはあります。
そして、私はそれ、つまり問題を「研究」はしてないのです。解決もできないだろうと思っている。せめて、少し「better」を目指す、という感じでいるのです。単に、じたばたとしている。そんな感じ。私は、多少の自負も含めて、自分を研究者だとはまったく思っていません。研究者になりたいとも思ってない。ただただ、向き合いたい、のかな。
今日、学校に通う若い人たちが、せめて無駄ではない時間を、楽しい時間を、身になる時間を、明日や未来の彼らの幸せにつながる時間を、教室で過ごせたらいい、と。そして、今日の教室では、まだまだ今でも、あんまり人生を豊かにしないようなことが行われている、と思うのです。だから、もうちょっとマシにしたいなぁと、不遜にも思ったりするのです。だから、この仕事をやっているのかなぁ。でも、手の届く範囲は限られていて、ときどき茫洋とした思いにとらわれてしまったりもするのです。
そんなときは、皆様のような若い人たちとお話をして、元気を充填する、ってわけです。
ということで、こちらこそ、どうもありがとうございました。んじゃ、また。
コメント、いただけたらとても嬉しいです