オシツオサレツ さようなら 

オシツオサレツ 岩波版84ページ
図書館でみつけた、3冊のドリトル先生

上の写真はすべて、ヒューロフティング作 “The Story of Doctor Dolittle” 1920 が原作

左 『ドリトル先生アフリカゆき』井伏鱒二訳 岩波書店 2017 第65刷 初版は1961発行
右上 『ドリトル先生アフリカへ行く』金原瑞人 藤嶋桂子共訳 竹書房 2020(初版)
右下 『ドリトル先生』 小林みき訳 ポプラ社 2009(初版)

自分がアフリカに興味を持つ、最初のきっかけだったドリトル先生、図書館で探したら、上記の3冊が見つかりました。

 ぼくが読んだのは、もちろん井伏鱒二訳の岩波書店『ドリトル先生アフリカゆき』です。一番新しい出版は、今年2020年竹書房から出た『ドリトル先生アフリカに行く』。こちらは、原作が最初に米国で出版された1920年から100周年記念版です。
 さらにポプラ社が2009年に出版した『ドリトル先生』。原作はイラストも作者ロフティングが自ら描いたものですけれど、このポプラ社版は原作のイラストは使われずに新たに描かれたものが使われています。

 調べてみますと、竹書房とポプラ社のものは、1988年に原作者の息子さんが一部内容を変更した改訂版を訳したものです。つまり、原作とまったく同じものは岩波書店からでている版だけです。
 原作と原作改訂版との違いは、第6章「ポリネシアと王様」(この訳は岩波版から、以下も同様)、第11章「黒いお王子」、第12章「薬と魔術」にあります。第6章はストーリーには違いがありませんけれど、下にある王様と王女様のイラストが改訂版では削除されています。第11章と12章は、ストーリーに大きな変更がなされています。そして下のバンポ王子のイラストが消えています。

岩波版51ページ
岩波版 95ページ

 第11章、12章の原作でのストーリーは以下のようなものでした。

 まず、ポリネシアという名のオウムがいます。王様に捕らえられたドリトル先生を救う方法を考えているポリネシアは、応じのバンポが「あぁ、ぼくが顔の白い人間だったらなぁ」とつぶやくのを聞くのです。そこでポリネシアは(人間語が上手に話せます)、妖精のふりをして「ドリトル先生に頼めば、あなたの顔を白くしてくれる」とバンポ王子に伝えるのです。バンポ王子は牢屋にいるドリトル先生を訪ね、ドリトル先生は手持ちの薬品を使ってボンパ王子の顔を漂白するのです。喜んだバンポ王子は、お礼にドリトル先生一行を牢屋から逃しました。

 この部分が米国で1960年代に始まった「ブラックパワー」”Black is beautiful”という価値観にぶつかり、米国では本屋や図書館からドリトル先生シリーズが消え去ったのです。

 改訂版では、バンポ王子はポリネシアから催眠術をかけられてドリトル先生を救う、という筋書きに変わっています。そして、王様夫婦やバンポ王子の、ステレオタイプ的な黒人イラストが削除されたのです。

 ぼくがドリトル先生と出会ったのは1970年ごろ。最初は両親に読んでもらっていたのですけれど、自分の好きなときに読みたいという思いが、ぼくが識字に目覚めたきっかけでした。ぼくにとっての「読書」開眼の本がこの『ドリトル先生アフリカゆき』だったのです。もちろん、ぼくは太平洋の向こう側で、ドリトル先生が禁書あつかいになったことなど知りません。きっと両親も知らなかったでしょう。「黒は美しい」というアフリカ系米国人の声を知るのは、高校生で本多勝一の著作と出会ってからです。

 でも、幼いころ、ひとつ覚えていることがあるのです。オリンピックの映像で、メダルを受け取った選手が、頭をたれて腕を浮きあげている、そして「これはいけませんねー」というアナウンサーの声がかぶるのです。

 この記憶が、1968年のメキシコオリンピックでの陸上200メートル優勝者たちのプラックパワーを訴えるデモンストレーションだったことを知るのはずっと後です。このとき、ぼくは4歳。マラソンで君原健二が競技場に入ってきて、アナウンサーが興奮していたのもなんとなく覚えている。当時は中継技術がまだ低く、マラソンの途中経過は今のようには映らなかった。だから注目選手が今何位にいるのか、なかなか正確な情報はわからなかったのだと思います。

 ボンパ王子が自分の顔を白くしたいと思ったという部分。実際、1920年ごろ、黒人の人たちは自分たちの顔を漂白しようとしたのだといいます。映画『マルコムX』の中でも、若い頃、まだ黒人解放運動家マルコムXとして目覚める以前のチンピラだったマルコムリトルは、黒人特有の縮れ毛を薬品でまっすぐに伸ばすことに必死だった。 

 さて、今、もしぼくが子どもたちに読み聞かせをするとして、原作に忠実な岩波版『ドリトル先生アフリカゆき』を選ぶかと問われれば、やっぱり否です。ボンパ王子の「白くなりたい」という思いと、そういう時代があった背景を、子どもたちに伝えきるのは難しい。

 ならば、原作改定版を使うか?なんとなく、無理して使わなくていいんじゃない?って気がする。きっと探せば、アフリカや、アフリカでなくても「ここでないどこか」への冒険心を誘う物語は、いいものがたくさん出ているはず。そっちを読んであげればいいじゃないかと思うのです。ドリトル先生シリーズに代わるなにか、推薦本があったら教えて下さいませ。

 それにね。やはりぼくにとって、あの2つの頭を持った不思議な動物は「オシツオサレツ」なんです。ポプラ社では「フタマッタ」、竹書房では「マエモウシロモ」と訳されているけれど、やっぱり井伏鱒二によるオシツオサレツがいいなぁ。

 今調べてみたら、オシツオサレツは原作ではPushmi-pullyuという名前です。この語には「矛盾した」とか「論争好きな」という形容詞の意味があるらしい。そうかぁ、日本でドリトル先生を最初に訳した井伏は、美味しいところ取りしたのだなぁ。Pushmi-pullyuをオシツオサレツと最初に井伏に訳されてしまって、後から訳す訳者の方々はさぞ苦労したんだろうなぁ。でもオシツヒカレツと訳さなかったのはどうしてなんだろう?そこが井伏の才能ってことなのでしょうか。

2件のコメント

オシツオサレツ、大好きです。あと、切手の裏に薬塗るアイデアも!

井上忍さま
読んでくださってありがとうございます。コメントも励みになります!
ドリトル先生がおられなかったら、私の読書人生も違ったものになっていたかも!
月に行って長期滞在したら大きくなっちゃうとかも、印象に残っています。

コメント、いただけたらとても嬉しいです