「ボナペティ」 事故から2年、ルワンダ再訪

文中に出てくるエマキュレイト(右から2人め)デニス(一番左)エマニュエル(一番右)

 事故から2年、退院から1年。
 2016年、車イスのぼくは、再び成田空港からカタール経由でルワンダに飛んだ。2年ぶりのルワンダ。会いたい人たちが何人もいた。

 事務室のスタッフのひとりイマキュレイトの結婚式は、事故の数週間前だった。式が行われた教会で真っ白なウェディングドレスを着た彼女はとても綺麗で幸せそうだった。ぼくの泊まった宿まで夫婦で来てくれた彼女の腕には、すでに1歳になった娘が抱かれていた。

越境ひっきりなし のtopページの写真は このときのもの。

 事故車に同乗していたデニスは、幸い軽症ですみ元気だ。しかも、彼女には事故をきっかけにして結婚話が進んでいた。事故の知らせを人づてに聞いてデニスに連絡をしてきた今はカナダに住む幼馴染と、恋が始まったのだという。結婚したらカナダに向かう予定の彼女には、すこし早い結婚祝いの絵本を送った。

 事務室があった教育省部局のボスだったダミアンは、しきりに私にルワンダでの復職を勧めてくれた。「フルタイムでなくとも、半日勤務とか、週三日勤務とかでいいじゃないか」。たいへんありがたいのだけれど、スポンサーであるODA機関はきっと認めてくれないと思うなぁ。それにダミアン、日本には優秀な人材がたくさんいるから心配ないよ。

 事故のあった日、首都キガリに向かう救急車を夜中にもかかわらず途中の町まで出迎えてくれ、その後のキガリ到着までの数時間、ずっと私の首を支えてくれたODA機関事務所医療担当のFさんにもお会いして挨拶できたのも嬉しかった。

 地方にある高校副校長のエジット、教員研修や学校視察でとっても世話になった彼とは、ずいぶんと気があって仲良くしていた。そのエジットもわざわざキガリまで会いに来てくれた。楽しく歓談している途中に、彼はぼくの境遇を不憫に思ってふいに嗚咽をもらした。だから、ぼくは大丈夫だっていっているのに。ぼくはうずくまるエジットの背中を軽くたたいた。

 そんな多くの嬉しい再会の中、私が特に会えるのを楽しみにしていたのがエマニュエルアルフレッドだ。
 エマニュエルは事務室があった教育省施設の用務員で、彼にはぼくが借りていた家を住み込みで管理してもらっていた。誠実でやさしい物腰の彼の存在は、日々の暮らしに大切な“安心”をぼくにもたらしていた。その彼も最近結婚し、娘も生まれたと聞いていた。どんな人と結婚したんだろう?おめでとうと直接伝えたかった。
 アルフレッドは事故を起こした車の運転手で、その過失を問われて解雇された。小柄で愛嬌のある彼の人生が、事故によってあらぬ方向にずれていってしまっていないか、ぼくは気になっていた。彼の消息はすぐにはわからなかったけれど、事務室のスタッフがあちこちに問い合わせしてくれ、ようやく連絡が取れたのはぼくがキガリに到着して数日経ってからだった。

 彼らと待ち合わせた宿のレストランに、エマニュエルは家族連れで、アルフレッドはひとりでやってきた。エマニュエルのパートナーは、エマニュエルよりも一抱えも大きな人で、その太い腕には小さな赤ちゃんが抱かれていた。心配していたアルフレッドも、なんとか仕事を見つけて元気にしているようだ。
 まずはビール、敬虔なクリスチャンのエマニュエルはジュース、で乾杯する。やがて注文した串刺し肉のバーベキューが運ばれてくる。そのときに給仕がボナペティ(どうぞ召し上がれ)」と仏語で一声かけていくのも懐かしいルワンダ式だ。職場でエマニュエルが私にコーヒーを注いでくれるときには、ボナペティといつも一声かけてくれたっけ。

 話はどうしても事故のことになる。スリップして谷に落ちた後のこと、救助され病院に運ばれてからのこと。アルフレッドによれば事故で亡くなった人の家族が、アルフレッドが運ばれた病院に押しかけたのだという。「病院の人たちが守ってくれなかったら、殺されていたかもしれない」。うん、そういうことはあるかもしれないなぁ。とにかく、お互い元気で会えてよかったよ。今日はお腹いっぱい食べてくれ。(筆者注:世界の少なくない場所で、交通事故の加害者が被害者や被害者の家族らから仕返しを受けることが多くおこっている。勤務先によっては、事故に起こしてしまったら、自ら警察署に逃げ込むようにという指導を赴任時に受けることもある。)

 レストランのテラスは開けた谷に向かっていて、そこに連なる家々の灯りがよく見えた。話尽きない私たちの横で、エマニュエルの大きなパートナーが、ちょっと身体を横に向けてぐずる娘に母乳を与え始めた。

 自宅や職場に置きっぱなしにしていた荷物もこの旅で無事に受け取った。その中に、ぼくがいつも首に掛けていた銀のチェーンもあった。事故現場で救出されたとき、救助に駆けつけてくれたひとりの男性が「ひっかかるといけないから」と地面に横たわるぼくの首からそれをはずし、履いていたズボンの右ポケットに押し込んでくれたことを微かに覚えている。
 汚れていただろうそのズボンは、破棄されることなく人づてにエマニュエルまで届き、ポケットの中のチェーンを彼が大事に保管してくれたんだ。不運の中にたくさんの幸運があったことを、改めて思う。
Murakoze cyane! Ndagukunda! Ongera tubonane! (どうもありがとう、大好きだよ、またね!)

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