「閉じろ」という叫び
新型コロナウィルスによる感染拡大が続いていますね。
多くの情報が飛び交う中、感染症に関しては素人であり、さらには脊髄損傷者としては、できるだけ感染を避けて過ごす、ということを意識して日々過ごすしかないなぁ、という感じでいます。下半身麻痺者として、どこかに隔離されて生活するのは不安ですし(介護用ベッドが使えるだろうか、そこで使えるトイレでの排便が可能だろうか、気になります)、横隔膜の力が弱いので痰がつまると人並み以上に苦しいような身体で、肺炎は嫌だなぁとか……。というわけで、静かな日々を送っています。
そんな日々に、以下のようなニュースが流れているのを知りました。日本国民党という政党が「緊急事態宣言など日本国民に対して制限を求めるのであれば、(それ以前に?)国境のハードルを高くして、新たな感染者とか変異ウィルスが国内に入るのを防ぐべきだ」というメッセージを発しているというのです。日本国民党のホームページですぐに見つかりました。
「国民に対して制限を求めるのであれば、何よりも国境のハードルを高くすることが政府の責任、務めである。日本国民党は、我が国政府に対し、ただちに入国規制の徹底を強く要求する」日本国民党 菅義偉首相に「入国規制」の徹底を求め緊急申し入れ! – 日本国民党 (kokuminto.jp)
なるほど。このような状況のなかでは、出てくるかもしれない意見なのでしょう。インターネットの中では、日本国民党のような主張に重なるような、在留資格を持っている外国籍の人たちの日本入国に関しての差別感丸出しの意見も見つかります。やれやれ、そういうのは放っておくとしても、さて、日本国民党の主張はどれだけ人々の共感を呼ぶのでしょうか。
「閉じろ」という声に怯える“ぼく(障害者)”
まず最初にはっきり書きますけれど、ぼくは共感できません。「入国規制」の徹底というのが具体的には「外国人は入国させない」ということであれば、それには反対です。PCR検査や待機期間など、できることはやりつつ、国境管理は、できる限り「閉じない」ことを選択してほしい。
自国民とか、他国民とか、特別に区別する必要はないと思います。人の流れを完全に断つというのは、とてもハレンチな選択だと思うのです。そんな選択は、状況によってどんどんエスカレートしがちです。集団の恐怖感が暴走するのは、歴史が証明しています。1994年のルワンダで数ヶ月で100万人が殺されたのだって、そうでした。関東大震災後の特定の人たちへの虐殺もありました。
日本国民党の理屈は「自国民に負担をかけるのであれば、それ以前に自国民以外、つまり他国民への負担を考えよ」と言っているようです。日本に入国したい他国民に負担をかけるのは、当然だろうということですよね。国家であれば、自国民優先なのは、仕方がないのでしょうか?それを前面に押し出して国々が対峙すると、どうなるだろう。緊急事態だから仕方ないのかな。
でもね、緊急事態だからこそ、意地をはらなくちゃいけないんじゃないだろうか。障害者の世界から見れば、日本国民党の考え方は、この社会の明日の弱者に対する暴走となって表れないか、心配でたまらないのです。政治を司る人たちであれば、そういう弱者の恐怖感への想像力は豊かであって欲しい。
「緊急事態」というのは、暴走を正当化するとてもいい言い訳だよねぇ。緊急事態なんだから、議論している暇はない。不安を煽られた社会は、平常の日々であれば眉をひそめるような方針でも、認めてしまう。その結果、一時的にウィルスの侵入を防げるように見えることもあるのかもしれない。けれど、ウィルスが入ってくることを未来永劫完全に防ぐことは無理でしょう。どんなに扉を閉めようとしても、それは無理なのも、歴史が証明しています。「世界は開いているから仕方がない」。ぼくたちはそれを肝に銘じたほうがいい。そして、むしろそれを“他者”にむけて発信したほうがいい。長期的視野に立って、できるだけ「閉じない」姿勢が明日は我が身を助けるんじゃないかな。こんなときだからこそ、「閉じない」「分けない」「隔てない」。
閉じれない、から、閉じないで
それでも、緊急時をうったえて「閉じよう」「分けよう」「隔てよう」と語る人は、弱者にとっては脅威だ。“外国人”は、すぐに“障害者”に飛び火するだろう。“ぼくたち”は、つい数十年前まで断種され、役に立たないとされ、ガス室にも送られた“他者”なんだ。だから、どうしたって排除の声には敏感になる。
ぼくは危惧している。ワクチンの投与をまず“医療関係者”、次に“高齢者”といっている世間が、ワクチンの高い効果が確認されれば、“高齢者”ではなく“働けるもの”が優先になるんじゃないかと。よーく、耳をすましていようと思う。
それは《理想》だと言う人もいるだろう。《緊急事態》の前に、経済が破綻する前に、《理想》はひとまず置いておこうと。でも、《緊急事態》だからこそ、《理想》をイメージできなくて、何が前頭葉を発達させた高等生物だ。ここで「隔てよう」と唱えるならば、弱者排除の歴史はまた繰り返す。
それとも、新しい歴史を作るのか?あなたは、どちらの一票入れる?
とにかく、日本国民党、次回の選挙でそこの候補に投票する選択肢は、ぼくにはなくなった。ま、そんなことは、どうでもいい。
あのさ、今自分が生きているのは21世紀という時代なんだって、徹底的に思っていいんじゃないかな。殺戮と差別の20世紀を経て、ようやく辿り着いた21世紀。みんがそこにいる。だからもう閉じることはできないよ。明日、ぼくが新型コロナウィルスに感染したとしても、それは世界は開いているから仕方がない。
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