立岩先生の訃報が飛び込んできた
立岩真也氏(たていわ・しんや=社会学者、立命館大教授)7月31日、悪性リンパ腫のため死去、62歳。
突然、悲報が舞い込んできました。つい先日も、あるZOOMセミナーで立岩さんが話されているのを見たばかりだった(そのセミナーは1年ぐらい前に開催されたものだったけれど)。愛猫が画面に表れても、まったく意に介せず淡々と話されている様子がいかにも「立岩先生だなぁ」という感じだったのです。
はい、立岩さんは、私には立岩先生。一度もお会いしたことはない。電話やインターネットで直接やり取りしたこともない。けれども、立岩さんは私には「先生」と心から呼びかけることができる師でありました。あぁ、こうやって書いていると涙が出てきて・・・自分がとても大きなものを彼から学んだのだ、教わったのだ、伝えられたのだ、ということを改めて痛感するのです。
でも・・・・。死は誰にでも遅かれ早かれやってくる。それでもさ、62歳……、だめだよぉ、まだまだこれからもっともっと教えてもらわなければいけないことがあったのに。障害者世界にいる者にとって、立岩さんの死はまるで足元が崩れたみたいな気分だ。本当に辛い。悲しい。いつも見上げれば煌々と輝いていた明るい星が突然消え去った。二度とその星が輝くことはない。その星が示してくれた道が、とつぜん暗闇に消えてしまった。そんな気持ちです。
障害者世界入門後、立岩先生の著作に出会う
立岩真也先生を知ったのは、2014年夏にルワンダで事故にあい障害を得て、日本に運ばれて病院でリハビリテーションの日々を過ごしているベッドの上でした。どうやって立岩さんを知ったのかは記憶にありませんけれど、50歳で障害者世界に参入した新参者として障害に関する本を片っ端から読んでいたのですから、今思えば立岩さんの著作に巡り合うのは必然だったのです。
最初に手に取ったのは、『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、2004)でした。独特の文体を持つ立岩さんの文章に、最初はちょっと戸惑いながら、でも《人工呼吸器をつけることを選択しないALS患者がいることの意味》を淡々と追い続けるこの本は、私に多くの学びをもたらしてくれたのです。
(注 ALSとは筋萎縮性側索硬化症とは、運動ニューロン神経系の障害により、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていくという症状です。自発呼吸ができなくなった際に人工呼吸器をつければ、その後も社会生活を営むことが可能なのですけれど、日本ではALS患者の7割以上が呼吸器をつけない選択をして、亡くなるとのことです。
立岩さんの上記本では、「人工呼吸器をつけない」という選択が、一見患者自らの意志という体裁を取りつつ、実は医療関係者の無理解、介護制度の不備などによって強制的に患者に「人工呼吸器をつけない」、つまり死ぬことを選択させているという状況をあぶり出していきます。
つまり、ALS患者は自死を強要されている。法律では禁止されている自殺幇助が行われているのだということです。現在、人工呼吸器をつけて長い年月を在宅で過ごしている方はけして少なくなりません。24時間介護が必要になりますけれど、家族だけに負担がかかってしまう状況は現在でもあるものの、多くの自治体で公的介護制度が整備され、それを利用できるようになりつつもあります。このような福祉は、ぜったいに後退させてはいけないものだろうと私は考えています。ちなみにALSの自律生活を公共福祉が後押しする点では、日本は世界の先端を行っています。先進国諸国では、人工呼吸器をつけて生活するALS患者の割合いは日本よりもずっと少ないそうです。日本での人工呼吸器をつけて生活するALS患者の事例は、徐々に先進国にも伝わっていて、彼らの価値観を揺さぶる状況が起きています。その点でも、日本の福祉を後退させることは人類にとっての大きな損失でしょう。)
その後、立岩さんの多くの著作をそれこそ貪るように読みました。どれもなかなかさらさらと読み進められる内容ではなく、同じ箇所を何度も読み直さなければならなかったりする歯ごたえのある読書を“強いられる”気分も多少はあったのですけれど、とにかくそこには確かに新たな価値観の創設があって、その価値観は社会的弱者を心底勇気づけてくれるものだったのです。
彼の著作を一冊だけ上げるとすれば、当然、彼の研究者としてのひとつの到達点である『私的所有論』(勁草書房 1997、第2版 生活書院、2013年)でしょう。
「自分で生産したものは、自分のもの」という当たり前の価値観をひっくり返す試みなのです。「自分で生産したものでも、自分のものではない」 それを認めるのは、はい、確かになかなか簡単にできることではありません。実際、立岩さんのこの考え方が、初版出版後すでに四半世紀経って、さてどれだけ社会に広がっているか? ほとんど広がっていないのでしょう。
それでも、彼のこの斬新な哲学の元には多くの学徒が集いました。学徒ということであれば、私にも立岩さんの直接の弟子の方の知り合いがいます。立岩さんの功績は、彼の元に集ってきた学徒を多数育てた、応援した、世に出した、ということがその著作と同様に大きな大きな社会貢献だったのです。
しかし、立岩さんの入門として上記の『私的所有論』はあまりにもハードルが高い。第2版の文庫本だって持つだけでもそこそこ重い。しかも、けして書かれていることは簡単でもないし(私もどこまで理解できているのか???自らの言葉で言語化できるところまでは読み込めていないのです)。
となれば、最初におススメなのは『人間の条件 そんなものない』(理論社 2010、イースト・プレス 2011、増補版 新曜社 2018)です。こちらはおそらく読みやすいはず。もちろん、最新版の増補版(新曜社 2018)が入手も簡単で、図書館にもきっとある。
急いで死ぬことはない、生きればいい
急いで死ぬことはない、生きればいい。周りはそれをサポートすればいい。サポートする資源はこの社会にはあるのだ。(つまり、良く言われる「少子化により(老人を含む)弱者支援の福祉に予算を割くことは難しい」という言説は、嘘だ!)
立岩さんの著作、言葉、行動は、私にはすべてここに収斂します。人間であるための条件なんかないのです。「○○できなければ、生きている価値はない」という言説はすべて徹底的に否定されるのです。生きる意味、生きる価値、そういう考え方が、ときに人を勇気づけるのはわかります。そして、個々人が自分の生きる意味や価値を追い求めることで、それがその人の幸いにつながることはとっても素敵なことだと思います。したい人は、できる人は、ご自分の生きる意味、生きる価値を追い続けて下さい。そういう私だって、きっと心のどこかで自分自身の「意味」とか「価値」とかいう考え方から完全に自由ではないと思う。ついついそういう考え方をしちゃっている面はある(そこからも脱却したいとは私自身はおもっているけれど、ね)。
けれども。他者について、その人の生きる価値や生きる意味をどうこういうことは、ダメだ。それは礼儀知らずのすることだ。私はそう思っているし、その私の考えをこの10年近く支え続けてきてくれたのが、立岩さんなのです。
立岩さんの著作を読むことで、私は自分がどれだけ救われたか。どれだけ勇気づけられたか。だから彼は私にとっては「師」であり、「先生」なのです。
2016年夏に起こった相模原障害者施設大数殺傷事件に象徴されるような事件/事故が起これば、「立岩さんはなんて言っているのだろうか?」と思うのです。そういう人はきっとたくさんいる。彼が語ることを咀嚼することが、その事件や事故を自分の中で意味づけることの大きな手掛かりになったのです。その点で、立岩さんは灯台だった。
その立岩さん、闘病のことはまったく知りませんでした。昨年も『人命の特別を言わず/言う』(筑摩書房 2022)という新著と『良い死/唯の生』(筑摩書房 2022)、こちらは以前出た著作を合本して文庫化されたもの、が順調!?に出版されていました。
そして、当然これからも立岩さんの著書は継続して出てくるはずだし、彼のお仕事はますます充実期を迎えることを疑ったことはまったくなかった私なのです。
そして、突然の訃報。
感謝ばかりがあるのです
私以上に、落胆し、喪失感に暮れている人たちは、もう山ほどいるはずです。これを読んでいる皆さんの世界ではどうなのかはわかりませんが、私の世界ではまさに巨星落つ、立岩先生が亡くなったというのは大変な出来事なのです。嘘だと言ってよ!と叫びたくなる。
立岩先生、これまでの教え、本当にありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。いくらお礼を言っても、言い過ぎということはないのです。
うん、私も死ぬまで生きます。先生の新著をもう読むことができないことは寂しくて仕方がないけれど、これまでの著作をまた何度も読み直せばいいのですよね。先生の言葉・文章、その深みは私に味わい尽くせるはずもないのだから、何度でも読めばいい。
そして、先生の薫陶を受けた方々からも、きっとこれからも私は刺激を受け続けるのだろうと思う。間違いなく、確信しています。 本当に先生に出会えてよかったのです。 合掌

謹んでお悔やみ申し上げます。ご自宅に弔問された方の投稿読みました。ああ、この方だったんだと思いました。沢山の仲間に慕われていたかたみたいですね。
岡本綾子さま、コメントありがとうございます。
障害のある人たち、そして弱者への共感にあふれた人たちが、多く立岩さんの研究室に集り、そして世に出ています。立岩さん亡き後、立岩さんの意思を継ぐ多くの人たちがいることが私の希望です。
不肖小生は恥ずかしながら読んだことありません。立岩先生のご著作、1冊夏が過ぎる前に読もうと思います。村山さんがそれだけ心酔する人だったから。
匿名さま
はい、ぜひ読んでみて下さい。立岩さんは、革命家でした。