手塚篤さん、高校の1年先輩になります。
手塚先輩は、ばりばりに働いていた(「4番ピッチャー」だったと、本人談)2015年、52歳のときに突然、足に力が入らなくなります。あれよあれよと身体に変調が起こり、わけがわからないままなんとか病院にたどりつき。そしてようやくついた診断名が、ギランバレー症候群。
ギランバレー症候群とは、「免疫システムの不具合で、末梢神経が壊される。自己免疫疾患」で厚生省から難病指定を受けている、罹った人、その家族、周辺のみなさんにとっては、大変な病気です。手塚さんの場合、全身の運動神経が自己免疫の攻撃を受けて、ダウンしてしまいました。(ギランバレーについてもっと知りたい方は、『ギラン・バレー症候群患者の会』のHPを見てください。)https://sites.google.com/site/gbskanjyanokai/home/guillain-barr-syndrome
で、手塚さんと私、車イス仲間として数年前に知り合いました。たまたま高校同窓つながりで手塚さんが絵の個展が千歳船橋で開かれることを知ったのです。
Skoob https://www.facebook.com/CafeBarSKOOB という、素敵なBarが会場だったのが決定打で、私は出かけていったのでした。Skoobはとても気持ちのいい場所でした。千歳船橋に暮らす人たちが羨ましい。
高校時代、パチンコばかりしていた手塚さんと、野球しかやっていなかった私には、これっぽっちの接点もありません。手塚さんと同期に、私の野球部の1年先輩方がおられるのですが「野球部のメンバーも、俺、ほとんど知らないんだよねぇ」という手塚さん。
Skoobで初めて会ったきりで、もうすぐ3年?フェースブックつながりで、やがて手塚さんが少しずつ回復し、復職し、職場の近くに引っ越されたことなどは知っていました。そして、手塚さんが最近になってフェースブックにあげる、美味しそうな飲み屋の数々。ということで、では久しぶりにお会いしましょうと、先日、私は高崎線宮原駅まで行ってきたのです。
手塚さんのギランバレー症候群は、かなり重いものでした。指の曲げ伸ばしなどにも障害が残り、彼は電動車イスを使っています。手塚さんが乗るのは、Whill(ウィル)という、次世代型電動車イス、車イス世界では羨望の名車です https://www.dinos.co.jp/whill/。とにかく、格好いい。障害保険の補償があっても、かなり自己負担しなくてはいけない高級車でもあります。今は手動車イスを使っている私も、腕の力が弱まったら、Whill、乗りたいなぁ。
でも、そんな高級車Whillが届くのを待つあいだ「Whillがくれば、自分で動いて、電車に飛び込める」なんて考えていた時期も手塚さんにはあったのです。
手塚さん、発病から5年のあいだに、3回の危機があったと、焼酎をロックでやりながら話してくれました。私はお湯割りです。
最初は、発病後しばらくの期間。わけもわからず手足全身が動かなくなり、俺、いったいどうなっちまうのか?という時期。自己呼吸が難しくなって、気がつくと人工呼吸器をつけられていた手塚さんは、最初の「絶望」に取り憑かれました。でも、とにかく病気が持ち直し、あとはリハビリ一本道に入って、この最初の危機は乗り越えたそうです。
周りの医師・リハビリテーショントレーナー・家族・友人、みんなが「リハビリを頑張れば、元の身体に戻れるよ」「希望を失わずに、がんばって」。そんな言葉を、そのまま受け取って全力でリハビリテーションに取り組んだ手塚さん。第2の危機は、その先で待っていました。発病前、フルマラソンを76回、ハーフマラソンを77回走った手塚さんは、半年もすればまた走れるようになるんだと、周りの人たちの励ましの声を素直に信じていたそうです。けれど、どうもおかしい。こんな調子で元通りの身体に戻れるのだろうか?そんな不安が浮かんできたころ、医師やトレーナーから「完全に元通りになるのは難しい」と告げられます。俺は騙されていたのか?元に戻れるなんて、嘘だったのか?
2番めの危機をどう乗り越えたのか、聞いたけど、酔っ払ってて忘れちゃった。不確かだから、書かずにすませます。
3回目の波は、発病から3年が経ち、なんとか復職が決まったときにやってきました。具体的に復職の準備を始めると、不安がどんどん膨らみます。会社近くの借家探しもストレスでした。復職するということは、発病する前の自分と対峙するってことだったのでしょう。そりゃ、辛かっただろうと、私は想像してみます。でも想像は、実際に届くはずもありません。
手塚さんは毎晩考えた。不便の残った身体で寿命まで生きる、それは、発病までの人生とは別の第2の人生なんだ。「一度、死んで、第2の人生を生きる」…そんな心境に自分の心を押さえつけることで、手塚さんも、彼のWhillも、からくも危機を乗り越えました。

写真は千歳船橋周辺の飲み屋さん。並ぶ酒瓶の細かさに私は驚く。画集『四肢麻痺患者の社会復帰』より
「俺はねぇ、むしろ障害のある人たちは、家に引っ込んでろっなんて、考える方だったんだよね」
人は変わる。境界を超えて、また新しい価値観を得る。
でも、超えたとたんさ、私たちはもう強者じゃない? 超えられない人に、超えた私たちがナニを言ってもさ、届かないってこと、ありますよね。
そうなんだよ。でもさ、少しでも力になりたいとも思うんだよ。
手塚さんにも、私にも、だれにも、次の負の波がまたやってくることはある。その大小はあっても。強者も弱者も、そんなの関係ないって局面はある。
きっと、ブログ「越境、ひっきりなし」に手塚さんはまた登場するんだろう、という予感がするなぁ。


















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