6月24日、イスラエルとイランが停戦に合意したというニュースが流れました。イスラエルが突然にイランを爆撃したのが6月13日。イランも報復でイスラエルにミサイルを飛ばしました。最後は、米軍までがイラン攻撃に参加して。
イスラエルもイランも、「勝者は我々だ」と。この間、イスラエル側の死者は数十人? イラン側は数百人?(追記 「イスラエル側の死者数は約33人で負傷者数は800人超、イラン側の死者数は約430人で負傷者数は3500人超」という報道記事を見つけました) 一方、この間も、イスラエルはガザ攻撃を継続しています。
以下、日付とガザでの死者数。 この数字は、「ガザ」に関するニュースで検索して、20本ほどの記事を読んで抜き書きしたものです。記事によっては数名の誤差があるケースもありました。その場合は、多い記事を参考しています。
6月11日 少なくとも60人
…
6月13日 イスラエルのイラン攻撃第一波
…
6月17日 少なくとも59人
6月18日 33人 (13日から18日までの6日間で死者400人、1日あたり66人)
6月19日 51人
6月20日 37人
6月21日 11人
6月23日 9人
6月24日 最低でも29人
…
6月26日 13日からこの日まで、パレスチナの犠牲者は800人を超えた。
(18日の報道から7日間で400人増えている。1日あたり57人程度の数。つまり、私がニュース記事で確認できた上記の報道数よりももっと多くの人たちが殺されているということか)
…
2023年10月から続くイスラエル軍のガザ攻撃によって、5万6千人を超える死者が出ています。ある記事には、全住民の12人に1人が殺された計算になるとありました。
イランとの交戦停止後も、「ガザへの攻撃は継続する」と、イスラエル政府は明言しています。犠牲者の数字はこれからも増え続ける。
死者の数だけを数え上げることが、それほど意味があるのかどうか。それは私にもよくわかりません。5万6千人の死者の背景には、膨大な数の負傷者がいる。2000年に勃発したパレスチナ住民による反イスラエルの蜂起である第2次インティファーダでは、最初の5日間でパレスチナ側の死者47人で、負傷者は1,885人です(Wikipedia日本版「第2次インティファーダ」の項より)。死者一人当たりの負傷者数は40人。もしこの割合を5万6千人の死者に当てはめれば、負傷者数は220万人を越えます。つまり、ほぼガザ全部の人口すべてが負傷している数になる。
実際は、負傷者数はもっと少ない。なぜなら、第2次インティファーダの死傷者数の多くはイスラエル兵の狙撃によるもの。それに対して、この1年半以上続くガザ攻撃による死傷者の多くは爆撃によるもの。爆撃のほうが、いっぺんにたくさんの人が殺される。死傷者の中の死者の割合は高いから。それでも、以下に多くの負傷者が今ガザにいるのかは、それほど想像をたくましくしなくてもわかります。数十万、もしかすれば百万にとどく負傷者がいる。それに加わる飢え。
米国とイスラエルが協力して立ち上げた援助団体「ガザ人道財団」、その詳細を私は知らないままですけれど、数週間前からこの財団だけがガザで食料配布を続けています。けれども、食料配布を受け取りにきたパレスチナ住民がイスラエル軍の発砲や戦車からの砲撃で死傷するケースが相次いでいる。
イスラエル側は、「危険な群衆が向かってきたため、威嚇射撃をした」というようなことを発表するばかりです。そりゃ、みんな必死だろう。我先にとなる。そこまで追い込んでしまったことがまず問題です。もはやコントロール不可能な領域に入ってしまっているのです。
国連は「ガザ人道財団」の配給体制は危険で人道的な中立性にも違反しているとして、その活動を否定しています。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のラザリーニ事務局長は24日、ベルリンで記者団に「ガザ人道財団」の食糧配給は「死の落とし穴」になっていると指摘しました。
一方、イスラエル軍は25日、パレスチナ自治区ガザ南部での24日の戦闘で将校1人と兵士6人の計7人が死亡したと発表しました。そう、イスラエル兵だって殺されている。
でもね、やはり戦闘兵士と民間人の死を同列にはあつかえない。私の友人は兵士の仕事は死ぬことだと言った。それでいえば、我が日本政府のもつ日本軍はここ数十年、それほど多くの仕事はしていない? いや、それはそれで良きことです。どうぞこれからも「死ぬ」仕事はしないでいただきたい。
兵士の死ぬ仕事は、往々にして殺す仕事とリンクしている。いや、それは「祖国を守るためだ」という声はあがるだろう。そして、あちら(殺し合いの相手)も同じでしょう。祖国を守る者同士が殺し合う。殺し合う兵士たちに共感はあり得るのか?
一方で、いつ落ちてくるかわからない爆撃に恐怖する市民たちはどうでしょう。イスラエルの爆撃に連夜怯えるガザのハンユーニス市の住民、イスラエルの爆撃に怯えたイランの首都テヘランの住民、イランからのロケット攻撃に怯えたイスラエルの商業都市テルアビブの住民。
彼らにとって、その爆撃は自分たちの決定したことが引き起こしたことではない。自分たちで、相手を殺そうとしているわけでも(一時的には)ない。自らが所属する国家政府の決定に反対している人だっているかもしれない。それでもロケット爆弾は容赦しない。
そんな理不尽さは、ハンユーニスでも、テヘランでも、テルアビブでも、どこの住民にとっても同じなのではないか? ならば、そんな住民たち同士に共感は生まれないのか?
自分の頭の上にではなく、少し離れた場所での着弾音と地面の揺れを感じつつ、「助かった」と思い我が子を抱きしめる。そして、その後には「敵国にリベンジを!」となってしまうのは……、それは…、洗脳されているからではないのか?
でも、共感を育てる機会がなさすぎる。無差別攻撃の対象となってしまうことで生まれるべき共感をつなぐ機会がなさすぎる。そして、報復の連鎖。
そういう私も、イランの発射したロケットの中に、イスラエルの強力な迎撃システムをかいくぐりファイファやテルアビブに着弾したロケットがあったときに、心の中に「ざまーみろ」という気分が浮かんだのです。確かに浮かんだ。同じことが、毎晩ガザでは起こっているんだよ。それに気づかないから、やがては自分に災禍がおよぶのだとでもいうかのように、「いいきみだ」的な思いが心に沸き上がった。
でも、それは罠なんだと思う。私も、無力な私も、共感しなくちゃいけないのは爆撃に怯える、そして爆撃に出会ってしまった無名の人たちなはずだから。
イスラエルという集合名詞で、文章を作ることで生まれる偏見。一方で、イスラエルという言葉を使って非難せざるを得ない現実。「殺される前に、殺した方が勝ち」と考えている社会に対して私は何を言えるのか?
そういう自分の祖国では、日本市民の中から「乗っ取られてからでは遅い」と排他的ヘイトをまくしたてる声が聞こえてくる。
カンボジアでも、最近起こったタイとの国境紛争で、愛国の嵐が巻き起こっています。先週のモニク王妃の誕生日を祝う休日には、首都プノンペンでの祖国愛を示すパレードには15万人のカンボジア市民が集まりました。(6月16日 サイハモニー王の母であるモニク王妃の誕生日の祝日に。タイとの国境紛争で盛り上がる愛国行動を示す、15万人のカンボジア市民のパレード。プノンペンで。インターネットでの報道記事より写真を拝借しました)

私は祖国愛を恐ろしいと思います。美しいとは思えない。だって、これまでどれだけ愛国のために人は人を殺してきましたか? ましてや私がたまたま生まれた日本という国家には、祖国のため、天皇のためという掛け声で、殺し殺されが超激にエスカレートした歴史を持っています。
(追記 「ああ、俺は幾人の彼らを殺したことか。10人…いや15人、ともあれ俺は生まれて初めて人の命を、自己の力で消滅させたのだ」「お母さん、お母さん。お母さんのおとなしい息子だった僕は今、人を殺し火を放つ、恐ろしい戦線の兵士となって暮らしています。僕はお母さんに会うことができるかしら。お母さん、お母さん…」1937年に中国大陸で戦死した今井龍一さん(享年22歳)の日記から。「僕は人を殺し火を放つ恐ろしい兵士」戦後80年 岐阜の小さな村で語り継がれる若者の日記 家族や故郷想い戦場で散る(FNNプライムオンライン) – Yahoo!ニュース)
カンボジアのポルポト政権による大量虐殺、あれも祖国を守るためという名目で指導者は正当化してきた(多くの無名の殺害実施者は、殺さなければ自分が殺されるという恐怖が主で鉈を振り落としたのでしたけれど)。
インターネットを視ると、世間には多くの「密告者」が満ち満ちている。小さな正義を掲げて、自分より弱い者を晒す。生贄をさがして、そんな無邪気な密告者が街中をスマートフォンを片手に蠢いている。
日本人ファーストを叫ぶ人たちは、あるいは自分の国ファーストを叫ぶ人たちは、国家と自分をリンクさせることに迷いがない。だから私は愛国が怖い。
私は市井の人たちの共感を拒む愛国を憎む。イスラエルファーストも、日本ファーストも、その根っこに違いはないと理解しています。東京ファーストにだって、同じ偏狭で排他の根っこがつながっている。そして多くの人が、○○ファーストを望み、○○ファーストに投票する。うーん、うーん、うーん。(追記注 東京ファーストは、特定の政党名「都民ファースト」との誤記ではありません)
愛国心が実は危険で、イスラエル、イラン、ましては過去の日本のしてきた悲しい歴史を考えると煽ってはいけない、との指摘は自分にとって新しい視点でした。戦争の指揮を取っている人の心の中は子供のケンカと同じレベルなんじゃないかと思います。
また、投稿してください。勉強になります。
たか様 読んでいただき、コメントまで書いていただき、感謝感激雨あられ! ありがとうございます。
「日本のしてきた悲しい歴史」に関して、ブログ本文に追記をしています。再読で申し訳ないですけれど、読んでくださいませ。
たか様が書かれたリーダーたちの「子どものケンカ」で、実際に手に血がこびりつくのは市井の市民だった兵士です。
その兵士の手にこびりついた血も、もしかするとかなり高い割合で市民なのかもしれません。
投稿、励みになります。再度、ありがとうございます、です。