テストの内容改革が、教育の質改善には一番費用対効果が高い? と思うんだけれど、テストの内容改革はむずかしい、という話

カンボジア 教員養成校の授業での一風景 学生にこんな顔させる授業、どんなだろうね。

教育の質改善に、もっとも効果があるのは試験改革じゃないか、とぼくは思っています。

 以前、このブログで教育の質改善って、なかなか簡単じゃないのよ、って話を書きました。
たとえば、2010年10月10日の以下の記事。

生徒中心の授業の普及と、現場での難しさ 2 – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com)

 どうやって暗記中心の授業を、もっと生徒たちが自分たちで考える授業に変えていけるか、よく同僚たちとも議論をしました。
 そこでぼく自身がたどり着いたひとつの結論は、試験を変えるのが一番効果がある、でした。特に、多くの国で実施されている学歴取得の資格試験。この試験の内容を改善することが、学校での教育の質を向上するにはもっとも効果的だと思うのです。
 たとえばケニアであれば、8年の初等教育の次に進む4年の中等教育の終了時に、全国中等教育卒業資格試験が行われます。これはイギリスの教育制度の影響があります。
 カンボジアなら、6-3-3の初中等教育の、中学校終了時と高校終了時にやはり卒業資格試験が実施されます。つい数年前までは両方とも国家共通試験でしたけれど、最近、中学校卒業資格試験は各県で実施されているのかな?各学校かな?とにかく、国家共通試験ではなくなったはずです。けれど、高校卒業資格試験は現在も国家試験です。
 ケニアでも、カンボジアでも、この国家試験の結果次第で、大学の進学が決まります。ですから、高校にとって、この試験に自校の生徒がどれだけいい成績を取るかが、とても重要です。この試験に向けて、当然受験勉強熱も高まります。日本の大学試験で多くの大学が義務としている共通テストよりもずっとヒエラルキーがはっきりと出る、進学を目指す若者たちにとっては、最初に出会う人生の大きな難関が、この国家資格試験なわけです。

カンボジア国家試験の不正撲滅運動 2014~

 数年前、カンボジアのこの高校卒業資格試験(G12試験と呼ばれています)の大改革が新しく就任した教育大臣(ハンチュオンナロン大臣)の掛け声の元に2014年に断行されました。それは、「カンニングの禁止」です。つまり、その大改革以前には、カンニング、つまり試験中の不正行為が広く行われていたのです(認められていたわけではありませんが、ほぼフリーパスだったようです)。

 ぼくがカンボジアでの教育支援を始めた2002年当時、国家試験でのカンニング行為は大きな社会問題になっていました。試験の日には、試験会場周辺のコピー屋は閉鎖され、試験会場には警察官が配置され、外部からの試験への干渉を防ごうとする措置を取っていました。
 なぜ、当日にコピー屋が閉鎖されたのか。試験当日に、模範解答が出回るからです。模範解答を買って、それを試験会場にいる我が子に、兄弟姉妹に、親戚に、友人に、届けようとする人たちが後を立たなかったのです。どうやって、模範解答を会場の学生に渡すか。模範解答に石を包んで投げ入れたという話も聞きました。
 最初、ぼくはその話が信じられませんでした。想像できない。試験監督は教室にいるのに、外から模範解答を投げ入れる???けれど、試験を受ける学生たちは、ちゃんとわきまえていて、試験開始時にみんなでお金を集めて、それを試験監督に差し出すのが慣例だったそうです。で、試験監督は、たいがいのことはお目こぼししてくれる。いや、本当なんです。
 お金を払った学生たちは、模範解答が届けば、それはみんなでシェアするのが流儀(払わなかった子には、見せてくれないと聞きました、となると払わないのにもかなりの勇気がいりますね)。
 試験監督についた教員にとって、学生たちから支払われるお目こぼし費は、教員の少ない給与をかなり助けてくれるものだったそうです。
 模範解答が本当に正しい回答なのか???教育省は、「ニセモノが出回るから、お金を払っても無駄になります」「試験内容は、絶対に外に漏れていませんから、模範解答が出ることは有りえません」と盛んにアナウンスしましたが、実際のところはどうだったのか。きっと、ある時期には、実際に事前に試験内容が漏れてしまうということが、あったのだとぼくは想像しています。

 不正は、模範解答に限りません。いわゆるカンニングペーパーの作成は、試験を受ける前に必須の試験準備でした。質の高いと判断されたカンニングペーパーを探して、学生たちは必死になる。もちろん、そこにはお金の支払も起こります。試験日前日のコピー屋の前には、カンニングペーパーをコピーするのに多くの学生が集まりました。
 これ、嘘みたいな話ですけれど、残念ながら、本当だったのです。
 改革が始まる前の試験当日、ぼくがたまたまある私立高校教員と話をしていたとき、彼の携帯電話が鳴り、彼はしばらくその電話に対応していました。うん?なんか変な感じだぞ。電話を切ると、「今の電話は試験会場の生徒からで、試験内容について質問だった」と彼は苦笑するのです。試験会場から電話する????でも、そのころのぼくは、もう驚きもしませんでした。おそらく学生はイヤホンを使って話していたでしょうけれど、試験監督が気がつかないはずはありません。お目こぼししてもらっていたのは、確実です。
 ある地方の学校を訪問したとき。その街で育ったぼくの運転手ラタナックが懐かしそうに言うのです。「ボス、ぼくの従兄弟(いとこ)が試験を受けたとき、ぼくはこの(とい)を登って彼に模範解答を届けたんですよ、いやぁ、懐かしいなぁ」と彼が見上げるのは3階建ての校舎で、彼はそこに設置されている雨樋を3階まで登っていったというのだ。やれやれ、なんてこったい。

 教育大臣は、ここに一気に切り込んだのです。大改革最初の年、試験会場入り口で、徹底的な身体検査が行われ、そこには没収されたカンニングペーパーが山と積まれました。この身体検査には、公立大学の大学生が動員されました。試験会場で受験生から金を受け取った教員が数人失職処分を受け、それが大きく報道されました。そして、その年、試験の合格者も激減してしまい、悲鳴を上げた大学業界からの声を受けて総理がその同じ年に追加国家試験の実施に踏み切ったにも関わらず、合格者は受験者の4分の1にとどまりました。この不正撲滅運動は現在まで続き、そろそろカンニングペーパーの持ち込みなどの不正は解消しつつあるようです。この影響が、どこまで学校での定期試験などに出ているのかは、よくわかりませんけれど。

次にやるべきは、試験問題の試験後の公開

 しかし、ぼくが考える試験改革の話はまだ先です。
 はい、このカンニング撲滅改革は、よくぞやってくれた、という感じがします。けれど、本当の改革はここからのはず。というのは、現状の試験で出される問題は、暗記中心のものだと思われるからです。思われる、というのは、実は、この国家試験の試験問題は試験後も非公開なのです。もちろん、解答も発表されません。ですから、学生たちは自己採点もできません。
 公開されない理由のひとつは、以前から出回っていた怪しい模範解答の存在です。もし、試験後に公開された試験が本当に模範解答の基となる問題だとしたら、どうでしょう。つまり、事前に問題が漏れていた証拠となってしまいます。
 さらに、試験問題に過ちがあったらどうでしょう。たとえば、回答が複数存在するような問題、あるいは回答が出ない問題……、問題そのものに記述ミスがあるケースもあり得ます。実は、カンボジアでは、試験前に試験内容を複数の人たちで揉みません。個人個人の先生が問題を準備し、それを試験を実施する局で保管し、実際の試験問題作成時には、それらから無作為に選択して問題を出すことで、不正防止を図っているからです。事前にみんなで試験問題を検討すれば、それだけ不正防止が難しくなるというのです。
 試験の解答は、試験後に採点者が集まって決定します。つまり、試験前に問題の答えは出しません。解答を知っているのは、問題を作った先生だけですけれど、そこになにか間違いが潜んでいる可能性は否定できません。経験上でいえば、試験問題を作成する際の作り手のうっかりミスは、ある程度の確率で必ず起こります。本来ならそれを複数人数でチェックして、ミスを防ぐ必要があるはずなんですが。

 これが試験問題を公開しない大きな理由だと、ぼくは想像しています。うーん。
 まず、教育省はこのジレンマを乗り切って、試験問題と模範解答を公開するべきだと思います。不正を防ぐことを理由に、試験問題を公開できないとすれば、それは教育省の試験管理能力に問題があることになってしまいます。試験問題を公開することで、試験の質はひとつ上がるはずです。
 ここまでは、今すぐにでもできるはず。教育省、頑張れ。

いよいよ、本質的な試験改革となります 問題の質を変えるのです。

 ここまでくれば、真の改革を実施する準備はできました。
 試験での学生たちの不正を防ぎ、さらに試験問題を試験後に公開するようになったら、いよいよ試験問題そのものの改善を行うときです。暗記だけでは解答できない「考える問題」を出すようにするのです。

 ここには、海外から技術支援をする価値があると思います。どんな試験問題が国際的に流行っているのか、それを紹介し、現状の暗記中心の試験問題からの脱却を図るのです。そこまでいけば、あとは試験の受け手、あるいは学校の教師がそんな試験問題を研究し、学校現場で対応するようになるはずです(そのためにも、試験問題の公開が必要なのです)。教育省が、底辺の教員にちょびちょびと研修するよりよっぽど効果的、かつ効率的に、学校内での教育は変わっていきます。イメージとしては、国家試験の問題の質を変えれば、市場(教員や学生)が勝手にそれに対応しようとするのです。
 逆に、試験問題を変えずに、生徒中心の授業法を広げようとしても、なかなかうまくは行きません。市場(教員や学生)にとっていちばん大切なのは、国家試験でいい成績を取ることなのですから。国家試験が暗記重視の問題を出す以上、市場(教員や学生)は当然それに向けて努力するしかありません。考える力より、暗記する力こそが、試験でいい成績を取るには必要なのですから。

 この支援をする際の大きな障害は、誰が試験を作っているのかを教育省は内密にしていることです。もちろん、不正防止のためです。
おそらく、日本でも大学受験の共通テストの問題を誰が作っているのかは公開されていなかったと思います。これも、不正防止のため。
 さて、それでは、試験問題改定に向けて、誰に技術支援を実施すればいいのでしょう。この段階で教育省が「内密」であることを、そっと「支援者」にだけ教えてくれないならば、この技術支援は不可能です。そして、おそらく、簡単にこの段階をクリアできないように思います。それだけ、教育省は不正に敏感になっています。もし「内密」なことを「支援者」に伝えて、不正が起こったとしたら、教育省は「支援者」も疑わなくてはいけません。それは、きっと、両者にとってとても面倒くさいことになりそうです。となれば、「支援者」もそれなりの覚悟が必要になります。そこまでリスクを背負えるか?うーん、どうなんだろう。やっぱり難しいよなぁ。

 さて、とういことで「教育の質改善」には、国家試験の試験内容の改革が必要かつ効果的なんだけれど、なかなかそこにタッチできない。ここ、なにか良い知恵はありませんかねぇ。やはり強いリーダーシップに期待するってことになるのだけれど。こんな話、どこかで進んでいないかなぁと思ったりする今日このごろであります。ではでは、また。 

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