とかくに住みにくいこの世で、でも楽しいことを探してみました

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々 フィリピンの研修ブログラムで優雅な踊りを見せてくれた小学校教員 フィリピン ダバオ 2001年 (本文とは直接の関係はありません)

こんなタイトルにしつつ、まず悲報なんです 

 プノンペンで隔離の日々が続いています。そんな中、今日、以前ODAプロジェクトの研修にも参加されていた教員養成校のひとりの理科教員が交通事故で急逝したというニュースが入ってきました。息子さんと二人でバイクに乗っているところに、酒酔い運転の車が突っ込んだということです。幸い息子さんは軽傷だったようですけれど。もしかしたら、ヘルメットを被っていなかったのかなぁ。詳細はわかりません。多くの同僚や学生に親しまれていた彼女の突然の死を悼むメッセージがインターネットの中を飛び交っています。誰しも死は避けられないものですけれど、今回のように避けられたはずの死は、なんとも残念で仕方ありません。
 人が亡くなるというのは、ひとつの小宇宙が消滅するってことです。彼女だけが持つ記憶、視点、知恵、表現、それは唯一無二のもので、二度と再生できるものではない。
 皆様、おそらく誰でも、長生きするってのは、善行です。ぜひ、善行目指していきましょう。交通事故、気をつけてどうなるものでもないけれど、でも、気をつけましょう。

楽しいことを書きたいでも難しい……

 悲しい書き出しになりましたけれど、今回は楽しいことを書きたいなと思っていました。ベッドの中で目を閉じながら、なにかブログで書ける楽しいことはないだろうかと考えました。しかし、なかなか思いつきません。それはそれで、なんとも情けないことでございます。人様に伝える楽しいことのひとつふたつ、すぐに思いつけるようじゃなけりゃ、発信者として一人前ではない!!と、自分を責めるような気持ちが湧いてきたりもします。

 この「楽しい」というのは、よくよく考えてみると、なかなかやっかいな言葉です。当然ながら、人によって楽しいことは千差万別。音楽ひとつとっても、どんな音楽を聞いて楽しいかを考えてみれば、その複雑さが想像できます。私にとって素敵な音楽が、誰にでも楽しめるなんて思っていたら、それはむしろ自己顕示欲強すぎ!ってことになってしまう。
 私は日本プロ野球の一チームである「広島カープ」のファンでして、カープが勝つととっても楽しい気持ちになりますけれど、それが誰とでも共感できるものではないことは痛いほどわかります。ですから、ここでカープが勝って嬉しいです、なんてことを気楽に書くわけにもいかない。

 そう考えれば、万人に楽しいなんてことを探し出すことは、もともと無理なんでしょう。開催まで100日を切った東京オリンピック、その直後のパラリンピックにしても、それが開催されたとして全ての人がその開催を楽しめるなんてことは絶対にありません。それはけして新型コロナウィルスのせいではない。新型コロナの感染が大きな社会問題になっておらず、昨年予定通りオリンピック・パラリンピックが開催されていたとしても、その開催を心から楽しめない人は日本だけでもかなりの数に達したはずです。特に、震災の復興、特に福島第1原発事故をめぐる「アンダーコントロール」発言に納得いかないと思う人(私もそのひとり)にとっては、4年に一度の祭典も、なにか嘘くさいものだったでしょう。
 一方で、参加選手はもちろんとしても、海外から来日する人たちとの交流を楽しみにしていた人もいる。これを機会に収入を増やそうと思っていた人もいたでしょうし、もちろんそれが責められることではない。
 あっちを立てれば、こっちが立たず。とかくこの世は住みにくい、と思えば、本当にまったくそのとおりであります。これ、オリジナルは漱石だよなぁと思い、念のため確認しましたところ、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい」、漱石の『草枕』冒頭の一節。いや、名文でありますね。

 でも、真剣に生きていれば、そりゃ「この世は住みにくい」面があるのも当たり前でございますよ。真剣、が良いのか悪いのかも簡単には申せません。ヒトラーは大真面目に真剣でありましたでしょうし、トランプさんもそうだったでしょう。いや、ヒトラーとトランプを並べたらまずいかな。池江璃花子さんの“真剣”であれば、万人に受け入れてもらえるでしょうけれど、どなたの真剣も、すべての人に認めてもらうってのは、なかなか難しい。
 どんなにクラブ活動でスポーツなり、文芸になり、芸術なりに真剣に打ち込んでも、帰宅すると「あなた、勉強も真剣にやったらどうなの?」とスポンサー様からお小言を言われてしまうのが、世の常です。あぁ、無情。

希望が宿る“真剣”ってあると思います

 というやっかいな“真剣”ですけれど、天の邪鬼に歴史の不都合な真実にことさら目を向けることをしなければ、どちらかといえばやっぱり“真剣”な姿勢を前にすると、たとえそれが他人のものでも、どこか身が引き締まると言うか、わくわくするというか、つまりは「楽しい」につながるものが心の中に湧いてくるように思います。

 最近の私の周りのそんな楽しいにもいくつかあります。思いつくまま、順不同に上げてみると。

 1年前から止まっていたODAの海外活動が、ここ1-2ヶ月、あちこちで再開したという知らせが入ってきています。そんな知人たちからの嬉しいニュースと、彼らが気持ちを新たにして日本を飛び出していく様子、それは“真剣”さがにじみ出ていて、素敵です。
 スーダン、エジプト、ウズベキスタン、ブータン、ルワンダ……。いくらインターネットが発達し、画面上でダイレクトにコミュニケーションできるとしても、やはり手を伸ばせば触れ合える距離での「関係性」は大事です。むしろ、その大切さを痛感できたとすれば、それはせめてコロナ禍の困難から得られたプラスなのかもしれません。皆様、頑張れ!って思います。

 辛い“真剣”も伝わってきます。ミャンマーで、香港で、自分の信じる自由や人権を失わないために示されている多くの“真剣”。それを前にして「楽しい」という言葉を使うのは、そりゃ(はばか)られるものがあります。だって、その真剣さは、殺される、収監される、に直結しているんですから。
 でも、それは希望でもありますよね。希望?そうですよ。だって、考えてみてもください。
 銃を撃つ側だって、そりゃ真剣でしょう。真剣に狙いを定めて撃ってくる。その命令を出すお偉いさんだって真剣でしょう。おそらくかなり真剣に、「国のため」という意識を持っているのでしょう。でも、その真剣さに、私たちは希望を感じられるでしょうか?いくら国家主義の人でも、千に迫ろうという市民を撃ち殺すことに希望を見出すのは、むずかしいんじゃないのかな。それとも、国を守るという意識を持って「(つら)いながらも銃を反対勢力に向ける兵士らの勇敢な行為」に希望を見るのかな。そういえば、ミャンマーのお偉いさんのひとりが「木が育つためには、雑草を刈らなければいけない」と云ったそうです。病膏肓(やまいこうこう)()るだなぁ。こういう人たちとも和解を目指す、解り合うことを目指す、それもかすかな希望かなぁ。でも、そう、諦めてもいられない。目指さなくてはいけません。

 そして、そういう希望は、やっぱり「楽しい」ことにつながっているのだと思うのです。死に直面しつつ抵抗を続ける人に、他所からその言葉を投げかけることは難しいけれど、でも、きっとこの文脈が通じる人たちが少なからずミャンマーにも香港にもいるはずだと、私は思っている。それが私の“真剣”な希望かなぁ。

まだまだあります楽しいニュース

 その他、最近、私が受け取った「楽しい真剣」な知らせは。

 たとえば、日々、野山の小さな草花の写真をインターネットに流してくれる方がいます。私よりも年長で、人生の先輩です。いつも「惚け爺」なんて自分を揶揄される方ですけれど、彼の撮った草花の写真を見ていると、あぁこの方は「楽しい真剣」をご存知なんだろうなぁと感じます。

 あるいは、数年間、連絡を取れていなかった方がいました。人生でちょっとブレーキを踏むようなことがあって、それ以来、どうされているかなぁって気になっていた方。そんな人と久しぶりに連絡が取れて、元気されていることがわかって。また、その人が新たなチャレンジに進んでいると知りました。これも嬉しい ー> 楽しいニュースだったなぁ。

 北で頑張っておられる方からの、小さな春のニュース。けして冬が悪者なわけではなくて、冬には冬の素敵さがいっぱいあるのはわかった上で、でもそんな春のニュースもちょっと心わくわく、楽しい知らせ。

 1月に大きな手術を受けた80代半ばの父が、医者も驚く(ここはお医者様のリップサービスもあると私は勘ぐっておりますけれど、でもありがたし)回復をみせていて「音楽をヘッドホンで聞くのもいいなぁ」なんてぶつぶつ言っている、ってのも楽しいことです。

 もうひとつ、とっても楽しかったニュースをひとつご紹介します。つい先日、4月14日の沖縄タイムスによれば、沖縄本島北部の森で日本で発見されたオオムカデ属としては143年ぶりの水性ムカデの新種「琉神大百足(リュウジンオオムカデ)」が発見されたそうです。青緑のひすい色をした美しい体長20センチ大幅2センチという大型ムカデで、和名は琉球の以下のような故事に由来するものだという。

 その昔、海に住む龍神の耳にムカデが入り、龍神は苦しんだものの、そのムカデをあっという間に食べてしまったニワトリをみて、龍神はムカデとニワトリを恐れたことから、琉球王朝時代より船には航海の安全を祈り、ニワトリの絵とムカデ旗(モカズ旗)が掲げられるようになった。龍神も恐れをなすが如く巨大な本種の姿と、この故事を重ね合わせ、また、本種の生息する琉球の深い森に敬意を捧げ、リュウジンオオムカデと命名した。

143年ぶりの新種「琉神大百足(リュウジンオオムカデ)」 東京都立大など やんばるで発見(沖縄タイムス) – Yahoo!ニュース
国内で143年ぶりのオオムカデの新種発見!渓流に潜む、翡翠色に輝く国内最大のオオムカデ〜日本初、世界で3例目の半水棲ムカデ、沖縄の4地域と台湾から発見され、沖縄の故事にちなみリュウジンオオムカデ(琉神大百足)と命名〜 | 琉球大学 (u-ryukyu.ac.jp)

 いやいや、世界にはまだまだ私たちの知らない存在が無数にあるに違いありません!

 ということで、今日はこのへんで。

 

  

2件のコメント

あの「アンダーコントロール」発言ほ、めったにテレビを見ない私がリアルタイムで見てしまって、衝撃を受けた映像でした。

その発言をした方が白昼大勢の目の前で殺された…というニュースもリアルタイムで入ってきました。

「アンダーコントロール」と言わせて、それに反論できない世界にいま生きていることを驚きながら暮らしていたら、やはり粛々と闇を照らそうとしてくださっている方々の働きでいくつかのことが明らかになったりもしつつあります。

この言葉に衝撃を受けた者として、ひとこと言いたくてコメントしました。

井上忍様

コメントをいただいたことで、私も例えばこのページ、改めて久しぶりに読んで、おぉ自分はこんなことを書いていたのだ!と、新鮮な感覚です。
そういう機会をいただけるというのも、コメントしていただくことでの私自身へのギフトになっています。ありがたき幸せ。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。コメント、いつでもどこでも今更でも、大歓迎であります。

村山哲也

コメント、いただけたらとても嬉しいです