プノンペンで、隔離生活中です
プノンペン市内の小さなホテルで2週間の隔離期間を過ごしています。このホテルは自分で選んだわけではなく、カンボジア側が指定した場所で、プノンペンに到着した同じ飛行機の搭乗者のうち、外国籍の乗客10人ほど全員がこのホテルに待機しています。カンボジア国籍の搭乗者たちは、飛行場から同じバスで移動し、宿泊先として指定された市内の大きめの公立学校で下車しました。現在、プノンペン市内の学校はすべて閉鎖中で、一部の学校は教室が待機用の宿泊所として使われているのです。
カンボジア国籍の人たちと宿泊先が違うのは、ひとつは料金の問題だと想像します。このホテルは宿泊料は一泊60ドル(6000円強)、食事代は三食お弁当で30ドル(3000円強)チャージされます。1日100ドル近い宿泊費は、多くのカンボジアの人たちにとって「高過ぎる!!」額でしょう。
プノンペン市内に自宅がある私にとっても、けして安い金額ではありません。でも、しょうがない。この宿泊料や食事、さらには入国時のPCR検査(さらには隔離期間終了前にもう一度PCR検査があります)の料金は、入国時に外国人は2000ドル支払ったデポジットから引かれる仕組みになっています。このデポジット支払いは、カンボジアの人には求められていません。
カンボジア入国時に必要なアレンジメントは簡単に記すと以下のようになります。
①入国ビザ。通常ならプノンペン国際空港で入手可能ですけれど、現在は空港でのビザ発給は止まっています。ですから、東京のカンボジア大使館で取らなければいけません。
②PCR検査陰性証明書。カンボジアに入国する72時間以内の検査結果である必要があります。
③カンボジア側が指定するカンボジアの保険会社の傷病保険の加入と、その加入証明書。
④上記したデポジットのための2000ドルの現金。
これらは飛行機に乗る前に、確認されます。現金まで確認されたのには少し驚きました。私は片道チケットでしたので、それが問題になるかと妻との「婚姻証明書(カンボジアで発給されたもの)」のコピーも準備しておきましたけれど、片道チケットの理由を問われることはありませんでした。
入国後、明日で一週間になりますが、ホテル滞在はまぁ快適です。エアコンの効いた部屋で静かに過ごしています。
私にとっての問題は、ひとつは介護ベッドでないこと。特に夜間の排尿の際に、上半身を起こせないのが不便です。あと、2日に一度の排便後、便器の上に座ったままシャワーを浴びるのをひとりでやらなければならないこと。石鹸は滑るので怖いです。ということで、身体は水浴びのみにしています。
そのほか、ベッドが高くて車イスからの移乗が大変、コーヒーが飲めない(インスタントは飲めます)、インターネットが遅い!等々、不便さはありますけれど、たいした問題でもありません。
プノンペン市部でのコロナ感染は拡大中!!
ロックダウンも拡大、酒類販売も禁止!
で、この週末に妻に差し入れをしてもらう予定でした。コーヒーミル(豆は日本から持ってきているのです)とビール(あと一週間用)をリクエストしていました。妻が来てもハグすることはできないのですけれど、1年ぶりのインターネット画面ではない実物の妻との再会を楽しみにしていました。
そうしたらですね、なんと妻の棲家、つまり私たちの家がある地区がロックダウン、閉鎖されてしまったのです。今日は日曜日で、ロックダウンが始まったのは土曜日の朝から。この閉鎖のせいで、妻がこのホテルまで差し入れを持ってくるのもダメになりました。
閉鎖の前日、金曜日にプノンペン市内の服飾工場で、500人の陽性者が見つかったという報道がありました。これまでの合計の感染者(陽性者を感染者としていいのかどうかはさておいて、でもカンボジアでは陽性者は感染者扱いです)が3000名ですから、500名のインパクトを想像してください。
それで、数箇所の地区がロックダウンされたようです。
さらに、今日からは酒類の販売が2週間禁止となりました。あらまぁ。
いったい500名の陽性者をどう隔離しているのか?カンボジアの医療体制は、まだ脆弱です。コロナ感染者の病棟は限られていているのは想像に難くない。治療には中国からの支援チームが入っているということですけれど、医療設備も量も質も限られているでしょう。
そんなわけで、フンセン政権はコロナの抑え込みに必死になっているのです。そして、その施策も早い。住民たちにとって、昨夜までは自由に出入りできていたのが、朝起きたら閉鎖されている。妻によれば、閉鎖されても、その閉鎖基準が各家庭に通知されていないそうです。情報は、インターネットや携帯電話のメッセージで得ているとのことです。
それでも、住民が不満を示したという報道はありません。おそらく、実際に不満を表すような場面ほとんどないのだろうと思います。権力に対して「従うしかない」という気分が強いのがこちらの市民です。
また東京と比較すれば、プノンペンはまだまだ小さい町です。各地区の中は小さな道が入り組んでいる場所もありますけれど、車で抜ける場所は限られている。要所を抑えてしまえば、出入りは簡単ではありません。つまり、警察にとっては(東京と比較して)封鎖しやすいとも感じます。
ミャンマー軍政の弾圧をカンボジアの人たちがどう見ているのか?
同じアセアン(東南アジア諸国連合)のミャンマーでは、軍によるクーデター後の混乱が続いています。報道によれば、すでに騒乱による軍の発砲による死者は700人を越えています。
インターネット上ではミャンマーのニュースが飛び交っている。けれども、あくまで私の印象ですけれど、カンボジア市民によるミャンマー関連の投稿数は多くありません。カンボジア語でコメントをつけた投稿があったとして、その投稿者はカンボジアではない国外にいる人であることが多い。カンボジア国内でミャンマー市民への共感を公に示すことに、カンボジアの人たちはためらうものがあるんじゃないかと想像します。
カンボジアの現政権はけして軍事政権ではありません。選挙で選ばれた政権という体裁は整えている。けれども、行われた選挙が民主的かと問われれば、現政権の支持者だって胸を張って「民主的だった」とは言えないでしょう。有力野党への締め付けはひどかった。有力野党の議員は、選挙前に全員議席を剥奪され、一部は国外に脱出しています。残った人たちは、立候補も許されません。
もし、現政権が選挙で倒れるようなことがあれば、軍がクーデターを起こす可能性だってあるでしょう。だから、ミャンマーの事例は、カンボジアの社会にとって他人事ではない。それはおそらく多くの人たちが感じていることです。だから、政府はミャンマー軍事政権に対する非難は特に公表していません。アセアン諸国のほとんどが、静観です。隣国の開発独裁を批判すれば、それはブーメランのように自国に返ってくることは、どの政府も重々承知です。
ミャンマー軍政による抗議では、教員や公務員もデモに加わっているという報道がありました。カンボジアでは教員・公務員のほとんどが現政権支持者です。心の中でどう思っているかはさておき、支持者でないことを公表している教員・公務員はごく少数です。
以前、私が関係した現職教員研修プログラムでは、参加者のひとりが野党支持者でした。そして、それを参加者のほとんどが知っていて、「あの人は変わった人だ」という目で見ていたのです。野党支持を公表して生きていくということは、特に教員、公務員の中では厳しい道を自ら選ぶことという感じがします。
実際、選挙になれば、教員、公務員のほとんどが与党の集会に参加します。そしておそろいの帽子とシャツを着て集会に参加している様子を自撮りして、SNSにあげるのです。まるで、「私はちゃんと与党を支持していますよ」という証明を世間にするかのように。与党の集会にでれば、少額ですけれど賞与もでるはずです。
ですから、ミャンマーでは教員、公務員までもが軍クーデターに反対して、職場をエスケープしてデモ加わるという報道をカンボジアの人が目にすれば、かなり複雑な気持ちになるんじゃないでしょうか。民主化に、カンボジアの人たちが無関心であるはずはありません。国家という見えない枠組みに囚われて、大きな被害を経験した社会の人たちです。若者の「民主化」への感心も内心は高いはずです。その証拠に、数年間に反政権を掲げた野党が選挙で大躍進したのです。そして、政権交代を恐れた現政権は、あらゆる手を使って、その野党を潰しました。そして、再び人々は黙り込みました。
カンボジアの人たちが、どうミャンマーの現状を見ているのかは、この隔離が終わったら、友人たちと会うことができるようになったら、また聞いてみるつもりです。
















コメント、いただけたらとても嬉しいです