私はアフガニスタンに縁はなかったけれど・・・
世界のさまざまな状況に、あまり一喜一憂せずにこのブログを書いていきたいと思っています。
例えば軍のクーデターにより民政がストップしてしまったミャンマーでは、今も混乱が続いています。けれど報道は、一時期に比べればぐっと減ってしまっています。軍政に移行してからの大きな変化がない以上、連日の報道が減るのは仕方がない面はある。けれども、軍の暴挙に反対し、民政を求める人々の苦しい状況は悪化していくばかり。報道が少なくなることで、ミャンマーの外にいる私たちのミャンマーで民政を求める人たちへの共感が薄まっていってしまう。それに対する、焦燥感はどうしてもあります。でも、何ができるのか? 結局、たいしたことはできない。ミャンマーで働いた経験があるわけでもない私は、いつか自分が直接関係した場所での災いが起こったとき自分がどうするかを想像しつつ、ミャンマーへの関心を維持することを心がけるしか、ない。ミャンマーとの縁を自覚して発信を続ける人たちのコメントに、せめてリアクションすることを意識するぐらい、なのです。
そして、アフガニスタンです。ミャンマーと同じく、アフガニスタンも私には直接の縁はありません。それでも私の仕事仲間、知人・友人には、アフガニスタンに縁がある人たちが何人もいます。カンボジアやルワンダで一緒に仕事をしたTKさん。カンボジアで知り合い、今は米国におられるKDさん。あちこちでなにやらちらちらと遭遇してきたOY先生。きっと他にもまだまだおられます。さらに私の知人・友人ではないけれど、日本という私の祖国は、アフガニスタンで広く کاکا مراد(カカムラト)として知られ、(私にしてみれば)どうしたって尊敬の念を抱かないわけにはいかない中村哲氏の出身国でもある。
そのアフガニスタンの政権が倒れ、一部からは狂信的とも伝え聞くタリバーンが改めてアフガニスタンを支配することになる。タリバーン組織は清貧という悪くない面もあるということも話では読んだことがありますけれど、現代的な価値観・民主制度からは認めるのが難しい人間観・社会観・教育観・ジェンダー観を人々に強要してきた経緯を知れば、そう簡単には支持に踏み切れません(中村哲氏の過去のインタビューによれば、タリバンの恐怖政治は「嘘」ということなんですけれど 故・中村哲医師が語ったアフガン「恐怖政治は虚、真の支援を」:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)。おそらくひどいケースもあれば、中村医師が話されているようなケースもあるのかなと思ったりしています)。とにかく、すでにタリバーンに支配された地域ではタリバーン兵士(男性)との結婚が幼い女児に強要されているという記事を読んだりすると、その真贋は判断できないままではありますけれど、悲しい気持ちになります。アフガニスタンの人々(特に男性?)にはタリバーン統治に親近感を抱く人も少なからずなのだろうと想像しますけれど、けれども、やはり少なからずの人、特に聡明な若い女性世代やその家族にとってタリバーンによる政府は油断ならない恐怖だとも思う。
実際、アフガニスタンを逃げ出そうとする人たちが多くいる。アフガニスタン全体からすれば、逃げ出そうとしている人たちは多数ではないとしても、それは単に多くの人たちには限られた選択肢しかないということ。逃げることもできずに、状況に応じてやり過ごす。タリバーンだろうと親米だろうと、“時の権力に合わせて生き延びる道を模索する”というのがアフガニスタンの多くの人たちの辛い現実なのだろうと、想像します。
友人が難民になったとして…
もし、自分の縁があった地域や社会で、今のアフガニスタンのような状況が発生したら自分はどうするだろうかと考えます。まず、自分の親しい人たちの安全がどうしたって気になります。彼らが望むのであれば、まずは避難を支援することになる。場合によっては、日本に逃げてきてもらうことだって検討するでしょう。たとえば個人として身元引受人となって日本のビザ(観光だろうとなんだろうと)を取り出国する方法を考える。
アフガニスタンからの出国を望む人たちの中には、海外支援団体での勤務経験があり、その経験がタリバーンに知られたら「殺される」と心配する人たちがいます。私の知り合いの人たちの中には、アフガニスタンで仕事をした際の同僚たちの出国を支援するための措置を日本政府外務省に依頼するために動いている人たちがいます。彼らから、そのための応援(具体的には署名活動)を呼びかける声も私に届いています。
しかし、簡単ではないでしょう。なにせ、首都カブールの日本大使館も撤退することになったと報道がありました。米国に追随してきた以上、いたしかたないのかもしれません。けれど、直接の敵であった米国や英国の大使館職員が逃げ出すのはわかるとして、そうかぁ、日本大使館もかぁと改めて思います。私個人としては、米国や英国とは違った取り組みが日本国には可能なんじゃないかという期待もあるだけに、残念です。ここまで状況が進んだ以上、後は平和裏に親米前政権から行政機構の移譲をタリバーン政権が目指すのであれば、流石に簡単には大使館職員に危害は与えないと考えるのは、やっぱり楽観的すぎるのかなぁ。それだけ、もはや日本は現地でも米国ベッタリと判断されているということなのかもしれません。
おそらく、自分は残って新しいアフガニスタン政府(タリバーン政府)と外交ルートを維持することに取り組みたいという気概を持った大使館スタッフもいるのだろうと想像はするのですけれど、そんな個人の思いなど屁の足しにもならないのがお役所的チャンネルというやつでもあります。
あぁ、中村哲さんが存命なら、どうされるかなぁとも思います。彼もアフガンから出国せざるはえないのではないかしら。それでも、彼がリーダーとして切り開いた水路によって拓かれた農地はタリバーン政権にとっても貴重なものであるはずです。彼が存命ならば可能だった日本国政府による外交政策もあったのかもしれません。もちろん、彼の意志を継いでいる人たちもいるわけで、そんな人たちの平和への思いが近い将来のアフガニスタンのなんらかの希望になればとも思います。
さて、もし私にも大事なアフガニスタンの友人がいたら、という話でした。
正規の出国が難しいのであれば、難民としてアフガニスタンを出ることも考えてもらうしかありません。そして、逃げた先から私に連絡を取ってもらうしかない。そのうえで、そこに送金するなり、さらなる避難先を探す支援をするなりのことを考えるしかない。
そんなふうに想像すると、日本がもっと難民に門戸を開いてくれればと、どうしたって思います。難民受け入れに積極的な国々、例えばトルコ(370万人 2018年実績 )、パキスタン(140万人 2018年実績)、ウガンダ(110万人 2018年実績 )、ドイツ(110万人 2018年実績 )とまではいかなくても、たとえばオーストラリア(16万3千人 2018年実績)とか、あるいは昨日の記事ですけれど、カナダ政府はアフガニスタンからの難民を2万人受け入れると表明しているのを知ると、日本の実績「2019年には10,375人の難民申請中、実際に認定は44人(申請数に対して0.4%)」というのは、比較する数字としても情けなさ過ぎます。ちなみにオーストラリアなんか、先にあげた16万の数字でもここ数年難民に対して門を閉じる傾向にあることを国際的に強く非難されています。
もちろん、トルコやパキスタン、ウガンダなどで難民数受け入れが多いのは、受け入れるも何も、どんどんお隣から溢れてきちゃうという現実があるし、受け入れたとはいえ難民の人たちは隔離されけして生活環境のよくはないキャンプに押し込まれています。また、歴史的に移民で成立してきた国(つまりは先住民にとっては悲しい歴史を持つ国々、例えば米国、カナダ、オーストラリア)と日本とを安易に比較することに疑問を持つ意見もあるでしょう。けれど、やっぱり日本国籍を持つ人たちも、日本政府も、もう少し考えたほうがいい。昨今話題のODSs(持続可能な開発目標)でも国内避難民を含んだ難民や無国籍の人たちへの配慮が謳われています。
恩ある友人らが非常事態で必要が生じたとしても、身近に招きたくても招けないとなったら、どれだけ悔しく情けない気持ちがするか。「そういうもんだ、仕方がない」では済ませられないですよ、実際。じっと集中して想像力を駆使すると、涙が出てくる。
もちろんそんなことが起こらないことが、何よりなんですけれど。
せめてできることといえば……
そんな個人の都合に対応できるか、という声があるかもしれない。
けれど、私の知人たちの多くはODA、政府間援助、でアフガニスタンに係わっているのです。そして、仕事の上で知り合った現地の人たちの安否を気にしている。
米国政府が、せめて米軍の通訳などの仕事仲間とその家族を米国人と一緒に退避させようとしていることと、似ている背景もあり得ます。それでも、今のところそういう配慮を日本国政府が示したという事例を耳にしたことはありません。
(ちなみに、私の場合、万が一のときに救いたい海外の友人の多くが、仕事上とは別の個人的な付き合いの人なんで、上記の事例とシンクロさせるのはちょい問題ありなんですけれど、それは置いといてくださいませ)
とにかく、今、この時間にもアフガニスタンから逃げ出そうとする人たちがいて、それに失敗すればもしかしたら殺されてしまうなんて現実が待っているかもしれない状況がある。とても切ないことです。アフガニスタンに縁ある友人・知人が彼らの友人・知人の安否を心配するその思いを想像すると、なんともやりきれないのです。
それでも時間が来れば、私はきっとご飯を美味しく食べてしまう。今夜も昨夜と同じようにベッドでぬくぬく眠ってしまう。生きているって悲しいまでに滑稽です。そして、それでいいのだ、とも思う自分もいるのです。死ぬときが来るまではまずは自分がなんとか生きよと。まず自分の周りの幸せや楽しみを維持することや、自分の周りの“不正義”から目をそむけないことが大切だよと。自分が難民になっても遠くの友にそう伝えられたらいいなと、思ったりするのです。
なんか、いっつも言い訳ばかりです。
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