カンボジアの日常生活の小風景から 市井の無名の知識人について

トゥボーンクモム州(数年前にコンポンチャム州の東地域が新しく州となった場所)の農村で開かれている私塾。先生は農民なのだそうです。学校が閉まっている中、このような私塾が田舎では子どもたちにとって大事な場所になっています。(写真は、この村出身の知人よりいただきました)

地方の村での私塾

 今回の投稿の冒頭に使った写真は、知人が地方の出身地の村で行われている私塾での一風景です。この私塾の先生はプロの農民、つまり学校の先生ではない、方で、この私塾クラスも不定期に開かれているのだそうです。写真で見るように、野外に机とイスを並べて、小さな白板をつかって書き取りをしているのでしょうか。
 この私塾のニーズがどんなものなのかは、すいません、詳細はわからないのですけれど、特に学校が閉じられてしまっている今、こうやって集まって勉強するのは子どもたちにはきっと楽しいことなんじゃないかと想像します。この農民の方も、もしかしたら先生になることを夢見たことがあったのかもしれません。たまたま縁がなく、教職につくことは叶わなかったけれど、こうやって仕事の合間を見つけて自宅での私塾を開くぐらいですから、きっと教育への関心が高い方なのでしょう。
 知人からは、この私塾へのもっと大きなホワイトボードや、子どもたちが使うノートブックの寄付など、大歓迎ということです。写真を使わせてもらったから、機会を見て、私もなにか送らなくちゃなぁなんて考えているところです。

 日本の在野の無名の知識人、文化人、専門家の人たち

 著名な民俗研究者であった宮本常一の著作を読むと、日本の村々には必ず誰か物知りの人がいたことがよく分かる。無名の知識人、という人たちです。宮本の時代のもっと前でも、たとえば江戸時代にも著名な知識人、たとえば松尾芭蕉などが地方を回れば、かならず快く受け入れて饗す無名の人たちがいた。彼らは、誰に頼まれたのでもなく最新の文化情報を仕入れようとしたし、身の回りのさまざまな出来事や自然をよく観察し、書き残したりしています。そして、そんな無名の人たちの残したものが、後世になって古い蔵の中から発見され、それが貴重な資料となったりする。つくづく、社会の文化とは、無名の人たちがどれだけ裾野で支えているのか、そして、広い裾野を持つからこそ高い頂きがあるのだ、ということを感じるのです。

 そんな文化の裾の広がりをいろんなところで感じます。
 偶然のたまもので、昨年の日本滞在中に『東三河―野の花たちの歳時記』という素敵な本に出会いました。この本はAmazonなどのインターネット本屋や、一般の本屋の流通に乗っていない、最近、中学を退職された生物の先生(滝崎吉伸さん)によるまったくの自費出版本です。詳細は以下の東愛知新聞の記事を御覧ください。

38年間の植物研究 | 東愛知新聞 (higashiaichi.co.jp)

 私もこの本を購入して、読んでみました。いやぁ、素晴らしい内容です。あまりに素敵な本でしたので、ついつい小さな植物の写真を撮ることを趣味としている友人(恩人)に差し上げてしまったのですけれど、もう一冊購入して手元に置いておきたかったなぁと今更思ったりしています。
 38年間の教員生活で、生徒たちに植物に関心を持ってもらいたいと壁新聞を張り続けて、それをまとめたものがこの本の下地になっているそうなんですけれど、とても素人の技ではありません。記事を読めば、滝崎さんのお父さんがやはり植物学者で自宅にはたくさんの植物標本があって、滝崎さんはそんなお父さんの後を継いで植物研究を続けたということなんです。まさに在野の専門家です。すごいなぁ。

 日本には、滝崎さんだけではなく、彼のような無名の在野の専門家が山程おられるのです。それはもちろん理系だけに限らず、むしろ文系というか文化人というか、そんな人がたくさんおられる。彼ら彼女らが、日本社会の文化の裾野を支えているのは間違いありません。人はけして肩書ではない。そして文化的活動は、けして儲ける活動とも関係なく、脈々続いてきたのです。

 たとえば野球もそうです。海外で暮らしていると、日本社会で育った人たちの中に、少なからず野球に触れたことのあるひとがとても多いのに気がつきます。私は中米の野球文化にはなじみがないので比較できませんけれど、少なくとも日本社会の野球文化の裾野は世界的にももっとも広いんじゃないかと感じています。
 もちろん、いわゆる根性野球が未だに死に絶えていないとか、監督中心主義野球とか、そのことによる悪しき日本野球の継承もその広い裾野の中にはあるわけで、その点はよろしくないのですけれど、でも、野球を楽しむというところに落とし込めれば、日本社会の野球文化の広がりは野球が好きな者としては嬉しいことです。最近は、野球以外のスポーツに馴染む子どもたちも増えているようで、それはそれで素敵なこと。あとは、野球に限らず、学校スポーツだけではなく、社会スポーツとして、たとえば親子関係を離れて、大人と子どもが交流できるようなスポーツ文化が育っていくといいなぁ、そしてそれに国外から日本にやってきた人たちも交われるようになればいいなぁ、なんて思ったりもするのです。

ポルポト時代の負の影響 文化の裾野の担い手層が破壊された

 いわゆる地域の物知りおじいさん、おばあさん、そんな存在が実は社会の底力にはとても重要な役割を果たしている。もちろん、おじいさん、おばあさんじゃなくても、若者でもいいわけですけれど、とにかく日本社会には各地域にそんな文化人、知識人、専門家がおられるように感じます。それはとても素晴らしいことですよね。

 たとえば、カンボジア。ポルポト時代(1975-79)の悪政の時代からもうすぐ半世紀にもなります。カンボジアの壮年、若者たちにとって、半世紀前というのはもはやかなりの昔です。実際、ポルポト時代の記憶の継承が心ある人たちには問題になっていますけれど、社会全体としてはあまり話題になることもありません。
 けれども、さまざまな点で、ポルポト時代の負の遺産は、今でも社会の表面にプカプカと浮かんでいるように私は思います。特に、文化の裾野の広がりという点で、ポルポト時代はカンボジアに現在まで続く大きな打撃を残したんじゃないかな。
 ポルポト時代には、おそらく存在していた村の知識人、文化人、専門家というような人たちが根こそぎ殺されてしまった時代でした。知識があるからこそ、敵とみなされたんです。たとえばフランス語が流暢であれば、殺された。学校の先生が、殺された。お寺のお坊さんが殺された。学歴が高いと殺された。メガネをかけていると殺された、という話も伝わっています。メガネがインテリのシンボルだったのです。そして、書物も焼かれた。それがどれだけ地方の文化の裾野を破壊したのか。そして、そのことがどれだけカンボジアに負の打撃を与えたのか。この点での認識や研究は、私の知る限り、あまりありません。でも、その負の影響は測り知れないものがあったと思うのです。

 一度焼き払われた文化の裾野が再び育つのは、海底火山の噴火でできた新しい島に植物が根付くよりもずっと時間がかかるのです。というか、再生は非常に難しい。文化は(たね)だけでは継続しないのです。一度根絶やしにされたら、絶えてしまうものなのです。
 Facebookで投稿されるものを比較しても感じます。たとえば、カンボジアの人たちの植物の投稿は「美しく咲いた花々」に限られます。私の恩師のO先生がアップするのは、同じ花でも、野に咲くごくごく小さい、素人であれば見過ごしてしまうような植物の花たちです。ごく限られた時期にだけ見せる自然の姿を意図的に狙って写し撮って投稿されています。積み上げられた知識と経験がなければ、撮れないものです。そういえば、O先生は数学の先生だったかなぁ。つまり、「稼ぎ」以外の趣味の深度が深いのです。おそらく、それが文化です。
 もちろん、私の目に入る範囲なんてごくごく小さくてたかが知れています。カンボジアの村々にも、あらたな文化の担い手が少しずつでも育っているのかもしれません。そんな文化の再生の息吹の躍動を、感じてみたいものだなぁと、常々思っているのです。もしかしたら、写真で紹介した私塾の農民の方も、そんな文化人として育っていくのかもしれません。もっともっと、アンテナを広げなくちゃいけないなぁ。

 市井の文化の裾野を広げることに、何か応援できることはないか。そんなことをジワジワと考えています。

 

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