慰安婦像への私見

あけましておめでとうございます。正真正銘の初日の出@成田空港 2018年ですけれど。

 ヘッドレスモニュメントも、慰安婦像も、境界を超えてやってくる

 この写真は1998年ごろ、フィリピン、ルソン島南部にあるレガスピー市で撮ったものです。ヘッドレスモニュメント。後ろ手にされてひざまずいた男性の姿に、首はない。

 ぼくが最初に海外支援でかかわったケニアでは、ケニアの植民地時代の負の思い出と直面することはほとんどありませんでした。けれども、フィリピンでは違った。ぼくはぼくである以前に、1940(昭和15)年からの軍政支配の忌まわし記憶をもたらした日本人の子孫でした。このヘッドレスモニュメントは、レガスピー市の港で首切りをされた多くのフィリピン市民を悼んで建てられたものです。最初にこの像と出会ったときは衝撃でした。すぐにそれは首切りを表しているのだとわかった。その前にたたずむことは、日本から来たものとしてけして居心地がいいものではありません。
 でも、一義的には、そんな無残な過去にぼくが責任があるはずもない。フィリピンの人たちもそれはわかっていたと思います。

 さて、今日(2021年元旦)のトピックとして選んだのは慰安婦像です。

慰安婦像(平和の少女像)国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」より この像の展示に関して「週刊文春デジタル」が810名から賛否の回答を得たところ、74%が反対だったという    無料画像から。

 韓国が日本を批判するために、この像を利用しているというような報道が多く見られるような気がします。“従軍”慰安婦があったとか、なかったとか、それが軍が直接かかわっていた証拠はあやふやであくまで民間の商業行為だったのじゃないとか、強制連行があったというのは嘘だとか…。中には、慰安婦のなかにはかなり大きく儲けていたケースもあったというようなことを小林よしのりが書いていたりもするらしい。

思い込みや勘違い、間違い、虚偽や誇張、を含む本当のこと

 まず、この件に関するぼくの基本的態度を書いてみる。

 社会学者で小説家でもある岸政彦は、その著書『マンゴーと手榴弾 生活史の理論』(勁草書房 2018)の中で次のように書いている。 

 (語り手が語る生い立ちや人生)そのなかには、にわかに信じがたいもの、思い込みや勘違い、虚偽や誇張が含まれるかもしれないのだが、そういうものが含まれていてもなお、そこで語られている人生の物語は「全体的に真」である。語りは、切れば血がでる。(12ページ) 
 生活史は事実である。それは、いくらかの間違いや誇張や、場合によっては意図的な嘘を含みながら、それでもやはり、そこで語られていることの大半は、事実である。それは実際に起きた出来事なのだ。(20ページ)

 ぼくはこの岸の言葉に全面的に同意する。思い込みや勘違い、間違い、虚偽や誇張、それらを含んでいるかもしれないけれど、そこで語られたことはそのほとんどが「真」なのだということ。それは「実際に起きたできごと」なのだということ。

 その考えにたって、歴史を振り返れば、軍に従属するために、つまり軍人の性的処理をするために働いていた女性が数多くいたこと、その中には強制連行や誘拐のような事例があるだろうことは、否定しようがない。もちろん、それは日本軍に限ったことではなかった。軍という奇形な集団が長期にわたって動くとき、なぜか為政者はそこでかならず性的欲求不満が募った男性が「強姦」等におよぶのが普通と考え、その評判や性病が軍の支配に負の影響を与えることを心配し、なんらかの手を打つのが普通なようだ。恋愛志向がヘテロに向く男子のひとりとしては、そういう心配というのは、ちょっと失礼なんじゃない?と思うほどなんだけれど、とにかく、軍と女性の性消費の問題は、かなり根深くあるみたいだ。

 とにかく、韓国・北朝鮮、フィリピン、中国、オランダ、インドネシア等々で慰安婦が集められたことに疑問の余地はない。カンボジアのプノンペンにも慰安所があった記録も残っている。カンボジアの女性がそこで働いていたかどうかまでは、ぼくはわからない。あるいは、日本からも当時は認められていた公娼が“従軍”慰安婦として戦地に赴いたことが調べられている。

 そのアレンジ、マネージメントにどれだけ日本政府、日本軍がかかわっていたからは、とにかく終戦時、不利となる書類を焼くだけ焼いておいて、記録がありません、じゃすまないだろうと単純に思う。記録がないから、証明できない。なるほど、焼けるなら焼けるだけ焼いたほうが得なんだ。だから、今でも証拠を残さない文化が官僚制には残っているのかな、という嫌味をいいたくなってしまうぐらいが落ちだ。
 とにかく、民間だったからといって、大きな意味では何も変わらない。軍を維持するために、侵略するために、多くの女性を犠牲にしたということだ。
 彼女たちのなかには、しっかり稼いだ人もいるって。ふーん、だから?って感じ。喜び勇んで日に10人、土日になれば数10人という男たちを相手にしたとでも言いたいのかね。それで億万長者になったわけでもないだろうし、もしかしたら一時いい時期があっても、軍票で敗戦時にみんなパーだったろう。つまり、そういうことを言うやつの顔が見てみたいよ、小林よしのりさん、って感じ。(小林よしのりさんの仕事については、評価したいものもあります。でも、この分野はいただけない)

 韓国で、慰安婦像を反日活動に使っている人がいても、ま、世の中そんなもんだろうと思うし、慰安婦像を売却して儲けている人がいる、ってのも、たとえそうだとしても、それが批判されることなのかは、ぼくにはよくわからない。あの像、イスを2つ用意し、ひとつは空席にして像を見るものがそこに座れるようにしているデザインなど、なかなか悪くないとぼくは思う。

 というのが、ぼくの基本的な態度。

撤去を求めれば、思うつぼ?

 で、ドイツの首都ベルリンのミッテ区にあの慰安婦像(少女像)が設置され、それに日本政府の官房長官が「撤去を求めていく」という談話を出しているみたいだ(2020年12月2日 加藤官房長官談話)。
もはや、政府も言論界もマスコミも、あの慰安婦像は「反日」の象徴で、世界のどこに設置されていても、「撤去」することが望ましいと考えているみたいだ。
 これに対して、日本に長く滞在しているドイツ人ジャーナリストが以下のような文章を書いている。 

 ドイツでも韓国の彫刻家によるこの「少女像」はひろく知られています。ドイツでの少女像は「二度と戦争を起こしてはいけない」という意味とともに、「女性の人権」とつなげて考えられています。たとえば2017年3月8日の「国際女性デー」に合わせて、ドイツのバイエルン州ヴィーゼントのネパール・ヒマラヤパビリオン公園の除幕式で少女像が設置された際に、元慰安婦のアン・ジョムスンも出席していますが、その様子はドイツで「世界における女性への性暴力と人権侵害に反対する反戦と平和のメッセージ」として報道されました。また同年、ナチス時代に女性が多く収容され女性に対する性的暴行が日常的に行われていたラーフェンスブリュック強制収容所にも、少女像のミニチュア版が期間限定で展示されていました。このようにドイツでは韓国の少女像が「戦争で性被害に遭う女性のシンボル」として扱われています。終戦記念日に「少女像」について考える:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)サンドラ・ヘフェリンドイツ・ミュンヘン出身。日本歴22年。

 このとおりだとすれば、その撤去を強く求める日本政府ってなに?ってことになる。それは日本政府の国際的な評判を貶めることになだろう。それを韓国の嫌日派は狙っていて、日本政府はこの件に関しては、完全に「敵」の術中にハマっている、ということなのだろうか。

 ぼくは、ここはむしろそれが術中だろうと、ハマるだけハマればいいんじゃないかと思う。日本の元慰安婦の人たちや、人権活動家の人たちは、この事態をどのように見ているんだろう。と思って調べていたら、『希望のたね基金』希望のたね基金 (kibotane.org)という取り組みがあることを知りました。「(日本政府が言うように)終わらせるのではなく、記憶・継承することで二度と同じような被害をうまないために」という主旨の取り組みのようで、期待が持てるなぁって思いました。

 で、ぼくの妄想はもっと膨らむ。あの慰安婦像、日本政府が世界に普及すればいいんだよ。「世界で軍の犠牲になる多くの女性の象徴」として、アレンジを加えていってもいいと思う。コンゴやルワンダの女性たちや、旧ユーゴの女性たちや、世界中で共感を求めている人たちがいるはずだ。
 その音頭を日本政府がすればいい。なぜそういうわけには行かないのかな?「祖父は、父は、殺した」ということは、そんなに「隠したい」ことなのだろうか?それは、あなたの素敵な祖父や父を全否定することでは多分ないのだけれどな。だって、虐殺者の多くは、普段は良き家庭人で、よき隣人だったりするのは、やっぱり歴史が証明しているじゃないか。

 
  

2件のコメント

「思い込みや勘違い、間違い、虚偽や誇張、を含む本当のこと」というフレーズが刺さりました。

程度の大小こそあれ、いっぺんも加害者にならず何十年も生きた人間は恐らく居ないし、いっぺんも被害者にならなかった者も然りだと思います。

私自身が被害を受けたと思っている記憶は全て本当ですが、少なくとも「勘違い・間違い・誇張」は含まれるだろうし、百歩譲って(?)家族が受けた被害の中には私の誤解が元となって「虚偽」が含まれるかもしれないかなぁ、と。

逆に私や家族に危害を加えた人物は「虚偽や誇張」の分まで私からの恨みを買っているというところまでは、なかなか想像していないかもしれない。

こういう部分に目をつぶって、近隣国への加害の事実から目を背けようとし過ぎている(目をつぶりたい気持ちを尊重して敢えてこの表現)昨今の風潮は憂慮・憂慮・憂慮です。

Wataru Ueda-san

コメントどうもありがとうございます。

岸政彦さんは沖縄を中心にライフ史の聞き取りをし、それを集積することでその社会の現代史と今を立ち上げてみせようという仕事をされている関西人です。ベース演奏家でもあり、ジャズ喫茶などでときどき仲間とコンサートされています。

その彼が書いた「語られたことは、嘘が入っていても、ほぼほぼリアル」という文章、私も心揺さぶられました。最近、売れに売れている方ですので、もし興味あったら、彼の著作、手にとってみてくださいませ。

いつも読んでくださってありがとうございます。

村山哲也

コメント、いただけたらとても嬉しいです