Beatles( ビートルズ)の新曲、now and then、これを読んで下さっている方の中にも聞かれた方がいるでしょう。私も、聞きました。今もこれを書きながら聞いています。
今は、発表直後にインターネットで無料(?)で聞けてしまうんですよね。なんとも便利なことで。Beatles、さらにはジョンレノン(John Lennon)に心頭した私としては、もう絶対に見逃せない、いや聞き逃せない。ということで、発表直後から何度も何度も繰り返して聞いています。
出会いの始まり
なんでBeatlesを知ったのかは覚えていません。多分、ラジオでしょう。
私が最初に自分のお金で買ったレコードは、カーペンターズの2枚組ベストでした。荻窪の新星堂で2時間かけて選んだのです。中1だったか、中2だったか。とにかく数千円という価格は、超高級品に類する買い物でした。2時間というのを覚えているのは、一緒に行った友人ふたりNとTが待ちくたびれて。彼らが「あぁ、これだけ待っても、どうせ買えないよ」とか呟いている横で、意地になって購入を決めた、ような気がします。
Beatlesのレコードを買ったのは、高田馬場駅前にあったムトウレコードでした。赤盤と青盤とを一緒にドーンと手に入れたのです。中1まで暮らしていた杉並区清水町を離れ、中2から中野区松が丘の祖母のところで生活を始めたのです(両親とふたりの妹は、福島県福島市へ)。このときに、自室をもらいレコードを聴くための安い(といっても10万円!)ステレオを手に入れたのです。
赤盤(結成時1962年から1966年までのベスト2枚組)と青盤(1967年から解散1970年までのベスト2枚組)を手に入れたとき、私はいったい誰がポールでジョンでリンゴでジョージなのか、写真を見てもまったくわからなかったのです。もちろん聞こえてくる声も、誰が誰なのか???? まぁ、イエローサブマリンはリンゴが歌っているのだろう、ヒアカムザサンやサムシングはジョージであろう、とかまではわかったとしても、ポールとジョンはわからない。わからないまま、次に買ったのがLet It BeのLPだったりする。いったいどの写真が誰なのだろう?
大きな本屋でBeatlesの高価な専門本を探して、立ち読みして写真を見比べたりして、やがてようやくポールとジョンの違いが分かってきます。ポールは瓜実顔で丸い声、ジョンは唇がやたら細くて低い尖った声。
最初はポールの歌のほうが、好きになるわけです、誰もがとおる道と一緒。Yesterday、Let it be、Hey Jude、The long and widing road……。とにかく当時はムトウレコードで買ったレコードを文字通り胸に抱えて、帰宅して、新品レコードの匂い香るなかドキドキしながらあの黒々とした盤を両手で(指紋をつけないように気をつけて両掌でそっと持って)ターンテーブルに備え、そしていよいよ針をそっと落とす。やったよね~!!(若い人は無視しています、ここでは)
で、やがて歌詞カードを読みながら、少しずつジョンに流れていくのです。まず強烈だったのはA day in the life。曲の最後の超豪華な不協和音で有名な曲です。で、あの歌の歌詞が、わかんない。いや、文章の意味はそれなりにわかった。でも・・・・
I read the news today, oh boy
今朝、新聞であるニュースを見たんだ
About a lucky man who made the grade
成功を掴んだ、幸運な男の記事さ
And though the news was rather sad
それはむしろ悲しいニュースだったけど
Well I just had to laugh
僕は吹き出してしまったよ
なんでこれが曲として成立しているのか? 最後の不協和音を含めて、それまで知っていた日本の曲(フォークソングを含む)とあまりに違っていたのです。そうやって聞くと、ルーシーインザダンヤモンド、アクロスザユニバース、All You Need Is Love(愛こそはすべて)……、いいよねぇJohnは。反抗の季節の青年の心に火を灯すものが多くて。
やがて高校生になってしまった私は、Beatles解散後のJohn Lennonのソロアルバムにも手を伸ばしていくのです。マザーの悲鳴に圧倒され。Godの歌詞に心震えて。マインドゲームスに盛り上がり。最新アルバム『Double Fantasy』も買って。半分がオノヨーコの歌で、そこは飛ばして聞いたものです。そのレコード購入直後、高1、2学期期末試験中のある日、Johnはニューヨークで撃たれて死ぬのです。
後述注:私、最初に流した文章で「The day in the life」と書いていました。確認しないまま書いてしまった、でも、つまりそう覚えていた!!! あの歌の意味、何を語っているのかを考えれば、あそこは絶対に「A」であって、「The」ではダメなのはわかるはずだよねー。 英語、学生時代から再苦手科目で。当然、冠詞の使い方もあんまりよーくわかんない。そのころに、間違って脳に定着して、そのままだったんだなぁ~。
あるいは、Let it be、を「なすがまま」と訳すのが、最初はずーっとわからなかった。この歌を最初聞いたとき、LP~、LP~、と歌っている、何かレコードのことを歌っているのかなぁ、と思ったのですから、今思えば穴があれば入ったら底なし穴!という感じです。
let って難しい動詞だと今でも思いますよ。最近になって、以前よりは「なすがまま」の感じ、少しわかってきた気がするけれど。自分が書く英語には、let まだなかなか登場しないことに改めて気づきます。
とにかく、A day in the life! 普通のありきたりな1日なのであります。The、じゃその味わいがでない! そっと指摘してくださったAI (伊藤明子)さん、ありがとう!
クウィセロに流れたイマジン
話跳躍して、26歳から28歳にかけて、ケニア西部の村にあるクウィセロ中等学校で2年間、理科と数学を教えました(1990~1992 青年海外協力隊参加)。職場の先生や生徒たちに、Beatles 知っているか? John Lennon 知っているか?と聞いても、知らんと言う。大英帝国の植民地であったケニアにとって、英国のポップミュージックを聞くなんてありえない!ってことだったのか、どうか。
ある日、職員室でJohnのImagine(イマジン)をカセットテープから流したことがあります。
天国なんて無いと想像して やってみれば簡単さ 僕らの下には地獄もない
上にあるのは空だけ 想像して すべての人々が ただ今日を生きてると
国なんて無いと想像して 難しいことじゃないさ 殺める理由も死ぬ理由もない
そして宗教もない 想像して すべての人々が ただ平和に暮らしてると
僕が夢想家だって君は思うかも でもそれは僕だけじゃないんだ
いつか君も仲間になって そして世界は一つになるんだ
みんな忙しそうにしながら、特にその曲を「止めろ!」という人もいなかった。今から思えば、なんとも傲慢で自己満足であったか。Imagineを流すこと、聴いてもらうことに、とっても達成感があったんですよね。それはおそらく、まだ植民地主義的価値観っというか、「これも知らないのか?」的ないやらしいアッパーさ、みたいな要素があったとおもうんですよ。とっても恥ずかしい。けど、ちょっと自分でも微笑ましい20代後半の思い出なのです。
フィリピン、カンボジア、ルワンダ、旅は続いて
少し時間はあいて、次はフィリピンです。
フィリピンでBeatlesやカーペンターズを知らない人は、まぁいません(一部、先住民族の人たちはどうだろう、そこはわからないけれど)。カーペンターズのイエスタディワンスモアは、フィリピンの第2国歌????というほど、みんなに親しまれて歌われていました。
私がフィリピン最北部のミンダナオ島のダバオ市教育局で働いた1998~2001のころまでには、多くの家庭にカラオケセットが入ってきたのです。
日が暮れれば、あちこちで歌が流れてきたものです。タガログ語、英語、ビサヤ語。
そしてBeatlesも定番でした。正直言えば、みんなの歌はそんなに上手じゃない。音痴も多い。それに、多くの人たちにとってはBeatlesもJohn Lennonも同じなんですよ。グループ時代の曲、そしてソロになってからの曲、別にそれがどっちがどっちでもいいじゃないか! はい、おっしゃる通りではあるのです。
そんな細かいことぶつぶつ言ってないで、歌って楽しめ。それを教わったのがフィリピンでした。そして親が自宅で何度も歌うから。当然子どもたちもBeatlesを知るのです。
カンボジアは。Beatles????何それ???? Yesterday? Let it be? イマジン? 知らない。そういうところでした。
まずフランス領だったカンボジアに英語がどーんと入ってきたのは1990年代に入ってからでした。ですから、英語の歌はあんまり広がりを持って聞かれてこなかった。英語歌手でも同時代性のあるマドンナやマイケルジャクソンは伝わってきていても、昔々のBeatlesなんて知らなーい、わけです。
それは2020年代に入った今も同じ。よほど音楽好きな人、西洋に親しんでいる人以外は、BeatlesとJohn Lennonとも知りません。イマジンを流せば、なんか聞いたことはある、というぐらいのものです。40歳過ぎた私が、職場でJohn Lennonを紹介することも、もはやなかった。その優先順位は高くなかったのです。もしも伝えるのであれば、もっと大事なことがあれもこれもあって、ジョンレノンまで手が回らなかったのだなぁ。
そして2013年12月にルワンダでの仕事が始まります。ケニア時代から20年後の東アフリカ! しかし、そこは20年前と別世界になっていました。携帯電話、インターネット、つまりは通信革命が起こっていたのです。それなりの投資をすれば、ルワンダのどこからでも日本に携帯電話での会話が可能になっていました(まだ多くはいわゆるガラバゴス携帯主流でしたけれど)。インターネットがあれば、その接続料のみで世界のどことも会話が可能になっていたのです。
ケニア時代、当時支給されていた400ドル弱の生活費のうち200ドルは毎月の日本への電話代で使ってしまって(それでもせいぜい数十分)、生活を切り詰めていた私にとっては、通信革命後のアフリカを実感して「あぁ、あのときに携帯電話やインターネットがあれば、俺の人生は変わっていたかもしれないなぁ」と、どうしても思ってしまうのでした。とにかく、2013年のルワンダは、1990年のケニアよりもずっとずっと日本に近い場所でした。
と、これを書きながら思ったのですけれど、そうか、私自身も20年ですっかり鍛えられていたのですよね。通信革命もあったけれど、20代半ばでの初海外勤務ケニアと、40代後半でのルワンダと、それに対応する私自身の心にも大きな変化はあったことに改めて気がつきます。ルワンダ勤務になったときの私は、世界のどこにいっても、もうそれは異界ではなかった。そりゃ知らないこと珍しいことは多々あるにせよ、そんなもん、どうでもいいわけで。人がいればなんとかなる。仕事できる。生活の苦労とか、あっても、ない。ストレスにならない、しない。けしてやせ我慢ではなく、です。
ルワンダでも、Beatlesはけして有名ではなかったです。今は英語を公用語にしているルワンダですけれど。ルワンダはナイル川とコンゴ川の源流に近く、つまり大西洋からも地中海からもインド洋からも遠い場所。アフリカの中でも西洋人が到達するのが最も遅かった場所です。けれども、アフリカの中でも人口密度の高い地域でもあるのです。そこが19世紀の最後のころドイツ領となり、そして20世紀初頭の第一次世界大戦後にベルギー領となった。つまり最近まで公用語は仏語でした。ですから、都市部以外の場所では、1994年の大虐殺の前には、Beatles、それ虫?? だったのではないかと想像します。
でも、プロジェクト事務所で雇ったバーティンもイマキュレイトもデニスも(全員20代の女性)Beatlesを知っていたし、Let it be やImagineにも親しんでいました。もちろん懐メロソングが一番のお気に入りというわけではなく、彼女たちが普段イヤホンで聞いているのはキガリで流行っていた最新レゲエミュージックだったけれど。少なくとも彼女たちは、音楽に対するアンテナの広げ方が積極的だったように思います。アンテナを張れば、そりゃBeatlesにぶつかりますわよね。
そして、now and then
そして、2023年、ついに新曲です。
Johnの没後、生前彼が残したデモテープから1995年に2曲(Free As A Bird と Real Lovd)が、新たなBeatlesの曲としてよみがえっています。どちらも良い曲だと思います。
そして、この2曲を作る際に、やはり発表目指してチャレンジしたけれど完成を見なかったのが、now and then。その曲がAIの技術を借りて、今年、ついに完成をみたという。
40年以上前のJohnの歌声を、すでにジョンの享年より20年も長く生きちまっている私(たち)が聴く。歌詞の中にこんな表現があります。
Now and then
I miss you
ときどき 君が恋しいよ という単純な一言。それをJohnが歌う。あぁ、切ないなぁ、わびしいなァ。
青春ってのは、やっぱりあった。あのころの栄養で、今、生きてる。まだ、生きてる。
ありがとう、ジョン。あの人にも、ありがとう。
ぼくは原語ではまるでダメなので来年あたりまた本でも買って歌詞を対訳を読みながら読んでみたいなあと思っていたら最近 ”新曲” Now and then がまた出てしまった。あっちへ逝く前にもう一度読みたいです。
高田馬場の”ムトウ” 超懐かしい! 特別職国家公務員を辞めて東京都に入都して都立高校に配属されて品川区の端っこまで通勤していたが通勤経路でもない高田馬場まで行ってムトウでクラシックのLPを買っていた。毎月レコード芸術を買ってレコード評を読んでLP(バロックが多かった)を1,2枚買うのが楽しみだった。オーディオにもお金をかけた。Luxmanの管球式アンプで聴いたなあ。ムトウのカレンダーをもらうのも楽しみだった。(やがてCDの時代になってアランのバッハのオルガン曲全集などレコードラック付きでレコード200枚くらいを知人に分けたり、アカイのオープンデッキを同僚に差し上げたりしてしまったこと、今になるとバカやった。Luxmanの管球式アンプも書棚を特注で作ってもらった横浜の家具屋さんに差し上げた。)
逗子から月2回ブルバキの数学原論、トポロジーの輪読会に通うのと、あることにお金をほとんど費やしていたので東京に引っ越すときには15万もなかった。お金がないから大学生協がやっていた安い引っ越し業者のトラックを利用したら冬物が入った段ボール1箱をそっくり落とされて、その年の冬は衣服の手当てに苦労したなあ。
あの頃が懐かしい。しかし、Beatlesはまだ今です。もうすぐあっちに逝くのにさ。
ご投稿ありがとうございました。こっちに居る時間が少し延びそうな気がします。
匿名様 いつも読んでいただき、コメントもありがとうございます。
なんと! ムトウレコードですれちがっていましたかぁ!
私は、わりと「音が聞こえればいいさ」派で、幸い【管球式アンプ】やら、【アカイのオープンデッキ】やらにはご縁がありませんでした。
「Beatlesはまだ今です」 はい、ごもっともです。ぜひ、原詩と日本語訳、再度取り組んでくださいましね。次回お会いしたら、そんなお話もいたしましょう。
しかし、「ブルバギの数学原論」「トポロジーの輪読会」!!!なんとも手強そうで、恐ろしいほどです。
でも、これだけの難物に立ち向かってこられた匿名氏であるからこそ、あの豪胆が備わっていったのだろうなぁと。そこにクラシックの香りが寄り添うわけですね。
うーむ、なんともメビウスの輪(位相幾何学/トポロジー)的であります。
村山哲也