誰と仕事をするかは、そう簡単には選べないですよね
開発援助の仕事で、途上国に行く。そこで、プロジェクトを実施する相手側機関のスタッフを紹介される。「はじめまして、よろしく!」となり、一緒に仕事を始める。仕事の仕方は様々だ。彼らが技術移転の直接の対象となることもあるし、あくまで彼らはプロジェクト運営の同僚であり、直接に技術移転する相手ではないこともある。そういいつつ、その“運営(マネージメント)”だって、そのやり方がひとつの移転するべき技術だったりすることは多いのだけれど。たとえば、理科教育の指導法そのものの技術移転の対象は現職教員だとしても、それ以前に研修の進め方を教育省スタッフと共有することが、ひとつの技術移転になっている、というようなことです。
途上国であろうと、日本であろうと、「誰」と仕事をするかは、その仕事の成否を決めるとても大きな要因だ。そして、その「誰」を、通常ぼくたちは自ら選べることはほとんどない。(それは、相手側にも言える!たとえば、支援される側は支援者を自分たちで選べない!!)
「よろしく!」で出会う相手とは、偶然の出会いだったりするわけです。
仕事を始めてみると、だんだんにいろんなことに気がつくことになる(もちろん、それもお互い様)。仕事には、どうしたって「できる」「できない」「要領がいい」「要領がよくない」等々、起こりうる(何度でも書くけど、それもお互い様!!!)。
また技術移転の対象者として、その人が本当にふさわしい人なのか、という問題も起こりうる(さらに書くけれど、必要な技術を伝えるものとして、派遣された支援者がほんとうにふさわしい人なのか、ふさわしい技術を持った人なのか、ということも、常に問われる)。
たとえば、私のカンボジアの友人、チョムランは1993年に日本での義足製作の技術研修にNGOから派遣された。しかし、彼はもともと義足を作る仕事についていたわけではなかった。彼の本職は英語教師で、そのNGOにはマネージメントのスタッフとして就職していた。そして、そのNGOが日本での研修枠を取れたとき、英語ができるという理由で彼が派遣されたんだ。当時、カンボジア語しかできないスタッフが日本での研修に派遣されても、日本側が通訳の手配を十分にアレンジすることは簡単ではなかっただろう。もちろん、その分の予算もかかる。
つまりは、その道の専門家ではないチョムランが派遣されたのは、仕方のないことだった。受け入れた側の日本の技術者に、「英語教師を派遣されても困る」と文句をいう選択肢はなかった。そして、チョムランは一から義足作製技術を学び、約1年の研修を終えてカンボジアに帰り、地雷犠牲者のために義足を作り始めた。
けれども、そのNGOを資金援助していた米国のスポンサーが数年後に援助を止めてしまった結果、NGOは活動を続けることができなくなり、チョムランも義足技術者として収入を得られなくなった。彼は転職し、得意の英語を活かして旅行代理店で働き始め、義足を作る仕事に就くことは二度となかった。
つまり、支援には、そんなことも、ある。これは、どうしようもなかったケースだったかもしれない。
支援者が「支援される側(人)」を選ぶとき
ぼくがある国で支援をしたときのこと。そのプロジェクトでは、教員養成校の教官を対象として技術移転を行い、かれら教官を通して新しく教員になる若者たちへの理科教育の質向上を図る、という筋書きが描かれていた。
ぼくがそのプロジェクトに参加したのは、プロジェクトがスタートしてすでに数年が経っていた。そして、そこで発生していた問題というか、議論は、その教員養成校の教官たちのなかに、それぞれの専門知識があまりにも低い人たちがいるということだった。つまり、技術移転しても、その移転が円滑に進まないということが、支援する側とされる側のあいだで、話し合われていたんだ。
そのときは、教員養成校の学長とプロジェクトが協議した結果、結局、一部の教官を科目指導から外す、という措置が取られた。たとえば、生物を担当していた教官の数名が、その養成校で生物を教えるチームから離れ、マネージメント部署だったり、他の指導科目に移る(たとえば、教育法とか?)ということになったんだ。
専門知識があまりにも足りないとされたスタッフは、皆が中高年齢で、まだ若いその国で彼らが受けてきた専門教育は、けして質のいいものではなかったのだろう。そして、それでも彼らは、新しい国で不足していた教師としてリクルートされ、その後、教員養成校の教官にまで“出世”したような人たちだった。
技術移転する側からすれば、若手教官が育ってきている中で、専門知識を身につけつつある層(若手)と、どうしても足りない層(中高年)を同時に指導することの非効率性が、もう限界だという声があった。若手に焦点をあてれば、ベテラン勢がついてこれない。ベテラン勢にていねいに教えれば、もっと伸びる力を持っている若手にかける手がまわらない。限られた時間のなかで、どちらを取るしかないというのが支援する側の“苦渋”の選択で、結局若手を伸ばすことに支援される側が同意することになった。
さらに、外部から新たに教員養成校教官がリクルートされたけれど、その場にも支援する側(つまり日本人)が加わり、彼ら自身で新たな教官を選抜した。つまり、相手国の人事に直接介入したんだ。もちろん、それは両者の同意があってなされたことではあった。
このような事例が、開発支援の現場でどれほどの頻度で起こっているのか、それを示すデータをぼくは見たことはない。技術移転の対象を、支援する側がより介入して選ぶということは、NGOであれば、ODAよりも頻繁に起こりえることかもしれない。その良し悪しは、ケースバイケースで、外部から簡単に批評できるものではないだろう。よりよい効果を上げることは、支援する側にとっても、支援される側にとっても、大事なことだ。
それでも、技術移転対象の人事へのプロジェクトの介入を見ていて、ぼくには苦いものが残った。後から参入したものとして、そのときのぼくはただその経緯を見守ることしかできなかった。それまで努力してきた「支援する側」が抱えるフラストレーションも、よく理解できた。一方で、プロジェクトから「失格」とされて、配置換えになった古参教官の指導をあきらめるというのは、支援する側の“敗北”だったのではないか、という気もした。
人事には介入しないというルール
学習が早い生徒、遅い生徒、の両方がいるなかで苦労するというのは、どんな教師でも経験することだろう。そのプロジェクトで、その後ぼく自身も、この問題には悩んだ。そして、今から思えば、ぼく自身の指導力不足があって、一部の教官との関係が難しくなった。はっきり書けば、ベテラン教官のあつかいは面倒だった。ぼくに言わせれば、無用なプライドがいつも彼らの学ぶ力を邪魔していた。それでも、ベテラン教官を扱いきれない自分の力不足が悔しかった。
そのときの経験は、その後、ぼくの中では、ぼく自身は人事に介入しない、という約束事になった。つまり、「負けてたまるか」という気概みたいなものだ。どんな相手でも、やれることをやろう、という心意気みたいなものが、育ったんだと思う。
日本のプロ野球のドラフト会議には、必ずチームの現場をあずかる監督が同席する。ぼくにはあれがちょっと不思議に思える。チームの選手編成の責任は、数年で入れ替わる監督の仕事ではない、と思うからだ。チームを長期で運営する視点を持つもの(ゼネラルマネージャーというような立場が米国のメジャーリーグではあって、それがその任にあたるのかな)がどの選手をリクルートするかを判断すればよくて、その選手を活かしてゲームに勝つのが監督の仕事なんじゃないかな。つまり、監督は選手は選べない(選手も監督は選べない)。選ばなくてもいい。もちろん、レギュラーメンバーを選ぶのは、監督だ。そこにチーム編成側が口出しすれば、チームはぎくしゃくするだろう。
つまり、ぼくはあくまで現場を任された“監督”の立場で、選手は選べないと考えたほうがすっきりする。だから、「人事」には口を出さない。もちろん、意見を求められればできる範囲でするけれども、ぼくがするのはそこまで。
プロジェクトの専属スタッフをリクルートするときも、ぼくは面接に出ないことを選ぶ。履歴書も、特に見る必要はない。プロジェクトで言えば、それはプロジェクトリーダーと呼ばれる人の仕事で、ぼくはリーダーが選んだ人とうまくやるように努力するだけ。
支援する側は「強者」、その自覚は大事だと思うよ
もちろん、これは、ぼく自身が積み上げてきたルールでしかない。開発援助の技としての「良し悪し」でもない。ただ、以前書いた「コントールしない」(1月4日の投稿 コントロールしない – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com) )という精神からすれば、介入は少ないに越したことはないだろう、と思っている。
それは権力者になることへの警戒でもある。人事への介入は「権力者」であることを選択することにならないだろうか。支援する側はただでさえ「強者」なんだ。その強者が、さらに権力をあからさまに示し持つ。「人事」とは、そういう場だ。介入するという行為が持つ、政治性から無頓着であるのは、よくない無邪気さなんだろうと、思う。
一方で、たまたまめぐり合わせで出会った人の配置で、泣くほど苦労しているケースがあることは、周りにもあった(再度書くけれど、相手もこっちをそう思っている可能性は常にある)。
そんな苦労をしている開発支援の仲間たちには、そっと伝えたい。さーて、そこが腕の見せどころじゃないですか!って。
「支援する側は「強者」、その自覚は大事だと思うよ」大切ですね。勘違いしている支援者があまりにも多いです。
間々田和彦様
いつもコメントありがとうございます。
油断していると、私も『強者の自覚』を忘れたりしがちです。気をつけなくちゃなぁ。
村山哲也