上間陽子著『海をあげる』を読んで思った、故郷って、ぼくにはないんだな、ってこと。

痛みを抱えて生きるとはこういうことなのか。言葉に表せない苦しみを聞きとるには、こんなにも力が居るのか。(上間陽子『海を上げる』筑摩書房 の帯より引用。

どのページからも、沖縄がむんむんと匂う

 上間陽子著『海をあげる』筑摩書房 2020年10月30日発行
 本の後付によれば、上間陽子さんは1972年沖縄県出身、現在は琉球大学教育学研究科教授。普天間基地の近くに住んでおられます。沖縄の未成年少女たちの支援・調査に携わってこられた方です。
 このブログでもときどき引用している岸政彦さん(生活史をテーマに、沖縄などで聞き取り調査を続けている社会学者)の本から、上間さんのことを知り、この本を手に取りました。

 沖縄出身の上間陽子さんは、高校後に東京の大学に通われるため沖縄を離れましたけれど、やがて沖縄に戻り、特に若い女性たち、特に弱者としての女性たちにかかわり続けています。本のなかには、おじいさんが亡くなったとき、おじいさんの魂を見送るためにみんなで海に膝まで浸かって入る様子などが描かれています。上間さんは、これからも家族を送るために海に入り続けるし、自分の死がおとずれれば、海の向こうに行った家族と再会するのだということが、よく理解できます。上野さんの娘さんの成長が、本には書かれています。そして、きっと娘さんも、上間さんを見送るために海にはいるのでしょう。そうやって、過去と未来がつながっている。
 とにかく、本のページをめくれば、どのページからも沖縄の匂いでむんむんとします。旧暦のころに沖縄にやってくるムーチービーサーという寒い海風が吹く季節があること、そのときにムーチー(鬼餅)という月桃で包んだお菓子を作ることを、ぼくは初めて知りました。

 東京から沖縄にもどることが決まったとき、「暮らす場所は、普天間基地に隣接している地域にしなくてはならない」と上間陽子さんは思う。「東京で接したひとたちーーー沖縄は良いところだと一方的に称賛するひとたち、沖縄の基地問題に関心を示しながら基地を押し付けたことを問わずに過ごすひとたちの中でくらしてきて、沖縄の厳しい状況のひとつに身を置いて生活しないといけないと、私はあのとき(かたく)なにそう考えていたのだと思う」と彼女は、書く。そして、2019年、生活する宜野湾市で米軍基地による水源汚染による、水道水への発ガン物質混入が判明した。幼い娘さんに水道水は飲ませられないと、上間さんは自動販売機で水のペットボトルを買う。水遊びが大好きな娘さんを、近くのホタルやカワセミの住む湧水地につれていけなくなる。

 あるいは、父親の性暴力に苦しんだ17歳の女性が、観光客、あるいは地元客が立ち寄るエステサロンで働くことも書いてある。その女性は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しまながら、子どもを育てるため、男たちを射精させて収入を得る。

 1945(昭和20)年の米軍の沖縄攻撃に逃げ惑った人たちの記憶。上間さんの家の上を隣の人と会話が成立しない90デシベルの音をたてて飛ぶ、オスプレイやジェット機。そして、土砂が投入されて赤くにごった辺野古の海。みんな沖縄だ。
 『海をあげる』というタイトルは、「この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる」『海をあげる』だ。「この本を読んでくださる方に、私は私の絶望を託しました。だから、あとに残ったのはただの海、どこまでも広がる青い海です」という一文で、この本は終わる。

託された「絶望」を消す術がわからない

 本の最後で思わず託されてしまった「絶望」に、ぼくはやっぱり戸惑っている。東京出身で、「沖縄、美ら海水族館はいいよ」なんて口にしているぼくが、託されてしまった上間さんの「絶望」。この「絶望」を、ぼくはどう扱えばいいのだろう。
 辺野古を埋め立てて建設に向かって突き進む米軍基地には、ぼくは反対です。署名をしたり、フェースブックで沖縄から流れてくる情報に、いいね、をクリックしたりはする。沖縄で地方選挙があれば、辺野古基地建設を進める東京政権にNo!という人たちの当選が聞こえると嬉しくなる。身の回りを思い浮かべても、いったい誰が辺野古埋め立てを支持しているのだろうと不思議になるぐらい、辺野古への疑問を持つ人ばかりです。
 でも、こんなことを書いても、託されてしまった上間さんの「絶望」は消えない。人から託された「絶望」なんか、持っていたくないじゃないですか。だから、消えてくれるのが一番楽ちん。でも、どうやって消せるのか、ぼくには判らない。辺野古への土砂投入が止まって、沖縄から米軍基地がなくなっていくのがいいのは判る。けれども、そうなるためにはどうすればいいか、判らない。投票の度に、その結果にがっかりする。どうして、みんな、安倍政権や管政権を支持するのだろう? だから、おそらく、当分、託されてしまった「絶望」は消えてくれない。今の東京政権が倒れて、新しい東京政権ができたとしても、まだ判らない。簡単には「絶望」は消えてくれない、そんな嫌な予感ばかりがして仕方がない。

「絶望」を貯めて

 ぼく自身が抱えてきた「絶望」はなんだろう、とも思う。
 石原慎太郎という人が、何期も東京都知事を務めたころ、ぼくは東京都民になるのが嫌だった。海外で暮らしながら、東京生まれ東京育ちではあるけれど、東京に帰って石原都政の都民になることは避けたかった。ぼくは、冗談交じりに、でもかなり真剣に「政治難民です」なんて外国で口にしていた。
 石原都政が嫌だったのは、やっぱり人に優しいとは思えなかったから。日の丸や君が代を教育現場で強制していたから。「あんな人たちに人権なんてあるのかね」と語る都知事に、次の選挙でも多くの票を入れる人たちがたくさんいる東京がイヤだったから。 
 でも、あのときの「都民になりたくない」という思いと、上間陽子さんの「絶望」は違うような気がする。ぼくには「都民」になる必要性も、欲求もなかった。別に、東京なんか、どうでもいいんだ。東京の空や海や湧水地がどうであろうと、それほど大きな問題じゃない。東京の空も海も湧水地も、ぼくにはそれほど特別に価値があるものと認識できていないんだ。 

 ぼくには、絶望するだけの大切な故郷はないって、上野さんの「絶望」を託されたぼくは思い知る。

 あぁ、ぼくの越境は軽いなぁと思う。帰る場所のない越境は気楽だ。もう戻れないかもしれないと、心底思いながら踏み出す越境なんて、ぼくにはきっとない。身軽といえば、そうかもしれない。「死んだら、骨は〇〇に埋めてくれ」なんて思いもサラサラない。そんな風に思う人たちがいることは知っている。だけど、きっとぼくにはその心持を心底理解するってことは、難しい。

 ぼくには入る海はない。死んで出会う家族もない。それはそれで、仕方がない。上間さんたちが羨ましいわけでも、ない。そんな風に思っているぼくに対して「可哀想」と思う人がいるとして、なかなかそれには共感できない。
 ただ、そういう人がいることと、そんな思いを無視しちゃいけないのだなぁってことは、思う。境界を超えてみようよ、なんて呼びかける本を書いてしまった分、よけいに越境のつらさ、厳しさを想像しなくちゃ、と思ったりする。そして、たとえば上間陽子さんが書いた本を読む。「絶望」を託される。気がつくと、あっちこっちの「絶望」がぼくのなかには貯まっていく。

 それをエネルギーに代えて、ぼくは越境していくのかな、なんて、ふと思う。

 

 

 

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