陸路で国境を越えるという不思議 日本にいてはできないこと

モンゴルの草原を伸びる道 この道は確実にローマに繋がっていますね。

人生最初の陸路国境は、資本主義と社会主義

 陸路で国境を越えた最初の体験は、観光で訪ねた香港から日帰りで深圳(しんせん)に行ったとこのことだ。あれは1989年の1月。香港が英国から中国に返還された1997年の8年ほど前になる。深圳の町のことはほとんど記憶にないけれど、国境のパスポートチェックのことはよく覚えている。
 香港側のゲートで「出国」のスタンプを押してもらい、わりと深い谷となっている小さな川を渡り中国側の施設に入る。そこでは職員が奥のほうでお茶かなんかを飲みながらだべっていて、窓口のこちらがわには多くの越境者がいるにもかかわらず、知らん顔。おぉ、これが噂の“社会主義”かぁと思った。当時の社会主義の印象は、私的所有が認められない、生産物は平等配布、そんな社会では、人はあんまり頑張らない。サボったほうがちょっと得。だから中国の人民公社も、ソビエト連邦のソフホーズ(国有農場)もコロホーズ(集団農場)も生産性があがらない、というようなものだった。社会主義に対して、資本主義が高らかな勝利を声を上げることになるベルリンの壁崩壊はこの1989年の11月だ。
 そんなイメージを持っていたから、多くの「客人」を待たせても、気にせずお茶を飲んでいる職員を眺めて、「なるほど、なるほど」と納得してしまったのでした。1日のスケジュールを終え、今度は中国を出国し、香港に入国する際の職員の手際の良さに再度、「なるほどー」と思う。そんな陸路の香港ー中国の境界だった。

緩々だったり、橋の下に道があったり、色んな国境

 次の陸路国境超えは、青年海外協力隊に参加しケニアで暮らしていたころ。ぼくの赴任地クウィセロ村はケニア西部で、ケニアの西隣の国ウガンダの国境まで数時間だった。ある週末、「案内する」という同僚シテミを後ろに乗せて、50ccバイクで国境まで走った。国境は、シテミが国境監視官に交渉してくれて、スタンプなしで越えた。もしかしたら、パスポートすら見せなかったかもしれない。国境と言っても、町中の道にちょっと検問箇所があるような場所で、国境のこっちとあっちで、ひとつの町という風情だった。人々は、その国境をパスポートも見せないで行き来していた。緩々ゆるゆるの国境。
 ウガンダ側の町外れに乗り合いタクシー乗り場があって、行き先にはウガンダの首都カンパラとある。あぁ、乗ってカンパラまで行ってみたいなぁ。さらにカンパラの先までどんどん行ってみたいなぁと思ったことを覚えている。
 
 カンボジアで働き始めた2002年以降は、東隣のベトナム、西隣のタイへ、バスで移動することが何度もあった。ベトナムとカンボジアとの国境、今は両方に大きなゲートと手続き事務の立派な建物が建っているけれど、その前はカンボジア側の施設は小さな掘っ建て小屋だった。そこから国境線に沿って鉄条網の仕切りが伸びていたけれど、よく見れば、数百メートル離れた先には、その仕切がちょっと途切れているのだろう、小さく見えるバイクが荷物を乗せて何台も往復しているのが見えた。あの人たちは、国境、おかまいなし、な感じ。
 さらにベトナムの入国審査、出国審査も独特だ。カンボジアの建物から、ベトナムの建物まで歩いて移動し、建物に入ろうとすると「いらっしゃい、いらっしゃい」と職員が手招きする。近づいていくと、ぼくパスポートを受け取ると、用意した入国票に記入してくれる。終わると、はい○ドル、と手を出す。見回せば、旅慣れた人たちは自分で入国票を記入している。なるほど、これも「旧社会主義国」? 以後は、ぼくも自分で記入している。さらに、出入国が混んでくると、パスポートにちょっとした現金を挟む人がいる。と、すぐにスタンプが押されて返ってくる。何も挟んでいないパスポートは後回し。うーむ、これもベトナムの「ドイモイ(刷新)政策」の成果? カンボジアとベトナムとの国境は、ぼくが事故にあった6年ほど前より以前は、カンボジアの出入国の清々しさが身にしみる場所だった。今は、どうなっているかしら。

 カンボジアとタイの国境は、人の行き来がベトナム以上に多い。多くの人が、大きな荷物を抱えて国境を行き交う。そんな人たちは、パスポートチェックはないようだ。なにか許可証のようなものを交付してもらって、国境沿いの商売に勤しんでいるのだと思う。そんな国境には、長さは30メートルもない、幅も長さと似たようなもの、というコンクリート製の橋がかかっている。この橋の下を写した写真を何回か見たことがある。橋の下には、そこで雨風を防ぎ寝泊まりしている人、ちょっとした荷物を運ぶ人、たちが居るのだ。橋の上からその様子を窺い知ることはできないけれど、橋を渡る度に、そんな写真を思い出す。きっと今も、橋の下にも踏みしめられた小さな道があって、そこを行き来するストリートチルドレンがいるのだろう。

 タイマレーシアの国境を列車に乗って通過したこともある。タイの首都バンコクからマレー半島を下ってシンガポールまで走る国際列車がある。国境の停車駅で、確か数時間止まって、その間に両国の審査官が車内でパスポートをチェックする。これはとっても楽ちんだった。東南アジアの越境エクスプレス、今も走っているのだろうか?

 以前、このブログでアルゼンチンからパラグアイへの大河パラグアイ川を渡って国境超えのことは書いた。ここもユルユルの国境だった。なにせ、パラグアイ側の国境管理人は魚釣りに出かけてスタンプを押してくれないのだから。

 アカバ湾の見えない国境

 越えてはいないけれど、印象深い国境のひとつにヨルダン、紅海の奥にある港町アカバの浜辺の先に伸びているはずの国境。狭い湾の海の向こうすぐ目の前に、イスラエルとエジプトが並んでいる。イスラエルのほうは小綺麗な町が見え、エジプトのほうにはなんとも荒々しい形相のシナイ半島が一気に標高を上げている。その景色だけ見れば、そこに何の形跡もないのだけれど、イスラエルを巡る中東の歴史を思い出すと、目の前のアカバ湾を伸びているはずの国境が禍々しく感じられたものだった。

 中東から北アフリカに並ぶイスラム諸国の中には、イスラエルの入国スタンプがあるパスポートを持った人の入国を拒否することがあると聞いたことがある。だから旅人はパスポートではない紙に入国スタンプを押すように入国管理官にお願いするのだそうだ。管理官側もその辺の機微はわかっていて、特に問題なく対応してくれるらしい。
 そのアラブ諸国に変化の兆しがある。昨年にアラブ首長国連邦イスラエルとの国交正常化を結んだのに続き、バーレーン、スーダン、モロッコが、相次いでイスラエルと握手した。アラブの盟主サウジアラビアも黙認の構え。そのうちに、イスラエルの出入国スタンプを押したパスポートで中東・北アフリカを自由に行き来する日が来るのだろうか。そうなったとき、パレスチナはどうなっているのだろう。イスラエルがアラブと握手することが、イスラエルのパレスチナ弾圧を止めることに繋がっていけばいいのだけれど、どんどん入植地を広げているイスラエルの右翼系の人たちがいる限り、それはなかなか難しいようにも思える。今、このときも、ガザは大きな牢屋、収容所と化している。辛い。
 もはやイスラエルをあの地から排除することは現実的に無理だろう。となれば、なんとかアラブとイスラエルの平和共存の道を模索して欲しい、とは言え、そのことがパレスチナの人たちを棄民することにつながらないことを、国際社会の皆々様にお願いしたい、そんな気持ちだ。

キブ湖畔こはん夕暮ゆうぐ

 最近出版された拙著『超えてみようよ!境界線』の中では、ルワンダコンゴ民主共和国との国境沿いのある夕方のことを書いている。購入して下さった方にはちょっと申し訳ないけれど、その一文をここで公開します。

 二〇一四年八月下旬、ぼくはルワンダの最南西部の国境の町ルシジ(旧チャンググ)のキブ湖畔にいた。その日の研修を終えて、ルワンダの同僚たちと喉を(うるお)すビールの清らかさよ。夕闇(ゆうやみ)(せま)り、対岸にはコンゴ民主共和国の町の灯が見え、そこから数人乗りの手漕ぎのボートが夜の漁に出ていくのが見えた。
 キブ湖はアフリカ大地溝帯の一部で、湖面の標高は一五〇〇メートルほどある。インド洋からも大西洋からも遠いこのアフリカ最深部に西洋人が到達したのは一九世紀後半、まだ百年ちょっと前のことだ。しかしこの地域はアフリカの中でも人口密度が高い場所で、西洋人が到達するずっと以前から多くの人々の生活があった。
 そのキブ湖対岸のコンゴ東部は、携帯電話に欠かせないコルタンと呼ばれる希少金属の産地だ。そこでは一九九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけて、周辺諸国を巻き込んだアフリカ大戦とも呼ばれる長い戦争があった。日本ではあまり知られていないけれど、何百万もの犠牲者を出した地域でもある。周辺各国が兵を引いた以降もコンゴ東部は無政府状態の場所が多く残り、そこでは小さな紛争が繰り返されている。その紛争の被害者である何万人もの強姦された女性を治療してきたムクウェゲ医師が、二〇一八年にノーベル平和賞を受賞した1。彼の運営する病院があるのは、ぼくがビールを楽しんだルシジから国境を挟んだすぐ目の前、コンゴの町ブカブだ。二〇一四年のそのときも、コンゴではエボラ出血熱の流行が伝えられていた。
 いつまで続く人々の苦難(くなん)なのか。そんな思いに揺れながら景色を眺めていると、こちらの岸からひとりの男性が湖面を泳ぎだした。もしかして夕闇にまぎれた密出国だろうかと、同僚たちと一緒になって注目していると、男性は気持ちよさそうに辺りを泳ぎ回ると、こちらの岸に戻ってくる。一日の汗を流しながら、水泳を楽しんでいただけのようだ。拍子抜けしたぼくたちは笑い合い、それぞれの汗をかいたグラスに手を伸ばしたはずだ。

『超えてみようよ!境界線』91-92ページ

google mapより

 この翌日、ルワンダの首都キガリに向かう車両が谷へ転落事故を起こして、ぼくは車イス者となった。あのキブ湖から眺めた国境を、ぼくが忘れることはないだろう。
(詳細は、ぜひ『超えてみようよ!境界線』(かもがわ出版)を手にとってくださいませ!)

 ということで、ではでは、また明日。

  

)

コメント、いただけたらとても嬉しいです