(この投稿をメールで読んでいる方、ぜひ、今回はブログのサイトに移動して、投稿に含まれる写真も見てもらえると、より印象深いと思います。)
カンボジアの首都、プノンペンには、ながらく公共交通システムがなかった。2002年にぼくが教育支援プロジェクトの仕事でプノンペンで暮らし始めたころ、自らバイクを持たない市民が街中を移動する手段は、シクロと呼ばれる自転車タクシーか、そうでなければ「モトタクシー」だった。モト、つまりバイク。しかも、このモトタクシーはバイクを運転する人であれば、だれでも商売が可能だった。特に資格も必要でなく、モトタクシーで収入を得たければ、バイクさえあれば誰でもタクシー運転手になれた。この「誰でも」には女性は含まれず、モトタクシーの運転手はほぼ100%男性の商売ではあったけれど。当時、給与の安かった教員を始め、多くの公務員男性の副業は、このモトタクシー運転手だった。
その後、トゥクトゥクと呼ばれるバイクで客車を引っ張るスタイルの高級?モトタクシーが広まった。この商売は元手と認可が必要で、つまり専門業として“タクシー運転手”が誕生したことになる。この専門タクシー業界は徐々に発達し、やがて普通乗用車のタクシーが走り出したと思ったら、現在は三輪タクシー(インドスタイル)が主流だ。携帯電話のアプリを使って呼び出すことができて、とても便利だ。
これらの私営タクシーは発達したけれど、公共交通、日本でいえば鉄道、地下鉄、そしてバスといった乗り物は、プノンペンと地方都市を結ぶ長距離私営バスだけがあって、町の中を結ぶものは全く存在しないのが、カンボジアの特徴ですらあった。
1996年にマレーシア資本がプノンペンでの市内バス運行を始めたけれど、精算がとれず1年で撤退した。そこに乗り出したのが、日本の政府間援助だった。まず、2001年に試験的に短期のバス運行を実施したのが最初の一歩だ。その後、長い試行錯誤?停滞?があったあと、2014年に再び市内バス運行のチャレンジが始まり……(ここは書き出すと長くなるので省略)……、2020年現在、プノンペン市内で、13路線の市内公共バスが運営されるに至っている。日本政府によるODA(政府間援助)は、プノンペン市によるバス公社の経営、人材育成、車体の供与など、公共バスの運営をさまざまな側面から支えている。おそらく、カンボジアでの公共バス支援プロジェクトは、ODAの成功プロジェクトのひとつなんじゃないだろうか。
このODA支援で、特に目に見えやすいのが、バス本体の支援だ。2018年に80台のディーゼルバスがODAで無償支援された。
この80台のバスには車体に日本の国旗“日の丸”と共に「From the people of Japan」と英語表記されている。
バス公社で使用されているバスは、日本支援の80台だけではない。他にも中国政府から支援された100台(中国援助CHINA AIDの表記が車体にある)、さらには韓国製中古バス(これが韓国政府の支援によるものかどうかは不明、2016年当時57台)がある。
さて、ここまでが前置きでした。本投稿は、ここからが本題です。
支援された公共バスはバリアフリー仕様ではない
日本政府が支援した公共バスはバリアフリー仕様ではない。それは中国支援のバスも、韓国製中古バスも同様だ。
そのことを、カンボジアの障害者自立を目指すグループのリーダーと話したことがある。彼は「そのとおり!」とうなずいた。聞けば、バスのバリアフリー化を求めてJICA事務所で話し合いをもったこともあるそうだ。けれども「特に進展がない」のだそうだ。
気になってインターネットで調べてみると、2016年に日本とカンボジアとの間で実施された『カンボジア国プノンペン都公共バス交通改善計画準備調査報告書』(注1)が見つかった。この報告書を車イス者の視点で読んでみた。
まず、このプロジェクトの妥当性のひとつとして、本プロジェクトは交通弱者の「交通基本権」(交通手段の選択権)の拡大を目指すものであり、人間の安全保障、BHN や教育・人づくりに合致する、という一文がある。この交通弱者には、障害者も当然含まれるはずだ。
報告書には2015年2月当時運行されていた3路線の利用者調査の結果として、身体障害者が全利用者の1%だったことも記載されている。ぼくの想像では、この身体障害者は車イス者ではなくて、松葉杖使用者が多いのではないかだろうか。なぜなら、バリアフリーでないバスには車イス者は乗り込むのが困難だし、カンボジアには地雷被害で片足を失い松葉杖を使っている人がかなりの数存在するからだ。同じ調査では、“交通弱者”と考えられる70才以上の高齢者は4%、身長1m以下の子供も4%となっている。
しかし、報告書を読み進めていくと、やはりプロジェクトの妥当性に触れたところで次の文章を見つけた。
バス利用者は、学生、高齢者、子供、女性などの交通弱者が多く、公共交通の利用促進は、これらの交通弱者の「交通基本権」(交通手段の選択権)の拡大を目指すものであり、人間の安全保障、BHN や教育・人づくりに合致する。
交通弱者として、学生、高齢者、子供、女性が挙げられ、障害者という記述は抜けている。それはなぜなのだろうか?
バスの仕様を検討する箇所に重要な記述が見つかった。
運行路線の道路のほとんどは舗装整備されているものの、一部区間では雨季における道路冠
水がみられることから、日本国内では主流であるバリアフリータイプの低床型ではなく、2~3 ステップの高床型を導入する。
なるほど。確かに雨季にはプノンペン市内で小さな“洪水”は頻繁に起こる。それがバリアフリータイプにしない要因だと読める。つまり、道路冠水が交通弱者から「障害者」が抜けた理由のようにも思える。となると、道路冠水のリスクが続く限り、低床型のバリアフリー仕様のバスをプノンペンの公共バスに利用するのは難しいのだろうか。
道路冠水があるからバリアフリー車の導入は難しい?
ホントーーー???
カンボジアの道路では車両は右側通行で、つまり日本と逆だ。乗降車も右側になるため、左側にドアのある日本のバスをそのまま利用することはできない。日本政府が支援したバスは、シャシー(車両の土台となる足回りの構造)が日本の企業のものを利用し、新たに右側通行仕様に作り直したものだ。
そして、さらに調べてみたら、このシャシーは日本製中古バスのものが使われているのだそうだ(この情報の出どころは、内緒)。
ここから先は、ぼくの想像だ。おそらくバリアフリーバスの中古品は、まだそれほど市場には出ていないだろう。むしろ日本国内でバリアフリーバスの導入が進んだことで、高床車の中古バスは多く供給されているだろう。中古シャシーを使う以上、高床車が支援されるのは避けられなかった。そして、プノンペン市内で年に数回見られる道路の冠水は、低床車ではなく高床車を導入する“言い訳”としては、ちょうどよかった。
言い方を変えれば、バリアフリー低床車のほうが値段が高い。少ない金額で多くのバスを導入するには、高床車の“費用対効果”が高かったのだ。つまり、バリアフリー対応までを考慮する「余裕」はなかった。
そして、バリアフリーが考慮されなかったもうひとつの理由に、援助される側も、それを強くは求めなかったことがあるだろう。カンボジア側から、バリアフリーを考慮することに対する強い要求が日本側に伝えられた形跡は、上述の報告書からはうかがえない。実際、なかったんじゃないかな。
バス路線導入を求める側も、それを支援する側も、全利用者の1%しか占めない障害者、さらには高床バスを使用できない車イス者のニーズに、強い思いをはせることはなかった。
障害者対応を言い出せば、どこまで対応すればいいのか、という話にもなる。車イスすにもいろいろある。手動イスだけ乗車できるようにすればいいのか。電動車イスも入るように考慮するのか。車イスだけではなく、介護ベッドの移動者がバスに乗りたがったらどうすればいいのか。(交通マナーが悪いとされるプノンペンで)安全上の対応は十分になされるか。視覚障害、聴覚障害者といった多種多様な障害に対応するにも費用は必要で、それだけの余裕はない、と、健常者は考える。
そして、おおっぴらには言えないことだけれど、社会の価値観とバリアフリー化はどうしたって連携している。少数の障害者にまで目が届くようになったのは、日本社会でもようやく最近のことだ。貧しい途上国でバリアフリー化を整備することは、まだ現実的でないと考える人が多いのだろう。
ただ、上記の「不安」は日本のバリアフリー対応で、今でも問題化される部分だ。そして、それを一応乗り越えて「バリアフリー化」は進みつつある。
また、人々の移動の自由、利便性の確保を人権の一部と考えれば、その評価に費用対効果を用いるのは適当ではない。実際、人間の安全保障、BHN や教育・人づくりでは、「費用対効果」の優先順位は低いとされている。
なによりも「社会の啓蒙」という視点から、惜しい!!と叫ばずにはいられない。
援助する側の価値観として、バリアフリー、さらにはユニバーサルデザイン(注2)を広める音頭取りの絶好の機会を逸したんじゃないだろうか。 そのことが日本のODAが、他国の支援との差異化を示す絶好の機会だったろうと、一応日本政府に税金を払ってきた者としては思う。まぁ、ぼくはその差異化にはそれほど意味を感じないけれど、でも差異化で気持ちよくなる納税者は多かったんじゃないかな。

持ち込んだ車イスはたたまなければならない。
結局、「不便」に思う者が自ら動かないと、事態は動かないということなのか。
そして、写真で示したように、車イス者は動き出している。実際に車イスでバスに乗ってみる、という行動を起こしている。もちろん、高床なので、乗れない。だから介護者に抱きかかえてもらって、乗る。車イスを置けるスペースは車内にないので、折りたたんで置く。
たとえば、途上国では卓上の有線電話をすっ飛ばして、携帯電話が普及した。同じようなことが、バリアフリーやユニバーサルデザインでも起こればいい。そんな気概を、支援関係者は持ったほうがいいじゃないかな。いや、ぜひ持って欲しい!!

こんなバスが援助されていたら、どんなに評判がよかっただろう???
(日本の公共バスでは、運転手が座席を離れ、手動でボードを設置する)
注1『カンボジア国プノンペン都公共バス交通改善計画準備調査報告書』(https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/12266938.pdf)
注2 ユニバーサルデザインとは「 年齢や障害の有無、体格、性別、国籍などを問わずに利用できることを目指した建築・製品・情報などの設計」のことだそうだ。バリアフリーが「高齢者や障害を持つ人が日常生活、社会生活を送る上でもたらされるバリア(障壁)に対処する」考え方なのに対して、ユニバーサルデザインは「全ての人が何らかの障害を持つ」と考える。たとえば、プノンペンの公共バスでは「カンボジア語が読めない外国人にもわかるように英語表記をすること」が意識されている。これはユニバーサルデザインの考え方だ。
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