あなたは職場の研修に、ノートと筆記具を持っていきますか?  ぼくがユニセフ文化と呼ぶ途上国で実施される研修での習慣と、援助のサンタクロース問題

クリスマスイブ収録の1983年発売、山下達郎LP『Melodies』私当時19才。発売時からの愛聴盤です。くー、しみるなぁ。

 きっと君はこない ひとりきりのクリスマスイブ サイレントナイト ホーリーナイト 
(山下達郎 Melodies より)

ノートにボールペン、ロゴ入りのカバン、さらにはTシャツ、ポロシャツ

 初めて途上国での現職教員研修に参加したのはフィリピンだったはずだ。研修費用を見積もるときに、フィリピンの同僚がごくごく当たり前のように、筆記用具やノート、さらには研修名が入ったロゴ入りのカバンの費用を入れ込むのに、最初とても違和感を持ったことを覚えている。

 それまでぼく自身が、何かの研修に参加して、そこでボールペンをもらう?ノートをもらう?カバンまで? という経験がなかったからだろう。普通(この「普通」ってのがそもそもややこしい存在なんですけれど)、研修に行くときには、自分の筆記具とノート、当然それを入れるカバンは、自分で持っていくでしょう? でも、どうやら、ぼくの普通が間違っているようなんだ。ふーん、そんなもんなのかなぁ。でも、研修運営費の捻出にも不自由する予算状況で、カバンに〇〇ペソも使うなんて、もったいなくないかなぁ。ロゴを入れる必要があるのかなぁ。お金をかけるのは、そこじゃないんじゃない? そんなことを思った。

 その後、いろんな国で現職教員研修にかかわった。運営側にいたこともあるし、他の組織の研修を視察したり、ゲストとして参加したことも少なくない。すべての研修で、ボールペン、ノート、カバンが支給された。中には、ロゴ入りのTシャツやポロシャツ、これは研修最初に参加者にサイズを尋ねて、それから発注されたりする、がプレゼントされる例もあった。研修最終日には、みんなでそのシャツを着て、イエーイと記念撮影する。
 支給されたカバンに、サムソナイトというメーカー名が入っていたこともあった。えー!!純正品なら、日本で一万円ぐらいするぞーぉ、ってビックリした(さっと調べてみたけれど、サムソナイトのビジネスバッグ、一万円なんかじゃぜーんぜん買えないわぁ)。研修時にロゴ入りのカバンやシャツを作ってくれる発注先も決まっていたりして、ふーむ、なるほど、なんてガッテンしちゃったこともある。世の中、持ちつ持たれつ、オシツオサレツ、というわけかぁ。

 この段落はぼくの仮説。この、カバン(とその中身)つきの研修スタイルは、おそらく国連系援助機関がオリジナル何じゃないだろうか。たとえば、貧困地域とか、難民対象とか、そういう場での研修ならば、参加者が筆記具を持ってない、ノートを持ってない、なんてことはあるだろう。
 たとえば、ポルポト時代が終わった1980年代、取材がかなわなかったポルポト時代に何が起こったのかを調べに入った村々で、「(村の行政を記録するための)紙とボールペンが欲しい」と村長らから請われたことが、本多勝一の著作のどこかに載っていたはずだ。
 文房具店にいって、自分で好きな筆記用具やノートを買う。そんなことから、とても遠い世界がある。思っているよりも、たくさんある。それは本当にそうなんだ。
 だから、教員研修に限らず、研修プログラムをひらくときには研修に最低限必要なモノ、筆記具とノートとその入れ物(カバン)を研修実施側が用意する。それはとても大事なことだったろう。そんな環境で、ユニセフら国連援助組織の支援は重要な役割を果たしてきたと思う。

 でも、たとえば、ぼくがかかわった2000年ごろのフィリピン、21世紀に入ってからのカンボジア、の先生たちが、自分のボールペンを持っていなかったといえば、そんなことはなかった。(教員の給与は高くはなかったけれど)ポケットマネーでノートだって買えたはずだ。筆記具やノートを入れるカバンだって、きっとなんとでもなった。
 それでも、研修時には必ずそれらは支給された。それらの予算を研修費に組み込むのは当たり前のことだった。研修終了時に実施する参加者の研修満足度を調べるアンケートで必ず出てきたのは、「支給されるスナックが美味しくなかった」という不満と伴に、「カバンが〇〇の研修よりも安物だった」「〇〇の研修ではシャツも支給されたけれど、この研修ではそれがなくて残念だった」というコメントが必ずあって、運営側をちょっとがっかりさせるのだった。

 そう、この〇〇の研修では、というのが、また厄介なんだ。つまり資金が潤沢な組織が研修を実施するとお土産は多くなる。そんな研修に参加した経験がある参加者にとっては、お土産の少ない研修はやっぱりちょっとがっかりだったりする。実際、お土産の多い研修のほうが、参加者の満足度も高かったような気がする。ぼくが運営する側の研修は、カバン等の費用はできるだけ抑えて、その分、研修で使った教材を、教室現場でも使えるようにお土産として支給することが多かったのだけれど、最終日にもらった教材を先生方が大事そうに持ち帰るのを見るのは、やっぱりこちらにとっても嬉しい光景だった。

サンタクロースたちへ、ドラえもんたちへ

 国際援助では「サンタクロース問題」といわれる関係者の葛藤がある。たとえば青年海外協力隊などの現地密着型の国際開発支援に参加して、配属先で「あれが足りない」「あれを支援してもらえないか」という要請を受けて、「彼ら(被支援者)が欲しいのは、ぼく自身ではなく、ぼくを通じて支援されるモノなんじゃないか?」という疑問を抱え込んでしまう例は、少なくないようだ。つまり、被支援者にとって、声の届く支援者は「サンタクロース」のようなものだ、という葛藤。日本のオリジナルを使えば「ドラえもん問題」かな。苦労して、複数の見積書を取り、支援要請書を書き、ようやく支給されたモノをさらっと受け取る(ように支援者には見える)支援される側の人たち。以前もらったものはメンテナンスもなされず放置され、新しくもらったモノも壊れてしまえばそれまで。そして、次の支援を期待する。それを「援助慣れ」とか「援助漬け」なんて批評する支援者側。

 サンタクロース(ドラえもん)側にも、よろしくない点はあるんだろう。前例主義と、使い切ることが期待されている予算。あるならば、使えばいいじゃないか。通るならば、申請すればいいじゃないか。
 そもそも、世界中の子どもたちが「もうプレゼントはいらない」といい出したら、サンタクルースは失業だ。のび太が明日の試験に万事備えOKならば、ドラえもんはムダに大きいネズミ型ロボットでしかない。どら焼きばかり食べて、野比さんちの食費に負担をかけるだけの存在かも。
 サンタクロースにはクルスマスプレゼントを心待ちにする子どもたちが必要だし、少々だらしのないのび太がいてこそのドラえもんだ。そして、ドラえもんが「のび太が欲しいのはぼくではなくて、このポケットなんじゃないだろうか?」と悩むことは特になかったはずだ。
 協力隊的ボランティアであれば、ドラえもんかもしれない自分を楽しんでみればいい。ポケットから何も出す必要はないと思ったら、どら焼き代わりに現地食を遠慮なく食べてくれ。のび太が本当に困っていたら、あなたも一緒に困って一緒に考えて、可能ならタケコプターぐらいは出してあげればいい。

 ただ、世界的大手サンタクロースに関しては、そろそろ教員研修での筆記用具、ノート、カバンの三点セットは、必要に応じてとすることを強く薦めたい。このときに問題になりそうなのは、ロゴ入りカバンで生活を支えてきた現地零細商店かもしれないなぁ。現職教員研修でカバンを発注しなくなったとき、彼らの生活はどうなるのだろうか。総合的俯瞰的な視点からの“構造改革”は、どうしても痛みを伴うということなのかなぁ。

 サンタクロースやドラえもんがいない世界を想像してみる。それは今よりよりよい世界だろうか。それとも味気ない世界だろうか。ぼくは、どちらかといえば、前者に一票だ。できれば、お世話になったサンタクロースたち、ドラえもんたちの老後の福利厚生が充実した社会であればいいと思う。

 心深く秘めた思い 叶えられそうもない …… サイレントナイト ホーリーナイト ……

 おあとがよろしいようで。

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