オナガゴーラル、知りませんでした。
オナガゴーラル?いや、私、この名前、57歳になるまでまったく知りませんでした。オナガって、尾長?つまり尾の長いゴーラル? 調べてみるとありますね。偶蹄目ウシ科の下にゴーラル属というのがあるのです。なるほど。で、以下の記事です。
八大公山国家級自然保護区でオナガゴーラルの撮影に初成功 湖南省 (msn.com)
日本国内では京都市営動物園で飼育されているそうです。いや、オナガゴーラル知らなかったなぁ。
K-Pt境界での恐竜絶滅について
さっそくに話変わって。
白亜紀最後に、それまで1億年以上も繁栄してきた恐竜が絶滅したことに関して。現在のユカタン半島辺りに彗星あるいは小惑星が衝突したことが原因のひとつとして挙げられていることは知っていました。確かカンボジアの高校1年の地球科学でもこのネタは取り上げられているはずです。
10年ちょい前にかかわった高校地球科学のカリキュラム改定で、高校1年生で地球史、さらには宇宙史について触れることにしたのです。宇宙史となれば、その始まりはビッグバンです。カンボジアの学生たちに宇宙史・地球史をどう教えようかと、地球科学の先生たちと協議した結果、時代を逆にたどって記述することにしたのでした。つまり、まずは人類史から始まって、さらにだんだんに時代を遡って、最後にビッグバンにたどり着くという構成にしたのです。
身近なところから話を始めて、じゃ、その前は、そのまた前は、という展開のほうが、突然に138億年前にビッグバンがあって、という展開よりも取っつきやすいだろうというのが、その理由でした。
現在でも使われている地球科学の教科書には、人類の祖先として、エチオピアで見つかったルーシーと名付けられたアウトラロピテクスのことも触れているはずです。そのルーシーが暮らしていたのが300万年ちょっと前。それ以前に哺乳類の発展の時代があって、さらにそれ以前には恐竜が反映していた時代があった。その恐竜が絶滅したのが6600万年前、白亜紀の終わりでした。
確か、当時参考にした米国の地球科学教科書には、恐竜絶滅の理由として彗星あるいは小惑星の衝突の他にも、インドデカン高原での大規模な火山爆発、さらには恐竜がそれ以前から衰退期にはいっていたのではないかという仮説などが触れられていました。それらを元本にしてカンボジア語の教科書も記述されたはずです。
さて、最近、恐竜絶滅について記された2冊の本を続けて読みました。まず青土社から2001年に出版された『白亜紀に夜がくる 恐竜の絶滅と現代地質学』、作者はジェームズローレンスパウエルという米国の地質学の教師です(翻訳は寺嶋英志と瀬戸口烈司)。この原本は1998年に出版されています。さらに閑人堂から2020年に出版された『ダイナソー・ブルース 恐竜絶滅の謎と科学者たちの戦い』、作者は層序学および古生物学の教授である尾上哲治。両者のあいだには20年ちょっとの時差がありますけれど、内容の多くが重なっています。そして、加えて後者には20年分の新しい情報が加わっている。とても興味深く読みました。素ん晴らしくおもしろかった。
おそらく物理や化学の分野で、最近の発見によって高校レベルの教科書の内容が大きく書き換えられるということは、この時代、ほとんどないのではないでしょうか?1987年のカミオカンデでの世界で初めてのニュートリノ検出(この功績で、2002年に小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞)や、2015年の重力波の初検出などが書き加えられることがあったとしても、あくまで追記のような扱いでしょう
一方で、生物や地学では、まだまだ新しい発見が高校レベルの教科書に反映されやすい。DNAの二重らせん構造をジェームズワトソンとフランシスクリックが提唱したのは1953年で、1936年生まれの私の父の高校生の生物教科書には、まだこの二重らせんのことは載っていなかったんじゃないだろうか。つまり、最近までパラダイムシフトがあったということなのです。地学でも、大陸移動説から解明されたプレートテクトニクス論が常識となったのは、20世紀半ばになってからです。
そして、先の恐竜絶滅にしても、彗星あるいは小惑星の衝突による絶滅説が科学的な証拠と共に唱えられたのは1980年です(それ以前も空想の世界ではあったようですが、検証不可能な空論でした)。この天体衝突説は当初、地質を始めとする関係専門学者の多くからは異端の説で相手にされなかったということなのです。斉一説にどっぷりと論拠した地質の世界に、突然のカタストロフィーによる自然現象は必要ないというのが、当時の専門家の主要な世界観だったというのです。
それでも、2000年頃までには、白亜紀の終わりに直径10キロメートルを超える天体がユカタン半島付近に衝突したことは明確になり、それに疑問を挟むのはよほどの天の邪鬼でないとありえなくなりました。それでも、その後も恐竜絶滅については現在でも議論は続いている。と、書くのはちょっと手短に説明し過ぎかな。天体衝突が短期間に恐竜を絶滅させたのはほぼ確かと認められつつあるけれど、その詳細なメカニズムに関しては、今も完全な決着は見ていないということなのです。
ただ、以前、私が認識していたような、恐竜の段階的な衰退が起こっていたことは、もはや否定されたと考えていいようです。デカン高原での火山活動による玄武岩の超大量噴出(と、それに伴う二酸化炭素の大量放出)についても、あくまで副次的な扱いに後退していて、恐竜絶滅の主要因は天体衝突であるとの認識で間違いないと考える専門家が、今や多数派となっているのでした(ってことが、2冊の本を読むと理解できます)。
いやいや、となれば、10年前に議論した内容からは、カンボジアの教科書の内容はブラッシュアップはやはり必要なんじゃないかな、と私は今思っているわけです。
そして、科学としてもっとも本質的なのは、恐竜絶滅をめぐる議論にも、科学的な論証があるというところなのです。これ、どうやってカンボジアの先生や若者たちに伝えられるのかなぁ。詳細はここでは触れませんけれど、科学的な事実と解釈をめぐる熱く過酷な議論が肝心肝要なわけですよね、科学的な態度を身につけるという点でも。
まさに教師も学び続けなければいけないのだなぁと、痛感するのでした。そして、さて、カンボジアの先生たちには、その学び続けるというチャンネルがどれだけ開いているのかということも、どうしても心配になります。インターネットを開けば、情報は大量に見つかるでしょう。けれども、そこで見つかる情報は玉石混交でもある。科学教育は、あるいは理科教育支援は、これからますます難しい局面を迎えているような気がします。
「茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち青竹枯木 あかつきの霜」
再度、話変わって。
やはり先日、友人が「茶の湯には梅寒菊に 黄葉み落ち青竹枯木 あかつきの霜」という歌をフェースブック上で紹介してくれました。友人は茶人です。後から知ったのですけれど、これは茶聖千利休が茶の道の教えを歌った100首の中のひとつなのだそうです。
この歌を見て、戯れに私は「麦酒には餃子に皮蛋支那竹や大根青菜たそがれの月」とその友人に返してみたのです。そしたらですね、すかさず別の友人が「陰陽や、如何に?」と問うてきたわけです。陰陽?なにそれ?知らんすけ。 さっそく教えを乞いましたところ、この利休の「茶の湯には梅寒菊に 黄葉み落ち青竹枯木 あかつきの霜」という歌は、茶の湯における陰陽の取り合わせについて歌ったものなのだそう。そして、利休先生の歌を真似るのであれば(歌を真似ることを、本歌取り、と呼ぶそうです)、それなりのマナーがあって、例えばこの歌の場合であればちゃんと陰陽も踏まえなさいということなんです。いやいや、厳しい世界であります。なんせ知らんかったもんで。
というわけで、いや、本当、まだまだ知らないことばかりなのです。どう考えても、人生残り20年としても、いや、あと40年ちょい例え100歳を超えて生きたとしても、とても間に合わないよなぁということなのです。なんともはや。ま、諦めは肝心かな。そして、それ以上にまだまだこりゃワクワクではないですか。
では、利休先生の本歌取りをもう一つ。どうでしょう、A先生、G先生?
茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知るべし(利休)
生きるとは只湯をわかし産湯され湯灌をされる事と知るべし (哲也)
ではでは、またまた。
(父の荼毘の日に)
A先生に60の手習いでしょぼしょぼお世話になっております、、、
それにしても、ご尊父の旅立ちの日に!
さすがです。
井上忍様
いつも読んでいただきありがとうございます。
「A先生に60の手習い」、はい、FBでの投稿、楽しく拝見しています。
井上先輩のアンテナの多様さ、ちょい凄すぎ!と思うこと多いです。
私の中では謎が謎を読んだりもしていて、一筋縄ではいかない。
あと、父の荼毘の日、私は帰国せずに、つまり参列することはなく骨拾いもせず、カンボジアでの日常の中でしたから。昨年、帰京した際に骨は拝見してきました。それぐらい、まぁ、のんびりしているのです。価値観のありようによっては、なんとも不遜な態度なのだろうなぁ。へへへって感じです。 村山哲也