言い訳めいた書き出し
戦争のような混乱状況の中では、人の一番汚い部分が現れるという面もある一方、人の一番美しい部分が現れることもあるのでしょうか。ウクライナ戦争の悲しい報道が毎日続いています。そんな状況の中、義勇兵としてウクライナに向かう人もいるのだとか。
ウクライナの状況に心を痛めているPさんは、「自分の危険を顧みず他国から駆け付ける義勇兵」という存在を、「人間の一番美しい部分の現れ」と綴られています。
私ね、ショックでした。義勇兵という存在を「人間の一番美しい部分の現れ」とPさんが書かれたことを、どう消化して良いのか、今もうろたえています。
文章を書くにあたり「切羽詰まった状況」と「だらだらと弛緩した状況」との間には、なにかしら違いがあるに違いないと思います。切羽詰まっている方が、もしかしたら人の心に届くようなものが書けるかもしれない。でも一方で、切羽詰まった文章というのは人を疲れさせるような気もします。なにか「書かなければ」という思いで書かれた文章は、どこか押し付けがましくなりがちなんじゃないだろうか。
そう思いつつ、自分のうろたえをきちんと残しておいたほうが良いかなとも思う(あぁ、私はね、自分の思考がすぐに「良い」とか「良くない」、「悪くない」というような良し悪しに入る傾向があることに気がついていて、そしてそれが自分でかなり嫌いなんですけれど)。このブログは、遺言という側面もあるような気がしているし。と、エクスキューズばかりを重ねるのは止めて、とにかく書きます。
崩れ落ちる兵士のこと
義勇兵というと、私は第1次世界大戦と第2次世界大戦のあいだにあったスペイン戦争(1936(昭和11)年から1939(昭和14)年、スペイン内戦とも、)を思い出します。思い出すといっても、スペイン戦争が起こったとき私は生まれてません。私の両親が生まれたころのことです(父は昭和11年生まれ、母は昭和14年生まれ)。
どうしてスペイン戦争が私の思考に入り込んできたのか、おそらく写真家ロバートキャパの「崩れ落ちる兵士」だな。「崩れ落ちる兵士」という写真については、沢木耕太郎がとことんこだわっています。そして、この有名な写真が演習中に撮られたもの、つまりこの写真の兵士は実際に撃たれて倒れたわけではないという結論に至っています。しかも撮影したのはキャパではなく………。『キャパの十字架』(文藝春秋 2013)、さらには『キャパへの追走』(文藝春秋 2015)に詳しいです。
沢木が真相にたどり着き、それを発表したのは10年弱前のことでした。けれども、沢木がキャパのことを書き始めたのはかなり前のことで、彼は1988(昭和63)年に出版された『フォトグラフス ロバート・キャパ写真集』(文藝春秋)の解説を書いています。同じ年、リチャードウィーランが書いたキャパの伝記を沢木が日本語訳した本も出版されています(『キャパ その青春』)。「崩れ落ちる兵士」が実際の戦場で写されてはいない、つまり“やらせ”疑惑は写真発表当時からあって、それはウィーランの伝記でも書かれていますし、そのことを沢木は写真集の解説でも触れていました。私が「崩れ落ちる兵士」と出会ったのは、沢木が最初にキャパについて書いた昭和の終わりのころのこと。ま、それは置いといて。
とにかく、キャパを知ることで、私はスペイン戦争を知りました。
スペイン戦争は、民主的な政府に対して軍がクーデターを起こしたことで始まった内戦でした。クーデター側(軍側)にはドイツ(ナチスヒットラー政権)・イタリア・ポルトガル政府が直接支援を行なっています。それに対して政府(共和政府と呼ばれていた)側には、多くの義勇兵が参加し、国際旅団という軍隊を構成しました。この戦争はファシズム側(軍)と反ファシズム(共和政府、国際旅団)との戦いで、その後の欧州大戦(欧州での第2次大戦)の前哨戦でもありました。ファシズム側ということでは、大日本帝国政府も小規模ですけれど軍側に支援を行なっています。(そして確認されている範囲では日本人義勇兵がひとり戦死しています)。
英国の映画監督ケンローチが『大地と自由』(1995)というスペイン戦争での英国人義勇兵を主人公にした映画を作っています。そこでは反ファシズムの理想に燃える義勇兵たちが、国際旅団内の政治的権力闘争に巻き込まれていく様子が史実を基に描かれます。それを見ると、理想に燃える義勇兵はあくまで美しいようにも思えます。しかし、権力争いの中で“汚れていく”のも、やはり義勇兵なのです。
スペイン内戦は、ファシズム側の勝利に終わります。
この戦争は、国際旅団に参加した米国の文豪ヘミングウェイが多くを書き残していましすし、ファシズムの無差別空爆への抗議としてスペイン出身のピカソが描いた『ゲルニカ』は、今でも反戦の象徴として最も有名な絵画のひとつとして知られていますよね。
義勇兵は必ず堕落する
さて、「自分の危険を顧みず他国から駆け付ける義勇兵」=「人間の一番美しい部分の現れ」というこのブログを書いている核心部分についてに話を戻します。
Pさんは、「自分の命を投げ出す危険性があるにもかかわらず、侵略を受けている人たちを支援する行動をとること」を「人間の一番美しい部分の現れ」と受け取っているのだろうと想像します。私の知るPさんは、人の苦しみを自分の問題として真摯にとらえ、虐げられている人たちへの共感力をもった素敵な方です。今回のプーチンロシアのウクライナ軍事侵攻にもとても心を痛めている。
そんな私も同調する面の多いPさんから発せられた“義勇兵→人間の一番美しい部分の現れ”という表現だったからこそ、私はうろたえている。
若かりしころの私は、ある状況に対して義勇兵という選択をもしかしたらとることを考え得たんじゃないかと思うのです。そんな感覚が、海馬の奥底かすかに残る。
はっきりさせたいのは、「義勇兵」は兵であるのですから、武器を取るのが義務である人ということです。正義のために武器をとる。侵略される側に立って侵略する側に対して武器をとって戦う。武器を取るということは、「殺す」ということ。それは正当防衛です。それをしなければ、こちらが(あるいは無垢の市民が)殺される。だから、やむを得ず武器をとる(つまり「殺す」)。不正義の行使を黙って見ていることはできない。そういうことです。
で、そういう考え方に親和性を持つ部分が自分にはあったように思う。
そして、今年58歳になる私は、西暦2022年に存在している私は、「義勇兵、ダメだ!」と思っています。それは「武器を取ってはダメだ」「殺してはダメだ」と同義です。義勇兵としてウクライナのために武器をとり、敵(ロシア人か、ロシア軍に加担する傭兵か)を殺すのは、ダメだと思っています。義勇兵→人間の一番美しい部分の現れ、という考え方は危険だと思っています。正義のため、正当防衛としても、アカンだろう、と。
たとえどんな正義のためであろうと、正当防衛であろうと、スコープの照準を敵にあわせる(象徴的表現としてですよ)という行為をしてしまえば、ましてやその上で引き金を引けば、あとは転げ落ちるしかない。歯止めはきかない。正義は必ず汚れ、理想は必ず後景に遠のく。
もしかするとですね。無垢の市民の頭上で機関銃を乱射するヘリコプターが旋回していてですね、たまたまそこに居合わせて足元に倒れた兵士が持っていた簡易型ロケットランチャーが転がっていて、衝動的にそれを拾い上げてヘリコプターに向けて発射しちゃう……。まだ、わかる、というか、そういうことなら今の私でもしてしまう可能性がわずかにあるかもしれない。
でも義勇兵としてそこにいるということは、もう最初から兵士であるため、なわけです。兵士である以上、最初からそのロケットランチャーを抱えてその場に行くのです。無垢の人々を守るために。必要なら「殺す」つもりで。
たまたまそこに居合わせてロケットランチャーを拾い上げるのも、義勇兵も、どれほどの違いがあるのか、とは思います。ロケットランチャーを拾い上げた段階で、もうそれは「殺す」の境界を超えるのですから、両者に差はないといえる、のかな。だとすれば、次なる私の課題は、その場にいあわせてもロケットランチャーを拾わないという決意を固めることなのかもしれない。
じゃ、どうするのさ、という声は当然あがるでしょう。黙って敵の殺戮行為を見ているのか?自分だって、黙って殺されるのか? 自分ならまだしも、そこに自分の愛する人がいたらどうするのさ? 親やパートナーや子どもが殺されていくのを、黙って見ているのか?
……
……
はい。そうです。私が自分を持っていこうとしている哲学は、その場にいるならもう殺されよ、です。書いていて恐ろしい。多くの人に共感してもらえないだろうと、確信しています。でも、それでも仕方がない。みんな、そう考えてくださいなんて、これっぽっちも思っていません。でも、とにかく、私はそこに行き着いてみたい。もう、他の答えには行き着けないような気がしてる。
だから、そういう場所(殺戮の場)に居合わせないためにどうするかと。その場所に居合わせたら、もうだめなのです。遅い。ならば、もう殺されるのです。
今遠くで殺されている人たちは? どうするのだ?
ごめん、わからない。手に余る。署名する、募金する、どっちにしたって微々たるもの。
でもね、私が生まれてから今日までのたった半世紀でも、世界中に無抵抗で殺されてきた無垢の人たちはたくさんたくさんいたのです。それが今日また少しだけ増える。なぜ、自分だけがその一人になれない?自分(だけ)は殺されずに、殺すのか? 殺すの一線を超えたら、あとは闇だよと強く強く、思う。
蛇足部分
私の書きたいことは以上で終わり。
以下は、ウクライナ戦争に刺激されて思うこと、いくつか蛇足を。
蛇足1
ウクライナを見捨ててないよ、思っているよ、という意思表示に(どうしたって)使われるウクライナ国旗。わかる。それを掲げる人たちの思いは、よーくわかる。
でもね、私はやはり国旗には自分の思いを託せない。今日、正義の旗は、明日、不正義の旗になることはこれまでいくらでもあった。旗幟を示すという行為は、どこか危なっかしい。国旗とはどうしたって国家の象徴で、国家と市民を同一視するのは、なにか違うと思う。たとえば、ウクライナ国家とウクライナ市民は違う。
これはウクライナ国旗を便宜的に使って、今起こっている理不尽に苦しみへの共感を示している多くの人たちへの批判のつもりではありません。でも、それ(国旗を示して共感を伝えること)をするのは私はどうしても苦しい。
蛇足2
ウクライナ難民への共感を示して、ある人は以下のような主旨のことを書いていました。
「何もできないのがもどかしい。もし身近にウクライナ難民がいたら、できるだけのことはしたい」
うん、わかる。私もそう思う。でもね、そう考えたとき、私は「あぁ、どうしてあのスリランカ女性を救えなかったんだ」という(かすかな、わずかばかりの)思いが湧き上がるのことが自分で苦しい。名古屋出入国在留管理局に収容されていて2021年3月6日、今日から376日前、に亡くなったスリランカ人女性、ウィシュマサンダマリさんのことが思い返されるのです。彼女を救えなかった自分が、ウクライナ難民を救えるのか? なぜ、そう言えるの? 根拠は?
もちろん、サンダマリさんとは出会えなかったのかもしれない。そしてウクライナ難民の誰かとは、この後、もしかしたら、出会えるのかもしれない。自分の手の届く範囲は、狭い。わかってるわかってる。サンダマリさんを救えなかったからこそ、次は救いたい。そう考えることも、大事。
「美味しいものを食べて、よく寝て、たくさん笑う」を嗤い給え
だからね。「美味しいものを食べて、よく寝て、たくさん笑う」のが私の反戦活動。それぐらいのことしかいえないのよ。そして、それなら、責任持ってできる、と。いや、なかなか簡単なことでなかったりするよ。よく寝てよく笑い、って、そんなに簡単? かなり努力必要なんじゃない? だから、各自、責任持って遂行せよ! ガンバレ。義勇兵なんかになったら、君は今夜眠れないし、笑ってられない、だからダメ。却下。
そして、もしもね、世界のみーんながそう思えたら、それでかなりいい感じになるんじゃない、この世界は。
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