記憶の不確かさと確かさ。記憶の弱さと強さ。

一枚の写真が呼び起こす記憶ってのもありますよね。日本 鎌倉 (本文の写真とはまったく関係がありません)

思い出す作業 自分の記憶はどれだけ正確なのかしら?

 このブログを書くことで、これまであったことを一生懸命思い出す、なんて作業をときどきベッドの中でやっています。日本やケニアやフィリピンやカンボジアやルワンダや、あるいはその他の場所で、どんなことがあったかなぁ、と考えます。ブログに書けそうなエピソードがなかなか見つからないときもあれば、調子よくふたつみっつ見つかったような気がするときもある。
 その際には、あえてメモを取らないようにしています。翌日、パソコンに向かって思い出せないようなネタなら、きっと大したことない。それでも、あれ?昨夜思いついたネタは、なんだったっけ???とパソコンに向かって固まっちゃうこともあります。うーん、なんかいい話だったよなぁ、あれ?何だったけなぁ、なんて。

 記憶ってのは、どこまで「正確」なのかしら。そのときに感じたと今思う感覚は、どこまで現在の自分が脚色しているのか? 答えは誰も知らないわけで、答えが出るはずもない。とにかく、過去のシーンを今の自分が切り取って、今の自分の感覚でそれを表す。結局、できるのはそれだけ。
 日記を書いたりすれば、過去を貼り付けることはできるのかもしれません。だから「資料」として日記って尊ばれるのかもしれない。

 書かれたものって、強さがあります。ぼくたちは文字に書かれると信用する。文字の歴史は数千年?とにかく、書かれたものが見つかれば歴史資料になるけれど、書かれていないとなかなか信用してもらえない。言い伝えられたものでは、あくまで参考資料って感じ。
 同じように、記憶もなかなか信用されない。本人が語ったって、それは脚色や誇張、思い違い、創作が混じっているとされて、事実として認められることはむずかしい。
 たとえば、従軍慰安婦問題でも、この記憶の曖昧さが問題視されることが多い。そして、思い違いが指摘されて、やっぱり主観的な記憶は信用できないといわれる。
(内容の一部に間違いがあることで、その内容全部が間違っているというような批判の仕方がある。これは人の記憶に限らず、書かれたことでも起こっている。掲載された写真が間違っているから、書かれていることすべてが嘘だみたな話し。あれ、ずるいよなぁって思うことは多いけどなぁ)

思い込み、勘違い、虚偽、誇張 でも「全体的に真」なのだ!!

 だから、岸政彦さんという、最近出す本出す本よく売れている(うらやましい!)社会学者の方が以下のように書いているのを読んだときは、とても感激したんだ。 

 (語り手が語る生い立ちや人生)そのなかには、にわかに信じがたいもの、思い込みや勘違い、虚偽や誇張が含まれるかもしれないのだが、そういうものが含まれていてもなお、そこで語られている人生の物語は「全体的に真」である。語りは、切れば血がでる。(『マンゴーと手榴弾 生活史の理論』勁草書房 2018 12ページ) 
 生活史は事実である。それは、いくらかの間違いや誇張や、場合によっては意図的な嘘を含みながら、それでもやはり、そこで語られていることの大半は、事実である。それは実際に起きた出来事なのだ。(同じく 20ページ)

(これとまったく同じ部分を、今年1月1日のブログでも引用しています)

 岸さんが書く「生活史」とは、語られる人の記憶、個人史のことだ。岸さんは、生活史を聞き取る作業を長く続けてきた人だ。その人が、「語られている人生の物語は「全体的に真」である」、「大半は事実である」書いてくれているのは、自分の記憶と向き合っているときに、とても元気が出ることだ。そりゃ、間違いもある。もしかしたらよりネタとして盛り上げるための(意識せずの)嘘?誇張?も含まれているかもしれない。それでも、それは「真」なのだ。それはぼくの人生の一部と言っていいんだって。

 だいたい、書かれたものだって、記憶や語りとどれほど違うというのだろう。書かれたものは、それを記した人のフィルターが必ず入っている。世の中に“恣意的”から自由なことなど、実はほとんどないのじゃないかな。“客観”という言葉、ぼくはあんまり好きじゃない。客観を語る人は、どこかよそよそしい。よそよそしいだけならばいいけれど、ほとんどの場合、客観という武器をつかって語られるのはある一方の立場であることが多い。データや、グラフや、科学的手法といった形容詞でデコレーションされた「言いたいこと」「伝えたいこと」そのものが、すでに客観的でないことが多い(と、ぼくはよく疑っている)。なら“主観”がいいのか?確かにそれも困る。“主観”と“主観”がぶつかっても、なかなか妥協点はみつからない。
 でも、力あるものが、その力を駆使して客観で着飾った主観が、弱いものの主観を組み伏せてきたのが大きな歴史記述、のようにも思える。弱いものの記憶は、客観を証明するための破片のひとつにいつも落とし込まれて、塩抜きされて、平均値に均されて、そして聞こえなくなる。

 岸さんたちが行っている社会学という分野の科学性を、どう判断すればいいか、ぼくにはよくわからないところはある。それでも、聴くという行為で鍛えられる「勘」のようはものはあるともぼくは思っている。だから「全体に真」という岸さんの言葉は、とても大事なものだと、ぼくは信じることができる。あなたはどうだろう?

あのとき、ぼくはどこにいたのか?

 記憶をめぐる一考察として、こんな事例はどうだろう。ぼく自身の記憶の話だ。

 国際開発支援の仕事をする前のこと、ぼくは大学を卒業してから2年ちょっと、高校野球の監督をやっていたことがある。自分が卒業した高校野球部で。
 選手時代があって、大学時代もその野球部の練習を手伝っていて、どうしても自分で監督がやりたくなってしまったんだ。幸い、その野球部は、高校教員ではなく、OBが監督をする風習があって、多くは大学生が監督を数年おきに引き継いでいた。だから大学卒で手を上げれば、ぼくより年若の学生OBは「ダメ!」とはなかなか言いにくいということなんだ。で、ぼくは監督になった。
 まぁ、詳細は省きます。
 で、監督2年目の夏の大会、野球部は幸運にも2回勝って、最後は甲子園常連校と中盤まではいい勝負をした。最後は、力尽きて負けたけれども。忘れようにも忘れられない記憶だ。ぼくは今でも、監督時代の公式戦については、そのスターティングメンバーから、だいたいの試合展開から、かなりしっかりと覚えている、はずだった。

 ところが、わりと最近のこと。その監督して最後の夏の大会で、ぼくの記憶にとても大きな事実との相違があることがわかったんだ。
 初戦、8-7で勝った試合。ぼくの記憶にある映像は、すべて一塁側ベンチから見たものだった。ぼくは最近まで、ずっとそれが事実に基づいていると信じていた。ところが、実際にはぼくは三塁側ベンチでその試合に臨んでいたらしい。「らしい」と書いたのは、それを知っても、相変わらずぼくの記憶は一塁側なんだ。これまで何年も思い返したシーンは、すでにぼくの頭の中ではすべて一塁側から見たものとして固定してしまっている。
 たとえば、一回表の守備(野球を知らない人、ゴメンね、ルールの説明から始めると長くなるので、我慢してね)。相手の先頭バッターの打球は遊撃手正面に飛んで、Oiがそれを処理して一塁に投げる、けれど高い暴投!なに緊張してんだよ!!と、一塁のカバーに走っていた二塁手aがファールグランドでその暴投がフェンスにあたって戻ってくるのを素早く処理すると、二塁ベースにはいったエラーした張本人の遊撃手Oiにストライクの送球。一塁を回って2塁に向かっていたバッターランナーは二塁到達直前にタッチアウト! なんてシーンは、ぼくの記憶はしっかりと一塁側ベンチから見ているんだ。その後、試合後半に足を攣って降板したエースSeは一塁側ベンチに戻ってきたし、あのシーンも、あれも、みんな一塁側からの記憶。
 でも、それはぜーんぶ、ぼくの脳が作り出した架空の映像だったなんて!ぼくは今でも信じられない気持ちだ。でも、客観的な記録は、ぼくは三塁側ベンチにいたことだけを示している。あらまー、そんなことってあるんですねぇ。

 それでも、試合展開そのものの記憶は「真」なんです。ぼくは監督としてその試合に参加し、あれがあって、これがあって、最終回、二番手の左腕Yaは二死ランナー三塁、一打同点のピンチを作りつつ、相手の最後の打者をサードゴロにうちとり、それを二年生Saが好捕し一塁に送球、あーやっと勝てたぁ、という記憶には、特に勘違いはないのです。

あぁ、監督、楽しかったなぁ。またやってみたいなぁ。車イス監督、なんかよさそうなんだけれどなぁ。

 とにかく、そういうことで、ぼくの記憶は100%正しいわけじゃないですけれど、おおむね「真」ですので、どうぞご了解下さいませ。

3件のコメント

古いのから順番に読んできたのですが この記事の次として表示されてる『昨年最大の買い物!・・・』に飛ぶと、かなり間の記事をすっ飛ばしてしまうようです。バグ?設定?少しおかしいかもしれません。

次の記事の日付がおかしいだけかも。

kusao masakari様
丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。とっても嬉しいです。

さて、ご指摘の点。このページの「記憶の不確かさ…」の投稿日は2021年2月13日。そして次の「昨年最大の買い物!…」の投稿日は3月20日と表示されます。これ、「昨年最大の買い物‥‥」の最初の投稿日は2月14日でして、どこかの箇所を校正し直した最終盤の呈示が3月20日になっています。投稿日は、改定した最後の日の日付が標示されているのです。
投稿の順番は、最初の投稿日の順番のままで標示されています。つまり「記憶の不確かさ」は2月13日、「昨年最大の買い物」が2月14日、その次に並んでいる「ぼくの摘便を見守る(だったかな)」が2月15日です。
で、その後、3月20日に「昨年最大の買い物」の一部を改定・訂正しているのでした。
ということで、現在の並びがそのまま最初の投稿日での古い順となっております。ときどき間違いに気がついたりして改定していますので、投稿の日付は古い順になっていないように見えますが、その点、ご容赦ください。

以上で質問のお答えになっているとよろしいのですが、どうでしょう?
この投稿のころは毎日新しい投稿をしておりました。現在は不定期になっています。
この後も、日付だけ追いかけると前後したものが見つかると思いますけれど、現在の順が最初の投稿日に沿っての順番になっております。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

村山哲也

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