私が途上国の教育開発支援に関わることになるきっかけは、青年海外協力隊(JOCV)に参加し、1990年12月からケニアで2年間、理数科教師として活動したことだった。ケニア西部、ビクトリア湖畔のキスムという街から北東に50キロメートルほど離れたクウィセロ村にあるクウィセロ中等学校が、私の勤務先だった。当時、クウィセロには、電気、水道、ガスは通じていなかった。夜はロウソクかランプ、水は雨水か村外れの井戸、調理は灯油コンロ。当時のケニアでのJOCV派遣先でも、電気水道ガスなしという僻地は多くはなかった。現在では、電気なしの僻地に派遣されるJOCVはかなり少ないはずだ。
クウィセロでの暮らしは、最初はけして楽ではなかったけれど、今から考えるとあのクウィセロの2年間が私の途上国での開発支援の原点で、不便な暮らしによって私はとても鍛えられたのだと思う。最初に僻地で苦労できたのは、大きな財産になった。それに僻地と行っても、井戸の水が枯れることはなかったし、贅沢をいわなければ食料にも困ることはなかった。水と食べ物と寝るところがあって、まわりに住民がいれば、なんとでもなると今なら自信を持って言える。当時は、パソコンもなければ、携帯電話もない。
そんなクウィセロでの暮らしや仕事のことを、少しずつ綴っていこうと思っている。

電気がまだ通っていなかった九〇年代初頭のクウィセロ村では、氷は手に入らなかった。学校での理科実験で氷がないというのはなかなか不便で、どうしても必要なときは五〇㏄のオフロードバイクで電気が通っている近くの町まで氷を買いにいかなければならなかった。
村には冷蔵庫もないから、村の店で売っている飲み物を冷やすことはできない。村に一軒あった酒場で出てくる瓶ビールも生ぬるい常温のまま飲んだ。〝ビアモト〟というのは、温かいビールのこと。モトというは〝温かい〟というスワヒリ語の形容詞だ。このビアモト、冷蔵庫も氷もないからモトのまま仕方なく飲んでいるのかというと、実はそうでもない。ケニアでは、電気がある大きな町でビールを飲むときも、あえてモトを選ぶ人がむしろ多かった。ケニアの人たちにいわせると、ビアバリディ(バリディは〝冷たい〟の意)は身体に悪いのだそうだ。ビールは常温でちびちびとやるのが、彼らの流儀ということらしかった。
仕事が終わると、ときどき同僚たちと村の酒場に出かけた。そこで飲むのはタスカという銘柄のケニア産ビールで、象のラベルが貼られたずんぐりとした小瓶で出てくる。ビールは必ず客の目の前で栓を抜く。毒を入れていない証明として、必ずそうするのだと聞いた。
確かに、クウィセロ村の人たちは呪術を信じていた。呪いをかけたりかけられたりということが、日々の生活の中でリアルに語られていた。油断をしていると、飲み物や食べ物に呪い師が調合した毒を混ぜられたりすることがあると、皆真剣に心配した。髪の毛や着古した服を他人に取られることにも敏感だった。それらを使うと、呪いをかけるのが容易になるのだという。村には伝統的な薬を調合する医術師がいて、そんな人に相談をすると呪いの薬も売ってくれるのだそうだ。
電気がないから、暗くなれば酒場でもランプを使う。ラジオから流れる歌謡曲に身体を揺らしながら、あるいはニュースに聞き耳を立て政治談義に花を咲かせながら、遅くなるまで酒宴は続く。月の出ていない夜の帰り道は真っ暗だ。それでも星が出ていると、夜空が明るくて木々が影となって浮かび上がるので、道はわかる。星明かりもない曇り空だと、もうまったくの真っ暗闇でなんとも困った。村で暮らし始めた最初のころは、同僚が手を引いてくれなければ自宅に帰りつけなかったほどだ。でも歩き慣れると、なんとなくの歩数、足裏に伝わる道の形状や傾き、近づくとなんとかわかる木々の位置、そんな情報を全身できちんと読み取って暗闇でもちゃんと帰宅できるようになる。
私がクウィセロで活動していた一九九一年から九二年のころ、首都のナイロビで夜間にひとりで歩くことは厳禁だった。隣国のソマリアでは内戦が続き、多くの銃がケニア内にも出回り治安がとても悪かった。それでもそんな心配は大きな町でのことで、クウィセロで夜出歩くのに心配はいらなかった。ほろ酔い気分で村外れの自分の家へ帰る。向こうからこちらに向かってくる微かな人影。暗くて顔も見えない相手に「ムレンべ」と声をかける。闇の中から返事が返ってくる。「ムレンべ、ムノムノ」
村の酒場は男性の場所で、女性の先生が一緒に行くことは限られた機会にだけだった。村でズボンを履いている女性を見かけることもまったくなかった。
ナイロビに行くと、スーツを着込んだお洒落な女性グループがホテルのバーでビアバリディで乾杯していた。ジーパンをはいた女性も珍しくない。保守的な村の生活と、自由な都会の生活。日本にも見られるとてもわかり易い鮮やかな対比がケニアにもあった。そんな都会に生徒たちは憧れていて、卒業したらナイロビに行きたいと皆口を揃えて語っていた。

















コメント、いただけたらとても嬉しいです