このブログについて

 筆者*私(村山哲也)が、20代後半から続けてきた途上国開発支援(主に教育分野、具体的には理科教育や教員研修への支援が多かったのです)のこと、さらに50歳から始まった障害者(脊髄損傷による下半身完全麻痺)という新しい「世界」から見えたこと、などを中心にして書き綴っていくものです。心にひっかかったニュースや、本を種にしたことも書ければと目論んでいます。

 カテゴリーとして「海外(カンボジア、フィリピン、等々)」、「海外開発支援」、「障害/脊髄損傷/車イス」、「最近のニュースから」、「読書から」などを設定しています。好きなところから読んでいただけたら嬉しいです。

 『越境、ひっきりなし』というタイトルは、2020年年末あるいは2021年明けあたりに「かもがわ出版」から出版予定の拙著のタイトルから借りてきました。(と書きましたが、最終的な本のタイトルは『越えてみようよ!越境線 -アフリカ・アジア、そして車イスで考えた、援助する側される側ー』となりました。詳細は以下からどうぞ)
『越えてみようよ!境界線』いよいよ発売間近です。1月21日販売開始 – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com)
 越境とは境界を越えることですけれど、この境界とはもちろん国境に限りません。性別や世代はいつだって強固な境界ですし、言語、食べ物、山や川、宗教、文化、価値観、出身地、出身校、贔屓のプロスポーツチーム(私は広島カープのファンです)……、もう身の回りは境界だらけ。そして、私たちは自分の都合のいいように、つまり生きやすいように、自由自在に境界をつくったり、消したり、あるいは乗り越えたりしているのだと、思うのです。境界をつくることはけして悪いことではない。でも境界に囚われすぎるのは残念。あっちも、こっちも、そのときそのときで伸び伸びと境界とつきあえたら、なんて思いながら、文章を書いています。

 援助に興味のある方、障害とその周辺におられる方、そして越境を目指す方、に読んでもらえたら、嬉しいなぁ。

2019年12月26日 部分日食をメガネを使って可視化 カンボジアのプノンペンにて

 プロフィールは右横にも載せていますが、ちょっと詳しめに改めて。
 私は1964年生まれ、東京出身です。JR中央線新宿駅から吉祥寺駅の範囲で青春時代を過ごしました。大学卒業後、出身高校野球部の監督を数年やったあと、20代後半に青年海外協力隊(1990.12~1992.12 H2年度2次隊、ケニア 理数科教師)に参加しました。その後、ドッカーンと日本での社会復帰に失敗。逃げるように当時雨後の竹の子のように乱立?した国際開発系大学院に逃げ込みました。そして、大学院後1998年からフィリピン、2002年からカンボジア、2012年末からルワンダと、ODA(政府間援助)による教育開発プロジェクトに関わりました。その隙間に、短期ではスリランカ、モンゴル、ヨルダンなどにも行きました。どの仕事も途上国の教育セクター開発に関わるもので、主に理科教育や教員研修の支援が多かったのです。

 2014年8月、ルワンダで仕事中に、乗っていた車が谷に転落しちゃって、脊髄損傷(胸椎6番の脱臼骨折)、下半身完全麻痺で車イスの生活となりました。ちょうど50歳でした。1年近い入院を経て、2015年夏から娑婆の生活に戻りましたけれど、さすがに事故以前の働き方はできなくなりました。事故は労働災害と認められたので、その保障が生活の糧となっています。そのおかげで、なんとか、あれやこれやとやっております。

 出身校等で親近感を持ってくださる方もいるかもしれない。そこで、こそっと書いておきます。
東京都杉並区の、桃井幼稚園、沓掛小学校、中瀬中学校、西高校(硬式野球部)を転校なく通過。東京都府中市に位置する、東京農工大学農学部農学科肥料研もギリギリ通過。母校の野球部を指導後は上述どおり。大学を出て7年後に、愛知県千種区の名古屋大学大学院国際開発研究科国際開発専攻、辛くも前期課程のみ修了。神戸にあります、知る人は知っているシー・ディー・シー・インターナショナルという会社に所属。事故後、フリー(つまり無職)。現在に至る、です。

(2020年9月末 記)