ブラックな…って使い方、止めましょう!
ブラックな職場、そんな言い方を私たちけっこう気楽にしていますよね。ブラック企業で調べれば、「労働者を劣悪な環境で働かせる企業のことを指し、長時間労働や低賃金、ハラスメントなどが特徴」なんて説明が出てきます。
つまり、劣悪な企業、がブラック企業ってことだよね。
たとえば、アフリカのコンゴ川奥地でのベルギー王レオポルド2世の私有植民地であったコンゴ自由国(その後、ベルギー国の植民地となりました)を描いた有名な小説『闇の奥』(コンラッド著)が発表されたのは1899年です。この『闇の奥』というタイトルは、原作発表から半世紀後の1940年に、中野好夫翻訳で出版されたたときにつけられたもの。現代は『Heart of Darkness』。Heartは、中心とか核心。Darknessは、暗闇。中野による『闇の奥』は、とても素晴らしい訳だと感心します。
そして、暗闇、それがアフリカに対するヨーロッパ社会の典型的イメージだったわけです。そして、黒人という言い方もあいまって、アフリカと黒色は今でも常にリンクしている。もちろん、リンクしていること自体には問題はないはずです。オリンピックの五輪マークのひとつの輪っかは黒色で、つまりアフリカ大陸を示しています。それが問題なのではありません。
問題は、黒という色を示す言葉を「よくない意味の形容詞」として使うこと。
15世紀から19世紀にかけて続いた大西洋奴隷貿易が、現代のアフリカの負のイメージを決定づけてきました。米国では南北戦争で北部連合が勝利したことによって「奴隷解放」宣言が1862年に出されたものの、その後も米国主流多数派である欧州系市民によるアフリカ系市民に対する暴力的差別は現在まで続いている。もちろん、「以前と比べればよくなった」という言い方は可能ではあるでしょう。今は、そうそう簡単にアフリカ系市民を木に吊るして集団でリンチするなんてことはなくなった。でも、数年前の「Black Lives Matter(BLS)」のムーブメントを思い出せば、米国の人種差別は現在でも大きな社会問題であることがわかります。
私が生まれたのは1964(昭和39)年です。翌年に米国での黒人解放運動で活躍したマルコムXが、4年後にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺されています。愚か者の銃弾に倒れたとき、ふたりはともに39歳という若さでした。もちろん、日本国東京生まれの私が二人のことを知ったのは、もっとずっと後のことです。マルコムについて知ったのは高校生の頃ですし、キング牧師のことを知ったのは多分もっと前のことだろうと思いますけれど、とにかく黒人差別のことなどほとんど意識したこともないままで、10代後半までは育ったのでした。
黒人差別といえば、日本では1988年(私はすでに24歳)に子ども向けの絵本『ちびくろサンボ』の差別性が問題になり、多くの出版社が絶版にしたことはよく覚えています。『ちびくろサンボ』は、もともとは英国人が当時の英国植民地であったインドを舞台にして描いた『The Story of Little Black Sambo』が原作です。この本の差別性は、まず公民権運動が盛んになった米国で問題視され、その後日本を含む世界にその価値観が広まり、それぞれの国で社会問題化したのでした。
私自身、日本で最も流通していた岩波書店版(この絵は、原作とは大きく違います)におおいに親しんだものでしたから、廃版になったのは少々驚きでもありました。けれども今では、廃版も当然だったろうと思っています。廃版に反対した人たちは、やはり“井の中の蛙”だった、そう思うのです。

そして、日本社会の“井の中の蛙”ぶりが顕著に表れているのが、冒頭に書いた“ブラック企業”というようにブラックを平然と負のイメージで語って平気な状況だと私は強く思っているのです。本来なら、このような言葉遣いに敏感でなければいけないテレビ/ラジオや新聞/雑誌といったマスコミでもブラック企業というような使い方をして顧みることがないように感じられます。
私にすれば、「えっ?」って感じです。
日本では黒人差別は社会問題化したことがない(→だから、ちびくろサンボを問題視したり、絶版にしたりする必要もなかった)??? 本当? もしそう考える人がいるのであれば、それは蒲鉾が魚肉でできているのを知らな~い、というようなものです(筆者注:これがカマトトの原義だそうですね、漢字で蒲魚と書いて、カマトト)。
最近も、アフリカ系の人をネタにした「外人怖い」という種の日本の人が作製したと思われるSNSでの動画が私の目に入ってしまいました。あるいは、アラブ系ムスリムの人たちが集って祈っている姿に対して「ここは日本だ!」と不安をあおる人たちがいる。さらには、隣国が「日本を乗っ取ろうとしている」「いや、すでに乗っ取られている」という陰謀論が跋扈し、それを信じる人たちが○○人△△人をあからさまにヘイトする。そんな人たちが(多数派ではないとしても)存在する日本社会で、人種差別が社会問題化していないなんて言ったら、それは本当にお気楽ですねということです。
ということで、ぜひ「ブラック企業」とか「ブラックな職場」というような呼び方はやめましょうよ。劣悪企業とか罪深企業、非人間的職場とか悪魔な職場、暗闇企業とか真っ暗闇な職場、きっと呼び方はあるのだろうと思うのですよ。あえてブラックで普及させるほど、日本語はボキャ貧ではないでしょう? ブラックは美しいのよ。知らんかった?
キングとマルコム
このブラック形容詞問題は、常々以前から強く憤っていたのですけれど、今回改めてそれをここに書いたのは、この本を読んだからなんです。

『夢か悪夢か・キング牧師とマルコムⅩ』(ジェイムズ・H.コーン著 梶原寿訳 日本基督教団出版局 1996)。古本で探して取り寄せました。著者のジェイムス・コーンは、1938年米国南部生まれのアフリカ系米国人で、黒人教会の牧師、さらにキリスト教神学大学の教授です。 「黒人解放の神学」の提唱者のひとりで、米国での人種差別解消を先頭に立って闘ってきた方です。この本で書かれている二人の先達者、マルコムXは1925年米国北部の生まれ、キング牧師は1929年米国南部の生まれ、ですから、コーン氏の世代は、だいたい一回り二人から後だったということになります。
コーン氏を強く意識したのは、榎本空が書いた本『それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと』(岩波書店 2022)に出合ったからでした。榎本もキリスト者で神学の道を進み、そこでコーン氏を師とすることになったのです。榎本は、コーンの遺作『誰にも言わないと言ったけれど (「黒人の炎」を受け継ぐために ―― 黒人神学の泰斗、その人生のすべて)』(新教出版、2020)の翻訳者でもあります。
『それで君の声は…』も『誰にも言わないと…』、どちらもとても読み応えのある本でした。榎本さんは1988年生まれのまだ若い方で、今後、彼の著作、あるいは訳本ならばきっと私は読むだろうと思わせる、つまり私にとって信用できると思える誠実正直な書き手のひとりです。次作、今から楽しみだなぁ。
ちょい蛇足ですけれど、『それで君の声は…』から榎本空の素敵な文章をちょっとだけ紹介します。
ものを読めるほどに教育を受け、パスポートを持って国境を超える自由が与えられ、家族に守られた私と、祖先の系図が不自然に途絶え、植民者に故郷を追われ異語を強制され、道を歩くにも自らの命の安全を案じなければならない彼らとのあいだには、はっきりとした境界線がある。歴史を通じて形づくられた境界線は、共感や理解、絆、多様性、そんな綺麗な言葉でたちどころに解消されるものではない。いや、むしろ、私と彼らのあいだの境界線の前でひととき、立ち止まることを学ばなければならない。
もちろん同じような境界線は、男性と女性、性的少数者と多数者、貧しい者と豊かな者、病気や障害をもつ者ともたない者、国籍や母語が与える権威を疑うことなく受けられる者とそれらを疑いわざるを得ない者のあいだにも存在していて、私たちは様々な境界線を同時に持ち得るし、何よりも刻一刻と姿を変えていくそれらがどのように作用するのかは、多分に、私たちと他者との関係性に依存している。そんな関わりあいを通して、私たちは自分が誰であり、誰でないのかを、問われつつ学び、学び捨て、そしてまた学び直していく。それが私のささやかな、しかし、決して忘れたくない気づきだった。(108ページ)
榎本空、好いです。
さて、コーンの『夢か悪夢か…』です。夢というのは、1963年8月28日に開かれた米国公民権運動の頂点ワシントン大行進の際にキング牧師が行った「私には夢がある(I have a dream)」という伝説的ともいえる演説での黒人と白人の融和を語った「夢」です。そして、このキングの「夢」に対して、マルコムは「アメリカの白人優位社会の犠牲者の一人である私は、アメリカの夢など見ていない。私が見ているのはアメリカの悪夢だ」と強烈なカウンターパンチを放ったのでした。さて、夢と悪夢、当時の多くの黒人の心に届いたのはどちらだったのか?
キングの夢と、マルコムの悪夢。このふたつを基軸に、南部生まれの裕福な家庭出身のエリートであるキングと、北部生まれの貧困家庭出身の元受刑者であるマルコムと、公民権運動のふたりの対照的なリーダーをその生い立ちから著者コーンは比較し、それぞれが実は両輪として機能していたことを解き明かしていく、というのが、この『夢か悪夢か…』という本なのです。
この本の原作が書かれた1991年当時、世界的に広く名を知られたキング牧師に対し、マルコムXの評価はおそらく今以上に低かった。マルコムは虐げられていた黒人社会に対して、白人の暴力に対して政府が何もしないのなら、黒人自ら自衛せよ(つまり銃を持て)ということを強く主張したのです。そして、それは多数派の白人側(そして、少数の成功した黒人エリート)から、暴力主義者、いまでいうならテロリストと大きな批判を浴びました(念のために以下を付け加えておきます)。
マルコムは一度として白人に対する攻撃的暴力を鼓吹したことはなかった。「われわれは平和的で、かつ法律尊寿の精神をたもっていなければならない」。彼は独立宣言の祈りに、またその他の機会に語った。「だがアフリカ系アメリカ人が不当にも攻撃を受ける時にはいつでも、またその所ではどこでも、自衛のために反撃する時が来ているということである」。(268ページ)
つまり、白人たちにとってキング牧師が気楽に対応できる黒人社会側のリーダーだったのに対して、白人たちはマルコムにどう対処していいか分からなかったのです。白人社会は、キングには好きなだけ夢見ることを許した一方、マルコムの悪夢を直視することは恐怖でしかなかった(だからマルコムは危険視され、公的歴史からも抹殺される傾向にある)。
コーンは、黒人運動を切り開いてきた先人として、キングもマルコムも心から尊敬しています。けれども、両者のジェンダーに対する圧倒的な男性優位主義者ぶりも指摘していますし、さらにキングの夢が放つ楽観的エリート臭も暴き、マルコムの自衛論に対していは「白人人種主義者は暴力への対処を仕方を心得ていた。そして彼らはむしろそれを、順法的な黒人たちを無差別に殺戮する口実として歓迎しただろう」(347ページ)と忌憚なく解き明かしていきます。
そして極めつけなのが、マルコムがワァワァと喧嘩を吹っ掛け、その結果白人たちはより穏便なであるキングを尊重した、という両者の役割の分析です(当時のケネディ大統領は、「(我々アメリカ社会、つまり白人社会が)キングで妥協できなかったら、その後から交渉の場に出てくるのはマルコムのような輩で、となればより一層やっかいなことになる」と公言しています)。いわゆるヤクザが、まず若いもんが出てきてひと暴れした後に、ちょっと上のもんが出てきて若いもんを諫めて、そしてその場をヤクザ有利に丸める、というようなシーン、よく映画やドラマや、おそらく実生活でも、ありますよね。つまり若いもんがマルコムで、ちょい上のもんがキング、そういう役割で白人の譲歩を勝ち取っていったという分析は、しかも最後の数年は両者がその役割分担を意識していた可能性も含めて、コーンの慧眼は見事です。
マルコムが白人を全く信じなかったのに対して、マーティンは白人アメリカのいかなる部分にも絶望しなかった。(105~106ページ)
けれども、話はここでは終わらない。実はマルコムは撃たれる1年ぐらい前からぐっとキング的融和論に近づいていった。一方で、活動の場を南部から北部に移し(その結果、自分の理解者と思っていた白人インテリ層が南部白人以上の隠蔽された人種差別意識の持ち主であることを知ることになるわけです)、さらにベトナム戦争反対の立場を鮮明にしていったキングは、白人を敵と断定したマルコムにやはりぐーっと近づいていった。しかし、それぞれ道半ばで暗殺された。そのあたりは、20世紀いっぱいマルコムもキングも生きていたら、きっと米国社会は今とは違うものになっていたんじゃないか……と思わせるものがあります。
そして、マルコムは1965年に、キングは1968年に、両者とも39歳で凶弾に倒れた。39歳……、自分の39歳(23年前になります)を思うと、いよいよ面白くなる40代を前にするわけで、そしてマルコムもキングも、それぞれその未完成ぶりもはっきりしていて、本当に惜しいなぁと改めて感じ入ります。銃社会は、絶対に良くない!
米国の黒人と、在日韓国/朝鮮人(あるいは日本への海外移住者・労働者)との間の類似性
さて、いよいよ本題です(エーッ、ここまでが前振りかよーという、ここまで辛抱強く読んで下さった少数の読者の悲鳴が聞こえるようです、スマンです)。
この本の冒頭で、著者のコーンが日本語訳読者向けに原作には無い序文を書いています。以下、その中からの抜粋、1995(平成7)年にかかれたもの、です。
私はマルコムの思想と実践のより広い次元を示そうとして本書を書いた。(中略)この点に関するマルコムの教えは、ただアメリカの黒人にとってだけでなく、いかなる場所の弾圧された人々にとっても有益である。私は一九七五年に在日韓国人の招きで初めて訪日して以来、何回も日本を訪れてきた。そして日本を訪れるごとに、私は米国の黒人と在日韓国人との間の類似性を想起されている。両者とも支配的な差別社会におけるマイノリティーである。米国の黒人が白人優越主義の社会において自らのアイデンティティを保つために闘っているように、在日韓国人は日本人優越主義によって規定されている社会において同じような闘いに従事している。黒人が白人優越の価値観を容認する限り、アメリカ社会では一定の名目的人数の黒人には優れた地位が与えられる。そして私の聞いたところでは、日本的生活様式の容認が日本でも成功への道であるということである。マルコムの教えが有益であるのは、あれわれがあるがままの自分であって、われわれを犠牲にするひとびとのようにはなるまいと闘っていることに、彼(ムラヤマ注:マルコムを指している)が大きい価値を置いているためである。(中略)
私は本書を読むことを通して、読者がマーティン・キングとマルコムXについての通俗的神話を越え出ていくことを願うものである。そうすることによって、彼らの教えは恐らくアメリカについてのより深い理解だけでなく、日本における正義の闘い、特に在日韓国・朝鮮人のこの国における平等権獲得の闘いについてのより深い理解をも、提示することになるだろう。(5~6ページ)
繰り返しましょう。「日本を訪れるごとに、私は米国の黒人と在日韓国人との間の類似性を想起されている」とコーンは書いたのです。「私の聞いたところでは、日本的生活様式の容認が日本でも成功への道であるということである」とコーンは書いた。
あちゃーっ、じゃないですか? そして、1995年から31年経った2026年に日本社会に生きる私たち(敢えて一人称複数形)はなんとコーンに返答するのか? 「日本に移住するのなら、日本のやり方に従ってもらわなければならない。それができなければ出ていけ」という声が確かにそれなりの力を持っているのが現在の日本社会なのは、参政党や保守党が党勢を拡大し、自民党の政策を「移民促進」と非難する声が多数聞こえてくるのを知れば、もう間違いのない事実です。
それはコーンの言葉を借りれば、日本社会の“主人”を自負する日本人たちが「彼らがあるがままの自分である」ことを許さず、「彼らを犠牲にする」ことに何の疑問も抱いていない、つまりアフリカ系を虐待してきた白人系米国人と同じ極悪な人種差別的存在だということではないのか? もしも日本人にとっての外部者である人たちの中からマルコム(あるいはキングでも)のような闘士が生まれるとすれば、その闘士はマルコムやキングがそうであったように日本社会で実際に抹殺されるだろうことは疑いないことではないのか(あなた自身が手を下さなくても、あなたの代わりにナイフや銃やを手にする輩が必ずいるってことです)。
繰り返しますけれど、この序文は本の冒頭にあるのです。つまり、この序文の後の本文で書かれる白人社会の根強い人種差別主義は、そのまま日本社会の根強い人種差別主義をしつこく暗喩しているわけです。
それはつまり、日本社会の中にも、キングのように融和を説く少数者たちがいる。さらには、白人社会との共存を妥協なく悪夢と語るマルコムのように日本社会を悪夢に例える少数者たちもいるってこと。いて当然ってこと。
「米国のアフリカ系住人の祖先は、無理やり連れてこられた奴隷だけれど、日本国への海外からの移民や労働者は彼らが自ら望んでやってきたのだから、状況は違う」という反論が上がることは容易に想像できます。あるいは、コーンが指摘した「在日韓国・朝鮮の人たち」の父母・祖父母・曾祖父母は「多少、歴史の被害者という面はある」からわかるけれど、最近の移民者や越境労働者は米国黒人とは違うという声もあるかもしれません。
ふむ。つまり状況によって、人権の範囲は変わるのか? 自ら望んでやってくる以上、日本のやり方に従うのは当然だ、ということなのか? つまり、「彼らはあるがままの自分である」ことを放棄することを求められても仕方がない存在なのか? そして、実際問題、「あるがままの彼ら」で彼らがい続けようと我儘を言っていると多くの日本人は思うのか? 移住者が、なんの妥協も、適応もしていないと、誰が言えるのか? 食事? 火葬か土葬か? 集団的宗教行事や祭りが日本人には理解できない? いやいや、確実に越境者は遠慮し、妥協していますよ、さまざまな面で。そのうえで、そのときそのときに「あるがままの自分であり続ける」努力をせめてしている。
俺たち、まだ始まったばかりなんじゃないの?
“他者”と共存することは、確かに危険性をはらむことです。それはまだ短いホモサピエンスの歴史を学べば否定できないこと。たまたま今読んでいる『ホロコーストとジェノサイド ガリツィアの記憶からパレスチナの語りへ』(オメル・バルトフ著 橋本伸也訳 岩波新書 2024)では、数世紀の共存を経て民族浄化が起こった東欧の街の事象が詳細に語られています。筆者のバルトフは書いています。
このことは必然ではないし、事実、いつもそうなるわけではない。だが、カンボジア、ルワンダ、ボスニア———実は中東も———の例からは、極端なイデオロギーと本質主義的民族主義という条件が揃うと、この種の状況がほぼ防止困難でおよそ回避不可能であることが示されていると思われる。今では西欧でも見られるが、新住民が比較的急速に入ってくると、これが統合・同化政策への大きな不安を呼ぶ原因になる。コミュニティ間の関係のメカニズムを理解したければ、何世代にもわたって肩を並べて暮らしながら、複数の事情———ソ連とドイツの占領だけでなく、東欧における一九世紀末の民族主義や第一次世界大戦時の暴力及びその余波までさかのぼる———が結合して、コミュニティ内ジェノサイドという形で終焉を迎えたコミュニティに目を向けなければならない。(63ページ)
問題は移民なのか?それとも、極端なイデオロギーと本質主義的民族主義なのか? でも、世界は開いているから人の移動はどうしたって起こる。21世紀の今では、それを止めようとするのは「先住民」という特権にしがみつく傲慢なのではないか。そもそも誰しも、祖先をたどれば移民なのですよ。とすれば、「このことは必然ではないし、事実、いつもそうなるわけではない」ことに希望を見出すしかないではないですか。
だから、あとはお互い知り合いながら、境界を壊し、境界を再構築しながら、妥協・落としどころを模索するしかない。過去の多くの事例から学ぶことは多いし、無駄ではない(と私は信じたいなぁ)。
非寛容な社会は、嫌な社会だよ。
日本社会は、2021年3月に起きた、名古屋出入国在留管理局の施設で収容中に死亡した(私は殺人罪、でなければ業務上過失致死罪、が適応されるケースだと思っている)スリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)のことを何度でも思い出したほうがいい。もちろん、記憶すべきことはウィシュマさん以外にもたくさん₋たくさん₋たぁくさん₋ある……。
状況によって人権の範囲が変わるのは、カナシイことだ(そうじゃない?)。実際に、そういうことがあるのは嫌ってほど知っています。ガザを見よ。彼らからすれば「世界は何もしてくれない」なのは、明々白々でしょう。だから、2023年10月のイスラエルへの(比較的大きな)攻撃は起こった。そして、「暴力の使い方には圧倒的に優れている側は、その暴力を遠慮なく使う口実を得た」のです。そして、未だにイスラエルはパレスチナの人たちを殺し続けている。それを世界は止められない。パレスチナの人たちの人権は、ズタズタでボロボロ。本当にひどい。
そう、人権はTPO次第だ(TPO*時/Timeと場所/Placeと場合/Occasion)。そのうえで、さて私たちは(しぶしぶ一人称複数形再び)その上にに胡坐をかいて開き直るのかどうかってこと。
マーティンとマルコムのお陰で、アフリカ系アメリカ人は遥かに広い国際的精神を持つようになり、南アフリカにおける反パルとヘイト闘争や、世界中の富める者に対する貧しき物の闘いを、支持するようになった。自由の闘士はいずこにあっても、一つの民として手を携え、不正義に対して宣戦を布告していくべきである。マーティンの言葉は正しい。「いかなる場所における不正義も、すべての場所における正義への脅威である」。(429ページ)
日本社会は、キングもマルコムもきちんと理解しきれていないんじゃないのか? 日本社会がより良い社会になるためには、日本社会の被抑圧者の中から、キングやマルコムのような殉教者や、ウィシュマさんのような生贄がさらに必要ということなのか?
“ブラック”を悪い意味の形容詞として使い続ける日本社会を外から眺めていると、他者の人権に対しての感受性がきわめて低いとやっぱり思うよ。それは、つまり、胡坐をかいて開き直っているように思える、きわめてチャイルディッシュ。超ださいよ、やめて欲しい。
追記*地球規模の歴史の中で、米国の公民権運動だけがことさら闘いの場であったわけではない。つまり、村山のトピックの選択は、どうしたって米国中心主義ではないのか? それは批判として正しい。はい、その通りだと思います。だから、米国以外のこと、もっと勉強しなくちゃね。
そして、そういう批判があるとしても、この文章そのものへの批判とは思われない。だから、何?ってこと。
追記2*キングやマルコムがいた米国ですら、今の超好戦的大国主義かよ……。そういうため息はあり得る。でもさ、それは言っても詮無いことよ。公民権運動の成果を語る際に、それを言っちゃあお終いよってこと。諦めたら、はいそれまでよ。ホモサピエンス種が栄えてまだたったの十万年単位、人権思想が生まれてからこれっぽちの百年単位、つまりまだちゃちい俺たちの歴史なんだからさ……、まだまだ先が長いといいけどねぇ。

















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