いつもの仲間とビールの集い
もう数週間前の出来事です。午前中にめったにならない携帯電話が鳴って。
「今夜、ビールどうですか?そちらに直接うかがいますよ」と友人から突然の提案。こういうのはぜったいに断ってはいけない、というのが私の自主憲法。
午後6時ごろにという約束だったのに、RとSは1時間前の午後5時に来訪。おいおい、時間前の集合って、ここはホントにカンボジアなのかい?
4月にプノンペンに戻ってから、初めての集合。さっそくカンパーイ。ちなみに、このとき、プノンペン市内は酒類販売は禁止のはず。ま、そのあたりは、あまり詮索されませんように。16人以上の会合も禁止、ですけれど、こちらは一応規定人数以内で収めています。やがてPも到着して、いつものメンバーが集合です。
このメンバーで楽しむのはビール。ビールならば、飲みすぎましてもベロベロになって無茶苦茶ということにはなりません。今回も、ビール瓶が何本空いたのかなぁ。はい、たっぷりいただきました。
公務員、ODA関連、土地開発、といった彼らの仕事は、幸い新型コロナ禍での大きな収入減とはなっていない様子です。それぞれの家族も元気だそうで、それは何より。特に何を話すというのでもないけれど、楽しいひとときが続きまして、途中でどういうわけかビールも追加で買い出しがあったりして、それでも午後10時前には無事解散となりました。
そしてやっぱりやってくる膀胱炎
さて、問題はその後の私の膀胱です。ビールをたっぷり飲んだわけですから、当然、せっせと水分を排出しなければなりません。夜も、普段なら3~4時間おきの自己導尿(カテーテルというプラスチック管を膀胱まで差し入れて排尿する方法です)なのを、感覚を狭めて2時間おきぐらいにするようにしたのですけれど。
翌日は少々の二日酔い気味でダウンして過ごしまして、その次の日から、やっぱり熱が出ました。熱の出方から、まず間違いなくいつもの膀胱炎、尿路感染です。消毒には少しは気をつけていましたので、今回はもともと膀胱に巣くっている大腸菌が暴れていると判断しました。やはり負荷がかかると出ちゃうのです。無理がきかない。
膀胱炎の発熱、私の場合はいつも楽々と39度を超えてきます。このときも、最高体温は39.9度(使っている電子体温計の計測最高可能最高値)。もはや驚きもありません、いつものこと。静かに日本から持参している抗生物質を服用し、眠るのみです。そして、予定通りに3日めにいつものように熱が下がりました。
こうなったときの大きな問題点は、やはり妻の機嫌がとても悪くなることです。お酒を飲みすぎると決まったように膀胱炎で発熱する私ですので、ご心配をおかけして悪いのはもちろん私です。一応、いまのところ、今度の機会にはビールは小瓶で2本まで(缶なら2缶)、ワインならコップ2杯まで、という約束になっています。これも、1本、1缶、1杯というのをなんとか2本、2缶、2杯まで労使交渉で勝ち取った成果です。
でもなぁ、とにかく、本当に残念なことであります。2014年に事故にあって脊椎損傷で下半身完全麻痺となり、そのことで排便排尿も不便となって、何が一番残念かと言えば、やはりお酒の楽しみに制限がかかってしまうことです。大好きなビールもワインも、めっきり量が減りました。
それでもたまには気心の知れた仲間とワァーッと楽しくってのは、大事だとは思っているのです。あるいは、お酒を飲みながらじわじわと会話するというのも、とても充実したひと時なわけです。例えその後、多少体調を崩すことになっても、そういう時間をたまには作ってもいいんじゃないかと思うのです。しかし、それはなかなか他者(例えば、妻)には理解してもらえません。また、体調を崩せば、実際に普段以上にいろいろとお世話になるのが他者(例えば、妻)であるわけです。ですから、そこはやっぱり遠慮、配慮も必要ということになるのでしょう。
おそらくこれからも、じわじわと労使交渉を続けつつ、やっぱりお酒を完全に断つということはないのだろうなぁと思っている今日このごろなわけです。
アセトラゼネカ社製のワクチン接種で考える「つて」「コネ」さらに監視社会と、希望と
ところで、話変わって。先日、当地プノンペンで新型コロナ対応でアセトラゼネカ社製のワクチンを接種しました。すでに5月にシノファームという中国製のワクチンを2回接種していますから、今回で3回目の接種となります。接種したアセトラゼネカ社製のワクチンは、おそらく日本政府からカンボジアに支援された100万回分のうちの1回分だったのでしょう。
このワクチン接種、妻の家族のネットワーク(つて)によって可能になりました。聞けば、妻の姉上の健康仲間(夕方に公園でウォーキングを楽しむグループだとのこと)のお一人が接種会場となった病院のお医者さんだそうで、その彼の好意で接種することができたのです。
うん、たいへんありがたいことなんですけれど、これってやっぱり不正義でもあるよなぁと、ちょっと罪の意識も感じています。接種当日、会場には多くの人が詰めかけていて、おそらく数時間も待っている。「つて」のある私は、そこで30分も待たずにさっさと接種してもらえたのです。車イスってこともあって優先してもらえたのかもしれませんけれど、でも、「つて」なしで順番を待っている人たちが多くいる中ですから、ホント「申し訳なし」って気分でもありました。
こういう「つて」ってのは、どこまでOKなのでしょうかねぇ。まったく潔癖に融通が利かない価値観というのもやっぱり窮屈なような気がするし、一方でそれがゆるゆるになっていけば、あっちこっちで「コネ」が通じる不平等な社会にどんどんなっていく。それはすぐに賄賂が当たり前という状況につながっていくでしょう。
どこか温かさもある人情の一環としての「つて」や「コネ」なのか、それとも不健全な「えこひいき」なのか。その線引は難しい。特に、今日のようにSNS(ソーシャルネットワークシステム)という名のインターネット上での匿名性が簡単に確保できる社会では、その線引の難しさはより一層でしょう。権力者への監視が進むという面もあるでしょうけれど、むしろ、いわゆる「告げ口」、「密告」、さらには権力者による管理が強化される面のほうが強まる傾向があるのが、どうしても気になります。
新型コロナ禍のパンデミックを経験してしまった世界は、監視をより強めていく傾向が続きそうです。ワクチンパスポートがないと、旅行も気楽にいけないような世界。もちろん、それは「偽造」が広がる世界でもあるでしょう。本音と建前が交錯する。体裁が大事となる(マスクもそうですよね)。そして、ちょっと足を踏み外す者がいれば、匿名たちがすぐに襲いかかる。「遊び」、「余白」、「糊しろ」が限られた社会。やっぱりそれは嫌だなぁ。そんな気分のときに、ふと目についた一文。
ただ、他者の合理性を理解する仕事をし続けるのは、相当しんどいことです。やはり根底には希望がないとできません。私自身は、出口の見えない、簡単に解決できない社会問題について長年勉強していますし、それだけでなく、社会のいろんなところで揺り戻しがおきて、むしろますます状況が悪くなっている部分もたくさんありますが、それでも大きな歴史全体の歩みとしては、私たちの社会は一歩ずつ前進していると信じています。そのことを高らかに謳い上げたりはしないですけれど、心のどこかにそっと、そんなかすかな希望を抱いています。(岸政彦 『NHKテキスト 100分de名著 2020年12月 ブルデュー ディスタンクシオン』96ページ)
このブログで、これまでもときどき引用する社会学者の岸政彦さんの文章です。はい、私も、かすかな希望を持ち続けている“派”のつもりです。世界は少しずつ、良くなっている、と思います。感じることもできます。例えば障害者の生活の質だって、少しずつ改善されている。それは間違いないことです。
上記の岸さんが紹介しているブロデューというのはフランスの社会学者で、人がその出自や教育を通して、いかに規定された価値観を持つのかを明らかにした人です。自分で勝ち得たと思っている価値観や自由は、けして個人が選択して得ているのではなく、選択させられているに過ぎないということを証明したということです。最近、マイケルサンデルという人が書いた『実力も運のうち 能力主義は正義か? 』(早川書房 2021年4月)という本で話題のように、教育の機会均等といういかにも平等かのような学歴社会・能力社会は、実はけして平等ではなく、生まれた環境の違いにすでに大きく左右される、という考えの嚆矢のような社会学者がブロデューという人です。
まるで運命論者かのようなブロデューですけれど、でも彼は「重力の法則は飛ぶことを可能にする」という素敵な言葉も残しています。うんうん、そうだよね。私たちを大地に捉えて離さない重力があるから、私たちは飛ぶことを目指しちゃう…。そのことは、忘れたくありません。
ちなみに、「つて」や「コネ」の問題は、未だに私の中では未解決な問題です。これはこれで、考え続けなくちゃと思っております。あとアセトラゼネカワクチンの副反応、しっかり出ました。接種の翌日から2日間、発熱でやっぱり寝込みました。やれやれ。
















コメント、いただけたらとても嬉しいです